表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
故郷と呼べる場所   作者: 那珂湊
第三章 それが「約束」
PR
22/32

第三話 ほしふり、そして、あまのがわ 後編

「『第一ほしふりビル』って、社内では『例のビル』とか呼ばれてるよね。……なにがあったの?」

 水本駅のほど近く、喫茶店「さくら」。

 タバサは、名越と鏡花を対面に、取材とも雑談ともつかない問いを投げかけた。


 立夏を過ぎて、初夏を迎えた午後の日差しを横目に、三人で茶菓子を囲み、表向きは優雅なお茶会。だが水面下では腹の内の探り合いが繰り広げられようとしていた。

「まぁ、そうですなぁ……。()()()()()()のは確からしいけどねぇ……」

 名越は答える気がない。歯切れの悪い言葉が「その話題に触れてくれるな」と物語っていた。

「明確には言えないことがあると?」

「いやまぁ、そこまでご大層なものではないと思うんだが……」

「……名越さんはそう言ってるけど。水本さんも当然事情はご存じですよね?決して評判が良いとは言えない移転先。対外的にはリスクとなり得るのでは?」

 鏡花は特に動じるでもなく、決して優雅さを崩すことはなかった。

「確かに、弊社の手に渡るまでにいくつか事情があったのは事実です。ですがあくまで『()()()()()()()()()()()()』程度です。巷間に流布しているのはあくまで断片的な情報であって、全てを知る人間は非常に限られていますわ。それに現時点で、使用に当たって何ら支障はありませんわ。なにせただのオフィスビルですもの。リスクとリターンを勘案した上で決定した、健全な企業活動の一環ですわ」

「……問題ない、ですか。しかし未だに断片的な情報が出回っているなら、それらを総合して、事実に迫ろうと考える人も出るのではないですか?」

「あら。それはつまり、貴女のことではありませんの?」

「否定はしません」


 会話の途切れた空間には、名越がテーブルを指でトントンと弾く音だけが聞こえていた。

「しかし、一体どこの誰がそんな噂話をしてるんだか……」

 名越は、口元に運んだティーカップを止め、歯噛みせんばかりに苦り切っていた。

「ベイローレル社内でもそれなりの人数が。あと、支局でも少し変な反応をされました」

「支局でも、ですの」

 対して鏡花は、わざとらしく驚いたように聞いていた。

「なにを言われようが聞かれようが、決めたことをいともたやすく覆せるほど、ウチは余裕のある状態ではないんですがねぇ。現在の本社屋の状態はご存じでしょう?それを踏まえた上で敢えて聞いていると解釈すると、当社の決定に何かご不満でもあるようだと、そう考えざるを得ないんですがね。そもそもそれなりに前から『移転するかもよ』とは伝えていたでしょう?」

「……移ることは聞きました。案が出ていたことも、決まったことも、名越さんはちゃんと教えてくれました」

「そりゃそうですよ」

「でも、そこがどういう場所かは聞いてない。つまりいつの間にか関係者になっていて、知らないまま見過ごす側には戻れなくなった。支局では、本社移転ですかって聞かれた。外からは事実じゃなくて、印象で見られてる。これだけは言っておくけど、記事にしたいんじゃない。知らないまま移ることだけはしたくない」

「社外への説明として、どこまで開示するかは別問題ですわ。本部長もご判断なさったのでしょう?」

「いや、まぁ……。この街でどう見られているかまでは、正直、掴み切れていませんし、なにをどう言われても人の口に戸は立てられぬ、と申しますから」


「……質問を変えましょう」

 タバサは、コーヒーカップを置いて、静かに切り出した。

「私はどうすればいいの?」

「……どういう意味かね」

 名越は、そう返すまでに少し間が空いた。

 問い返したというより、若干の戸惑いの声だった。

「そのままの意味です。私は、移ることを知っている。そこが何かありそうな場所だということも、もう知ってしまった。でも、御社からは何も説明されていない」

「説明できる範囲と、説明すべき範囲は分ける必要がありますわ」

 鏡花が静かに言った。

「では、その範囲は誰が決めるの?」

 タバサは、鏡花をまっすぐに見つめた。

「名越さん? 水本さん? それとも、第一ほしふりビルを『例のビル』と呼んでいる人たち?」

 まっすぐな問いであるが故に、まっすぐには答えられなかった。



「記者さんって怖いんですね」

 その声に思わず三人同時に声の主の方向へ振り向いた。

 声は隣の席、名越と鏡花の背後からだった。

 いつからそこにいたのか、名刺入れを片手にした若い女性が、困ったように笑っていた。

「申し訳ありません。聞くつもりはなかったんですけど、聞こえてしまいまして」

 と言いつつ、名越たちのテーブルの横に、すすすっと移動してきた。

「失礼ですが、貴女とは以前どこかでご挨拶させていただいているはずだったかと……」

「はい。名越本部長とは昨年、御社の安全大会の時にご挨拶をさせていただいてます」

「あぁ。あの時にやった講演会の付き添いで来られていた、………………牛深さん?」

「……本渡と申します♪」

 ニコニコと営業スマイルで名刺を三人に差し出した。


『南海証券水本支店法人第二部 本渡あすか』


「……ははは、冗談ですよ。本渡さんね。覚えてますよ。いやはや、どうも人名を地名の括りで覚えてしまって、いけませんなぁ」

(顔は覚えていたが、肝心の名前を外したか)と作り笑いで名越は名刺を交換した。

「こちらは、本渡あすかさん。なぜ都合良くわたくしの後ろにいたのかは存じ上げませんが一応、わたくしの知り合いの方ですわ」

 鏡花がこめかみの辺りを押さえながら紹介した。

「本渡です。よろしくどうぞ」

「ははあ。水本部長のお知り合いの方でしたか」

「へぇ、本当に世間って狭いんだね」

 タバサは交換した名刺と鏡花と本渡の顔を見比べていた。

「そうなんですよ。でもまさか南方日報の美人カメラマンの方とお会いできるとは思いませんでした」

「……ははは。そんな大層な者ではないです」

(あー……、鏡花の反応の意味が分かった……)

 グイグイ来る本渡に、さしものタバサも押され気味だった。

「で、本渡さん。念のため確認ですが、あなたどこから話を聞いていたのかしら?」

「全部です」

 潔い一言に、はぁ……、と鏡花は深いため息をつくしかなかった。

(注意はしていたけど、迂闊でしたわ……)

 そんな鏡花の反応を見て、本渡が慌てて言い訳する。

「本当に聞くつもりはなかったんです。でも後ろから知っている声がして、しかも面白い話をしているので、ご一緒できれば」

「本渡さん」

 その鏡花の声で本渡は、虎の尾を踏んでしまった、と感づいた。

「水本さん、今のは聞かなかったことにしていただけると……」

「それは難しいですわね」

「ですよね。鏡花さん、昔からそういうところありますもんね」

 虎の尾を踏むだけでは飽き足らず、足まで踏み込んでしまった。

「……今のも、聞かなかったことに」

「一度ならず、二度目ですわ」


(やっちゃったね……)

(やっちまったのぉ……)

 鏡花と本渡の関係性がおおよそ掴めた名越とタバサは、そんなやり取りを横目に顔を寄せて声を落として話していた。

(でも、どうすんの。聞かれたらマズい相手なんじゃない?)

(まぁ、鏡花さんが圧をかけてるから大丈夫だと思うが……)

(とりあえず、この話の続きはまた今度で)

(いや、ちょっと待ちなさい。……続きは丸投げしよう)

 何事か思いついたようすの名越は、鏡花と本渡の間に割って入った。

「まぁまぁ。鏡花さんもその辺にしましょうや。それに面白い話をご一緒できるなら良いじゃありませんか」

「本部長、ですが……」

「面白いと知っているなら、話をご一緒していただけば良い。よく知らない人間が話すよりよっぽど楽しい。そうでしょう?」

 名越のその言葉で、鏡花は意図を察した。

「……そうですわね。わたくしが間違っていましたわ。『第一ほしふりビル』について、わたくしたちが知らないこともご存じでしょうから、人数は多い方が良いですわね」

 そして、妙に優しい声で誘った。

「本渡さん。わたくしたちと楽しいお話、ご一緒にしましょう?」

 鏡花の目が笑っていない笑顔を前に、本渡は抵抗する。

「いや、でも、部外者が何でもかんでも首を突っ込むのは良くないでしょうから、やはり丁重に辞退させていただきたく」

 だが、葱を背負った鴨を、名越と鏡花はみすみす逃しはしなかった。

(弱点と秘孔は、突くためにある!)

「水本部長。最近ウチも何かと入り用だから、資産の整理をしようと思うんだが。具体的にはなんたら証券の投資信託とか」

「そうですわね。手許現金が厚いに越したことはないですから、是非そういたしましょう。今すぐ高藤部長に連絡しますわ」

「……楽しいお話にご一緒できて、光栄です」

 本渡は今まさに、鴨としておいしく食べられようとしていた。

(ホント、名越さんもいつもこのくらい頭が回っていればねぇ……)

 遠い目をして、そんな場違いな感想を抱いていたタバサにとっては、話が聞ければどちらでも良かった。


「ご存じの通り、第一ほしふりビルはただの空きビルではありません」

 諦めた本渡は、そんなことを言った。

「第一ほしふりビルが、ただの空きビルではない理由は、何ですの?」

「平たく言うと、信用の再構築が必要だった物件だからです」

「信用、と来ましたか。随分と穏やかじゃない理由だねぇ……」

 腕を組み右手で顎を撫でながら、難しい顔をしていた。

「はい。不動産としての価格や立地だけの問題ではありません。誰が持っていたのか、どういう経緯で空いたのか、次に誰が入るのか。そういうものを見られる物件でした」

「だから、駅近の好条件でも空いていた」

「ええ。条件が悪くて空いていた訳ではありません。普通の空きビルとして見てもらえるところまで戻すのに、時間がかかったんです」

「普通の空きビルとして見てもらう」

 鏡花は自分の知らない領域の話に敏感になった。

「ええ。普通に見えるようにするのが、一番高くつくこともあります。お金だけではなく、信用も」

「確かウチの長屋たちが随分苦労して処理した話、ですね」

 そこまでは名越も聞いた話だった。

「そこは、私から詳しく申し上げる話ではありません」

「長屋社長、高藤部長、小早川部長……」

 鏡花は心当たりがある名前を挙げた。

「……そのお名前が出るなら、私から補足することはありません」

「しかしながらそれでも、今は使う理由がありますからねぇ」

「当時と今とでは事情が異なります。むしろ、ベイローレルさんの物件になってから時間が経った今なら、使わない理由はないでしょうね」

「なら」

「でも、そのビルを使う利点と、今も残る信用の傷。その二つは、まだ天秤の上で釣り合ったままなんです。どちらへ傾くかは、誰にも読み切れないと思います」

「わたくしは、一時的にはマイナスでも長期的にはプラスだと思いますわ」

「信用のバランスねぇ……」

「結局、外から見れば、見たいように見える。……そういう場所なんだよ、あのビルは」

 三者三様の思惑を乗せて、時は進んでゆく。


「……あと今更ですが、この件に関しては私を巻き込まないでいただけると助かります」

「もう遅いですわ」

「ですよねえ……」

 本渡は予防線を引こうとしたが、バッサリ切り捨てられた。

「一応、礼儀として名刺をお渡ししましたが、呼ばれたら困ります」

「本渡さん」

「はい」

「名刺を渡すということは、連絡先を示すということですわ」

「……そういう解釈もできますね」

「できますわ。つまり、何かあったら連絡ください。そういう意思表示ですわ」

「ですよねぇ……」

 逃げられないと悟った本渡は、がっくりと肩を落とした。

『例のビル』はやはり一筋縄では行かなかった。

 使う理由と使うべき理由。そして、その説明は『例のビル』が抱える信用の傷を上回るものでなければならない。

 初夏を迎えた午後の日差しは、重い言葉を置いて、既に帰り支度を始めていた。



 本社は本社の動きを見せる中、現場も着実に運転再開区間を拡げていた。

 実質トップである名越の机上には、昨日立花が提出した最新の臨時ダイヤグラムがあった。

 鉄道のダイヤグラム作成と運用は、運輸事業部長の管轄事項である。例年、ダイヤ改正直後から一年かけて幾人もの人間が、秒単位の微細な調整を繰り返し、無数の関係機関が時にぶつかり合いながら作り上げる精緻な作品ともいえる。

 そして役員である名越がその制作過程に直接関わることはない。手元に来たときには、既に完成された作品なのだ。


 その、本来ならば一年かけて造り上げられる作品が、この一、二ヶ月の間で何回も再提出されている。


 本来であれば今年の三月にダイヤ改正が実施されていた。そして五月も終わりの今頃は、来年のダイヤ改正に向けた制作過程の最中のはずだった。

 だが今年は実施されなかった。

 作品そのものは名越の手元にある。にも関わらず、日の目を見ることは叶わなかった。

 理由は明らかで、

 『災害が起きた』

 からだった。


 名越はそんな幻のダイヤグラムと昨日提出された、現実のダイヤグラムを見比べていた。

「……随分と寂しいもんだね」

 つぶやいて、思う。

 現実のダイヤグラムは優等列車と貨物列車がすっぽりと抜け落ちて、普通列車も区間運転のみで数えるほどの線の数。紙幅のほとんどが空白と言ってもよかった。

 対して幻のダイヤグラムには、現実にはない色付きの線、その線の横には列車番号、列車名、号数が割り振られていた。

「上り、202M、特別急行『あまのがわ』2号」

「下り、1201M、急行『ほしふり』1号」

 一本の列車を示す線をなぞりながら、声に出していた。

「ほしふり、そして、あまのがわ」

 名越にはその無機質な線が、有機的に繋がって見えた。

「なんで、そんな名前にしたのかねぇ……」

 第一ほしふりビル。

 特急ではなく、急行の列車名称。

 深い意味は無いのかもしれない。

 そんなことを考えながら、幻のダイヤグラムを左から右へ、時系列の進むに任せて流し見る。

 左上から右下へ、左下から右上へ。

 縦横無尽に見えて、全てに意味のある線。

 やがて線をなぞっていた指が止まる。

 その一点はある列車同士がすれ違う位置を示している。

「下り、1201M、急行『ほしふり』1号」

「上り、1202M、急行『ほしふり』2号」

 しばらくその一点を指差したまま、考えていた。

(『第一ほしふり』は、始発駅の発車が早い順としたら……)

 考えても詮無いことかもしれない。

 何度考えても深い意味はなく、ただの番号なのだろう。

 だが、なにか感傷に浸りたい気分だったのだ。

「果たして、この街から去りゆくものだったのか、それともこの街に呼び込むものだったのか……」

 今となっては分からないことだった。



 翌日、名越の机上には幻のダイヤグラムの代わりに、現実のダイヤグラムならぬ、現実の社内向け説明案を星野が上げていた。

 第一ほしふりビルへの確認窓口移転はとにかく説明を要するものながら、動き始めるとここまで早いものかと名越は感心していた。

「もう案まで来ましたか」

「水本部長が、口頭説明だけで進める訳にはいかないからと。社内向け説明案をアレンジして、対外説明にも活用するつもりだそうです」

「なるほどねぇ。内外に説明が必要なのは、その通りですからね」

 名越は説明案のページをめくりながら、よく考えられていると、その手際の良さに感心していた。

「現本社の応急危険度判定での要注意判定、現行導線の混乱、個人情報を扱う確認場所の確保。この三点を主な理由にしています」

「第一ほしふりビルそのものについては?」

「……移転先として記載しています」

 社内説明案に目立たないように記載された物件名。住所と水本駅近傍であることを前面に出して強調していた。

「随分露骨に隠している、とまでは行かないにしろ、名より実を見ろとアピールしてますね。まぁ、これだけやっても足りないでしょうね」

 複雑そうな顔をしている名越の表情を見て、星野が問うた。

「追記しますか?」

「追記で済めば良いんですが、これ以上やってもキリが無いでしょうね」

「では」

「所属長会議の議題に上げましょう。確認窓口の移転、第一ほしふりビルを使う説明、それから……」

 少し間が空いた。これからはこういった、敢えて触れてこなかったことに触れなければならない、その心の準備が必要だった。

「……移転の責任者を誰にするか、ですね」

()()()、ですか」

「そう。責任者です。机を動かすだけなら、この間みたいに抜け駆けして私が押し切ればいい。いくらでも社内で曖昧にできます」

 そこで名越は自嘲気味に笑ったが、すぐに話は違うというように切り替えた。

「ですが、会社の名で物件を外へ動かすなら、最後は代表者の署名です。……けれども長屋さんは、署名できない」

「……」

「これを曖昧にすると、私はたぶん逃げますよ。地の果てまでも、水平線の彼方へも。だから、議題として取り上げるんです」

 逃げると宣言した名越は妙に堂々としていた。そんな名越の言葉に星野はクスッと笑いながら返した。

「……逃げると言うような人は、あまり逃げないと思います」

「いやぁ、それほどでも。買いかぶりすぎですよ」

「……では、議題に入れます」

「よろしくお願いします」

 ウチのお偉いさんは、すぐ調子に乗る。そりゃタバサさんも苦労する訳だ。

 星野は、どうにも素直に重くなれないお偉いさんをあしらいつつ、名越の言う、敢えて触れてこなかったことに触れなければならない場を整えにかかった。


 駅社員の書類は、ようやく終わった。

 第一ほしふりビルの窓口は、まだ開いていない。

 その名前は、所属長会議の議題に載った。

 ただ、対外説明にも回すというその案の一番下――代表者の署名欄だけが、まだ空白のままだった。

 それは長屋の名では、もう書けない欄だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ