第二話 夏の色は、私の色 中編・下
・鏡花の(不本意な)夏休み その5
星野の母である晴名と共に、鏡花は怒りの形相のまま黙って虚空の彼方にいる『教育の足りないヤツ』に向けて右の拳を入れた。
までは良かった。
だがそこからが大変だった。
その日の夕方のうちに、明日の退院を家族に伝えた際、鏡花の父が「退院時には迎えに行く」と言って聞かなかったのだ。
なんだか予想はついていたことだったが、
(一体この世の中には、どれだけ子離れ出来ない父親がいるのかしら……)
また具合が悪くなりそうだった。
仕方なく「夕食の時間ですわ」と父親との押し問答を強制終了して、時間をおいて母親に連絡すると、打って変わってあっさりしたもので、
「そう。良かったじゃない」
その一言で終わりだった。
が、「しばらく自宅療養となる」と伝えると鏡花の母が、
「ならウチに帰っていらっしゃいな」
と父親のようなことを言い出したものだから、いよいよ収拾がつかなくなり、
「一人で退院します!実家には帰りません!」
ついにはそう宣言して電話を切り、念のため弟に両親に釘を刺すよう頼んでから一息ついた頃にはすっかり外は暗くなっていた。
「なに~?カレシと喧嘩?」
なにやら下世話な問いに振り向くと、どことなく悪い顔をした看護主任の佐藤が立っていた。
「違いますわ。外来の投書箱に『患者の会話を痴話喧嘩扱いする品のない看護師がいるので、星野師長から指導していただきたい』と投書しに行くところですわ」
「言うねぇー。でも晴名さんが痴話喧嘩について指導しても説得力無いけどねぇ。あの人はその手の先駆者だから」
(何なんですの、この方は……)
「で、では、星野課長に」
「あー……。あの人はもっとダメだね。今でこそ多少アレな人で済んでるけど、私が総務であの人の部下だったときなんてヒドかったんだから。姿が見えないと思ったら、仕事放っぽりだして院内保育所で華音ちゃんと遊んでたんだよ?」
(本当に何なんですの、この方は……。というより星野さんのご両親って……)
「あ、この話は華音ちゃんには内緒でお願いしますね。締め落とされるんで」
「……星野さんも苦労していらっしゃるのね」
しみじみと自身の部下に思いを馳せていた鏡花は、ふと違和感を感じた。
「……あの、佐藤さんはなぜこの時間まで病院に?」
「ははは…………。ねぇ聞いて、他の病棟で遅番のナースが出勤拒否してるとかで、ウチの病棟から応援を出してるせいで、私が代わりに遅番なんだよぉ」
「あの……お仕事は?」
「目の前の、半ギレしてた女性の患者さんが病室に帰れば終わり」
「……すぐ戻りますわ」
恥ずかしくなった鏡花がそそくさと病室に戻ろうとして、
「水本さんはさ、」
佐藤がなんとなく口にした一言は、
「力加減とか下手でしょ?」
思いも寄らぬものだった。
「え……?そんなことは……」
無い、と言おうとして、入院までの経緯を思い出して、後に続く言葉が出なかった。
「そんなに肩肘張っていれば誰だって分かるでしょ」
その表情は、生き急いでいる妹でも見るようなものだった。
「……………………」
突然、鏡花自身が薄々ながらも感じていたところを突かれては、何も言い返せなかった。
そんな鏡花を見て、ふっ、と表情を緩めた佐藤は、
「……温泉はいいよぉ。私の田舎の温泉、って言ってもショボいんだけど……。いくつか温泉宿があってね、そのうちの一つが私の実家なの。今なら『佐藤あかりから聞いた』と言えば八割引!どうよ?」
「……どう、と言われましても……」
「かわいい華音ちゃんの上司様なんですから、サービスしますよ?」
「いえ、そういうわけには……」
「……休むのがヘタな人は、環境から休ませるのが一番ってね」
(この方、意図も行動も読めないですわ……)
たまたま入院してきた患者に対するものとは思えない押しの強さに、さすがの鏡花も、
「はぁ……まぁ……検討いたしますわ」
というしかなかった。
別の所で苦労はしたが翌日の朝、鏡花は晴れて退院した。
そして、不本意ながら夏休みがまだ続くこととなった鏡花を迎えたのは、
「いやー退院おめでとう。じゃお客様、荷物をお持ちしますね」
「……なんでいらっしゃるのですか?」
「なんで、って。お客様を暖かくお迎えするのは、当旅館の基本ですので」
「あなたは看護師でしょう!」
私服姿の佐藤だった。
「水本さん。ウチの佐藤が申し訳ありません。止めたのですが、『華音ちゃんの姉としてこのまま、ダメな父親と荒っぽい母親に育てられたイメージを持ち帰らせるわけにはいかない』と言って聞かないんです……」
佐藤の横には、困り果てた顔をした佐藤の上司の星野晴名。
「佐藤……テメェ……」
そして、顔を真っ赤にしてマジでキレる5秒前の元上司の星野直行。
「もう退院手続きは済んだので、ウチの実家のお客さんですぅー」
そんな二人なぞどこ吹く風の二人の部下の佐藤あかり。
「何なのですの、本当に……」
ただ事態に流されるだけの、患者からお客様?へとジョブチェンジした水本鏡花。
睦月総合病院正面玄関の一角には、近寄りがたい空間が形成されていた。
せめて家に帰らせてほしい、という鏡花の切実な願いにより、ひとまずその場は解散し時を改めて睦月駅に集合させられる運びとなった。
(もう二度と近寄りませんわ……)
そう心に固く誓った鏡花だったが、経過観察のために次の診察予約を睦月総合病院で取っていたことを失念していたのはご愛嬌。
数日ぶりの我が家は随分と懐かしい空間に感じられた。
物の少ない1DKの小綺麗な部屋。
あまり生活感が無いと友人には言われていたが、鏡花は改めて見た我が家をそうは思わなかった。
(郵便物とチラシを片付けて)
郵便受けとドアポストにこれでもかと詰め込まれた紙の山に辟易し、
(洗濯物は溜まっていて)
洗濯機の横にある洗濯かごの中身を見て肩を落とし、
(冷蔵庫の整理も必要)
冷蔵庫に残っていた、悪くなっているであろう作り置きのカレーを処分しながら天を仰いでいた。
「この状態で温泉なんて、とてもじゃないけど行けない……」
やはり断ろうと、携帯を取りだして、はたと気づいた。
(あの方にもし断りの連絡を入れたら……?)
気づいてしまった。
もっと面倒臭いことになると。
そう、
「ならそちらにお邪魔して手伝いますよ?いやー、せっかくのお客様を逃すわけないじゃないですかー」
とか言いそう。
一気呵成に片付けてさっさと温泉に行くか。
断って、押しかけてきた佐藤に完全に主導権を握られて、流されるがままか。
しばし鏡花は手を動かしながら懊悩していたが、最近は面倒くさい人に絡まれる機会が増えていたためか、
「……あきらめてさっさと片付けましょう。佐藤さんには遅れるとだけ連絡しなきゃ……」
どちらを選ぶとより面倒くさくないか、判断できるようになっていた。
(わたくし、一応病み上がりなのに……)
だが判断は出来ても、諦められるまでは達観していなかった。
午後三時前。
睦月駅出札口。
「はい。睦月から明松まで乗車券と急行券を二枚ずつ。あと十五時十分の『急行ゆのはな18号』の指定席を取りたいのですけれど。……指定は満席でグリーン車しか空いていないのですか?……ならグリーン券を二枚。ええ、はい」
佐藤と合流した鏡花は、なぜかいきなり、
「鏡花ちゃん、会いたかったよー」
と抱きつかれた挙げ句、後で実家に着いたら払うからと二人分の切符まで買わされていた。
「いやー、悪いねぇ。お客さんに出してもらうなんて」
「後でキッチリ、一円単位で、精算いたしますわ」
「えー。いま私、ドルとユーロとクワチャしか持ってないよ?」
「ならお財布の中身全て頂きますわ!そもそもそれはどこのお金ですの!」
「鏡花ちゃん、鬼畜ぅ。えーっと、ドルはカナダドル、ユーロはフランスとスロバキアとスロベニア発行のもの、クワチャはマラウイだね」
「………………」
おまけに、
『鏡花ちゃん』
なんて呼ばれたものだから、危うく手が出そうになった。
(何なのですのこの方は……)
列車に乗る前から、この場に来た決断を後悔し始めていた。
「って言うかさ、鏡花ちゃん。偉い人ならタダで乗れないの?名刺が切符代わりになるとか」
軽―い調子で職権乱用させようとする佐藤を鬼の形相で鏡花は睨み付けるが、暖簾に腕押し、柳に風。
ここで、
『そんなこと出来るわけありませんわ!』
なんて言ったら思う壺。
精神統一し、
「…………わたくし共の管轄は県境までですわ。それより先は他社ですの。つまり行けたとしても県境まで。佐藤さんはそこからご実家まで歩いて帰ってくださいな」
諦めて説明に徹するしかなかった。
先程までの喧噪はどこへやら。
やって来た列車が発車するやいなや、佐藤は深い眠りに就いてしまった。
(まさかすぐにお休みになるなんて。わたくしが通路に出やすいようにわざわざ窓側に行ったのか、それとも単に寄りかかりたかったのか。まったく、自由な方ですわ……)
分からないものは分からないまま、列車に揺られること二時間弱。
遥か遠くの白姫岳という山に端を発して、水本の街を流れて海へと注ぐ白花川。その川を下流から遡上して行き、大きな街を過ぎていつしか白姫岳が間近に見えるようになった辺りが今回の目的地、明松の町。
時刻は十七時丁度。
明松駅前。
「迎えは……、来てないか。相変わらずサービスの悪い宿だな」
「……ご実家、なのですわよね?」
「そうとも言うね」
「事前にご連絡は?」
「この歳になったら一々しないよー」
「なら来るわけないですわっ!」
「しなくても、人気の旅館ならお客さんの予約があれば、この時間なら送迎の一台くらいは列車の到着に合わせて来るもんよ」
「くっ……」
妙なところで正論?をかます佐藤に歯噛みする思いの鏡花だったが、目を離した隙にいつの間にか佐藤はタクシーを捕まえていたようで、車の横で手招きしていた。
(何なのですの、この方は……)
鏡花が色々と臍を噛み噛みタクシーに乗り込んで、佐藤が行き先を告げる。
「あかり屋旅館まで」
「……!」
どこかで聞いたような名前の旅館に、思わず鏡花は軽い驚き混じりの表情で佐藤を見つめていた。
「……親バカってヤツだよ、鏡花ちゃん」
そう言いつつ流し目を送る佐藤が若干ウザかったが、驚きが勝っていた。
「元は鑪屋旅館っていう、1700年代辺り創業の由緒正しめの旅館だったのに、私の父親が『改築と同時に娘が産まれてめでたい。第二の創業だ!』とか言い出しちゃって周囲の反対を押し切って改名したら、ご覧の有様」
中々ハードな親バカエピソードに、同情するような、仲間意識を感じるような、なんとも複雑な感情を抱きつつも、二人を乗せたタクシーは田舎の国道を一路『あかり屋旅館』に向けて爆走していった。
いつしか白花川沿いに開けた小さな温泉街へ入っていた。
温泉街の中をしばらく走ると、温泉街の一等地とおぼしき一角に車が止まる。
鏡花がここまでのタクシー代を精算していると、佐藤はさっさと車を降りてキョロキョロしていた。
「あかりさん、ここまでの貴女の分の電車賃とタクシー代はトイチでよろしいかしら?」
しかし佐藤は鏡花の怒気などものともせず、
「まぁまぁ、お客さんこちらへどうぞ。……せっかくお客が来てやったってのに出迎えもしないなんて、なってねぇな」
「その……、ところどころ口が悪いのは何なのですの」
「ヤから始まる自由業兼、某タイヤ屋さんがやってるガイドブックの調査員です」
「……………………」
鏡花は近頃考えていることがあった。
(わたくしは、貝になりたいですわ……)
迷いなく玄関をくぐる佐藤について行くと、こぢんまりしているものの遊び心に富んだ装飾にあふれたエントランスとフロントカウンター。
「…………」
先程とは別の意味で鏡花は言葉を失った。
佐藤の実家だと言うから、期待値は地にめり込んでいたが、良い意味で想像の斜め上を行っていた。
見事。
その一言に尽きた。
よく見ると、所々で応対している従業員の接客レベルも非常に高そうだった。
その高い接客レベルが繰り広げられている中、非常に低レベルな会話が聞こえてきた。
「よう兄ちゃん。部屋、空いてるかい?」
なぜか西部劇調な佐藤に、
「申し訳ございませんお客様。本日はあいにく満室でございます。外のゴミ置場でよろしければご案内いたしますが」
負けじとこちらも、強烈な返しをかますフロントの男性。
「じゃ、そこにこちらのお嬢さんを案内してやってくれ」
「承知いたしました。ではまず先にお客様を当旅館の女将より折檻させていただきますので、お待ちください」
「…………HAHAHA!冗談に決まっているじゃないか、弟よ」
「弟になりたくてなったわけじゃねーよ」
どうやら二人は、姉弟のようだった。
「……仲が、よろしいのですね」
とりあえず存在をアピールするため、必死に笑顔を作って二人の会話に割り込む。
「……お客様、お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません」
佐藤(弟)という男性は、平身低頭だったが、
「……ったく、これだから田舎の旅館はしけてやがる」
佐藤(姉)は全く悪びれる様子はなかった。
「……………………………………」
佐藤(弟)と鏡花は、一瞬にして、分かり合えてしまった。
「それでその、できればゴミ置場はご勘弁いただきたいのですが……」
そういう鏡花の顔は若干引きつっていた。
「そう言えば姉貴、」
何事か思い出した、佐藤(弟)が何か言いかけて、
「聞いた。見た。よろしく」
「……承知」
鋭く短いやり取りが姉弟で交わされていたが、鏡花は、
(……部屋はゴミ置場……?)
遠路はるばるそんな貴重な経験をしに来たのか?と不安に駆られていた。
「じゃ弟よ、後はよろしくぅー」
そう言ってどこかに去って行こうとする佐藤に、
「ちょっと待ってくださいまし、一体どういうことですの!」
呆気にとられつつも、鏡花は詰め寄るが、
「まぁまぁ鏡花ちゃん。こんなチンケな旅館だけど、好きなだけごゆるりとお寛ぎください。……なんかあったら呼んでね。じゃ」
左手をポケットに突っ込んで右手を挙げると、さっさとフロントの奥に(勝手に)入って行ってしまった。
「……電車賃とタクシー代…………」
呆然として口を突いたのは、そんな言葉だった。
「あの、お客様。姉の気まぐれでご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」
恐らく苦労性なのだろう、佐藤の弟という男性は佐藤(姉)に代わって深々と頭を下げた。
「いえ、わたくしは……」
「ここまでの交通費は、当然(姉が)全額お支払いいたします。お部屋もおかげさまで満室ではありますが、こういったことに備えて常時一部屋確保してございますので、ご安心ください。ですから不肖の姉が申し上げました通り、是非、気が済むまでお寛ぎください」
「いえ、そこまでして頂くわけには参りませんわ」
「……あのアホをここまで連れてきていただいたお礼です」
「アホ……」
納得しそうになったが、踏みとどまって、
「わたくしが佐藤さんに連れてきていただいたのは事実ですが、お礼をされる程のことは何一つしていませんわ」
そう言い切ったが、
「…………少しはしていますわね」
ここまでの一悶着を考えるとあながち間違ってはいないと思った。
・鏡花のいない夏 その5
鏡花がいないからといって、現場で手痛い出来事があったからといって、止まってはいられなかった。
決算書類や伝票、証憑、帳簿類の保管に不安があるとの訴えが出てきたのだ。
「先の一連の災害のせいで物資などの置場が一時的に必要となり、やむを得ず保管場所として提供しました。ですがそれはあくまで一時的なものです。現状では機密保持に大きな不安があります。いえ、人の出入りが制限されていない以上、機密保持が成り立っていません」
社長室にある、さして大きくもない応接セットを囲む大の大人達。
応接ソファの片側に、高藤、小早川、立花。
その反対側のソファには、鏡花の代理として総務部三課長。
応接テーブルの両サイドのスツールに、ケツの据わりが良いからと名越、テーブルを挟んで対面に秘書として星野。
ちなみに臨時アシスタントのタバサは、
「私?いや、取材だから」
と、そそくさと外出していた。
とにかく関わる人間の多い問題であることを象徴するように、応接セットにぎゅうぎゅう詰めになっていた。
「……会議室にします?」
あまりの狭っ苦しさに名越がこぼすが、
「その会議室四つの内、三つは倉庫に転用してます。残った一つは争奪戦です」
管理課長が事情を説明し、
「その争奪戦に敗れたから、ここにいるんです」
星野に事実を叩き付けられ、
「そもそもあらゆるスペースを倉庫にしてもまだ足りない。だから経理部の倉庫まで使っているんです」
高藤が話を元に戻して、
「ウチも人事書類とか見られたらマズいものが多いんですよ」
人事課長がそれに乗っかり、
「そもそも今、消防さんが来たら一発アウトですよ……」
総務課長が心配を口にすると、
「これでもマシになったんですがねぇ」
小早川も弱ったようにボヤくと、
「だが、使えなくなった拠点やこの災害を機に廃止になった事業所から引き継いだものです。動かそうにも、まず中身を調べて整理しなければ」
立花が別の問題も提起する。
(聖徳太子ってこんな気分だったんだろうなぁ……)
社長室の一角、応接セットの上で繰り広げられる、百花繚乱言葉のバザールに名越はいささか疲れを感じていた。
「皆さんの懸念はよく分かります。実際に問題となっている以上動かざるを得ないので何か考えましょう」
(……鏡花さんがいないときに変に動いて、あとでありがたいお言葉を頂戴するのは、私なんだがねぇ)
ブツブツと何か言うと、名越は腕を組んで右手で頬杖をついて考え始めた。
「……外部に倉庫を借りるのはどうです?」
「一番現実的かもしれませんが、そもそも今から探して契約となると、いささか時間がかかりますなぁ」
小早川のその言葉に、うーんと名越が唸って、また考え始めた。
「……どっかの無人化した駅に置きます?」
「責任は取れません。そもそも一昔前ならともかく、最近は無人化した駅舎の建て替えも進んで、待合室、券売機、改札機といった最低限の機能しか無いところばかりです」
立花に現実を示されるといよいよ案も少なくなる。
しばらく考えていた名越は突然、名案を思いついたかのような表情で、パンっと手を叩くと、
「なら幸か不幸か、今なら遊んでいるコンテナと貨車が運転所にあるでしょうから、」
と言いかけたが、
「コンテナに書類を入れて、貨車に乗せて、運転所か貨物駅あるいはどこかの駅の使っていない線路に留置。邪魔になったら列車を仕立てて移動。編成を分割併合することで高い自由度も得られる」
高藤はそこまで一息で言い切ると、
「良い案ですが、恐らく社長が想定しているコンテナと貨車は、一応ウチ所有の物もありますが、基本的には貨物会社さんの所有なので、その辺りの整理と契約が必要かと」
すべて先に言われてしまうと、もはや名越は出涸らし状態だった。
「もうじゃあ、ウチの適当な物件に突っ込めば良いんじゃないですか。このご時勢ですから空き物件の一つや二つや三つ、あるでしょう?」
名越は投げやりになって、そんなことを言い出した。
「そんな便利な物件無いですよ、社長……」
星野が律儀にツッコミを入れる中、小早川が何やら思案しながら、
「……ありますね」
そんな一言を発した。
「どこです?」
名越が真っ先に食いついた。
その場の全員が声こそ発しないものの、その答えを待っていたが、
「例のビルですよ」
一瞬の静寂の後……、
「はい、解散」
「期待して損したわ」
「小早川さん、いくら何でもそら筋が悪いですよ」
何を言っていると言わんばかりの表情で、口々に否定の言葉が飛び出すが、
「いや、ちょっと待てよ、これこそ妥当な案だろう!」
小早川は食い下がる。
「……まぁ皆さん、一応聞くだけ聞いてあげましょうよ。小早川さんだってメンツってものがあるでしょうから」
これからさもしようもないことを聞かされると言わんばかりの名越の言い草に、小早川は若干イラッとしながらも、そんな顔していられるのも今の内ですよ……、なんて言いつつ話を切り出した。
「確かに消去法かもしれません。でも考えてみてもくださいよ。確認窓口とはいえ既にウチの本社の一部として機能している。それに向こうにも足として自転車を常備しているから移動もそこまで苦にならない。そして現状は確認窓口だけしか置いていないので、ちゃんと管理すれば人の出入りは制御できる。これも大事なセキュリティですが、防災センターに要員が常駐しているのでここの倉庫とは天と地の差。そしてなにより……」
そこまで言うと、小早川はなにか口にすることを躊躇っているようだった。
(これを言うのは反則か?しかし既に事実としてそう動いている。なら俺が何を言っても変わらない)
「……小早川さん?」
名越が訝しがるが、小早川は肚を決めたように、
「そしてなにより、……この建物は既にベイローレル本社としての役目を終えつつある」
沈黙。
先日の経営体制変更など大きな出来事や、災害からの復旧作業が続く日々で、記憶の片隅に皆が追いやっていたことが、ついに分かりやすい現実として俎上に載せられた瞬間だった。
誰も、何も、全く口にしなかった。
分かっていて、見て見ぬ振りをして後回しにしていた問題。
少しずつ色々な問題に道筋が付きつつある中、あの日に受けたダメージをその一身に背負ったまま満身創痍のベイローレル本社屋。
「言いたいことは分かります。ですが、この話の流れでは諸手を挙げて賛成はできませんね。今の話はあくまで書類の保管場所を変えたいという話です。……その先は、少し早まったものじゃないですかねぇ」
最初に口を開いた名越は、あくまで慎重だった。だが小早川は退かず、
「俺は、そうは思いません。むしろその順番が来たと、そう考えています」
曲げるつもりはないようだった。
(いんや、どうしたもんだか。考えはよく分かるし、そうしたいんだが……。いやまいったな)
名越は目で周囲を伺うが、誰も、誰とも目を合わせようとしていなかった。
(ですよねぇ………………)
ふぅー、っと細く長く息を吐き出すと、名越は、
「別件です。明確に別件です。必要性は分かっていますが、今はそこまで話を広げる気はありません」
そう言い切った。
「そう、ですか……」
小早川は意気消沈気味だった。
「ただ、書類の保管先としては非常に合理的な選択なのだとは理解できました。現状維持ではさすがにマズいので急いで手を打つ必要がある。……ですから移動は最低限の物にしましょう。高藤さん、経理の書類を全部とまではいかないにしろ、機密性の高いものが移動できればひとまず問題ないですか?」
そう話を振られた高藤は、小早川に目をやりつつ、
「ええ……、とりあえずは」
らしくない歯切れの悪い返事を返した。
「細かいところは追々詰めるとしましょう」
主な出席者からの了解の旨の返事が揃って、さてお開きとなりかけたところで、
そうだ、と何か言い忘れた名越の声がした。
「あぁ、そうだ。もう一つ。鏡花さんが戻ってきたら、私と鏡花さんでこの件に関して、再度協議します。その際に『否』との結論が出たら、例のビルへの荷物の移動はその時点で中止。外部に別途倉庫を借りるなり、別の方策を再検討します」
「それじゃあ……!」
誰かが言いかけたが遮って、
「そうならないように努力します。……ですから各自できることを進めてください」
なんとも言い難い空気のまま、その場は解散となった。
社長室に残ったのは名越と星野の二人。
「社長。どうするんですか?」
「どう、ねぇ」
「結局、話は進んでいないと思うんですが」
「いや、進んでますよ。ただ鏡花さんを置き去りにして進められるほど軽い話ではない。ただそれだけですよ」
「そう、ですか」
椅子に座っていた名越は立ち上がると、体を伸ばし始めた。
「いやしかし。着任からたった三ヶ月ほどで、社長の一存で物事を進められなくするんだから、鏡花さんは大した人だ、っと」
いち、にい、さん、し、と体を動かしている姿からは、とてもそんなことを思っているようには見えなかった。
「そうなんですか?」
「ええ、そうですよ。……ただまぁ、それはそれで問題なんですが」
「……そうなんですか」
夏の日は、否応なしに進んでいた。




