第103話 俺から、応募する
木曜日の昼、机の上へ選考用の台本を置いた。
案内の場面を読んでから、何度か、自分でも声にしていた。
宮下は、友人の行き先を話せない。
ただ、その相手を追い返したいわけでもない。
愛想よく接客しながら、どこまで言っていいのかを考える。
俺は、紙コップを机へ置いた。
相手が、友人の名前を出したつもりで、少し待つ。
手が止まりかける。
そのまま、何でもない顔で動かし直す。
「今日は、戻りません」
自分の声が、いつもより少し明るく聞こえた。
(普段からこれをやるのは、疲れそうだな)
仕事で演じている間なら、試したかった。
*
演技の六でも、形は作れた。
ただ、明るく見せようとすると、隠していることまで見えなくなる。
逆に、気にしている感じを強くすると、最初から何か隠している人になる。
どちらを見せるかではなく、相手には普通に応じているつもりのまま、見ている人には少し引っかかる顔を出したかった。
俺は、ゲームを開いた。
【演技 Lv.6 → Lv.7】
【必要スキルポイント:13】
【所持スキルポイント:16】
買えば、残りは三。
歌唱の九は、また遠くなる。
その欄を、少し見た。
でも、今ここでやってみたいものも、はっきりしていた。
(こっちだな)
十三点、使った。
*
同じ台詞を、もう一度言った。
客へ向ける顔は、普通の接客にする。
そのまま、相手の次の言葉を待つ。
返事を考える前に、入口へ視線を向けかけた。
すぐに戻す。
何かを気にしたのが、ほんの少し残る。
俺は鏡を見た。
あからさまに困った顔にはなっていない。
それでも、何も考えずに返した人には見えなかった。
今度は、視線を動かすのを少し遅くした。
顔と手の動きを保ったまま、見せたいところだけ変えられた。
(おお。こっちのほうが、嫌な間になる)
相手から見つめ返されたら、次に何を言うか迷いそうだった。
そこまで想像できて、少し楽しくなった。
*
まだ、選ばれたわけではない。
使った十三点が、この仕事にそのままつながるとは限らなかった。
でも、今のやり方は、ほかの役でも使えそうだった。
何より、一度できるようになったものを、もう一度試したかった。
俺は、案内を開いた。
応募の欄に、これまで出た仕事を書く。
商業施設での歌。
音楽芝居の映像と舞台。
書けるものが、ちゃんとあった。
最初から芸能の仕事をしてきたような、立派な経歴ではない。
それでも、実際にやって終えたものだった。
俺は、公開されている短編映像のページも添えた。
*
希望する選考日は、再来週の月曜日、午後二時。
今度の公演とも、録音とも重ならない。
所要時間と場所を見れば、夕方の店の勤務にも間に合いそうだった。
俺は入力したものを、最初から確認した。
名前。
連絡先。
希望する役。
どれも、間違っていない。
送信のボタンへ指を置いた。
少しだけ、止まる。
人に誘ってもらったときより、自分で行くと決めるほうが、落ち着かない気がした。
でも、役の台詞は、さっきから何度も読んでいた。
やりたいのは、もうわかっている。
(じゃあ、送れよ)
押した。
*
応募を受け付けた画面が出た。
俺は、椅子へもたれた。
大きな声で何か言いたいほどではなかった。
ただ、少し胸が落ち着かなかった。
結果が来るのは、まだ先だった。
その前に、相手の前で演じる日がある。
自分の紙へ、選考の日付を書いた。
名前の横へ、宮下、と足す。
今までのレンとは、別の役だった。
少しして、ゲームの通知が出た。予約していた中枢が一つ増え、次のプラントへ進んでいる。
俺は生産の数字だけ確かめ、画面を閉じた。今日は先に、もう一度、あの台詞を試したかった。
スマホを伏せて、もう一度、最初の台詞を言った。
「お待たせしました」
いつも店で言う声より、少し明るかった。
言い終えてから、俺は普通の顔へ戻った。
(終わったら、戻れるのがいいな)
この顔のまま一日過ごしたいわけではない。
でも、選考では、相手の返事まで聞いてみたかった。




