第二話 夏の色は、私の色 前編・上
車掌の入江より、車内で急病人発生との一報が輸送指令に入り、連絡を受けた輸送指令は直ちに消防に連絡し、救急隊の出動要請をした。
次の停車駅が有人駅だったので、入江からその駅の駅社員に鏡花の介抱を引き継ぎ、運転再開した頃には列車はすでに十数分遅れの発車だった。
引き継ぎを済ませ、遅れを取り戻すべく再び列車の乗務に戻る入江が見た鏡花の姿は、
(少し見ない間にやつれてたな……)
そう思わせるには十分な、弱り切った姿だった。
水本市から少し離れた街にある病院。
その日の事務当直者が救急搬送の受け入れ要請の電話を取ったのは、そろそろ深夜になろうかという時間だった。
(今日は平和だなぁ……)
そう思いながら巡視に出ようとしていたところ、静まりかえった病院の外来にけたたましく電話の呼び出し音が響いた。
事務当直者は、反射的に救急受け入れメモとペンを片手に電話に出た。
「はい。睦月総合病院でございます」
「お世話になります。睦月救急です。二十六歳女性の収容依頼です」
電話は案の定、救急隊からだった。
慣れた様子で、患者の状態を聞き取ってゆく。
「はい、二十六歳女性ですね。列車内で倒れた。頭は?打ってない。バイタルは?熱は37度7分。7度7分ですか……、SATが96%。血圧が上88、下65。既往は?あぁ、なるほど……。こちらで受け入れ可能なら、何分くらいで着きますか?十分から十五分。……分かりました。少々お待ちください」
いったん電話を保留にしてから、聞き取った内容に思うところのあった事務当直者が内線で呼び出した先は、当直の医師ではなく、
「はい。救外、星野です」
七月の朝は、夏至を過ぎてもなお、陽が高くなるのが早かった。
(いんや、しかし。社長さんってのはしんどいねぇ……)
そんな中を、寝ぼけ眼でノソノソ歩く名越だった。
とても一企業の責任者とは思えないが、周りの変化する速度に追いつけていないのは本人も自覚していた。
「星野さんにはなんて言うかねぇ……」
先日来の懸案をどうするか、名越の目下の課題だった。
(まぁ、謝るのは当然として。少しばかし強く言い過ぎたからねぇ……)
のったら、くったら。
疲れた背中の猫背で本社に向かって歩いていると、まだ始業まで時間はだいぶあるのに、幾人かのベイローレル社員に抜かされていた。
その度に、「おはようございます」と挨拶を交わして、さっさと抜かして行く。
水本駅から歩いての通勤。
何人に抜かされたか分からなくなって来た頃、
「おはようございます」
と挨拶を交わしたはずの相手が、背後から微妙な距離でついてくる気配を感じていた。
さすがの名越も、抜かさずに微妙な距離でついてくる人の存在は無視できず、立ち止まって振り返ると、
「おんや、まぁ」
「……おはよう、ございます」
星野がどこか所在無げにしていた。
「いや、どうしたもんだかねぇ……」
思わず名越の心の声が漏れた。
「どうしたものとは?」
どうも未だに頭が働いていない名越から、
「いやね、どうやって星野さんに謝ったもんだかと。ほれ、だいぶアレなこと言ったでしょ?相手がタバサならねぇ。…………ダメだね。秘孔を突かれるわ」
ズルズルと考えが声として出てきた。
「あの……」
考えがまとまらなかった結果、出てきたのは、
「この間は言い過ぎた。申し訳なかった」
実にあっさりとしたものだった。
「なんだか、タバサの時を思い出してねぇ……。アレも結果的には何とかなってるけど、他人の言うこと、というより私の言うこと聞くようなタマじゃないからねぇ……」
突然謝ったと思ったら、言い訳のような、思い出語りのような、よく分からない話を聞かされそうになった星野は、
「……分かりました。分かりましたから、早く行きましょう……」
「そうは言いますけどね。これでもだいぶ無理を押し通したと思って、反省してるんですよ」
「はいはい、分かりましたから。あとで話は聞きますから、ね」
「夢を持つことは良いことですよ。私の夢はぶっ潰れちまいましたけどね」
「うんうん。それは大変でしたね」
そんなやりとりをしながら本社へ向かう二人。
その内の一人の心の内は、
(これも仕事、か。ある意味良い勉強になるけど、これじゃあ、動物の散歩だよ……)
あちらを立てれば、こちらが立たず、といった具合だった。
動物の散歩の後に待ち受けていたのは、痛恨の一撃だった。
「鏡花さんが倒れました」
先程、名越を抜かしていった総務課長が努めて冷静に事態を伝えた。
「…………はい?」
「……水本部長が昨夜、電車内で倒れたとのことです。睦月駅で降ろされて近くの病院に救急搬送されて、入院したそうです」
名越も、星野も、その話を聞いてもすぐには動けなかった。
星野は驚きと、どこか心当たりがあったような表情のまま固まり、
「…………あぁ、そう…………」
そうつぶやいて名越は思わず、天を仰いだ。
「………………あぁ、そう………………」
もう、それしか言葉が出てこなかった。




