第130話 もう五分、座っていたい
撮影の木曜日、部屋の椅子に座った俺は、片方の靴下を探していた。
本当に見つからないわけではない。
場所は、先週と同じだった。
カメラが回り、川瀬さんから始める声がかかる。
俺は膝に手をつき、洗濯物を見る。そこにはないので、鞄の後ろも見る。
時計へ目をやったときに、口から「あれ」と出た。
早くしないといけないのに、手が止まる。
立ち上がったところで、椅子の下の白い布に気づく。
膝を曲げ、拾った。
「はい、そこまで」
声を聞いてから、体を戻した。
最初の一回が終わった。
*
画面を見せてもらうと、佐野はちゃんと急いでいた。
大きく慌てる動きはしていない。でも、鞄の近くを見る目が早く、拾う直前に少し腹を立てている。
自分で落としたのに。
そこは、わかる気がした。
「いいです。次は手元を撮ります。同じ速さでお願いします」
立つ位置へ戻り、靴下を置き直してもらう。
先週、背中で隠していた場所だった。
足の位置を確かめ、同じ順番で動く。
顔を撮ったものと手を撮ったものをつないでも、急に別の探し方にならないようにした。
演技の七にしてから、こういう動きは揃えやすい。
どこへ手を伸ばしたかを一つずつ覚え直すより、佐野が今どこを疑っているかを追ったほうが自然に戻れた。
拾うところまで終わると、三枝さんが画面の前で笑っていた。
「これ、靴下に怒ってますね」
俺は少しうなずいた。
(わかってもらえた)
あれは、かなり不満そうに拾った。
*
次に、前の晩の手元を撮った。
乾いた靴下を一足ずつ、箱の仕切りへ入れる。
最後に蓋を閉めるだけの短い場面だったが、入れた順番と色を写真に残していた。
また開ける場面と、同じにするためだった。
俺は、商品に付いた紙を外してから箱へ手を伸ばした。
撮る部屋の棚へ置き、蓋を閉じる。
これを昨日の晩にやっておいた佐野は、明日の朝の自分を助けている。
家へ帰ったら、自分の洗濯物も畳もうかと思った。
思っただけで、約束はしなかった。
*
午後は、探さなくていい朝を撮った。
衣装と照明を戻してもらい、箱を開ける。
すぐ一足を取れる。
履いたあと、時計を見る。
昨日より、時間が余っている。
ここで初めて、佐野は椅子の背にもたれた。
俺は、肩の力を抜いてみせた。
「一度止めます」
川瀬さんが画面から顔を上げた。
「悪くないです。もう少し、出かけたくなさそうにできます?」
「……はい」
「仕事が嫌というより、せっかく座れたから、もうちょっと、っていう感じで」
その説明は、よくわかった。
夜、工場の次の設備まで待っているときの俺に近い。
あと少しなら待てる。
終わったら、そこでやめる。
だいたい、そうならない。
(参考になる生活をしているな)
俺は、もう一度立って、最初の位置へ戻った。
*
靴下を履き、時計を見る。
まだ余裕があるとわかってから、ゆっくり椅子へ体重を預けた。
座れて嬉しい。
でも、すぐ出ないといけないのも知っている。
鞄へ伸ばしかけた手を、膝へ戻した。
ほんの少し待ってから、諦めて鞄を取る。
「はい、ありがとうございます」
川瀬さんの声がした。
三枝さんが画面を見直し、うなずいた。
「これがいいです。時間ができたのに、ぎりぎりまでいる人」
俺は椅子から立った。
今のほうが、自分でも好きだった。
片づけをした結果、立派な朝の過ごし方を始めるわけではない。
少し長く座れるようになったので、そうする。
佐野とは、かなり話が合いそうだった。
*
予定していた朝の場面を撮り終えたのは、五時より前だった。
衣装を返し、自分の服へ着替える。
まだ次の木曜日にも同じ部屋へ来るが、今日の分は終わりだった。
石倉さんから、月曜日の録音用の音が届いていた。朝の椅子の場面には、最後の歌が重なる。
画面の前で試した、機嫌のいい声を思い出した。
あの顔なら、あの歌い方が合う気がする。
自分の靴を履いていると、川瀬さんに声をかけられた。
「次は相手もいるので、また違う佐野が見られそうですね」
「はい。楽しみです」
そう答えてから、鞄を持った。
帰りの電車で、歌が入る予定の場所を台本でもう一度確かめた。
あの顔に、自分の歌が重なる。
月曜日に録ったら、合わせたものを見せてもらおう。
石倉さんへ頼むことを、スマホに一行だけ残した。




