第一話 父と娘と
何とか一部運転再開までこぎ着けた、三月下旬のある日の午後。
名越は一人、街の中心市街地にあるビルのエントランスにいた。
受付で名前とアポイントを取っている旨を伝えると、しばらく待つよう言われたので所在なげにぼんやりと周囲を見渡す。
手入れが行き届いた受付の風景が目に入る。
(あれだけの地震があったのに、随分綺麗で立派だな。これが資金力の差か)
などと遠い世界のように感じていた。、しばらくして、
「お待たせしました。名越さん」
誰かに呼ばれて振り返ると、歳の頃は五十代くらいの男性が立っていた。
少し頼りない印象を受けるのに、仕草や立ち居振る舞いから「何か違う」と感じさせる、アンバランスな人だった。
その姿に圧倒されていた名越が慌てて挨拶をする。
「ベイローレルの名越です。お忙しいところ、時間を取って頂き恐縮です」
着任時に一度挨拶をしているので、名刺交換などのやり取りこそないが、ほぼ初対面かつ用件が用件なので緊張感が違った。
名越の訪問相手も挨拶をした。
「お世話になっています。ルピナス重工の水本です。ここでは何ですから応接室にご案内します」
セキュリティゲートを通り、エレベーターで上階へ向かった。
その部屋に通された名越は、
(ウチの社長室より立派だな)
という、どこか他人事のような感想を抱きつつ、改めてお互いに挨拶をする。
「改めて、株式会社ベイローレル、取締役総務部長の名越です」
「ルピナス重工業株式会社、水本支店長の水本です」
席を勧められて、着席早々切り出したのは水本だった。
「まずは運転再開おめでとうございます」
「ありがとうございます。社員が非常に頑張ってくれましたので、想定より遥かに早く、一部ですが運転再開できました」
「ですが、これからが大変ですね」
「ええ、立て直そうにも如何せん被害が大きすぎるもので、それに……」
そこで名越が言い淀むと、
「……長屋さんが、不在にされているとか」
いきなり痛いところを突かれた。
「ははは…………やはりご存じでしたか」とため息をつき、
「不在と言えば聞こえは良いですが、……こういう言い方は憚られますが、私はもう帰って来ることはない、と思っています。ウチの社員にはとても言えませんが」
「長屋さんには私もお世話になりましたので、耳にしたときには驚きました……」
話が途切れかけた所で、思い切って本題を切り出した。
「あくまで内密にお願いしたいのですが、今日お時間を頂きましたのは、その長屋の件でして……」
声を一段落として、お恥ずかしい限りですが、と前置きをすると、
「実を申しますと、私の力不足でして。今は来たものを決裁し、どこかに線引きするのが精一杯なのです」
思い出すだけでため息が出そうになるが、何とか飲み込み、
「現在の我が社は、その線引きの理由と説明といったケアが全社的に全くできていないのです」
「心中お察しします。ですが、我が社でお手伝いするには少々ハードルが高いですね。確かに長屋さんにはお世話になりましたが、如何せん他社さんの内部事情ですので、あまり深入りもできないですし……」
「いえ、ルピナス重工さんに頼ろうというお話しではないです。どちらかと言えば水本さん個人にお願いしたいことがあって、こうやって恥を忍んで参ったのです」
やはりか、という目で水本は名越を見るが、気にしていられなかった。
「単刀直入に申します。未だ非公式のお願いではありますが、水本家の方に我が社が苦境を脱する手伝いを願いたいのです」
応接机に両手を付き、頭を下げる。
名越は必死だった。
もはやこの手しか思いつかなかったのだ。
「……確かに水本家は株主の一角には連なっています。ですが、公にはそれだけです。それ以上でもそれ以下でもない。確かに同情の余地はあるでしょう。ですが、ベイローレルさんだけ支援とは行かないのです。他社への示しが付きません。公に一企業に肩入れするわけにはいかないのです」
けんもほろろに断られるが、名越もここで引き下がるわけには行かなかった。
「ですが『水本家は当社の一株主である』とは言えないのではないでしょうか?水本駅という歴史由緒のある土地を、かなり特殊な契約で当社に貸与している上に、数多の資産を現物出資されている。更にはこの土地の名を、家名の由来に残している家です。資本以上に特別な関係のある会社は、そうそうないと言えるのではないですか?だからこそ、今、この場面で同じ『水本』を抱える当社に手を差し伸べる理由、いや『責任』があるのではないでしょうか。そして今、水本さんに求められているのは更なる出資ではなく、どなたかこの関係を取り持つのにふさわしい方なのではないですか?」
もはや論理は二の次で、感情に訴えかけてでもと必死の形相で食い下がっていた。
だが水本は、あくまで冷静だった。
「……仰りたいことは分かります。確かに御社は我が家と浅からぬ関係はあります。それに先程も申し上げましたが、長屋さんの手腕に助けられた事実もあります。しかし、あまりにも突然のお話しなので、即答はできません」
「それでは……」
名越の視界は文字通り真っ暗になりかけたが、
「ですから、考えさせていただきたいのです。水本家として出来ることを。誰が何をできるかを」
その言葉に、肩を落としかけた名越が再び水本の顔を見た。
「名越さんからのお話しを伺っている限り、ここでモタついていると後手に回る可能性が非常に高い。そうすると、あの家は何をしている、何を見ている、責任を果たさないのかという声が出る。まぁ有り体に言えば「圧力」とでも言いましょうか、そういうものがかかるんです。旧い家も中々面倒なんですよ」
偉そうに当主なんて言っても本業はサラリーマンなんですがね、と水本がどこか諦めたように苦笑する。
「とにかく、話は分かりました。安心してください、とはいえませんが、策は考えます。何せ我が家は『知略の水本』らしいですからね」と冗談めかした。
応接室を名越が辞去した後、人払いを頼み、水本は考え込んでいた。
余りの名越の必死さもさることながら、
(後手に回って突き上げられるよりも、先手を打てば傷が浅い)
と考えて返答したつもりだったが、考えれば考えるほど、家の誰かが泥を被らなければならないこの状況が憂鬱だった。
一瞬、自分が行こうかとも考えたが、当主自ら、しかも本業を放り出して乗り込むのは論外だった。
では、自分の弟妹ではどうか?
これもまた否。
自分と同世代や年長者は、いくら何でも立場が重すぎる上に、既に各々の仕事も家庭もある。
加えて、ある種の政治色が濃くなってしまい、言うことは聞かせることはできても、結果は悲惨でお互いに不幸になるだけだろう。
では、自分の子の世代ならどうか?
まだ実現可能性はあったが、今度は将来の可能性のみならず、人間として潰れてしまう可能性を危惧せざるを得ない。
また、担ぎ上げられたは良いものの、傀儡となる危険性も無視できなかった。
名越に対して安請け合いしたつもりはなかったが、人選に明確なアテがあった訳ではなかった。
いっそ、誰か立候補しないか広く打診してみるか……
そこまで考えて、ふと思い出す。
随分前に、長屋と今後の事業展望について話していた席に、ほんの気まぐれで自身の長女を同席させていた時のことを。
たしか、お互いに中々引退できなそうだ、と言う話だった。
同席していた娘にとって、恐らくは純粋な疑問だったのだろう。
「もし今、長屋さんが退任されたとして、残された社員の方々は『長屋さんならどうする?』という問いに囚われてしまうのではないですの?」
と質問をしていた。
場が一瞬止まり、長屋が面白そうに笑ったのを覚えている。
あの時は、我が娘ながらなんてことを言うのかと思った。
だが、それに長屋さんはなんと答えていたか。
「そうだな……。俺ならこうすると考えたところで、考えているヤツは俺じゃない。なら自分で考えて、自分が正しいと思うことをするしかない、と思うな。誰かの真似で回せるほど会社は甘くない」
そんな会話をしていた。
流石にそれはない、と忘れ去ろうとしても、どうしてもその考えが頭から離れなかった。
もしかすると……。
いや、しかし……。
確かに、親の贔屓目を差し引いても娘は優秀だった。
学生時代から利害調整の役回りに主体的に動いていた経験もあり、ある程度大人になってからは、まとまった休みにはインターンと称して自身の秘書役の様なこともやっていた。
頭も悪くない。学歴だけ見ても十二分に優秀だ。
総合的に評して、能力はむしろ人並み以上といえるだろう。
だが問題は、所詮は二十代の小娘と侮られる可能性、そして、そもそも聞き及ぶベイローレルの現状に、能力、心身共に耐えうるかだが……。
当然ながら厳しい現場に入ることになるので、多少のダメージは、ある意味仕方のないことだ。
だが、ダメージを受けるのが娘となれば、別だ。
やはり愛娘が傷つく姿は、親なら見たくはない。
だが、良い経験になるかもしれない。
徐々に水本の頭は、旧家の当主と言うより、子煩悩な父親に切り替わっていった。
しかし最後には、
「……聞くだけ聞くか。本人がやりたいならやれば良いだけだ」
そう自分を納得させていた。
家の事情に娘の名を思い浮かべたことを、父親として正当化するには、その一線が必要だった。
その日の夜、リビングセットを挟んだ水本親娘の間に流れる空気は、親子水入らずとは程遠いものだった。
「わざわざ呼び出すなんて珍しいですわね。こういうときのお父様の話は大抵ろくでもない話ですもの。どうぞご自由に用件を仰って下さいな」
とっくに独立している娘は、昔から父親が特段嫌いではなかったが、こと『家』が出てくる時の父親はどこか、知らない人間のようで幼い頃から好きではなかった。
そして、そんな娘を窘められるほど、父も『家』と『家族』を割り切れていなかった。
「……長屋さんを覚えているか?以前に会ったことがあっただろう。あの人の消息が実はこの間の津波以来、掴めていないようでな。今日父さんのところに長屋さんの会社の方が来て、誰か人を寄越してほしいと言われてしまってな」
そこまで一息に言うと、苦り切った顔になる。
「ただ、その、なんだ……どうも状況が良くないようなんだ」
慌てて、誤解がないように補足する。
「決して、会社が傾いていて今すぐにでも潰れそうということではないぞ。ただ、あの会社は長屋さんの求心力が強い会社だからな。それで……」
とフォローを入れるが、続きは言いづらそうだった。
「分かりましたわ」
そこで娘が父の話を遮る。
娘は少し考えてから、
「さしづめ、人心を『名前』で押し切ろうという話でしょう。ですが本当にそれは、『名前』で事足りる話ですの?」
「水本の人間を誰か出してほしいという話だ。今のところは、な。ただおまえの言う通り、『名前』だけではなく、例えば物事の差配といった実務も求められるだろうな」
「物事だけで済めば良いのですが。最悪の場合、人心をも差配しなければならなくなる。そうなれば、多方面から恨みを買いそうですわね……」
そこまで言うと、少し肩を落とした。
「わたくしは、どこまでも『家』という呪いからは、逃れられないのですね……」
その言葉は、諦めが混じっていた。
そして、
「ですから、お断りいたしますわ」
はっきりと自分の意思を父に伝えた。
父は驚かなかった。
理由も問わなかった。
ただ一言、
「そうか」
とこぼしただけだった。
普通に考えれば、いくら能力があったとて土台無理がある話なのだ。
「父さんも『行け』とは言えない。ただ水本家として無関係では居られないから話をした、ということは分かってくれ」
娘も、分かっているという風に頷くと、
「お母様や弟たちには話しましたの?」と聞くが、
父は、「おまえにしか話はしていない」という。
父にしては珍しかった。
娘から見た父なりの当主の役割に対する認識は、「厄介事こそこの家では家族が平等に当たらなくてはならない」というものだからだ。
そこが引っかかり、父に理由を尋ねると、
「そこは、諸事勘案してだな……」と歯切れが悪かった。
娘はそんな、らしくない、父親に対して珍しく苛立ちを感じ、
「はっきり言ってくださいな」と父に詰め寄った。
娘に気圧されてか、それとも娘にしか話していない後ろめたさか、父はノロノロと話し始めた。
「……以前、長屋さんと今後の事業展望を話していた時に、おまえも同席していただろう。その時の会話を思い出して、な」
確かに娘にとってもあの時の会話は、なぜだか興味を惹かれた話だったのでよく覚えていた。
「あの時おまえは、長屋さんが居なくなった後の具体的な危険性に気づいただろう?あの時点では長屋さんもまだまだ引退する気はなかった。だが自分が退いた後を考えておく必要は常に感じていたのだろう。あの人は何でもやっていた、いや、やり過ぎていたからな」と述懐する。
「あの時の長屋さんは、自分が感じている『跡に残される者への懸念』を見抜かれて、愉快そうにしていただろう?」
同時に父の表情も少しだけ柔らかくなった。
「だから、先におまえにだけは話しておこうかと思ったのだよ。まぁ、ただの父さんの気まぐれだ」
そう言うと、ソファの背もたれに背中を預けた。
父の視線は、遠くの何かを見ていた。
「……少し、時間をくださいな。わたくしも今すぐに結論は出せませんわ」
娘も何か思うところがあったのだろう。軌道修正して、断るかどうかもう少し見極めるようだった。
だが娘のそんな言葉とは裏腹に、父の胸中は複雑だった。
家としては、持ち込まれた面倒事を一つ片付けられる。
だが父としては、真逆とも言える感情だった。
娘にとってそれは良いことなのだろうか?
要らぬ苦労をさせようとしているのではないか?
そして、その苦労は娘の言うとおり、誰にも喜ばれずむしろ、他人の恨みを買うものではないか?
断れば良かった。
それが父の無責任で自分勝手な思いだった。




