↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
147/180

第147話 今日は、歌を聞きに来た人たち

 日曜日の昼、家を出る前に鞄を開いた。曲目の紙と歌詞、水は入っていたので閉じかけたが、横にある鍵盤へ、もう一度目が向く。


 今日は会場のものを使う。家の小さい鍵盤まで持っていく必要はなく、それが入る鞄を用意したわけでもなかった。


 (今日は置いていけ。向こうでも弾けるんだから)


 玄関で靴を履いて鍵を掛け、駅へ歩きながら最初の曲を頭の中で聞くと、終わったあとの挨拶も、今日は続けて思い出せる。


 一時に『灯り舎』へ入り、三人で音を確かめた。空の客席へ声を出し、鍵盤と重なるところを歌い直す。


 音を確かめてくれる人が前の席と後ろの席を行き来し、声を無理に大きくしなくてもよいよう、音量を合わせてくれた。


 石倉さんのギターとも最初の一行を試し、それから鍵盤へ座った。椅子の高さを一段変えて手を置くと、金曜日に選んだ音がそのまま鳴る。


 前奏から二行歌い、顔を上げたまま続きを弾いた。指は止まらず、小野さんが舞台の横でうなずいたので、もう一回やるのはやめた。


     *


 客席を開ける前に、机へ水と紙を置いて座った。石倉さんは弦を確かめ、小野さんは鍵盤の設定を見直している。


 俺も何か確かめたくなったが、歌詞はさっき見たし、マイクも合わせてある。鞄のものまで出して並べても、やることは増えない。


 水を一口飲んでから、曲目の紙だけ開いた。


「曲の順番、まだ替えたいものはない?」


 石倉さんに聞かれ、七つの題名を追った。そこへ置きたくて選んだものばかりなので、今の順番のまま聞いてもらいたかった。


「ないです」


「じゃあ、それで」


 その返事だけで、石倉さんはギターへ戻った。言った理由をもう一回説明する必要もなくなり、俺も紙を机へ戻す。


 三時半になると、階段から話し声が上がってきた。植田さんが予約の名前を確かめているので、舞台の横から客席を見る。


 すぐ前へ座る人も、全体を見てから後ろを選ぶ人もいた。一緒に来た二人がプログラムを開いているのを見て、もう曲目を読んでいるのかと思う。


 森野さんを見つけると、こちらへ軽く手を上げ、近くの席へ座った。舞台で台詞を聞いていた人が、今日は客席にいる。


 藤崎さんはそのあとに来て、三列目の通路寄りを選んだ。鞄を足元へ置くところまで見えたので、俺も手を上げる。


 藤崎さんが笑ってプログラムを広げるのを見て、俺も客席から顔を戻した。見つけたら見るとは思っていたが、本当にすぐ見つけてしまった。


 開演の十分ほど前に、植田さんが戻ってきた。


「今日は五十四人です。前から、きれいに入っています」


 六十席のうち、五十四。


 全部ではなくても、ほとんどの椅子に人がいた。何人もの手元に自分の名前のある紙が見え、初めに写真で見た空の部屋とは違っている。


 (本当に、歌を聞きに来たんだな)


 俺の案内から来た人も、ここで聞く会を楽しみにしている人も、今日は同じ七曲を聞く。植田さんが予定通り四時に始めると言ったので、音を確かめる用事はもう終わりにした。


     *


 石倉さんと小野さんが先に出ると、近くで拍手が起きた。二人がそれぞれの場所へ着いて待つのを見送り、俺は机の水を飲んだ。


 喉が乾いていたわけではなかった。もう確認する用事がないので、口を動かせることを一つやりたくなっただけだ。


 曲目は舞台で見えるところへ一枚置いてあるため、ここで持っていたほうを、机へ戻した。


 (同じ紙を二枚持って出ても、歌える回数は増えない)


 自分で少し笑いかけたところへ植田さんの合図が来たので、立って客席へ出ると、思っていたよりたくさんの顔が、こちらへ向く。


 さっきは席を選んでいた人が、今は舞台を見ていた。俺がマイクの前に立つまで待っているのを見て、歩くのを止めずに真ん中へ向かう。


 拍手を聞きながら真ん中へ立ち、頭を下げた。マイクへ手を置いてから二人を見ると、どちらもこちらを見て待っている。


 息を吸ったところで最初の音が鳴り、『午後の急行』を歌い始めた。人前では今日が初めてでも、声は、出したかったところへまっすぐ届く。


 最初の列へ届く声を聞きながら、その先の言葉も続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。