第108話 決まりました、と言える
水曜日の昼、洗濯機が止まるより先に、スマホが鳴った。
映画の制作担当からだった。
差出人を見て、座り直す。
『宮下役を、久瀬凪さんにお願いしたく、ご連絡いたしました』
最初の一行を読んだ。
そのまま、次の行へ行けなかった。
もう一度、読む。
宮下役。
久瀬凪。
俺だった。
(よし)
スマホを持っていないほうの手を、膝の上で握った。
そのあとで、口元まで緩んできた。
家でよかった。今は誰に見られてもいない。
俺は、気にせずもう一度読んだ。
*
メールには、改めて条件がまとまっていた。
今週金曜日、十一時から一時まで読み合わせ。
翌週の水曜日と木曜日に撮影。二日とも、朝九時から夕方五時まで。
出演料は案内どおり七万二千円で、読み合わせと交通費も含まれる。支払いは撮影が終わった次の木曜日だった。
俺は予定表と並べ、店長へ連絡した。
『先日相談した撮影が決まりました。来週の水曜を休みにして、火曜に入る形でお願いできますか』
文を読み直した。
決まりました、と書いてある。
それだけで、また少し嬉しくなった。
(送る前から何回読むんだよ)
今度は送信した。
洗濯機が鳴ったので、返事を待つ間に干すことにした。
ハンガーへシャツを掛けていると、スマホが鳴る。
『おめでとう。火曜に変更しておくね』
店長からだった。
礼を返し、制作担当にも、条件を確認したうえでお引き受けしたいと送った。
台本を机へ置く。
選考用として読んでいた続きも、今度は仕事で演じることになった。
*
夕方、店へ行くと、藤崎さんが休憩室にいた。
髪を結び直しながら、俺を見る。
「映画、決まったんだって?」
「はい」
「店長から聞いた。おめでとう」
「……ありがとうございます」
ロッカーへ鞄をしまう。
朝から言いたかった話なのに、先に全部言ってもらった。
俺はエプロンを出してから、付け足した。
「宮下、やることになりました」
「うん。聞いた」
藤崎さんが笑う。
(俺からも、一回言いたかったんです)
ようやく言えたので、少し満足した。
「どんな人の役なの?」
「売店の店番を、代わる人です」
「また接客だ」
「……はい」
言われてみれば、そうだった。
バイトを一日動かして、別の店のエプロンを着に行く。
ただ、宮下は俺よりよく笑うし、余計なことも引き受ける。
「今度の役は、明るいです」
「久瀬くんが?」
「役が」
そこは早めに答えた。
藤崎さんは、少し笑ってからスマホをしまった。
「見てみたい。出来上がったら教えてね」
「はい」
公開日は、まだ決まっていない。
早く見てもらいたいとは思った。
その前に、撮る仕事があった。
*
休憩室を出ると、店長に呼ばれた。
「久瀬くん、七番。延長のお客さんが、料金をもう一回聞きたいって」
「わかりました」
料金表の場所を確かめ、客室へ向かう。
扉をノックして開けると、テーブルの向こうで客がリモコンを持っていた。
「あと一時間だと、いくらになる?」
人数とプランを確認し、いつもの声で答えた。
客はうなずいて、続けて聞いた。
「それで、何時まで?」
終了時刻を伝える。
延長が決まり、部屋を出た。
宮下の明るい顔は、使わなかった。
俺が普通に答えても、客は必要なことを聞いて、歌の続きへ戻っていた。
廊下の時計を見る。
帰ったら、後半の台詞をもう一度読みたい。
今度は田辺さんが返す声も、少し想像できる。
俺は伝票へ延長を書き、次の注文を取りに行った。
鼻歌が出そうになり、口を閉じる。
(まだ勤務中だぞ)
顔には出にくいらしいけど、今日は、いつもよりかなり機嫌がよかった。




