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121/180

第121話 そこで笑うんだ

 日曜日、上映会の会場へ着いたのは、一時半より少し前だった。


 駅から歩いて五分ほどの建物で、入口に三本の映画のポスターが並んでいた。


 真ん中の一枚に、緑のエプロンを着けた俺がいる。


 隣には、袋を持った田辺さん。


 立ち止まって見ていたら、後ろから人が来た。


 俺は少し横へよけた。


 その人はポスターを見てから、受付へ向かった。


 こちらには、気づかなかったらしい。


 (まだエプロンが要るか)


 服が違うだけで、すぐわからなくても普通だとは思った。


     *


 受付で名前を伝えると、スタッフが上映室まで案内してくれた。


 椅子が八列ほど並び、正面に大きなスクリーンがあった。いつも舞台をする文化館とは、椅子も天井の高さも違う。


 後ろの端に、出演者の席を空けてもらっていた。


「今日は、途中で逃げられないね」


 先に座っていた田辺さんが言った。


「……逃げるんですか」


「いや。自分の顔、あんなに大きく見なくてもいいかなって」


 正面を見る。


 まだ、会の名前だけが映っていた。


 たしかに、家のスマホより大きかった。


「久瀬さんは、平気そう」


「見たいので」


 田辺さんは笑って、隣の席から鞄を下ろした。


「それは、私も」


 俺はその隣へ座った。


 自分の顔を見るより、そのとき前の席の人がどうしているかのほうが気になった。


 でも、始まる前からじろじろ見るわけにもいかない。


 配られた紙を、膝の上で開いた。


     *


 二時になると、川瀬さんたちが前へ出て、短く挨拶をした。


 明かりが落ちる。


 最初の映画では、兄と妹が、なくなった自転車を探していた。


 妹は盗まれたと言い、兄は昨日どこへ置いたのかを何度も聞く。


 俺は最初、妹が言い返すたびに少し笑っていた。


 途中から、兄のほうも何か隠している気がしてきた。


 自転車が見つかったときには、二人とも、最初とは違うことで怒っていた。


 終わると、周りで拍手が起きた。


 俺も手を叩いた。


 隣で田辺さんが、小さく「お兄ちゃん、ずるい」と言った。


 少しうなずく。


 弟を探す映画に出ていても、兄弟の話は普通に気になった。


 二本目は、閉店する食堂の映画だった。


 見終えて明かりがつくと、休憩に入った。


 あと一本。


 俺は水を飲み、蓋をしっかり締めた。


     *


 三時を少し回ってから、『雨のあと、改札で』が始まった。


 雨に濡れた駅の入口。


 足音と、電車の音。


 十二秒ほど待つと、売店が映った。


 安達さんへ袋を渡した俺が、顔を上げる。


 (顔、でかいな)


 声まで、いつもより近くに聞こえた。


 台詞を知っているせいで、言う前に口が動きそうになる。


 唇を閉じ、膝の上で手を重ねた。


 今、俺が接客をする必要はなかった。


     *


 由衣が店へ来た。


 宮下が、にこやかに答える。


 奥へ行こうとする由衣に先回りし、商品を直しながら、通り道へ残った。


「裏も、いないんで」


 近くの席から、小さく笑う声が聞こえた。


 俺は、そちらを見かけた。


 すぐにスクリーンへ戻す。


 宮下は、まだ笑っている。


 田辺さんは、その顔を見たまま、しばらく黙っていた。


 その間に、また一人、息を漏らした。


 (そこ、笑うんだ)


 明るく邪魔をするやつとして、見てもらえているらしい。


 俺まで少し笑いそうになった。


 でも、由衣が重い袋を置くと、周りはまた静かになった。


 ケースがカウンターに触れる音が、はっきり聞こえた。


     *


 電話の場面に入った。


 一度目は、つながらない。


 宮下が顔をしかめ、もう一度かける。


 片山の声が聞こえてから、俺は自分の返事を待った。


「まだ言ってない。包丁、忘れてるって」


 少し強い声が、部屋の前から届いた。


 そこからは、客席を気にする余裕がなかった。


 由衣が、電話を受け取る。


 弟へ向けた声を聞きながら、隣の田辺さんも、ほとんど動かなかった。


 俺も手を重ねたまま、最後まで見た。


 傘を忘れそうになった由衣へ、宮下が声をかける。


 田辺さんの肩が、少し落ちた。


 由衣は傘を持って、店を出た。


     *


 最後の名前が流れ、画面が暗くなった。


 一度、静かになった。


 すぐ前の席で拍手が始まり、ほかの席からも重なった。


 俺は手を持ち上げて、少し遅れて叩いた。


 田辺さんも叩いていたので、それでよさそうだった。


 明かりが戻る。


 前の席の人が、隣へ顔を向けた。


「あの店員、途中まで、全然どいてくれなかったね」


「ね。でも、最後はちゃんとやってくれた」


 二人が笑って、配られた紙へ目を落とした。


 名前を見てくれるだろうか。


 そう思ったところで、スタッフがこちらへ来た。


「それでは、前へお願いします」


 田辺さんが立った。


 俺も鞄を椅子へ置き、立ち上がる。


 さっきまで見られていたのは、画面の中だった。


 今度は、歩いていかなければならなかった。


 通路へ出ると、前の席の人がこちらを見た。


 俺は小さく会釈した。


 その人が、ああ、と笑ってくれた。


 エプロンがなくても、今度はわかってもらえた。


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