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故郷と呼べる場所   作者: 那珂湊
第三章 それが「約束」
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第四話 ひとひらの重み 前編・中

『例のビル』への五月下旬の確認窓口開設が正式決定した。

 それに伴い、三階大部屋は二ヶ月ほど時を巻き戻したかのような喧噪に包まれていた。

 だがその喧噪から、名越は一人距離を置いていた。いや置かれていた。

 全く無関係ではないのだが、確認窓口開設の説明から実務の取り仕切りまで、総務部長である鏡花の管掌と決まっていたので、出番があまりなかった。

 実際手伝おうとしても、

「問題はありますが、本部長のお手を煩わせるほどのものではありませんわ」

 と、サラリと流されてしまうのだ。

 しかも、

「最近小早川部長から面白い考え方を伺いましたの」

 と何を言い出すのかと思ったら、

「わたくしが設定したタイムリミットは『五月下旬』でした。本来であれば一日でも早く、となるところです。ですが小早川部長曰く、下旬は三十一日まである。つまり五月三十一日の二十三時五十九分までに形になれば問題はない、とのことでしたの」

 と、なんだか耳の痛い理屈で突っぱねられてしまった。

 なかなかの高火力で名越に刺さる一言だったが、恐らくそれは、表向きの理由。

 名越も鏡花の言わんとするところは理解しているつもりだった。

 つまり、

「やるべきことを、やらにゃいかん、か……」

 名越は名越で、重い、とても重い課題に向き合わねばならなかった。


 長屋と連絡が取れなくなったあの日からずっと、うっすらとだが考えていた私案のようなものは常に形を変えつつ頭の中にあった。

 だが、そんなことはおくびにも出さなかった。

 出した途端に何かが喪われ、壊れる。そんな確信めいたものがあった。

 いざそれを出さざるを得ない時に、自らの言葉で形にできるのか、名越には自信が無かった。

 なんだか日を追うごとにギラついていく鏡花とは対照的に、名越の目は日に日に死んだ魚のようになっていった。

 ここ数日の名越は、自席と社長室、――座るのはあくまで応接セットだが――を行き来していた。

 三階大部屋の喧噪から避難すると共に、一人で考えたかった。

 正確には、最近はある程度頭の中で固定されてきたこの案を出して良いものか、踏ん切りがつかなかった。

 応接セットのテーブルで、裏紙をA5サイズに切ってクリップで留めた束に、名越は青色ボールペンで次々に思いついたことを書き連ねていったと思ったら、丸めてゴミ箱に投げ捨てる。

 何も思いつかないと、ぐるぐると丸を書いて、インクを浪費してはまたメモ紙を丸めてゴミ箱へ。

 無言でそんな非生産的な行動をすること、小一時間。


 意を決したように、無言そして無心で文字を書き連ねていた。

『三名が基本』

『代表取締役事業統括本部長:名越一馬、専務取締役兼運輸事業部長:立花恒一、取締役経理部長:高藤香』

『代表取締役事業統括本部長:名越一馬、専務取締役兼運輸事業部長:立花恒一、取締役営業部長:小早川純二』

 そこまで書くと考え込み、『バランス悪い→ムリ』と書いて、大きくバツを付けて丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

 再び、無言そして無心で文字を書き連ねていた。

『三名が基本』

『代表取締役事業統括本部長:名越一馬、専務取締役兼運輸事業部長:立花恒一、取締役総務部長:水本鏡花』

 そう書くと再び考え込み、『立花さん→確実に断る、キョウカさん→?』と書いてからしばらく考えてから、その下にまた一文書き込んだ。

『代表取締役事業統括本部長:名越一馬、取締役総務部長:水本鏡花』

 さらにその下に文字を書き込もうとして、手が止まった。

 そして名越の動きも止まり、思考も止まった。

 三名が基本。

 だが、三名でなければならないわけではない。

 代表も、一人でなければならないわけではない。

 ここまで、あえて書くことを避けていた人物がいた。その人物を加えれば一応は成り立つ。

 だがそれで良いのか?

 呵責を覚えつつも、最後に書いた案に名前を書き加えた。

『代表取締役社長:長屋浩、代表取締役事業統括本部長:名越一馬、取締役総務部長:水本鏡花』

 その一文を書いた名越は、最近とみに目をギラかせている鏡花の姿を思い浮かべた。

(あたしゃ、一体どこまであの子を底なし沼に引きずり込む気なのかねぇ……)

 その案を誰にどうするべきか。

 まだ決められなかった。



 裏で名越が一人沈思黙考する中、鏡花は確認窓口の開設で悪戦苦闘していた。

 自分自身で論理的な道筋の組み立て、実行する。一言にすれば簡単だが、経験と体力が物を言う段階になると、鏡花もその部下である総務、人事、管理の三課長には及ばなかった。

 物品移動など段取りは総務課長、必要な人員を選抜して差配するのは人事課長、そして本社と第一ほしふりビルなど現場作業の指揮は管理課長。

 そう仕事を割り振ったのは鏡花だが、心の中に得体の知れない焦燥感があるのは確かだった。

 その焦燥感に突き動かされるように、ロッカールームへ向かった。

(……わたくしも何かやらなければ)

 他人に任せて自らは席で大人しくしていられないのは、数少ない鏡花の欠点でもあった。


「わたくしも手伝いますわ」

 そう言って、臙脂色のジャージ姿で三階大部屋に現れた鏡花を見た三課長は同時に、

(あちゃー……)

 といわんばかりの反応をしていた。

(まず何から突っ込もうか)

 三課長の間で視線が交わされる。

(誰が行く?)

(お前が行け!)

(俺かよ!)

 さらに激しく、三課長の視線が交わされる。

(何て言えばいいんだよ?)

(とりあえず、『()()()』を傷つけないように何か言え)

(いや、しかしなぁ……)

 ちなみに意外かもしれないが、鏡花のことを苦笑と敬意を込めて『姫大将』と呼ぶ程度には、三課長からの評価されていた。

 最初こそ、若造がさらに若造を上に据えたようにしか見えなかったので、三人とも既に削れていた体力に加えて、気力もごっそり削られた。

 当然、自分たちの出世がしばらくはない、と言う事実もモチベーションを下げた理由の一つだった。

『お嬢様が何しに来た。遊びじゃねぇんだぞ』

 それが本心だった。


 しかし蓋を開けてみると、良い意味で期待は裏切られた。

 仕事や部下のためなら、例え相手が名越であろうがガンガン物を言う姿勢、相手が納得するまで話をして、相手の方がより良い話なら素直に話を聞く態度、何より仕事をする人間への敬意。

 そんな鏡花は、着任からひと月過ぎた頃には前任者を上回る評価を得ていた。

 三課長の前任者への評価が普通より少し低めだった、ということもあるが……。

 だからこそ、鏡花の数少ない欠点に接したとき、彼らは困ってしまうのだ。

 最年長の総務課長に至っては、鏡花とは親子ほど年が離れているものだから、余計に困惑していた。


 結局その最年長の総務課長が、「あー、そのですね」と声を上げた。

「部長はですね、その、デンと構えて私達に指示するのが仕事だと思うのですが……」

「ですが、このようなときには人手が必要だと思いますの。それに他に仕事があるのは皆さん同じですわ」

 今後、社内で度々見られることになる光景の始まりの一コマだった。



 結局、三課長だけでは止められず、星野や他の社員総出で止めた『姫大将』の出陣など、途中、多少のゴタゴタもあったが、無事確認窓口の開設を迎えた。

 第一ほしふりビルの一階壁面にあるフロア案内板には、新たに見慣れない名前が加わったことで空白の時代が終わりを告げた。

『株式会社ベイローレル総務部 確認窓口』

 そして、ロビーには真新しい案内板が立っている。

『確認窓口 三階』

 受け取る場所ではない。

 止まっているものの行き先を、見えるようにする場所だった。

 だが、その新たな試みを示す看板を前にして、若干問題視している人物がいた。

「しかしまぁ、ようやっとここまでこぎ着けたけど、場所が三階ってのが、またなんとも……」

 確認窓口とはいえ、偶然にも現在の本社と同じく総務の機能が三階の広いフロアにある。

 名越はそれを天の配剤かそれとも悪戯か、測りかねていた。

「仕方ありませんわ。元々一階には防災センターなどのビル管理機能がありましたし、二階は当初は打ち合わせスペースなどを想定したようで、改装している時間的余裕はない。となると三階でしたの」

「なんだか意味深に見えるねぇ……」

「大々的に説明している以上、確認窓口にしか使いませんわ」

(……時間の問題でしょうけど)

 ポツリと、本当に微かな声だった。

 それが名越には聞こえてしまった。

 鏡花の言葉に色々思うところがあったが、名越はそれをグッと飲み込んで、一言だけ伝えた。

「……それ、誰にも聞かれないようにね」

「はて、なんのことやら」

 名越は胃が痛くなるような思いを抱えながらも、窓口のある三階へ向かった。


 開設早々、確認窓口には早速実務が持ち込まれ、窓口当番の社員と窓口に来訪した社員がやり取りを交わしていた。

「この書類は、この窓口に出せば良いんですか?」

「確認しますので、ちょっとお待ちください。……この書類はここですが、こっちの書類は経理の確認が必要です。ですので、この紙に書いてある場所に行ってください」


 傍から稼働の様子を見ていた名越が満足そうにしていた。

「良いじゃないですか。機能してますね」

「……まだまだですわ」

 対して、同じものを見ているはずの鏡花は、窓口の向こう側を見るような目でつぶやいた。

「まだまだ、ねぇ……」

 随分厳しい評価だとは思ったが、言わんとすることは名越に伝わっていた。

 確認窓口は、動き始めた。

 少なくとも、現場から持ち込まれた書類のいくつかは、行き先を得た。

「ええ。決まっていないものが、まだありますもの」

 だが、未だ鏡花の手元にある対外用説明案は取り残されていて、主の定まらぬ代表者名の欄は、白いままだった。



「社内への通達なら責任者欄で足ります。つまり総務部長名で出せます。ですが、銀行、行政、取引先向けの説明となれば、法人として誰が出すのかが重要です」

 第一ほしふりビルの空き部屋で、高藤は資料をそろえてそう言った。

 説明は理路整然としたものであり、反論の余地はなかった。

「そりゃそうなんですがね。そう簡単に『俺がやる』とも言えないのが、またなんとも……」

 名越は言い淀んだ。


 六月に入り、確認窓口は本格稼働し、いよいよ内外共に災害からの復旧作業への更なる注力、そして復興へと目を向ける余裕ができてくる。


 はずだった。


 名越が一人で壁の前を右往左往していたはずが、その後ろにはいつの間にか会社全体が連なり、みんなで壁の前を右往左往していた。

 そのことを名越が眼前に突きつけられたのは、高藤が資料を持ってきた今朝方のことだった。

「本部長。まさか既成事実を作るだけ作って押し切る気、ではないですよね」

「流石にそこまではやりませんよ。どうにも考えがまとまらんと言いますか、整わないと言いますか……」

「確認窓口の説明文書は整っています。ですが、外に出す分はここで止まります」

「どこです?」

 朝一で頭が回っていないとか、名越にも色々言い訳はあったが、素で聞き返してしまったのがマズかった。

「……………………代表者名です」

 一瞬、般若の面が見えた気がしたが、ため息と共に返ってきたのは一言だけだった。

 とりあえず、この場を何とかしなければという思いと、分かっていたが、来てほしくなかったものが来たという思いの末、出てきたのは、

「とりあえず、ここではなんなので、場所を変えましょう。時間は大丈夫ですか?あと誰を呼ぼうかな。鏡花さん、今から時間空いてるかい?」

 そんな言葉だった。

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