第二話 であい 前編
災害発生から数日後。
彼女はカメラと鞄を肩に提げ、「報道」の腕章を着けて、沿岸地域の集落「だった」場所に向かって歩いていた。
まだ春先だというのにまるで夏のような容赦ない日差しそして、陽炎。
地図を確認すると、今歩いているのは海岸沿いの集落と浜街道と呼ばれる国道を繋ぐ田舎道のはずだった。だが、足元にあるものが道路か畑か、判別が付かなかった。
時折、車体下部を泥だらけにした軽自動車とすれ違う。何かを乗せているが、家財道具だろうか、それとも……。
一歩、また一歩進むごとにカメラや鞄が彼女の肩に食い込み、覚悟と後悔を感覚として体に刻み込む。
足元が悪いので意識が下に向きがちだったが、ふと思い出したように立ち止まり周囲を見渡すと、辺り一面が開けていた。なにか往時の痕跡でもないだろうかと思うも、見渡す限りに不自然な水たまりと小山のようなもの、所々で上がっている砂埃。ただそれだけだった。
まだ内陸にいるはずなのに、海風が全身に容赦なく叩き着けられる。
遮るものがなくなって自然の海岸に戻ったからだろう。
聴覚は、風切り音に支配されたような感覚になる。
どれくらい歩いただろうか。距離にすれば数キロ、恐らく普段なら小一時間ほどの道だろう。しかし普通ではない場所を歩いていたせいか、それとも道すがら何度もシャッターを切っていたからだろうか、腕時計を見ると、思っていた以上の時間が過ぎていた。
先程までの殺風景な道から景色は一変することはなかった。それでも、感覚で目指していた集落に着いたのだと知った。
やや内陸を通る国道から見えた景色はここだったのか、それすら分からない。
彼女にできることはただ一つ、目の前の事物を記録して発信すること。その一念だけを心にし、それ以外の感情には全て蓋をした。
瓦礫の山と化した住宅とおぼしきもの、不自然に開けた土地、猛烈な粉塵が舞う道路。
無心で記録した。
だが、感情の全てに蓋をしたつもりでも、当然彼女は人間であった。
「大切な何か」を亡くしたのであろう女性が、瓦礫の横にへたり込んで俯いていた。
反射的にカメラのレンズを向け、ファインダーを覗く。
だがシャッターに収めたその姿は、空に向かって泣き叫んでいた。
空に向かって泣き叫ぶ声が聞こえる。
しかし、彼女は記録以外何もできなかった。
彼女は、後にその写真で評価されることになる。だが、そのことを語る彼女の言葉には、あの日の陽炎のような、ぼんやりとした疎外感がいつも付きまとっていた。
「私には、答えがない。失った人たちにはそこが故郷なのかもしれない。けれど、私がそれを口にするには、決定的に何かが足りない」
大災害発生の報を聞いた時、タバサ・クライスタールは母国にいた。
当日は、ある国で政変が起きたとのことで取材の準備を進めていた。一報を聞いた彼女は、報道カメラマンという職業柄大抵のことには動じないと自負していたが、昔留学していた国の、しかも友人がいる街が大災害の中心と聞くと本人も記憶が定かではないというほど動揺を隠せず、ただその街に行く一心で行動を起こした。今までの実績とあらゆるツテを使い、現地の「南方日報社水本支局特派員」として文字通り急行した。
だが飛行機で半日、空港から、途中南方日報社の事務所を経由して自動車で一昼夜以上かけて到着した現地で、彼女は何も感じることができなかった。いや、感じさせるものがなかった。
津波の到達点に近い国道沿いの小高い空き地から見えたものは、一面の「無」だったのだ。
視界一面から生活の痕跡が消え去っていた故に、何も感じることができなかった。
そして何かを感じ、何かを記録するために向かった海岸沿いの集落では、逆に濃密すぎる感情に触れた彼女の足取りはやや覚束なかった。
途中からは、彼女なりの職業意識が彼女を動かしていた。
ただ、そんな彼女をある場所へと向かわせたのは職業意識ではなく、感情だったのかもしれない。
「株式会社ベイローレル……」
中心街から海側に外れた場所にある五階建ての年季の入った建物。
所々ガラスにひびが入り、建物自体もくすんでいるせいか余計に古く見えた。
電源を切って半開きの手動式となっている自動ドアを開けて中へ入ると、一階フロアには、段ボール箱や資機材、さまざまな物資が所狭しと並べられ、雑然と積み上がっていた。建物の外観とは裏腹に機能は失っていないらしく、人の出入りは激しく、また四方から人の声が聞こえた。そこでやっと人心地着いた気がした。
しかし、カメラと鞄を肩に提げた女性、腕章には「報道」の文字。こんな状況の社内では明らかに場違いで、誰何されるのは当然であった。
「……あの、失礼ですがどちら様でしょうか。当社に何かご用ですか?」
歳の頃は二十代前半だろうか。若い女性だった。顔には疲れが滲んでいたが、それでも応対はしっかりしていた。
「失礼しました。私、タバサ・クライスタールと申します。こちらに名越一馬さんという方がいらっしゃると思うのですが」
若い女性の顔が、きょとん、とした顔になる。
こんな時、こんな場所にいきなり外国人が現れたら驚くに決まっている。そう思う一方で、災害の報を聞いた時から頭の奥に貼りついたままの不安が頭をもたげる。
「あ、え、ええ。あの、差し支えなければご用件を……」
ネームプレートを見ると「ベイローレル 総務部総務課 星野」と書いてあった。
「友人に会いに来ました」
星野の表情が、ほんのわずかに変わった。
本社四階応接室。
久しぶりの再会を果たした二人だったが、挨拶もそこそこに、応接室には剣呑な空気が満ちていた。
「……しかし、このクソ忙しい時によくいらっしゃいましたな。この街は不幸のどん底だから仕事になる、ってか」
最初に口火を切ったのは名越だった。あまりに刺々しい言い方に、タバサも一瞬言い返しかけたが、なんとか飲み込んだ。
「……忙しい時に来たのは謝る。取材で来たのも事実。けど、それだけじゃない」
名越の言葉の端には、疲労とも苛立ちともつかない粘りがあった。
「それだけじゃない、ねぇ……。なんにせよ実に嘘くさい取って付けたような適当な理由だこと」
抱えきれない責任と現実の只中で、突然、気を許せる相手が現れた。その取り合わせが、今の名越には悪すぎた。名越はずっと右手で頬杖を突いたままタバサのことを見ていたが、視線を合わせようとしない。
「本当のことを言わないってだけで嘘つき呼ばわりなら私、嘘まみれだね」
タバサは反論の言葉を、ぐっ、と飲み込んだ。本当のことを言えば、いろいろな意味で名越を助けに来たのだ。だが、それを正面から言えば、名越はきっと受け取れない。それだけでもなかったが、今は言えなかった。
だがその姿が名越には、何かを隠したように見えた。
「あんたは本当に隠し事が好きな性分だねぇ……。隠す、ごまかす、はぐらかす。あんたはいつもそうだねぇ。随分と嫌われているのか何なのか知らないけれど」
「……嫌いだから言わない、イヤだから隠してるとかそんなことはない。言いたくないこと、言えないことがある。ただそれだけ」
二人の間に沈黙が落ちた。時計の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……実は一つお願いがあるんだけど」
本当は、この場で切り出すつもりはなかった。だが、名越の荒みきった様子を前にして、心配もしたし、拠点が必要なのも事実だった。だからせめて、言うだけ言ってみようと思った。
「友人を冷やかしに来ただけじゃ飽き足らず、厚かましくもお願いとは、随分と都合の良いことで。まぁ聞くだけ聞きましょうか」
「ここを拠点に取材したいから、ちょっとしたスペースでいいから、使わせてもらえない?」
名越の表情に分かりやすく怒りの色が差した。
そしてしばらく目を閉じて、自分に言い聞かせるように絞り出した。
「……あんたも勝手な人だね。でもまぁ、やれって言うならやりますよ。ご自由にどうぞ。細かい話は後で適当に」
「……ありがとう」
名越が、話は終わり用はないと、立ち上がり出て行こうとする。
その背中は、猫背に丸まり疲労が表れていた。だからタバサは言わずにはいられなかった。
「泣きたいなら、泣いた方がいいよ」
「言われなくても毎日泣いていますよ。今日なんて久しぶりに会った友人に、いきなりお願いされたんですから。明日なんてきっと社内で変な噂が立って涙の雨ですよ」
名越自身、今の言葉が皮肉なのか嫌味なのか、もう分かっていなかった。ただ、何かをぶつけずにはいられなかった。
そういうことじゃないんだけどな、とタバサは諦めたような表情だった。
「総務部長の名越から話は聞いています。弊社を拠点に取材活動をされたい、と」
応接室を辞去したタバサは、星野の案内で階下に降りた。最初に紹介された女性は、明らかに歓迎していない目でこちらを見ていた。
自己紹介では経理部長の高藤と名乗っていた。
「ですが、南方日報社の記者の方なら支局を拠点にされないのですか」
至極真っ当な疑問だった。いくら急事とはいえ、赤の他人の所に転がり込むのだ。しかも大組織の看板を背負った人間として。
「何分急だったもので。普段はフリーの報道カメラマンをしているのですが、政変の取材から急遽予定変更したので、立場は何とかできても、足場は。一応他に考えがあったのですが、あえて名越さんにお願いしました」
高藤が露骨に警戒心を隠さず、タバサを値踏みするような目で見ている。
やはり胡散臭いと思われても仕方ないか、と別のアテを探そうと考えていた矢先、
「そこまであからさまに警戒するなよ」と軽い感じの、しかし疲労が混じった声が割って入った。
歳の頃は高藤と同じくらいだろうか。疲れを滲ませながらも、場の空気だけは崩さない、つかみ所がなさそうな男だった。
「こちらでも先方に確認が取れました。今の所責任者は総務部長ですから、その総務部長がOKしたのなら、こちらは異存ないですよ」
その話を聞いた高藤の警戒心が多少和らいだ気がした。
「申し遅れました、小早川と申します。営業部長を務めています、よろしく」
小早川が折り目正しく挨拶をしてきたので、タバサも挨拶を返す。
「PCはご自身のがありますか?でしたらそれを使ってください」などと二、三質問のやりとりの後、
「このあいだから大部屋の隅が物置になっているだろ?そこにスペースを用意しておいてくれ」と指示を出すと、星野は準備に取りかかるため行ってしまった。
「すいませんバタバタして。本当ならもう少しもてなしができれば良いのですが……」
小早川の言葉の歯切れが悪い。代わりに高藤が言葉を継いだが、その声は低かった。「正直に申し上げて、今の当社には余裕がありません。インフラも、資機材も、資金繰りも、およそ考えつく限り、どこを取っても綱渡りです。そこはご容赦いただきたいです」
苦境が察せられた。今まさに目の前の二人は優しくない現実と戦っているのだ。
「この状況で場所を貸してもらえるだけで、ありがたいです」
そう言っていただけると助かります、と小早川が苦笑した。
「……総務部長、荒れていたでしょう?部下と言いますか、年長者として申し訳ないです」と突然頭を下げられてしまう。高藤はその姿を見てため息をつく。
タバサが慌てて、顔を上げて下さいと言うが、頭を下げたまま
「だが、悪く思わないで下さい。ウチの会社は恥ずかしながらオヤジ、ああすいません、社長の長屋におんぶに抱っこの所があって、その長屋が不在の今、指揮命令の責任を全部引っ被っているんです。勘弁してやってください」
突然の出来事に戸惑いと困惑が隠せないタバサは、つい感じた疑問を口にする。
「えと、あの、その『オヤジ』さんは今どちらに?」
口にしてから、しまった、と思った。この場で「いない」を問うのは――。
小早川と高藤は悲愴な表情だった。
小早川が何とか重い口を開いた。
「現場の指揮を取ると言って出て行ったきり……。ここから更に海側に営業所があるのですが、そちらで見かけたとか、他にもいくつか目撃証言は出ているのですが……。なんでこんな時に限って……」
ここもまた被災地であった。
タバサは記録する気にはなれなかった。




