第111話 今日だけの、店員です
水曜日の朝九時、撮影場所でエプロンを渡された。
濃い緑色だった。
首へ掛け、後ろで結ぶ。
昨日は、振り替えてもらったカラオケ店の勤務を終えて帰った。今日は、その代わりに休みを取っている。
エプロンを着けるのは、二日続けてだった。
(違う色になっただけだな)
ただ、今日の名札は宮下だった。
胸へ留めると、スタッフが少し位置を直してくれた。
*
撮影用の売店には、棚とカウンターがあった。
奥の扉は、店の裏へ続くように見える。
実際に開けると、ケーブルの箱と折り畳んだ椅子が置いてあった。
客が入ってくる側へ回り、見える範囲を確かめる。
お茶や菓子の並んだ棚は、それらしく見えた。ただ、手前の列を抜くと、その後ろには何もなかった。
スタッフから、今日触る商品を教えてもらう。
お茶一本と、紙袋。
ほかは動かさなくていい。
「もし、つい手が伸びたら言ってください。次も同じに置き直すので」
「わかりました」
前の映像でも、小道具を同じ位置へ戻した。
今回は鍵と歌詞の紙の代わりに、商品と袋がある。
俺は、袋を置いた向きと、カウンターからの距離を覚えた。
*
最初は、由衣が来る前の場面を撮った。
お茶を買う客の役は、安達さんという人だった。
上着を腕に掛け、スマホを耳へ当てたまま売店へ来る。
お茶を置き、財布を出そうとする。
片手が、足りていない。
宮下はそれを見て、先に袋を開く。
「お入れしますね」
安達さんは通話を続けながら、小さくうなずいた。
お茶を袋へ入れる。
相手の財布が開くまでに、袋の口を持ちやすくしておく。
代金を受け取り、渡した。
「ありがとうございます」
安達さんは出口で電話を切ってから、こちらを振り返った。
「どうも」
俺も笑って、少し頭を下げる。
客が出ていったので、カウンターを片付け始めた。
「はい、カット」
川瀬さんの声で、手を止めた。
*
「今ので、いけます。次、手元をお願いします」
カメラが、カウンターの近くへ移った。
安達さんが戻り、お茶を同じところへ置いた。
「久瀬くん、店で働いてる?」
「はい。カラオケで」
「ああ。持てないの見て、先に袋やってくれる感じ。助かった」
「……どうも」
手元を見られていたのかと思った。
宮下は頼まれたことを軽く引き受ける人だけど、その場の客を雑に扱いたいわけではない。
普段、相手の手が空くまで待つことはある。それを、もう少し愛想よくやってみた。
(昨日も袋を渡したな)
持ち帰り用の容器だったけど、無駄にはなっていなかったらしい。
同じやり取りを、近くから撮る。
安達さんはさっきと同じところで財布へ手を伸ばし、同じところで俺を見た。
俺も、渡すタイミングを合わせた。
自分だけうまく動けば済むわけではないけど、相手が何をしているかは見られる。
気づいたことを動きにするのも、今は難しくなかった。
*
午後は、田辺さんが入ってくるところから撮った。
由衣の手には、布の袋と畳んだ傘がある。
傘には、さっきスタッフが水をつけていた。
弟を探している間に、雨が上がった場面だった。
田辺さんが、入口で傘の置き場を探す。
俺はカウンターの内側から、傘立てを示した。
「そちら、使ってください」
「ありがとうございます。あの、亮、いますか」
名前を聞いて、手が止まりかける。
笑った顔は、まだ残っていた。
選考で試した宮下のまま、田辺さんを見る。
今日は、机の奥へ行かれたら困る扉が、本当にある。
そこへ視線が向きかけたのを戻し、軽く答えた。
「片山ですか。今日は、戻りません」
*
二人が映る向きで、前半を続けた。
田辺さんが奥へ行こうとする。
俺は先に動いて、通り道へ寄る。
突っ立って塞ぐよりも、商品を一つ直しながら、その位置に残った。
由衣の話は聞く。
でも、どかない。
「裏も、いないんで」
田辺さんが、俺の笑った顔を見る。
すぐには言い返さず、布の袋を持ち直した。
その手の位置で、荷物の重さがわかった。
俺は袋へ目を落としてから、相手を見る。
ここで笑って済ませ続けるのは、だんだん難しくなる。
田辺さんが、カウンターへ袋を置いた。
ケースを出すところまで進んで、川瀬さんが止めた。
*
「いいですね。袋を見るところ、あとで近くからも撮りましょう」
川瀬さんが言った。
俺はうなずき、棚に触れたことをスタッフへ伝えた。
同じ位置へ商品を戻してもらう。
勝手に始めた動きだったけど、使ってもらえるらしい。
そのあと、カメラの向きを変えて撮った。
演じていない間は、スタッフが動かすものを避けて待つ。
役へ戻ると、さっきの調子で話し始める。
何度も切り替えているうちに、次に撮る顔を早く試したくなっていた。
時計を見た川瀬さんが、今日はここまでと言ったときには、少し惜しかった。
*
五時に撮影を終え、エプロンを外した。
翌日も同じものを着るので、名札ごと衣装のところへ置く。
「久瀬さん、明日もお願いします」
「はい。お願いします」
普通の声で返すと、田辺さんが隣で伸びをした。
「明日は、やっと電話に出てもらえるね」
「……はい」
「今日は何回店に来ても、いませんって言われたから」
俺は少し笑った。
撮った回数だけ、由衣は弟に会えずに帰っている。
明日は、その先があった。
鞄へ台本をしまう前に、電話の場面をもう一度見た。
口に出さず、短くした最後の台詞をなぞる。
明日は、自分から聞いて変えてもらったところを撮る。
そこは、俺も楽しみだった。




