第二話 夏の色は、私の色 後編・下
・鏡花のいない夏 最終日
「本人は来週には戻ると言っていますので。ええ、はい。すいません。よろしくどうぞ」
姿の見えない相手に向かい何度も頭を下げながら電話を切ると、椅子の背もたれにぐったりと寄りかかった。
「星野さん。鏡花さんはまだかのう?」
「まだですよ……。あと、そこは水本部長の席です」
星野の目の前には、なぜか鏡花の席に陣取って椅子の背もたれに寄りかかっている名越がいた。
「なんか知らんけど、みーんなこの席に持ち込むんですよ、色々と。しかも『いない』って言ってるのに、電話、メール、チャット、郵便、ぜーんぶ鏡花さんがいる前提」
そう言うと、主のいない机を軽くノックした。
「おまけに、タバサも星野さんも課長達もみーんなここにいるでしょう?だから上にいるよりこっちにいないと非常に面倒くさいんですよ」
頭の後ろで両手を組んで、我が物顔で椅子を左右にユラユラとさせている。
「きっと鏡花さんが『主なしとて春な忘れそ』とか詠んだんですよ。だからみんなここに持ち込むんだわな」
そんな適当なことを言っていたそばから内線の呼び出し音が鳴ったので、すぐに受話器を取ると、
「はい、総務部です。……ええ、水本部長はしばらく不在です。私?名越です。そう、社長さんですよ、シャッチョサン」
うんざりとした様子で二言、三言交わすと、電話を切って何かメモし始めた。
「ただでさえ評判悪いんですから、もう少し丁寧に愛想良く受け答えしてください」
それを見ていた星野に子供のような注意を受けてしまった。
その後ろでは、こちらに背を向けた総務部三課長が別々の席で同時に「うんうん」と頷いている。
「やっぱり、そんなに評判悪い?」
「はい」
「あ、そう」
「辛うじて友好的なのは、タバサさんと水本部長、あとは小早川部長くらいです」
「あ、そう……。でも星野さんは……」
刹那、その場にいた総務部全員+タバサの思いは完全一致した。
(それを言うなよ!)
名越も、
(やっべぇ……)と、
目が泳ぐどころか顔がそっぽを向いていた。
「なるほど……。社長は忙しすぎて、ご自身の言行を振り返り、悔い改める時間も取れないのですね」
非常によい笑顔だった。
笑顔過ぎた。
その日の名越は週明けの鏡花の復帰を切に願いつつ、日頃の行いを顧みることになった。
「仮初めの平和を維持するのは大変なんだなぁ」
・鏡花の(不本意な)夏休み 最終日
あかり屋旅館に逗留してはや数日。
川べりを散歩したり湯治に勤しんだりと、鏡花は何だかんだで夏休みしていた。
支配人曰く、どうやら佐藤あかりは鏡花の水厳寺参詣の翌日に仕事があるからと自宅のある睦月に一旦帰っていたそうで、昨日の最終列車でまた明松の実家に戻ってきたとのことだった。
(どうりで探しても見つけられないわけですわ……)
相も変わらず意図の読めない行動だが、鏡花にとって既にそうして軽く流せてしまうくらいのものとなっていた。
そして最終日。
荷造りを終えて鏡花がフロントに向かうと、そこには支配人である佐藤(弟)となぜか和装でカウンターの前で宿泊客の見送りをしている佐藤(姉)の姿があった。
しかも、
「会いたかったよー、鏡花ちゃん」
なんて言いながら手を握ったと思ったら、上下にブンブン振り回すではないか。
「途中でバックレたのは、貴女の方ではないですかっ!」
その手をなんとか振りほどくと、両手を腰にやり詰問の構えを取ったが、
「いやぁ、人気者は辛いのよ」
とまともに取り合う気配すらなかった。
「そのお衣装は?」
「成人式です」
「第二の成人式ですの?」
そう鏡花が返すと、これは一本取られたとばかりに自分の額を手でパチンと叩いた。
「……で、佐藤さんは結局何をされたかったのですの?ご実家に帰られたと思ったら、ご自宅に戻られて、またすぐにご実家にいらして」
「う~ん。犬の散歩?老犬だし」
「答える気が無いことだけは分かりましたわ」
鏡花は脱力して、がっくり肩を落とした。
「ていうかウチの母親さ、『たまにはお客様の前に出て、緊張感を思い出せ』って言うんだよ。ヒドくない?」
「……お母様とは気が合いそうですわ」
そんなやりとりも終わりの時が来るもので、
「そうだ、鏡花ちゃん。こっちに来た時の電車賃とタクシー代、いくらだっけ」
「睦月から明松まで大人一名、乗車券が3,850円、急行券+グリーン券で4,800円、タクシー代は一人あたまで940円。合わせて9,590円ですわ」
「刻むねぇ」
「その代わりわたくしも宿代はキッチリお支払いするのですから、当然ですわ」
その言葉に一瞬佐藤は目を細めたが、すぐに、
「……分かった。じゃ、ちょっと財布持ってくるから。……ではカウンターへどうぞ」
そう言いつつカウンターへ誘導する所作は、まるで佐藤あかりではない他人のようだった。
「姉貴」
「そういうことだから」
「了解」
「いなかった割に、よく見てたな」
「見るのは得意ですから」
カウンターの向こうで佐藤姉弟がなにやら小声で話していたが、荷物と格闘していた鏡花が気づくことはなかった。
あかり屋旅館の玄関を出ると夏の日差しが容赦なく人も自然も照りつけていた。
「お帰りはどちらから?」
佐藤あかりも見送りに玄関まで出てきていた。
「水厳寺駅から電車で帰ろうかと思っていますわ」
「よろしければ明松駅までお送りいたしますが」
珍しい接客モードの佐藤に鏡花は耐えられず、
「あかりさんも、そのままご自宅に帰られる気ではなくて?」
そう水を向けると、
「バレたか」
慣れないことはやるもんじゃないな、と佐藤も相好を崩した。
「その格好で帰るのはムリがありますわ」
「確かに。これで仕事に出たら晴名さんにマジで説教されるね」
そしてしばしの沈黙が流れ、
「では、お世話になりました」
「お大事にどうぞ」
そう言って佐藤が、深く、深くお辞儀をすると、鏡花は水厳寺駅行きのバス停に向かって、一歩、また一歩あかり屋旅館を後にした。
鏡花が睦月の自宅に戻ったのは昼過ぎだった。
そこから、すっかり回復した体調に合わせるように、手早く荷ほどきをして、何だかんだ十日間ほど空けた部屋を片付けているうちに寝落ちしていた。
翌日は幸いにも祝日だったので、引き続き部屋の片付け、そして翌日に迫った職場復帰に向けた準備をしているうちにあっという間に夜を迎えた。
(明日からはまた忙しくなりますわね……)
不思議と鏡花は意図せぬ、あるいは不本意な夏休みを惜しむと同時に、こうして休む前の自分が随分と昔のことに思えた。
「お待ちしてました、水本さん」
名越が緊張した面持ちで迎える。
「ええ」
短く返事をしたが、鏡花はこれから名越がやろうとしているであろうことにぴったりな言葉を知っていた。
(また変なことを思いつきましたわね……)
天丼。
同じことを繰り返すお笑いの技法だ。
「まぁ、楽にしてください……とは言えませんが、ひとまず自己紹介と行きましょう」
恐らくは、『ただ復帰をするのではパンチが足りない』と奇をてらったのだろう。
(復帰早々一体何を考えているのかしら……)
思わず心の中で愚痴るが、止めるだけ無駄なのは総務部一同とタバサの顔を見れば明らかだった。
その表情は一様に、
(止めたんだけどなぁ)
と言っていた。
名越が「ちょっと集まってくれ」と三階大部屋に号令を掛けるも、サプライズ茶番に付き合うのは総務部一同とタバサ。
もう、みんな諦めているようだった。
「こちら、以前に私の後任として総務部長に着任されて、復活した水本さんです」
セリフこそ多少違えども、四月一日と同じことをしている。
デジャブ。
というより、茶番。
総務部一同とタバサの視線は、鏡花に訴えかけている。
『かわいそうだし、早く終わらせたいから付き合ってあげて』
部下の訴えに耳を傾けるのも、上司の務め。
息を整えて、努めて涼やかなそして凜とした声で挨拶する。
「本日付でベイローレルの総務部長に復帰いたしました、水本鏡花と申します。引き続き皆さん一人一人の力が重要になりますの。微力ながらも皆さんに寄り添いつつ、仕事を進められたらと考えておりますわ。……それから、わたくしから皆さんへ再度のお願いです。この街はなにぶん水本が多すぎますので、わたくしのことは鏡花とお呼びくださいな。以上です」
優雅な動作で一礼した。
礼儀としてではなく、
『本当に帰ってきてくれてありがとう。そして見事な演技でこの茶番を終わらせてくれてありがとう。ついでにその社長にありがたい言葉を叩き込んでくれ!』
そんな思いが込められた大きな拍手が鳴ると、なにはともあれ歓迎されていることは明白だった。
鏡花は、よく分からないがなにかをやり遂げた。
なんにせよ四月一日とは違い、鏡花に向けられた拍手は心のこもったものだった。




