第14話 三人とも、別のところ
朝八時、布団の中でゲームを開いた。
複製プラントの購入ボタンが明るくなっている。
【複製プラント:1基】
【次の購入価格:160,000,000,000,000】
百六十兆。
五日前に効率化を買い、そのあとは貯めていた。毎日少し確かめるだけでも増え続けて、予定どおり今日の朝に買えるところまで来た。
まだ少し眠かったが、購入するときは目が覚めた。
【生産速度:706,848,256/秒】
七億を超えた。
俺は布団の上に起き上がり、枕を背中へ挟んだ。
一基目を買ったときは、一秒に一億六千万増えた。今日はその倍だ。先に効率化へ百兆使っておいたおかげで、二基目まで初めから速い。
こういう増え方が見たかった。
画面では、同じ形の箱が二つ並んでいた。
相変わらず、見た目には金をかけないらしい。
(百六十兆も払ったんだから、色くらい変えてくれてもいいだろ。まあ、ちゃんと増えている。それならいいか)
次の値段は、二千五百六十兆。
さすがに、これはすぐには押せない。
合成ユニットへ戻ると、前に見送った五基目があった。こちらは明日には買えそうだ。プラントの三基目を待つ間に増やすなら、もう一度比べておこう。
ゲームを閉じ、布団から出た。
今日は午後三時から練習だ。
起きて一分もたたないうちに大きな買い物ができたので、かなり気分がよかった。
*
店へ着くと、相原さんが入口近くのベンチにいた。
膝にあるのは普通のバッグで、今日はギターケースがない。
「こんにちは」
「お、久瀬くん。予約ありがとう」
「いえ」
「あと五日だね」
予選のことだとわかって、うなずいた。
朝から気分はよかったが、それを言われると少し腹のあたりが落ち着かなくなる。設備が買えた勢いで大会まで平気になる、ということはなかった。
藤崎さんも来て、三人で受付を済ませた。部屋代は人数と時間で分け、飲み物はそれぞれ。伝票に書かれていたのは二番だった。
部屋へ入り、水筒とスマホを出す。相原さんが紙を広げながら言った。
「最初に一回ずつ、本番と同じ長さでやろう。途中で止めない感じで。久瀬くん、先いく?」
「……はい」
早いほうが助かる。
歌は聞いてほしい。でも、二人のあとにすると、ずっと自分の番を気にしていると思う。
俺は藤崎さんへスマホを渡した。
「録音、お願いします」
「名前からでいい?」
「はい」
バッグをソファの端へ寄せ、マイクを持って立つ。
相原さんがこちらを向き、藤崎さんが録音を始めた。
この二人に今の声を聞いてもらうのは、今日が初めてだった。
*
「久瀬凪です。『帰り道』を歌います」
頭を下げると、藤崎さんが曲を入れた。
何度も聞いた前奏が流れる。
一人で借りた部屋では、かなり気持ちよく歌えた。今日は二人がいるので、同じようにできたらいい、と思いながら息を吸った。
最初の声が出る。
大丈夫だった。
小さくしても言葉は残るし、次へ進むときも急がなくていい。サビへ向け、少しずつ声を強くした。
藤崎さんがスマホを持ち直した。録音の赤い印はついたままだったので、そのまま続ける。
高いところをしっかり伸ばす。
そのあとだけ、細くする。
声はかすれずに続いた。
ここは聞いてほしかった。
そう思うと、二人が目の前にいることも嬉しくなった。顔を確かめたくなったが、最後の音までは伴奏へ意識を戻す。
手前を少し早く進め、静かに落としていった。
声が消え、そのあとに伴奏が入った。
「ありがとうございました」
頭を下げると、二人が拍手をしてくれた。
よかった。今のは、録音にも残っている。
座ると、藤崎さんがスマホを返してくれた。
「最後、高いまま静かになったね」
「前より、残せるようになって」
「うん。小さくなっても、ちゃんと聞こえた」
(そこです)
言ってほしかったところを言われ、うなずくのが少し速くなった。
「カラオケでも、あの終わり方になってたね」
相原さんも、紙を見ながら言った。
「少し、手前を変えました」
「なるほど。俺が待ってたところ、どうするかなと思ってたんだ」
覚えていてくれたらしい。
もう一回聞いてほしい気もしたが、今日は三人の練習だった。水を飲み、スマホをバッグへしまう。
「じゃあ、俺も一回」
相原さんが端末を取り、立ち上がった。
先に歌ってよかった。
自分の番を気にせず、今度は聞くほうを楽しめる。
*
相原さんは名前を言うところから迷わず、伴奏が入ると右足を小さく動かした。
ギターのときより、音が多い。それでも短い言葉が次々に続くところは、歌会で聞いた声と同じように気持ちよかった。
サビでは、俺も少し足を動かしていた。
歌い終えた相原さんは、拍手へ軽く頭を下げてから紙を見た。
「途中、少し先に行ったかな」
「速くなったところ?」
藤崎さんが聞く。
「うん。気持ちよくなると、もう次へ行きたくなるんだよね」
俺も、さっきの歌を思い出した。短い言葉が続くところで、少しだけ急いで聞こえた。
ただ、そのまま全部ずれたわけではなかった。
「最後は、合ってました」
「そうだよね。そこで戻ったから、その前だけか」
相原さんは紙へ印をつけた。
「次、そこを試す。藤崎さん、どうぞ」
「はい」
藤崎さんは一度肩を動かし、マイクを持った。
『窓の灯り』が流れる。
柔らかい声で歌い出し、サビの前でこちらを見た。歌会で聞いたときにも、俺が好きだと思ったところだ。
そこから、最後の言葉まで声が続いた。
今日は一コーラスなので、二番へは入らない。藤崎さんは終わりの音を少し残し、マイクを下ろした。
「どうだった?」
「前より、終わるところがはっきりしたね」
相原さんが言うと、藤崎さんはうなずいた。
「一番だけだから、ここで終わった感じが出るといいなと思って。強すぎた?」
俺は首を振った。
「その前が静かだったので、よかったです」
「そっか。じゃあ、こっちにする」
藤崎さんはスマホへ短く打ち込んだ。
俺は最後を静かにしたくて、藤崎さんは少し声を残したい。相原さんは、途中の速さを確かめている。
三人とも別のところを見ているので、順番に聞いていても、次はどうするのかが気になった。
*
残りの時間は、変えたいところを一人ずつ試した。
相原さんは、急いだところの手前から歌う。短い言葉の入り方を変えると、さっきより余裕があった。速さは同じなのに、聞いていて軽く感じる。
「今の、よかった」
藤崎さんが言った。
「うん。途中で戻そうとしなくていい」
相原さんはもう一度試し、紙の印へ丸をつけた。
藤崎さんは最後を二通り歌い、最初に決めたほうを残す。俺も録音を聞き、もう一度だけ通した。
声は狙ったとおりに出た。
手のひらは少し温かくなっている。二人に聞かれていることが、まったく気にならないわけではなかった。
それでも、気になるせいで歌えなかったところはない。
「久瀬くん、ほかに試したいところある?」
相原さんに聞かれ、少し考えた。
もう一回歌いたい。それはある。
直したい場所は、今のところ浮かばない。さっき褒められたところを、また聞いてほしかった。
帰ったら、今日の録音を聞こう。二人の拍手も入っているはずだ。
「今日は、これで大丈夫です」
「了解。じゃあ、最後、俺もう一回いい?」
「はい」
相原さんが歌っている途中で、終了十分前の電話が鳴った。
俺が受話器を取り、短く返事をする。相原さんは止まらず、最後まで歌った。
電話を置いたあと、また足を動かして聞く。俺の声が少しかぶったが、相原さんは気にした様子もなかった。
*
五時前に部屋を出て、フロントで精算を待った。
藤崎さんがメールを見ている。
「順番と集合時間、明後日までに来るって」
「来たら待ち合わせ決めようか」
相原さんの言葉に、俺もうなずいた。
次は三人で部屋へ入って、じゃあ最初どうぞ、とはならない。決められた順番に呼ばれるのだ。
一番最初だけは避けたいな、と思ったが、今考えても順番は変えられない。
店を出ると、相原さんがバッグを肩に掛けた。
「あとは、当日だね」
「はい」
藤崎さんも、「うん」と答えた。
別れたあと、イヤホンで今日の録音を聞いた。
最初に俺の名前が入っている。歌のあとには、二人の拍手も入っていた。
予選用の歌い方を確かめるために聞き始めたのに、拍手のところまで止めずに聞いた。
これも残しておこう。
家へ着いたら、消さないようにわかる名前をつけておきたい。大会の日に迷ったら、今日の俺はこれでいいと思ったのだと、確かめられる。
帰る途中、最後のところだけもう一度聞いた。




