第125話 もう少し、感想をください
「あの電話って、本当に声が聞こえてたの?」
月曜日の五時半、店の休憩室で、藤崎さんに聞かれた。
まだエプロンは着けていない。テーブルの向こうに藤崎さんが座り、昨日公開された映画の話をしている。
「はい。向こうの台詞を、読んでもらってました」
「へえ。じゃあ、ちゃんと言い返してたんだ」
「……言い返すところは、楽しかったです」
藤崎さんが笑った。
「そうだろうなと思った」
少しだけ、椅子へ座り直す。
普段の俺が人へ文句を言うときは、何と言うか考えている間に、言わなくて済む方法を探し始める。役だと、そこまで遠慮しなくてよかった。
しかも相手は、面倒な留守番を押しつけてきた友人だ。少しくらい怒っていい。
(あの台詞は、もう一回くらい言いたい)
そんなことを考えていたら、藤崎さんが俺の前へ缶のお茶を置いた。
「これ、一本多く買っちゃったから。よかったら」
「ありがとうございます」
受け取ってから、話の続きを待った。
映画は二十分以上ある。電話以外にも、まだいろいろあったはずだった。
*
「最後に傘を言うところ、台本にあったんだよね?」
「はい」
「あそこ、よかった。自分の用事が終わったら、もう気にしない人かと思ってた」
缶を開ける手が止まった。
俺も、あの人のそういうところが好きだった。
いいやつだと説明されているわけではない。さっきまで、どうにか面倒を避けようとしていた人が、帰ろうとする相手の忘れ物には気づく。
「田辺さんが、扉へ行くときに」
俺は、部屋の入口を見た。
「一回、傘を見てたんです。それで俺も、あとで見つけやすくて」
「ああ、あそこで置いたやつだって?」
「はい」
話していると、撮った部屋の広さや、店の外へ向けた照明まで思い出した。
棚の裏には何もなかったことを話すと、藤崎さんは少し驚いていた。
「普通のお店に見えたけど」
「俺も、完成したのを見たら、そう思いました」
あの棚の後ろでスタッフがしゃがんでいた、とまで言いかけて、飲み込んだ。
全部の裏側を話したら、次に見たとき気になるかもしれない。
俺は先に、もう一つ聞いた。
「ほかに、気になったところとか」
「え、感想?」
「……はい」
藤崎さんが口元を緩めた。
「聞きたいんだ」
俺は、お茶を一口飲んだ。
(かなり)
「聞きたいです」
今度は声にも出せた。
*
五時五十分に、店長が休憩室をのぞいた。
「映画の話?」
「はい。久瀬くんから、いろいろ聞いてました」
「じゃあ俺にも、あとで教えて」
店長はそう言い、伝票を取りに棚へ向かった。
俺は時計を見て、お茶を脇へ寄せた。
六時からは勤務だった。
映画の中では、他人を待たせて困らせている。現実までそうするつもりはないので、先にエプロンを出す。
「あ、そうだ」
藤崎さんが、椅子から立ちながら言った。
「この前の曲、続きできた?」
自分で作った、十六秒のほうだった。
「少しだけ、増えました」
「じゃあ、また聞きたい」
「はい。もう少し、つなげてから」
あの続きまで覚えていてくれた。
俺はエプロンの紐を結び、スマホをロッカーへ置いた。
仕事が終わったら、今朝録ったものをもう一度聞こうと思った。
*
翌日の昼、川瀬さんから、木曜日の打合せが決まったと連絡が来た。
午後二時。駅から少し歩いたところにある制作の事務所。
企画担当の三枝さんと、曲を作る人も一緒に話すらしい。
名前を見て、二度読んだ。
石倉さんだった。
『今回は先方から曲を頼まれています。久瀬くんが歌も希望していると聞きました』
少しあとに、本人からも連絡が来た。
知っている人がもう一人いる。それだけで、当日のことを考えるのが少し楽になった。
ただ、今まで歌った曲をもう一度歌う話ではなかった。
添えられていた新しい音を、イヤホンで聞く。
短い鍵盤のあと、口ずさみたくなる旋律が入ってきた。歌詞は仮のものだと書かれている。
終わってから、小さく声でなぞった。
明るく歌えそうだった。
広告の紙を開く。片方の靴下を探す男が、相変わらず鞄を持って困っている。
この人が、無事に出かけられたときの歌。
そう思って、もう一回歌う。
最初より、少し気楽な声になった。
俺は、いいなと思ったほうをスマホに録った。仕事の音を誰かへ送るためではなく、木曜日に自分が忘れないためだった。
それから、予定表の打合せの欄を開く。
聞くことは、撮る日と、料金と、歌について。
最後の項目だけ、もう一行足した。
『役の声で歌ってみたい』
書けたので、そのまま残した。
(当日も言えよ。ここで満足するな)
紙を鞄へ入れ、さっきの音をもう一度流した。




