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111/180

第111話 今日だけの、店員です

 水曜日の朝九時、撮影場所でエプロンを渡された。


 濃い緑色だった。


 首へ掛け、後ろで結ぶ。


 昨日は、振り替えてもらったカラオケ店の勤務を終えて帰った。今日は、その代わりに休みを取っている。


 エプロンを着けるのは、二日続けてだった。


 (違う色になっただけだな)


 ただ、今日の名札は宮下だった。


 胸へ留めると、スタッフが少し位置を直してくれた。


     *


 撮影用の売店には、棚とカウンターがあった。


 奥の扉は、店の裏へ続くように見える。


 実際に開けると、ケーブルの箱と折り畳んだ椅子が置いてあった。


 客が入ってくる側へ回り、見える範囲を確かめる。


 お茶や菓子の並んだ棚は、それらしく見えた。ただ、手前の列を抜くと、その後ろには何もなかった。


 スタッフから、今日触る商品を教えてもらう。


 お茶一本と、紙袋。


 ほかは動かさなくていい。


「もし、つい手が伸びたら言ってください。次も同じに置き直すので」


「わかりました」


 前の映像でも、小道具を同じ位置へ戻した。


 今回は鍵と歌詞の紙の代わりに、商品と袋がある。


 俺は、袋を置いた向きと、カウンターからの距離を覚えた。


     *


 最初は、由衣が来る前の場面を撮った。


 お茶を買う客の役は、安達さんという人だった。


 上着を腕に掛け、スマホを耳へ当てたまま売店へ来る。


 お茶を置き、財布を出そうとする。


 片手が、足りていない。


 宮下はそれを見て、先に袋を開く。


「お入れしますね」


 安達さんは通話を続けながら、小さくうなずいた。


 お茶を袋へ入れる。


 相手の財布が開くまでに、袋の口を持ちやすくしておく。


 代金を受け取り、渡した。


「ありがとうございます」


 安達さんは出口で電話を切ってから、こちらを振り返った。


「どうも」


 俺も笑って、少し頭を下げる。


 客が出ていったので、カウンターを片付け始めた。


「はい、カット」


 川瀬さんの声で、手を止めた。


     *


「今ので、いけます。次、手元をお願いします」


 カメラが、カウンターの近くへ移った。


 安達さんが戻り、お茶を同じところへ置いた。


「久瀬くん、店で働いてる?」


「はい。カラオケで」


「ああ。持てないの見て、先に袋やってくれる感じ。助かった」


「……どうも」


 手元を見られていたのかと思った。


 宮下は頼まれたことを軽く引き受ける人だけど、その場の客を雑に扱いたいわけではない。


 普段、相手の手が空くまで待つことはある。それを、もう少し愛想よくやってみた。


 (昨日も袋を渡したな)


 持ち帰り用の容器だったけど、無駄にはなっていなかったらしい。


 同じやり取りを、近くから撮る。


 安達さんはさっきと同じところで財布へ手を伸ばし、同じところで俺を見た。


 俺も、渡すタイミングを合わせた。


 自分だけうまく動けば済むわけではないけど、相手が何をしているかは見られる。


 気づいたことを動きにするのも、今は難しくなかった。


     *


 午後は、田辺さんが入ってくるところから撮った。


 由衣の手には、布の袋と畳んだ傘がある。


 傘には、さっきスタッフが水をつけていた。


 弟を探している間に、雨が上がった場面だった。


 田辺さんが、入口で傘の置き場を探す。


 俺はカウンターの内側から、傘立てを示した。


「そちら、使ってください」


「ありがとうございます。あの、亮、いますか」


 名前を聞いて、手が止まりかける。


 笑った顔は、まだ残っていた。


 選考で試した宮下のまま、田辺さんを見る。


 今日は、机の奥へ行かれたら困る扉が、本当にある。


 そこへ視線が向きかけたのを戻し、軽く答えた。


「片山ですか。今日は、戻りません」


     *


 二人が映る向きで、前半を続けた。


 田辺さんが奥へ行こうとする。


 俺は先に動いて、通り道へ寄る。


 突っ立って塞ぐよりも、商品を一つ直しながら、その位置に残った。


 由衣の話は聞く。


 でも、どかない。


「裏も、いないんで」


 田辺さんが、俺の笑った顔を見る。


 すぐには言い返さず、布の袋を持ち直した。


 その手の位置で、荷物の重さがわかった。


 俺は袋へ目を落としてから、相手を見る。


 ここで笑って済ませ続けるのは、だんだん難しくなる。


 田辺さんが、カウンターへ袋を置いた。


 ケースを出すところまで進んで、川瀬さんが止めた。


     *


「いいですね。袋を見るところ、あとで近くからも撮りましょう」


 川瀬さんが言った。


 俺はうなずき、棚に触れたことをスタッフへ伝えた。


 同じ位置へ商品を戻してもらう。


 勝手に始めた動きだったけど、使ってもらえるらしい。


 そのあと、カメラの向きを変えて撮った。


 演じていない間は、スタッフが動かすものを避けて待つ。


 役へ戻ると、さっきの調子で話し始める。


 何度も切り替えているうちに、次に撮る顔を早く試したくなっていた。


 時計を見た川瀬さんが、今日はここまでと言ったときには、少し惜しかった。


     *


 五時に撮影を終え、エプロンを外した。


 翌日も同じものを着るので、名札ごと衣装のところへ置く。


「久瀬さん、明日もお願いします」


「はい。お願いします」


 普通の声で返すと、田辺さんが隣で伸びをした。


「明日は、やっと電話に出てもらえるね」


「……はい」


「今日は何回店に来ても、いませんって言われたから」


 俺は少し笑った。


 撮った回数だけ、由衣は弟に会えずに帰っている。


 明日は、その先があった。


 鞄へ台本をしまう前に、電話の場面をもう一度見た。


 口に出さず、短くした最後の台詞をなぞる。


 明日は、自分から聞いて変えてもらったところを撮る。


 そこは、俺も楽しみだった。


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