↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
130/181

第130話 もう五分、座っていたい

 撮影の木曜日、部屋の椅子に座った俺は、片方の靴下を探していた。


 本当に見つからないわけではない。


 場所は、先週と同じだった。


 カメラが回り、川瀬さんから始める声がかかる。


 俺は膝に手をつき、洗濯物を見る。そこにはないので、鞄の後ろも見る。


 時計へ目をやったときに、口から「あれ」と出た。


 早くしないといけないのに、手が止まる。


 立ち上がったところで、椅子の下の白い布に気づく。


 膝を曲げ、拾った。


「はい、そこまで」


 声を聞いてから、体を戻した。


 最初の一回が終わった。


     *


 画面を見せてもらうと、佐野はちゃんと急いでいた。


 大きく慌てる動きはしていない。でも、鞄の近くを見る目が早く、拾う直前に少し腹を立てている。


 自分で落としたのに。


 そこは、わかる気がした。


「いいです。次は手元を撮ります。同じ速さでお願いします」


 立つ位置へ戻り、靴下を置き直してもらう。


 先週、背中で隠していた場所だった。


 足の位置を確かめ、同じ順番で動く。


 顔を撮ったものと手を撮ったものをつないでも、急に別の探し方にならないようにした。


 演技の七にしてから、こういう動きは揃えやすい。


 どこへ手を伸ばしたかを一つずつ覚え直すより、佐野が今どこを疑っているかを追ったほうが自然に戻れた。


 拾うところまで終わると、三枝さんが画面の前で笑っていた。


「これ、靴下に怒ってますね」


 俺は少しうなずいた。


 (わかってもらえた)


 あれは、かなり不満そうに拾った。


     *


 次に、前の晩の手元を撮った。


 乾いた靴下を一足ずつ、箱の仕切りへ入れる。


 最後に蓋を閉めるだけの短い場面だったが、入れた順番と色を写真に残していた。


 また開ける場面と、同じにするためだった。


 俺は、商品に付いた紙を外してから箱へ手を伸ばした。


 撮る部屋の棚へ置き、蓋を閉じる。


 これを昨日の晩にやっておいた佐野は、明日の朝の自分を助けている。


 家へ帰ったら、自分の洗濯物も畳もうかと思った。


 思っただけで、約束はしなかった。


     *


 午後は、探さなくていい朝を撮った。


 衣装と照明を戻してもらい、箱を開ける。


 すぐ一足を取れる。


 履いたあと、時計を見る。


 昨日より、時間が余っている。


 ここで初めて、佐野は椅子の背にもたれた。


 俺は、肩の力を抜いてみせた。


「一度止めます」


 川瀬さんが画面から顔を上げた。


「悪くないです。もう少し、出かけたくなさそうにできます?」


「……はい」


「仕事が嫌というより、せっかく座れたから、もうちょっと、っていう感じで」


 その説明は、よくわかった。


 夜、工場の次の設備まで待っているときの俺に近い。


 あと少しなら待てる。


 終わったら、そこでやめる。


 だいたい、そうならない。


 (参考になる生活をしているな)


 俺は、もう一度立って、最初の位置へ戻った。


     *


 靴下を履き、時計を見る。


 まだ余裕があるとわかってから、ゆっくり椅子へ体重を預けた。


 座れて嬉しい。


 でも、すぐ出ないといけないのも知っている。


 鞄へ伸ばしかけた手を、膝へ戻した。


 ほんの少し待ってから、諦めて鞄を取る。


「はい、ありがとうございます」


 川瀬さんの声がした。


 三枝さんが画面を見直し、うなずいた。


「これがいいです。時間ができたのに、ぎりぎりまでいる人」


 俺は椅子から立った。


 今のほうが、自分でも好きだった。


 片づけをした結果、立派な朝の過ごし方を始めるわけではない。


 少し長く座れるようになったので、そうする。


 佐野とは、かなり話が合いそうだった。


     *


 予定していた朝の場面を撮り終えたのは、五時より前だった。


 衣装を返し、自分の服へ着替える。


 まだ次の木曜日にも同じ部屋へ来るが、今日の分は終わりだった。


 石倉さんから、月曜日の録音用の音が届いていた。朝の椅子の場面には、最後の歌が重なる。


 画面の前で試した、機嫌のいい声を思い出した。


 あの顔なら、あの歌い方が合う気がする。


 自分の靴を履いていると、川瀬さんに声をかけられた。


「次は相手もいるので、また違う佐野が見られそうですね」


「はい。楽しみです」


 そう答えてから、鞄を持った。


 帰りの電車で、歌が入る予定の場所を台本でもう一度確かめた。


 あの顔に、自分の歌が重なる。


 月曜日に録ったら、合わせたものを見せてもらおう。


 石倉さんへ頼むことを、スマホに一行だけ残した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。