第117話 俺が映るまで、十二秒
木曜日の昼、川瀬さんから映画の確認用データが届いた。
まだ細かな音や色を調整する前だけど、最初から最後までつながったものらしい。
俺は机の鍵盤を端へ寄せ、イヤホンをつけた。
再生する。
最初は、雨に濡れた駅の入口だった。
人の足が通る。
遠くで、電車の音が聞こえた。
まだ、俺はいない。
(そろそろか)
時間の表示を見ると、十二秒しか進んでいなかった。
俺は手を膝へ戻した。
少しくらい、待ったほうがよかった。
*
売店が映る。
安達さんが、お茶をカウンターへ置いた。
その向こうで、宮下が袋を開く。
俺だった。
撮った日に見たものより、自然に店の中にいる感じがした。
外を通る人の気配や、遠くの音が入っている。俺たちの周りでスタッフが動いていた場所は、画面には見えない。
紙袋を渡すと、安達さんが持って出ていく。
すぐ次の客が来ると思っていた宮下のところへ、由衣が来た。
名前を聞いて、手が止まる。
俺は、画面に少し顔を近づけた。
やりたかったところだった。
*
映画は、そのまま進んだ。
愛想よく答えている宮下を、由衣が見ている。
俺の声が流れているのに、俺の顔が映らないところもあった。
田辺さんが、袋を持ち直す。
この人は重い荷物を持って、弟を探して歩いてきた。
宮下には、まだ全部わかっていない。
俺は撮影でその声を聞いていたけど、今は田辺さんの顔をよく見られた。
弟の名前を言う前と、俺の返事を聞いたあとの表情が、少し違っている。
そこへ、俺の感じのいい声が重なる。
(うわ。どけよ、宮下)
画面へ言いかけて、口を閉じた。
その位置へ寄ったのも俺だった。
*
電話の場面まで見た。
友人に言い返すとき、俺の声が少し強くなる。
あの顔は、やはり気に入った。
でも、そのあとに田辺さんが電話を受け取るまでの間も、よかった。
渡す手だけではなく、相手が受け取るか決めるところまで続いている。
撮ったときに待った長さが、ちゃんと残っていた。
由衣が弟と話し始める。
そこから先は、宮下が全部聞いてしまわないように、少し離れて片付けをしていた。
自分の台詞がないところも見ていたら、最後まで終わった。
名前が流れる。
宮下――久瀬凪。
俺はそこを一度止めた。
字も、間違っていなかった。
しばらく見てから、もう一度最初へ戻した。
*
感想を返すと、川瀬さんから、少し話せるかと聞かれた。
通話をつなぐ。
「見てもらって、気になるところありました?」
「……電話を渡すところ、好きでした」
「ああ、あそこね」
「はい。残ってて、よかったです」
話しながら、あまり感想になっていない気がした。
でも、好きだったことは先に伝えたかった。
「久瀬さんから短くしたいって言ってくれたところ、使えてよかったです。田辺さんも、あの受け取り方を気に入ってました」
俺はうなずいた。
通話では見えないと気づいてから、もう一度、はいと答えた。
(ちゃんと声にしろよ)
*
川瀬さんから、公開の日程を聞いた。
十日後の日曜日、午後二時から四時まで。
小さな上映室で三本の短編を見せ、そのあと監督と出演者で話す会を開く。
『雨のあと、改札で』は、最後に上映するらしい。
同じ日の午後六時には、制作チームの公式ページからも見られるようになる。
「上映後、田辺さんと一緒に、少し出てもらえませんか」
「……話すんですか」
「はい。司会の方が進めます。撮ってみてどうだったか、くらいのことから」
画面の中の宮下は、まだよく笑っていた。
あの人のまま出ればいいのなら、楽かもしれない。
でも、聞かれるのは俺だった。
俺は、自分の予定表を開いた。
その日は空いていた。
「人が見ているところも、見たいので」
少し止まってから、続けた。
「お願いします」
登壇の謝礼は交通費も含めて一万円で、翌週の木曜日に支払うと教えてもらった。
日時と一緒に書き留める。
映画を見てもらえる。
そのあと、自分でも話す。
電話を切ってから、口の中が少し乾いていることに気づいた。
見てもらいたい気持ちは、さっきから変わっていなかった。




