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故郷と呼べる場所   作者: 那珂湊
第一章 「あの日」のままで
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第三話 わたしは、あなたに、会いたくなる

 立花は、参っていた。

 自身の統括する運輸事業部は、鉄道、バス、タクシーと陸上交通を網羅する部門であるが故、社内でも最大の人員を擁している。

 人員が多いと言うことは、必然的に不平不満の母数も多くなる。だが非常時である今は逆に現場から上がる不平不満は少なくなっていた。表面的には。


 母数はむしろ増えているはずなのだが、その理由を立花は理解していた。

 みな感情を溜め込んでいるのだ。そして溜め込んだその感情は、早晩思わぬ形で噴出し制御不能になる。そこまで分かっていながら、有効な対策を打てていない上に、後手に回っているのだ。

 名越のもとへ報告を上げれば判断は返ってくる。だが、返ってくるのは判断だけで、溜め込まれた感情の行き先までは返ってこない。多くを望んでいるとは分かっていても、どうしてもある思いが浮かんでは消えていく。

「あの人がいれば……」

 詮無きこととはいえ、行き場のない感情はまた溜め込まれていった。



 高藤の表情は、あの日以来日に日に険しくなっていた。

 自身の統括する経理部は、金銭の出納や鉄道車両、不動産からペン一本まで備品や資産の流動を管理監督する部門であるが故、会社の血液とも言える金銭の動きがよく分かる。

 金銭の動きが分かると言うことは、必然的に会社の状態も分かる。だが非常時である今は逆に、動きが停滞しているように見えた。表面的には。


 金銭、備品、資産全てが激しく動いているはずだが、停滞している。その理由を高藤は理解していた。

 記録しきれていないのだ。そしてその記録が間に合っていない金銭、備品、資産はすなわち遅れて会社の出血として認識される。そこまで分かっていながら、有効な対策を打てていない上に、後手に回っているのだ。

 名越のもとへ決裁を集めれば話は進む。だが、決裁が下りることと、流れが追えることは別の問題だ。決まるだけでは、遅れは埋まらない。無責任かもしれないと分かっていても、必然的にある思いが浮かんでは消えていく。

「あの人ならなんとか……」

 自身がやらなければいけないこととはいえ、行き場のない感情は会社の出血と共に流れていった。



 小早川は、焦りを感じていた。

 自身の統括する営業部は、会社の利益を最大化するための集団であるが故、社内外の最新情報が最速で入る。

 社内外の最新情報が最速で入ると言うことは、必然的に自社の今後を左右する情報も一番先に入る。だが非常時である今は情報が錯綜していた。表面的には。


 非常時だから情報が錯綜するのは当然だが、同時に普段より情報量も激増している。その理由を小早川は理解していた。

 情報が無いのだ。だから同じような情報が微妙に形を変えて循環している。そして噂が噂を呼ぶことで量は増える。だが質は低下している。錯綜しているようでその実、俯瞰すれば同じ向きをしている。そこまで分かっていながら、有効な対策を打てていない上に、後手に回っているのだ。

 名越に判断を仰げば情報に対する方針は示される。だが、方針が示されることと、情報の扱いを整えられることは違う。何も情報が届かずその場で立ち尽くすより、歩みを進められるだけマシだと思いつつも、必然的にある思いが浮かんでは消えていく。

「あの人だったら……」

 感傷に浸っていても何ともならないこととはいえ、行き場の無い感情は錯綜する情報の海の中で輪郭を失っていた。



 名越の机の上は次から次へと集まる無数の報告書と決裁書類の山と化していた。

 被災した鉄道路線の復旧、鉄道や各事業部門への資金、資材の手配、プレスリリースなど渉外業務。急がないものは何一つない中でも、目を通し、必要なものから順次判断していた。今、判断を止めれば全てが崩れ去る危機感と責任感だけで突き動かされていた。止めないだけで精一杯だった。


 立花が来て、必要な人員や現場の士気低下など人に関わる問題について説明していた。

 名越は必要人員の再計算を指示し、今後の対策案として不足人員増強等の案を返した。

 立花は、了承して出て行ったが、その背中には来た時と変わらぬ疲労感が感じられた。


 続けて高藤が、未処理の支出が膨らんでいること、仮払いを無軌道に増やすと後々帳尻合わせでは済まなくなることを、数字を揃えて示した。

 名越は決裁印を押し、手続きの引き締めと一旦未処理の支出の処理を優先するよう指示した。

 高藤は礼を言ったが、表情は固かった。


 小早川は社外からの要望を持ってきた。

 運転再開の見通しを知りたいという声が増えていること、答えを濁し続ければ別の憶測を呼ぶことを、抑えた口調で伝えた。

 名越はあまり踏み込んだ表現をしないことをその場で決めた。

 小早川は頷いたが、不承不承という態でとても納得した顔ではなかった。


 ふと、書類を取ろうとした名越の手が止まる。

 責任者として判断はしている。

 だから話は前には進んでいる。だが、誰も何かを受け取った顔をしていない。

 自分が埋めているのは空いたポストだけではないのか。

 自分のポストに求められるのは、それぞれ違う事情を抱えた人間の中で、同じ意味として繋げられる何かだ。

 だが、そのポストにかつて備わっていたものが何なのか、まだ名越にも分からなかった。



 何かが決まり、前進していく。その様子を、名越の席から少し離れた場所にある自身の『拠点』からタバサは見ていた。

 名越は次の報告書に目を落とす前に目元を押さえた。ほんの短い仕草だったが、妙な違和感があった。急かされるように無心で先へ先へと、進んでいるというより押し出されていることへの疲労のように見えたのだ。

 観察者に徹することはできた。だがタバサは傍観者では居られず、結局声をかけた。

「どうも」

 声がした方に目線だけやり、

「……なんだ、タバサか。……ああ、拠点の契約書の件ね。南方日報社との。ちょっと待て、確かこの辺に――」

 声の主を確認すると、名越はてっきり仕事の話かと思い、机の上を探し始めたが、

「……大丈夫?」

 タバサのそんなストレートな問いは予想外だったのか、ぽかんとした表情になりそのまま本音で、

「まぁ、大丈夫ではないな」と返してしまった。

「……そう」

 本音が返ってくるとは思っていなかったタバサは、それ以上の言葉が出てこなかった。

「いつかは、多少マシになるでしょう」

 名越が本音を繕うように絞り出した言葉は、下手な解説のような言葉だった。

「なんだか自己暗示というか、呪いの呪文に聞こえるね」

 タバサはそう言ってから、自分でも少し踏み込みすぎたかと思ったが、

「その呪いは、希望に変わらないの?」と直感的に感じた疑問を口にしてしまう。

 タバサにしては随分と抽象的だ、と思いつつ名越は考えた。

「この呪いを希望に変える、か。だがその希望の先には何があるのかね。バラバラの希望か一つの夢か、それとも……」

 そこまで口にしながらも、考えが上手くまとまらなかった。

「名越さんが全部やる話じゃない、とは思う」と言った。

「心配してるのか、突き放してるのか、どっちなんだか」

「自分でも、まだよく分からない」

 そう答えてから、タバサは黙った。

 名越もまた、何も言わなかった。



 会話が途切れるのを待っていたかのように、内線の呼び出し音が鳴った。

 受話器を取ると同時に、名越の表情は仕事のものへ戻る。

 電話は小早川からで、以前報告が上がっていた鉄道の早期運転再開の要望の件だった。

 比較的被害の軽い一部区間だけでも運転再開をとの強い要望の対応に苦慮しているという話だったが、中々調整がつかないようだった。

「利用者の足の問題だけではなく、地域経済そのものへのダメージを考えてくれと、言われてしまうとこちらも……」と、弱り切っていた。

 名越は二言三言だけ確かめると、少し考えてから、再び受話器を取り、立花、高藤、小早川を呼んで打ち合わせの場を作らせた。


そこに大仰な会議の空気はなかった。ただ、決めなければならないことだけは決まっていた。

 真っ先に切り込んだのは、小早川だった。

「なんとか、一部区間だけでも再開させられませんか」

「要望があることは十分理解している。だが現状でも代行バスすら出せないほど、鉄道の復旧に人員を集中させているのに、これ以上の負荷は容認できない」

 立花が即座に切り返す。

「経営面でも運転再開は早いほうが好ましい。けど、再開を急ぐ余り見切り発車して、帳簿に載らない損失となるのは容認できないわ。せめて線引きを決めないと困ります。」

 高藤も続いた。

 誰も間違ったことは言っていなかった。

 誰も無茶を言っているわけでもなかった。

 だからこそ、余計に噛み合わなかった。

 名越はしばらく黙って三人の言葉を聞いていたが、やがて低く言った。

「一部区間の運転再開は今週中としましょう。ただし、具体的な日付は復旧作業の進捗と人員確保出来次第です。立花さんは今週中に運転再開できるよう工程の見直しを、高藤さんは今週中に運転再開に必要な人員の概算を元に、単価を出して各業者に提示して下さい。小早川さんは要望や問い合わせが来た際は先走った表現は避けて準備中程度で説明して下さい」

 打ち合わせが終わると、長居は無用と立花が先に部屋を出た。

 高藤が理論武装の盾となる書類をその存在を確かめるかの如く持ち直した。

 小早川は何かを言いかけたが、結局その言葉を苦々しく飲み込んだ。

 三人とも同じ判断を受け取ったはずなのに、三人とも少しも軽くなった顔をしていなかった。

 タバサは会議室からバラバラに出てきた三人の姿を見て、何かは決まったのだろうと思った。だが、誰一人晴れた表情をしていなかった。

 三人から遅れて席に戻った名越もまた、次の仕事へ戻るまで、何事か考え込んでいた。



 会議室から出てきた四人の表情から、何かが決まったのなら鉄道の運転再開が近いのではと踏んだタバサは、先に出ていった立花の後を追って外に出た。

 丁度、立花が現業事務所へ戻ろうと自転車を漕ぎ出そうとしていた。

「これはタバサさん。どうされましたか」

 表情は変わらず硬いが、口調は多少柔らかかった。

「動きがあったようなので、お伺いできればと」

 慎重に、探るようなタバサの言葉に少し考えて、

「私の所に真っ先に来たと言うことは、お分かりなんでしょう。ここでは何ですので、歩きながらでも?」と問われると、タバサは頷いた。


「……先日一部ですが私も被害箇所見てきました。人的被害は奇跡的にゼロでも、運転再開にはかなりのヒト、モノ、カネ、そして時間が必要と言うことは一目で分かりました。そして被害の全体像はいまだ調査中。しかし運輸業は常に動いていることが求められている。それに対して現状は、元々あったバス路線と代行バスを組み合わせて、細いながらも代行輸送をされている。ですが、取材をしていると鉄道の運転再開の希望が強い」

 おっしゃるとおりです、と立花が頷く。

 だがタバサは言いづらそうに、あくまで取材した一部の声ですが、と前置きすると、

「……復旧が進まないのは動かない鉄道のせいだという声もあります」

 立花の表情に、本当に一瞬だけ、怒りのような激しい表情が去来したが、

「容赦ないですね」と苦笑する。

「ですが現状我々も、総動員で被害調査の継続及び被害の少ない区間での運転再開を検討しています、としか言えないですね」

 と言うと、元の硬い表情に戻っていた。


 しばらく二人で黙って歩いていた。いつの間にか線路沿いに出ていて、もうそろそろ現業事務所のある水本運転所が見えるところまで来た。

 ここだけのお話しにして頂きたいのですが、とタバサに釘を刺して、

「今週中に一部区間で運転再開との話は出ました。ですが具体的な区間や日程はとても外に出せる情報の精度ではありません」と明かした。

 だが、続けて、

「これから戻って最初の私の仕事はおそらく……」

 言い淀むとしばらくして

「社員の反発を受けること、でしょう。仕方ないです。現場に無理を通すのも私の役目ですから」

 本社を出てからも晴れないままだった立花の表情が、そこで一層硬くなった。

 ですが、と前置きしてタバサに向き直る。

「現場は頑張っています。倒れる寸前ですが、踏ん張っています。ある者は傷つき、またある者は大事な何かを失ってなお、職場に出てきています。決してその場に立ち止まっているわけでも、ましてや怠けているわけでもない」

 そこで一度言葉を切り、タバサの方を見た。

「我々は鉄道の復旧に向けて死力を尽くしている。それだけはご理解いただきたい」

 必死に語るにつれ凄味が増した立花の顔は、タバサを通してタバサではない誰かに訴えているようだった。

 タバサはその表情に恐怖とも畏れともとれる感情を抱いて、思わず立ち止まった。

 一言「失礼しました」というと、立花は先へ行ってしまった。

 しばらくタバサはその場に立ち尽くしていた。

 我に返って、立花を追おうにも足が前には進まなかった。

 立花は一体誰に向かって訴えていたのか、すぐには分からなかった。

 ただ、それが名越でも自分でもない、まだ自分の知らない誰かへ向いていたのだとしたら、その誰かのことをもっと知りたくなった。


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