第121話 そこで笑うんだ
日曜日、上映会の会場へ着いたのは、一時半より少し前だった。
駅から歩いて五分ほどの建物で、入口に三本の映画のポスターが並んでいた。
真ん中の一枚に、緑のエプロンを着けた俺がいる。
隣には、袋を持った田辺さん。
立ち止まって見ていたら、後ろから人が来た。
俺は少し横へよけた。
その人はポスターを見てから、受付へ向かった。
こちらには、気づかなかったらしい。
(まだエプロンが要るか)
服が違うだけで、すぐわからなくても普通だとは思った。
*
受付で名前を伝えると、スタッフが上映室まで案内してくれた。
椅子が八列ほど並び、正面に大きなスクリーンがあった。いつも舞台をする文化館とは、椅子も天井の高さも違う。
後ろの端に、出演者の席を空けてもらっていた。
「今日は、途中で逃げられないね」
先に座っていた田辺さんが言った。
「……逃げるんですか」
「いや。自分の顔、あんなに大きく見なくてもいいかなって」
正面を見る。
まだ、会の名前だけが映っていた。
たしかに、家のスマホより大きかった。
「久瀬さんは、平気そう」
「見たいので」
田辺さんは笑って、隣の席から鞄を下ろした。
「それは、私も」
俺はその隣へ座った。
自分の顔を見るより、そのとき前の席の人がどうしているかのほうが気になった。
でも、始まる前からじろじろ見るわけにもいかない。
配られた紙を、膝の上で開いた。
*
二時になると、川瀬さんたちが前へ出て、短く挨拶をした。
明かりが落ちる。
最初の映画では、兄と妹が、なくなった自転車を探していた。
妹は盗まれたと言い、兄は昨日どこへ置いたのかを何度も聞く。
俺は最初、妹が言い返すたびに少し笑っていた。
途中から、兄のほうも何か隠している気がしてきた。
自転車が見つかったときには、二人とも、最初とは違うことで怒っていた。
終わると、周りで拍手が起きた。
俺も手を叩いた。
隣で田辺さんが、小さく「お兄ちゃん、ずるい」と言った。
少しうなずく。
弟を探す映画に出ていても、兄弟の話は普通に気になった。
二本目は、閉店する食堂の映画だった。
見終えて明かりがつくと、休憩に入った。
あと一本。
俺は水を飲み、蓋をしっかり締めた。
*
三時を少し回ってから、『雨のあと、改札で』が始まった。
雨に濡れた駅の入口。
足音と、電車の音。
十二秒ほど待つと、売店が映った。
安達さんへ袋を渡した俺が、顔を上げる。
(顔、でかいな)
声まで、いつもより近くに聞こえた。
台詞を知っているせいで、言う前に口が動きそうになる。
唇を閉じ、膝の上で手を重ねた。
今、俺が接客をする必要はなかった。
*
由衣が店へ来た。
宮下が、にこやかに答える。
奥へ行こうとする由衣に先回りし、商品を直しながら、通り道へ残った。
「裏も、いないんで」
近くの席から、小さく笑う声が聞こえた。
俺は、そちらを見かけた。
すぐにスクリーンへ戻す。
宮下は、まだ笑っている。
田辺さんは、その顔を見たまま、しばらく黙っていた。
その間に、また一人、息を漏らした。
(そこ、笑うんだ)
明るく邪魔をするやつとして、見てもらえているらしい。
俺まで少し笑いそうになった。
でも、由衣が重い袋を置くと、周りはまた静かになった。
ケースがカウンターに触れる音が、はっきり聞こえた。
*
電話の場面に入った。
一度目は、つながらない。
宮下が顔をしかめ、もう一度かける。
片山の声が聞こえてから、俺は自分の返事を待った。
「まだ言ってない。包丁、忘れてるって」
少し強い声が、部屋の前から届いた。
そこからは、客席を気にする余裕がなかった。
由衣が、電話を受け取る。
弟へ向けた声を聞きながら、隣の田辺さんも、ほとんど動かなかった。
俺も手を重ねたまま、最後まで見た。
傘を忘れそうになった由衣へ、宮下が声をかける。
田辺さんの肩が、少し落ちた。
由衣は傘を持って、店を出た。
*
最後の名前が流れ、画面が暗くなった。
一度、静かになった。
すぐ前の席で拍手が始まり、ほかの席からも重なった。
俺は手を持ち上げて、少し遅れて叩いた。
田辺さんも叩いていたので、それでよさそうだった。
明かりが戻る。
前の席の人が、隣へ顔を向けた。
「あの店員、途中まで、全然どいてくれなかったね」
「ね。でも、最後はちゃんとやってくれた」
二人が笑って、配られた紙へ目を落とした。
名前を見てくれるだろうか。
そう思ったところで、スタッフがこちらへ来た。
「それでは、前へお願いします」
田辺さんが立った。
俺も鞄を椅子へ置き、立ち上がる。
さっきまで見られていたのは、画面の中だった。
今度は、歩いていかなければならなかった。
通路へ出ると、前の席の人がこちらを見た。
俺は小さく会釈した。
その人が、ああ、と笑ってくれた。
エプロンがなくても、今度はわかってもらえた。




