第129話 勝手に片づけないでください
木曜日、撮影に使う部屋へ入ると、椅子の下に靴下が落ちていた。
拾いかけて、手を止める。
俺のものではなかった。
「それ、朝の場面で使います」
川瀬さんに言われ、手を戻した。
(危ない。撮る前に解決するところだった)
部屋の奥に窓があり、手前には低いテーブルと椅子。右側の台所には、一人で使うには十分な広さの調理台があった。
棚の上には仕事の鞄、脇には畳みかけの洗濯物。
今日は撮影ではなく、衣装と動きを合わせる日だった。
置いてあるものを眺めていたら、入口から入ってきた男性が、俺へ挨拶した。
「吉岡です。友達の役をやります」
「久瀬です。よろしくお願いします」
吉岡さんは俺の横へ立ち、部屋を見た。
「遊びに来て、これなら、まずどこに座るか聞くな」
椅子には上着が載っている。
俺は、取りかけた手をまた止めた。
「あ、まだ片づけないほうがいい?」
「……たぶん」
川瀬さんが、笑いながら椅子の上着を指した。
「そこは、休日の場面で佐野がどけます」
手を出したくなるものが多い部屋だった。
*
着替えた白いシャツは、肩のあたりが普段の服と少し違った。
鏡の前で腕を上げ、下ろす。撮影の担当の人が袖口を直し、正面と横から写真を撮った。
次に来るときも、同じ状態に戻すためらしい。
衣装はここで預かってもらう。
自分の鞄は入口の脇へ置き、小道具の鞄だけ棚から取った。
似た大きさだったが、持ち手の感触が違う。
「朝は、こっちの椅子から始めます」
川瀬さんに言われ、片足だけ靴下を履いて座った。
もう片方は、椅子の下。
俺自身は、場所を知っている。
佐野は、知らない。
まず洗濯物を見て、それから鞄の近くを見る。最後に、立ち上がったとき、椅子の下へ視線が落ちる。
川瀬さんが、手に持った画面をこちらへ向けた。
「顔はいいんですけど、この角度だと、靴下が体で隠れます」
画面には、困っている俺の背中が大きく映っていた。
(背中の広告にはしないだろうしな)
足を半歩引く。
同じ順番で探し直すと、今度は、俺が見つける直前に白い布が見えた。
川瀬さんがうなずく。
「これなら、見てる人も先に気づけます」
場所を変えただけで、見え方がずいぶん違った。
*
朝の後半は、別の日になる。
前の晩に仕切りのある箱へ片づけたので、今度はすぐに一足を取り出せる。
箱は商品だった。
蓋を開ける手で仕切りまで隠さないように、置き方を確かめる。
「見せようとしすぎなくて大丈夫です。佐野は買ったあとで、自分が使ってるので」
川瀬さんが言った。
俺は、箱を持ち上げるのをやめた。
棚に置いたまま開けて、靴下を取る。
それなら、いつもの動きに近かった。
「いいですね。物も、顔もわかります」
画面を見せてもらうと、本当にそうなっていた。
商品を使う人として、そこにいられた。
*
吉岡さんとは、二本目と三本目の動きを軽く合わせた。
遊びに来た友人へ夕飯を出す。
別の日には、片づけるから少し待ってくれと頼む。
「俺、来るたび何か待たされるんですね」
「……すみません」
「久瀬さんじゃなくて、この人ね」
吉岡さんが台本を指した。
つられて謝っていた。
(まだ一度も飯を作ってない)
吉岡さんは、台詞を変えず、返す速さだけ変えて試してくれた。
少し早く返ってくると、佐野も言い返したくなる。
俺は、相手の目を見たまま、続きを返した。
こういう友人なら、部屋へ呼ぶのが面倒でも、帰ってほしくはなさそうだった。
*
翌日の金曜日、ゲームの実績が一つ増えた。
【累計100垓キューブ生産】
【スキルポイントを18獲得しました】
連結制御を買っていなかったら、まだ一週間以上待つところだった。
報酬を受け取り、演技の欄を開く。
【所持スキルポイント:20】
【演技 Lv.7 → Lv.8:21ポイント】
足りなかった。
一点。
俺は必要数と所持数を見比べた。
(そこ、まけてくれないか)
もちろん、ボタンは押せないままだった。
ほかの技能に使うことはできた。ただ、今日は残したかった。
来週の撮影で使いたいのは、まず演技だった。
七でも、昨日の動きは十分できている。間に合わなかったら仕事ができない、という話ではない。
もっと上げたら、どこまで細かくできるのか気になった。
次の実績は、累計がまた十倍になったところ。
その手前で三段接続を買う。
順番を変えずに、画面を閉じた。
夕方の出勤までは時間がある。昨日聞いた佐野の台詞を、もう一度声にしてみた。




