第141話 声を出しても、指が止まらない
月曜日の昼、自分の歌を弾きながら歌うと、最初の四つの音は迷わず出せたのに、左手を動かしたところで右手が同じ鍵に残った。
声は止めずに進められるが、伴奏が少し置いていかれたので、いったん歌うのをやめて、その先を鍵盤だけで弾いた。
それなら、つながる。
(置いていかれてる。俺の右手なのに)
台を買ったばかりの頃と比べれば、もうずいぶん弾ける。それでも、本番で歌いながら客席を見るところまで、今のまま行けるかが気になった。
最後まで進めた録音は、もう残してある。欲しいのは、指の行き先を見続けなくても、自分が歌いたい通りに伴奏も変えられることだった。
ゲームを開くと、中枢はまだ購入待ちで、次の実績までの見込みは、四つの設備を買ったときより短くなっていた。
二週間も先ではなく、届けば二十三ポイントもらえる。今ある五ポイントを残して待つこともできるが、鍵盤の音がまだ頭の中に残っている。
【鍵盤演奏 Lv.2 → Lv.4】
【必要スキルポイント:合計5】
ぴったりだ。
小野さんに伴奏を任せることもできるし、今までの弾き方で曲を通すこともできる。でも、自分で作ったこの歌は、自分の手で弾いて聞いてもらいたかった。
作詞へ七ポイントを使う前から、こちらも買えるのは知っていた。先に言葉を作ってみた結果、今は、その歌を弾くほうも欲しくなっている。
俺は購入を選んだ。
【鍵盤演奏 Lv.4】
【所持スキルポイント:0】
短い前奏から弾くと、左手を動かしても、今度は右の音を残せた。次の指の置き方までわかるので、一つずつ鍵を見る必要がない。
声を入れ、言葉の最後を待ってみると、指も同じだけ音を残した。次の行を軽く歌えば、伴奏も、自分が聞きたい軽さに変えられる。
最後まで歌って音を閉じたあと、すぐに最初へ戻った。今の終わり方をもう一回やりたいと思ったのに、弾いているうちに次の歌い方も試したくなる。
(もう一回。今のは、かなりよかった)
二回目は、途中で机のノートへ目をやった。下を見なくても指が動き、一行先まで歌えたので、顔を戻すときに慌てずに済んだ。
客席はノートよりずっと気になると思うが、少なくとも、手元を見ていないと弾けない状態ではなくなった。
*
録音を聞いて昼ごはんを食べ、小野さんへ、自分の曲は自分で弾きながら歌ってみたいと書いて送った。
午後に来た返事を開く。
『今の音で、一度合わせてみましょう。左側に寄りすぎず弾けているので、僕は上へ小さな音を足せます』
やめたほうがいい、とは書いてなかった。どこへ音を足せるかまで読んで鍵盤へ向かいかけ、途中で、今日は勤務のある日だと思い出す。
(五時を過ぎてからもう一回、はやるなよ)
まだ三時だったので終わりの時刻を決め、また最初から弾いた。一度のつもりが二度になったが、決めた時刻には止められた。
五時半に店へ入ると、休憩室で藤崎さんが紙を見ていた。こちらに気づいて下ろした紙には、歌詞が書いてある。
「こんにちは」
「おはよう。歌、聞いたよ。あれ、家で全部弾いたの?」
「今日送ったのは、そうです」
「今日?」
そうだった。藤崎さんが聞いたのは、前に送った録音で、さっき来た小野さんの返事とは別だった。
(聞いてくれる人が二人になると、これか)
「……前のは、途中で分けました。今日、続けて弾いてみて」
「じゃあ、また聞きたい」
スマホを取り出して新しいほうを選んだ。向こうから聞きたいと言ってもらえたので、同じ曲をまた送っていいか迷う必要もなくなった。
ただ、藤崎さんの手元にも紙がある。
「今、練習してましたか」
「うん。次の歌会に持っていこうと思って」
録音を送ってから題名を見せてもらうと、前に歌っていた曲とは違った。どこが気になっているかも聞くと、藤崎さんは最後の繰り返しを指す。
「同じ言葉なのに、ここも同じにすると、なんか平らになって」
紙を追うと、最後に入る前を少し落とせそうだったので、藤崎さんに、その二行のところを示した。
「この手前で、ちょっと落とすのはどうでしょう」
小さな声で歌って聞いてもらい、最後の言葉の前で止めた。
藤崎さんがそこから続けて歌うと、最後の言葉に入るところで、さっきより声が前へ出て聞こえた。
「あ、こっちがいいかも」
「はい」
「本番でやってみて、決める」
藤崎さんは紙へ短く書き足した。俺が選んで終わりにするのではなく、本人が歌ったときに好きなほうを決められる。
その横で、送った録音も聞いてもらった。最後の音で藤崎さんが笑い、歌詞のところへ話を戻す。
「久瀬くん、家に帰ったら本当にこれやってそう」
「……やってます」
今日は、この歌自体を何度も弾いていたが、それも帰ってから好きなことをしているのには違いなかった。
「でも、帰ってから何をするかまでは、決めてないんだね」
「好きなもので、いいと思って」
うなずいた藤崎さんが紙を片づけ、先に廊下へ出た。俺もエプロンを着けて、今日の部屋の予約を開く。
家で歌った音をまた聞きたくなっていたが、続きは勤務のあとにして、まず目の前の予約を確かめた。




