第三話 深く、静かに、進む夏 後編
「総務部を第一ほしふりビルへ移動させます」
名越から了解を得たその足で鏡花は総務部一同に向けてそう宣言した。
当然その宣言は他部署の人間も聞いていたわけで、最初のうちは『総務部長ご乱心』で済んでいた(?)話にも尾ひれがつき、『総務部長が社長を押し切って、第一ほしふりビルを本社に決めたらしい』なんて話になりながら、その日のうちに全社に知れ渡ることとなった。
そこには『ただし、一部を除く大半の社員が』という注釈がつく。
各所属長をはじめ一部の人間には、鏡花から総務部を第一ほしふりビルへ出そうと考えていること、もしそれが通ると本社移転先の選定作業に大きな影響があることまで伝えられていた。
だから知っていた者は表向きには「知らなかった」と周囲に話を合わせつつ、それぞれ別々の思惑がありながらも内心では「思ったよりすんなり通ったな」と、事態を静観していた。
三階大部屋の一角にある拠点で仕切り越しに鏡花の宣言を聞いていたタバサも、静観している一人であった。
話を聞いたタイミングは他の社員同様だが、タバサの場合事情が少し違っていた。
(これ以上のなし崩しを止めるためとはいえ、総務部を動かすとは。鏡花も一体誰に似たんだか……)
その強気なやり方に一抹の不安を覚えつつ、別に考えていることがあった。
未曾有の大災害と呼ばれる一連の災害はタバサがこの街に飛び込んだ理由だった。
だが気がつけば自身の本業である『報道』の意味合いが変わりつつあった。
(つい数ヶ月前のことなのに、いつの間にか『肉を切らせて骨を断つ』なんて、大胆な事ができる余裕が出てきた。なら私は――)
お盆休みを前にした三階大部屋は、春先の大災害、確認窓口の開設に続いて、三度蜂の巣を突いたような喧噪に包まれていた。
通常業務に加え総務部移転に向けた作業や打ち合わせなどが猛烈な勢いで進んでいたが、喧噪に包まれていても罵声飛び交う大混乱に陥っていないのは、総務部三課長のハンドリングの巧さと、この半年弱の間で総務部社員に根付いたある種の耐性のお陰ともいえた。
総務部の移転準備が始まるのと前後して、各部署にお触れが回った。
内容は、本社移転先の比較検討を打ち切り、それ以降の準備は第一ほしふりビルが前提として進める、とのこと。
発信元は総務部長の鏡花ではなく、社長である名越。
それと時を同じくして、各部署に向けて総務部より設備、条件等、何が必要で何を急ぐのかの聞き取りが行われたのだった。
お盆期間は、本社の社員にとっては嵐の前の静けさ。
現場の社員にとってはかき入れ時。いくら前後で休めるとはいえ骨の折れる時期には変わりない。
そして名越や鏡花といった類いの人間にとっては溜まっている仕事を処理し続ける期間でもあり、あらゆることを少しでも先に進めておかなければならない期間。
そんな大事な時期にもかかわらず、鏡花は臙脂色のジャージに身を包み、恐らく逮捕されたのであろうタバサを伴って社長室に現れた。
名越が、
(あ、やっべ)
と思っても時すでに遅し。
無情にも、鏡花を止められる姫大将の家老達(総務部三課長)はいなかった。
指揮官兼第一ほしふりビル側の荷物整理は鏡花。
名越の監視員兼本社側の荷物整理にタバサ。
そして運転手兼運搬員の名越。
有無を言わさず本社と第一ほしふりビルを何往復もさせられる車が一台。
「社員には労働時間の制限がありますが、役員と個人事業主には二十四時間働けますか?が通じるのですわ」
なんて暴論に名越は、最初こそ「いつの時代だ!」と猛烈に抵抗したが、あえなく作業着に着替えさせられた上で命じられた業務に従事するのであった。
「タバサよう」
「なに」
「わし、社長なんだけど」
「……私、カメラマンなんだけど」
「「……………………」」
深いため息と共にお盆休みは過ぎ去りて、八月も末に近い下旬。
途中名越が、謎の特技であるOAフロアの床配線にこだわり始めたり、取材で離脱しようとするタバサと鏡花が何やら取引をしていたりと、すったもんだの末に鏡花の指揮の下、総務部三課長の作った移動計画、レイアウト予定図を元にお盆休み返上で動かせるものから運搬した甲斐もあって、その後の作業も順調に進み、予定よりも早く総務部移転の日を迎えた。
つい半月、ひと月程前まで広いフロアの一角に確認窓口だけだった『第一ほしふりビルの三階大部屋』に、『現在の』本社よりも遥かに広い『総務部』が生まれたのだった。
ただ、総務部が第一ほしふりビルに移っても、一つ大きな忘れ物が残されていた。
「……大部屋のこっち側の半分は夜逃げしたみたいだね」
「えれぇ不吉なことを言うでねぇか、タバサさんよ」
タバサの『拠点』がある三階大部屋は、元々総務部と他部署が同居していたので、総務部側がもぬけの殻になると、『拠点』はまるで本社の喧噪からは置いて行かれてしまったようだった。
そんな拠点に二人の姿。
片方は椅子に座り、片方は丸いゴミ箱に座る。
そこだけが過ぎ去りしかつての見慣れた光景を残していた。
タバサは、こちらに背を向けて『元』総務部を見つめる、お盆に酷使されて以降右肩の不調を訴える目の前の物体を眺めながら、考えていることがあった。
(日常、か……)
視線の先には、所々物が残った荒野のような空間。
(ここに来てからもう少しで半年。色々あったけど、形はどうあれ周りは進んでいる)
その空間との境界を形作る仕切りはもう役目を終えたように所在なげにしている。
(私はいつまで同じ所にいるのだろう……)
独り、残された場所で考えていた。
自分の行きたいところに行く。
自分の行きたいところでやりたいようにやる。
それは誰に縛られるものでもない。
今でもそう考えているし、これからもそうだ。
「そろそろかな」
漏れたその言葉は、丸いゴミ箱に座ってゆらゆら揺れているヤツにも聞こえていたのか、
「……なんか言ったかね?」
と胡乱げな目を向けてくる。
どうせ「またなんか失礼なことでも言われた」と思っているのだろう。
「別に」
ただそれだけだった。




