↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
148/178

第148話 俺が作った曲です

 『午後の急行』の最初のサビで、前の席の人が顔を上げた。俺の短い言葉のあとにギターが鳴り、その音を聞いて、次へ声を入れる。


 小野さんの鍵盤が軽く移るところで、客席の何人かも足先を動かした。同じところを聞いているのが見えると、俺も身体を少し前へ置いて歌えた。


 声を強くし続けなくても、後ろへ響いていく。高くなるところだけ広げ、次の短い返事は近くへ戻すと、自分でも歌い分けたところが聞こえる。


 二番も二人の音を聞いて進み、最後の言葉を短く切った。残った音が止まると拍手が来たので、マイクから離れて頭を下げる。


 顔を上げる前に、次は挨拶だと思い出した。


「久瀬凪です。今日は、来ていただいてありがとうございます」


 歌ったときより低く聞こえる声も、後ろへ届いていた。客席を見てから、次の言葉を続ける。


「俺が歌いたかったものを、七曲選びました」


 そこで紙を一度見たが、次の題名は覚えていた。


 (そっちは読まなくても言えるだろう)


「次は、最初に録音の仕事で歌った曲です。『ひとつ先の週末』」


 石倉さんを見ると、合図を返して前奏を始めた。短い案内で聞く部分だけではなく、今日は最初から最後まで歌える。


 小野さんの音が減るところへ、細い声を入れた。喉へ押し込まず静かなまま伸ばすと、前の席の人が、プログラムを膝へ下ろすのが見える。


 さっき足を動かしていた客席が、今はあまり動かない。そこを見ながら息を取り、最後のサビは明るく開いた。


 最初の仕事で、自分から歌いたいと頼んだところだった。短く録った部分を覚えているだけでなく、その手前の言葉も、今日は聞いてもらえた。


 最後の音が消えるのを待って礼をし、次の『椅子をふたつ』では、森野さんのほうへ一度目を向けた。


 目が合うとうなずいてくれたが、台詞は返ってこない。俺も芝居の入りを待たず、誰かが来るまで待っていたときの、柔らかい声から始めた。


 客席へ顔を向け、来てくれた人を見つけるところで声を変えると、鍵盤も明るくなる。何度も一緒にやった歌で、今日の顔を見ながら選べることがあった。


 終わって手を叩く森野さんへ頭を下げた。知っている人が来てくれたことを、ようやく歌の途中から、ゆっくり喜べていた。


     *


 マイクの前から鍵盤へ移り、椅子へ座った。客席の目も一緒に動いたので、手を置く前に顔を上げる。


 ここまでは、前に仕事で歌ったものも入っていた。次の曲の作り方だけは俺が説明できるので、誰かの紹介を待たずに話したかった。


「次は、俺が作った曲です」


 息を取った。紙へ説明を全部書いたわけではなかったが、どう作ったかは、自分がいちばん知っている。


「家で短い音を作っていて、そこへ言葉を付けました。仕事が終わって、家に帰ってから好きなことをする歌です」


 最後の一行が少し早くなった。前の席で笑う人がいたので、俺も口元を緩め、もう一度息を取る。


「『休みの日』です」


 鍵盤へ手を置いて弾くと、家で何度も鳴らした音が出た。そこへ自分で決めた言葉を入れて、最初の一行を歌う。


『靴をそろえて 今日はここまで』


 鼻歌の録音では母音だけだったところへ、今日は自分で選んだ言葉を乗せている。短い音に詰めず、伸ばせるところまで待つと、次の言葉もはっきり歌えた。


 声を近くへ置くと、歌にした部屋のことも浮かんだ。机に残るノートと、先に食器を洗えば、もう立たずに済むと思っていたことだ。


 そのくらいのことを、今、聞いてもらっている。


 一番の終わりへ小野さんが音を添えたので、俺は言葉の最後を残し、短い間を弾きながら顔を上げた。


 三列目で、藤崎さんがこちらを見ていた。前は鼻歌で聞いてもらったものを、今日は詞付きで、しかも自分で弾きながら歌っている。


 二番へ入っても指は止まらず、予定を詰めずに残した夜の言葉まで進めた。自分が好きな時間を歌うので、最後も、急いで切りたくなかった。


 声を伸ばしてから指を離すと、小野さんの音も消えた。手を膝へ戻して顔を上げたところで、前だけでなく、後ろからも拍手が聞こえる。


 座ったまま礼をし、顔を戻すと、後ろで手を叩いている人も見えた。知っている二人を探さなくても、自分の歌に拍手してくれる人がいる。


「ありがとうございます」


 立ってからまた頭を下げた。そのあいだにも続く音を、すぐ次へ移って終わらせたくなかった。


 (もう少し、このままでいてもいいな)


 マイクの前へ戻る歩き方が遅くなったところで、通路側の席から声をかけられた。


「その曲、どこかで聞けますか」


 その人の顔を見た。買える場所も公開した録音もなく、家で作った音は、聞いてもらった人たちへ送っただけだった。


「……まだ、どこにも出してなくて。今日、ここで歌うのが最初です」


 答えると、その人はうなずいた。


「聞けてよかったです」


 礼を返し、手をマイクへ戻した。もう一度聞ける場所を作りたくなったが、まずは、ここで待っている人へ残りの歌を歌いたい。


 石倉さんのギターが、夜の曲の前奏を始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。