第二話 夏の色は、私の色 後編・上
・鏡花の(不本意な)夏休み その6
連れてきた張本人にほっぽり出された鏡花は、
「改めまして、当館の支配人の佐藤です。お疲れでしょうから、手短にご説明いたしますね」
との佐藤(弟)の一言のあと、宿帳へ必要事項を記入し、館内について要点だけの説明を受けた。
「そのほかのお手続きはこちらで進めますので、お食事の時間だけ。六時半と七時でしたらどちらがよろしいでしょう?」
「……では、六時半で」
それだけ決めて客室に通されると、すでに荷物も運ばれていた。
一通り室内を見回した鏡花は、ふと奥にある戸へ目を留めた。
「こちらのお部屋にも、お風呂がありますの?」
「はい。ございます」
「でしたら、そちらを使わせていただいても?」
「もちろんでございます」
「実は、今日退院したばかりで少し体調に不安がありますの。大浴場まで行くのは、少し不安ですから……」
「承知いたしました。では、お部屋のお風呂をご利用ください。ほかにも何かございましたら、いつでもお申し付けください」
それ以上、なにか聞かれることはなかった。
流れに身を任せているうちに、鏡花は窓辺で外の景色を眺めながら一息ついていた。
その見事な手際の良さと、ここがあの佐藤の実家である事実が結びつかなかった。
(あの弟さんができた方なのでしょうね。ウチの名越さんと同じくらいのお歳に見えるのに、名札には支配人と書いてありましたし。それに比べて佐藤さんは……。突然変異なのかしら)
あわれ、佐藤あかりの株はひたすら下降し続けていた。
テレビのローカルニュースを見ながら、お茶を片手に茶菓子をポリポリ。
(最近のペットは随分とアグレッシブですわね……)
どこかの家の飼い犬が突然走り出して他人の家の庭を掘り始めたと思ったら、金塊が出てきた、なんてニュースを見ながら、鏡花らしくない気の抜けた時間を過ごすことしばし。
いつの間にか食事の時間になっていたようで、一声掛けられたあとに手際よく目の前に並べられる山と川の幸。
「どうぞ、ご無理なさらず、ゆっくり召し上がってください」
仲居さんのあまりにも自然な一言には、鏡花も食事に箸を付けてしばらくしてから気づいた。
(……ご存じなのね)
そう思ったものの、それ以上考える前に鏡花の意識は目の前の料理へ移っていた。
「あら、このお漬物も美味しいですわ」
さりげなく手の込んだ料理に舌鼓を打っているうちに、いつの間にかお膳の上の食事は綺麗に消えていた。
少し物足りないような気もしたが、腹具合を確かめてみれば、不思議と不足はなかった。
(……このくらいで、ちょうど良いのかしら)
それにしても、こんなにゆったりとした食事の時間はいつ以来か。
ふとそんなことを考えていた。
食事を終えて一休み。
鏡花は先ほど案内された客室の風呂へ向かった。
体を洗ってから、湯に肩まで浸かり、ガラス越しに夜の帳が下りた空をぼんやりと見上げる。
(……そういえば)
電車賃とタクシー代。
一円単位で精算するとまで言っておきながら、すっかり忘れていた。
(あかりさん、一体どちらへ行かれたのかしら……)
旅館に着いてから姿を見ていない。
フロントに聞けば分かるのだろうが、今すぐでなくても構わない。
(……明日で、いいですわね)
そう考えて、もう一度夜空を見上げた。
すると今度は、会社のことが浮かんでくる。
星野はどうしているだろう。
名越は余計なことをしていないだろうか。
総務部の仕事は、本当に回っているのだろうか。
気になることはいくらでも出てくる。
けれど、今ここで出来ることは何もなかった。
風呂から上がって部屋に戻ると、鏡花は何となく携帯を手に取った。
特に通知は増えていない。
当然だが、こんな遅い時間に会社からの連絡はなかった。
一度画面を消して、しばらくしてまた見るが、やはり何もなかった。
(……暇ですわね)
これからどうしようか。
明日は何をしよう。
佐藤への精算もある。
星野のことも気になる。
名越のことも気になる。
そういえば、朝食は何時だったかしら。
床についてからも、あれやこれやと色々考えていたが、そのうち何を考えていたのか自分でも分からなくなってきた。
怒濤の一日を経て、自分が思っている以上に疲れていた鏡花は、いつの間にか眠りに落ちていた。
・鏡花のいない夏 その6
鏡花の不在は、そろそろ一週間になろうとしていた。
その間には総務部宛に鏡花から無事退院したとの連絡があったが、その際には、
「社長である名越さんから『え?戻る?ムリ』と言われてしまったのでは、休養せざるを得ないですわ。ですから断腸の思いではありますがもう一週間ほどお休みをいただきますわ」
との一言が添えられた。
その声を聞いた総務部三課長は、鏡花が名越の失言を冗談めかして言える程度には回復して安心したと同時に、戻ってきたその日は恐らく名越の……。
そう思うと、同情心は……。
特に湧いてこなかった。
強いて言うなら、
(自業自得。この際だから徹底的にやられとけ)
日頃の行いは大事なのだ。
己の命数の限りが近いことなど露知らず、いつも通り名越は立花から鉄道事業や自動車事業の災害復旧状況の進捗報告を受けていた。
「以上が昨日時点での概況です。自動車部門は被災車両の入替を順次進めています。中古車両がほとんどですが、まとまった台数を融通してもらえる目途が立ちましたので何とか一息つけるといったところです。ただ鉄道に関しては……」
「厳しい、ですね」
発災当初の数字よりだいぶ見られるものになったとはいえ、その資料の数字を見るたびに名越の悩みは深くなっていた。
「他に関しては、状況が良くないなりに何とかなっているのですが、鴨潟方面に関しては正直、先が見えません。今後の方針は行政との話し合いが始まったばかり。復旧すべき駅も線路も消失したまま。なので現場のモチベーション維持すら難しいのが現状です。……先日実際に現場へ行かれたとのことなので、ご存じでしょうが」
先日の件は当然立花にも報告は行っていたのだろう、含みのある言い方だった。
名越は、少し言いづらそうに、
「ええ、まぁ……。なんと言いますか、私が出る幕ではなさそうだな、とは」
何をどう言えば良いか立花は少し躊躇っていたが、
「……なるほど。私も現場を預かっている以上、現場の人間の考えは尊重したいと考えています。不満が溜まっている所にいきなり社長が来たので、余計な刺激となって反発した。その心情は分からないでもないです。ですが、こうやって本社にいる以上、社長が現場を見て回りたい気持ちもまた理解できます」
そこまで言うと立花は、困ったような表情で少し天を仰ぐような仕草をして、
「ただ現状では社長が突然現場に行くことにより、それだけで余計な意味が生じています。……私も先輩方から、昔の話はいろいろ聞かされてきました。結果として、そんな『遥か昔の悪しき風習』のような事態になってしまった以上、次は一言ください。それが現場のため、会社のためです」
「……分かりました」
・タバサの夏
昼下がりの社長室。
「おいタバサよ、わしゃこの世で六番目にB5用紙が嫌いなんだ」
「だから何?」
名越はある稟議書に添付された資料を見ると、親の敵に出会ったかのような表情をした。
「いいか?こういうヤツが社内の和を乱すんだ。なぜA4用紙の中にB5用紙の資料を混入させたまま提出できるのか、理解ができん。……ああっ、鳥肌が立ってきた」
「あ、そう」
随分と飛躍した理論をタバサは理解する気はなかった。
「だから、ウチの社内から書類をB判で印刷するヤツを根絶やしにしてくれ」
「自分でやって」
当然、名越の意味不明な言動は切って捨てた。
そうしないと、次から次へとやってくる臨時アシスタント業務を捌けないのだ。
「あのさ」
タバサは名越の目を見て話しかける。
「なんね?」
「私はいつから便利屋になったの」
「……じゃ、この人達やっつけたから、よろしく」
だが名越はタバサから目をそらして、書類を押しつけた。
「おい」
タバサが凄むと、名越はそそくさと席から離れて窓辺に立ち、外の景色を愛おしそうに見つめながら、
「それがお前の選んだ道なんだ。なぁ星野君」
また意味不明なことを言い出した。
しかも別の作業中の星野まで巻き込もうとしている。
「………………はい、そうですね。私もそう思います」
そんな二人を一瞥することもなく、全く興味がないといった風情で棒読みな返事をした星野は、手元のラップトップPCに集中していた。
「…………ちょっと支局に顔出してくる」
大きなため息を一つ残してタバサが社長室から立ち去ろうとすると、
「タバサさん」
星野から声を掛けられて振り向くと、
「すいません、私もこれから総務に戻らないといけないので、社長を連れていって頂けませんか」
ラップトップPCから目を離すことなく、星野は事もなげにそんなことを言ってきた。
「それってさ」
「子守です」
タバサに口を挟む隙を与えず、ぴしゃりと星野は言い放った。
社長室にはタイピング音だけが響いている。
(誰かに似てきたな)
「子守……」
諦め顔のタバサと、軽くショックを受けた名越。
日に日に逞しく成長する若手の姿は、色んな意味で頼もしかった。
星野から子守を言いつけられたタバサは、とりあえず南方日報社水本支局に向かい、いくつか所用を片付ける。
子守をされる側の名越も同行して、道中買った手土産を持って夏の挨拶という体で、「いつもお世話になっております」としばし支局にて雑談。
それが終わると今度はタバサの取材について行くが、さすがに取材先にまでついて行くわけにもいかず、
「千円あげるから、そこら辺のパチ屋で時間潰してて」
「千円はもらうが、わし、パチ、やらん」
仕方ないのでタバサが取材中の名越は、もらった千円でコーヒーと菓子パンを買って近くの公園の東屋でボケーッとしていた。
(なんか、定年後にやることがない仕事人間の末路みたいだなぁ)
夏の暑い昼日中。
スーツを着た三十代男性が、公園でコーヒーと菓子パン片手に佇んでいる。
その光景は、良く言えば営業途中のサラリーマンの休憩。
悪く言えば仕事をクビになった人。
「いなくても仕事が回るのは、結構なことなんだがねぇ」
あまりに暇なので、連絡が来る気配すらない携帯を弄んでいると、まるで自分が社会から取り残されたように思えて徐々に惨めになってきた。
「哀れな末路、かねぇ」
昼の明るい中、じわじわと気分が暗くなりかけていた。
「なに?さっきの千円、競馬でスったの?」
なんとも呑気だが抑揚のない声が、名越を夏空の下に引き戻した。
「違うわ。今日は平日だぞ。それに新馬戦には手を出さない主義だ」
不意打ちに反論を試みるが、ズレていた。
「俯いて不景気そうにしてるから、ラジオたんぱでも聞いてるのかと思った」
相手の心中を知ってか知らずか。
こちらもこちらでズレていた。
「株もお馬さんも聞いてないし。しかもラジオたんぱって。いくつだよお前、ってか何者だ」
「同い年。何者かは自分で決める」
「左様でございますか」
「行くよ」
「うーい」
合わせる気があるのか無いのか。
お互いに半歩ずつズレた会話は、なぜか時折こうして噛み合っていた。




