第107話 その顔で、引き受けた
川瀬さんが、田辺さんへ短く説明した。
由衣の聞き方は、先ほどと同じでいいらしい。
変えるのは、宮下の受け方だった。
俺はボトルを袋へ入れながら、台本にあった友人とのやり取りを思い出した。
一日だけ店に立ってくれないか。
そう頼まれて、宮下はほとんど迷っていない。
客が来て、品物を渡して、お金を受け取る。そのくらいならできると思ったのだろう。
(ついでの頼まれ事は、先に全部聞け)
でも、その忠告を聞かなかった人として、今からやる。
*
「お待たせしました。ありがとうございます」
先ほどより、少し早く袋を渡す。
次の客にも、すぐ顔を向けた。
「はい、どうぞ」
「亮、いますか」
田辺さんが名前を出す。
返事をしようとして口を開き、そのまま一拍待った。
笑った顔は残している。
「片山ですか。今日は、戻りません」
少しだけ首を傾け、別の用なら聞けますよ、という顔で待つ。
田辺さんが、先ほどと同じように聞いた。
「お休みですか?」
「あ、俺、代わりで。今日だけなんです」
今日だけ、のところで軽く笑う。
この人にも、その程度の頼まれ方だったと受け取ってほしい。
だから、次の質問が来たときには、少し間に合わなかった。
「知ってるんですね」
畳んだ袋を重ねる手だけ、遅れる。
田辺さんの目が、そこへ落ちた。
気づかれた。
そう思った宮下のまま、俺は顔を上げ直す。
「何を、ですか」
田辺さんの返事を聞きながら、さっきと同じ場所へ袋を置いた。
台詞の順番も、立つ位置も変えていない。
それでも今度は、軽く引き受けたせいで困っている感じが出た。
演技の七にしてから、こういう細かな動きを一つ変えても、ほかが崩れにくくなっていた。笑う顔だけを作るために、手や呼吸まで止めずに済む。
田辺さんが机の端へ寄る。
俺も動き、先回りして奥を見た。
「裏も、いないんで」
確かめてあげました、という明るい声にする。
田辺さんは一度俺を見て、それから、塞がれた机の脇へ視線を落とした。
通してもらえていないことは、よくわかる顔だった。
*
終わると、川瀬さんが手元の紙に何か書いた。
「今のほうが、このあと電話するところへつながりそうですね」
俺は、少し息を吐いた。
田辺さんも、机のこちら側へ戻ってきた。
「二回目のほうが、腹立つね」
反射で、背筋を伸ばした。
「あ、宮下の話。感じはいいのに、全然どいてくれないから」
「……はい」
「そこは喜んでいいよ」
笑われた。
(先に言ってくれ。今、謝るところだった)
口元に力が入りそうだったので、机の上の紙袋を畳むほうへ手を戻した。
かなり嬉しかった。
*
次は、少し座って話した。
川瀬さんが、送った映像を見たと教えてくれた。
「舞台では、歌もやっているんですよね」
「はい」
「今回は歌がありませんけど、宮下のどこをやってみたいと思いました?」
理由はあった。
ただ、言葉にする用意は足りていなかった。
俺は台本の端へ目を落とした。
友人には、いいよと言う。
姉にも、感じよく答える。
それで済むと思ったのに、済まなかった人だった。
「……明るく返してるのに、困ってるところが」
そこまで言って、一度止まる。
「面白くて。後半も、やりたいです」
川瀬さんがうなずいた。
「電話するところ?」
「はい。もう、知らないふりができないので」
由衣が何を持ってきたか知ったあとも、宮下は店番を代わっただけだと言える。
でも、台本の宮下は、自分から友人に電話をかける。
言い出すまでの顔も、電話に出てもらうまで待つところも、一度やってみたかった。
「わかりました。ありがとうございます」
川瀬さんが紙を揃えた。
もう少し長く答えたほうがよかったのか、気になった。
でも、さっきより立派な理由は、今から足しても出てきそうになかった。
*
撮影候補の日程を確認し、選考は終わった。
結果は水曜日までに連絡をもらえる。
出口で一礼して、廊下へ出た。
時計を見ると、まだ午後四時前だった。六時からの勤務には、十分間に合う。
外へ出て、コンビニの前で足を止めた。
朝から、腹が減ったことをほとんど忘れていた。
おにぎりを二つ選ぶ。
レジの横のチキンも見た。
欲しかったので、頼んだ。
「袋はご利用ですか」
「……お願いします」
今度は俺が答える番だった。
店員さんは迷うことなく袋へ入れ、渡してくれた。
(普通の買い物は、平和だな)
近くのベンチに座り、温かいうちにチキンを食べた。
うまくできたところを思い出すと、また、宮下の顔を試したくなった。
でも、人通りがあった。
何もないところへ愛想よく話しかけるのは、家へ帰ってからにする。
スマホを取り出し、結果の来る水曜日を確かめた。
今は月曜日だった。
(長いな、二日)
メールを見直しても、結果はまだ来ていない。
通知の音だけ大きくして、残りのおにぎりを開けた。




