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故郷と呼べる場所   作者: 那珂湊
第二章 「空」を見上げて
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第四話 逢魔が時 前編

 客人を送り出してからも、名越は社長室に残っていた。

 照明は消えていたが、茜色に染まった室内は明るく照らされていた。

 階下のフロアの喧噪から切り離され、不気味なほどに静かだった。

 鏡花との話はまとまった。

 あとは四月一日を待つのみ、とは行かなかった。


 名越にとってはここからが更なる難所だった。

(必要な人に来てもらう手筈は整った。けれど社内の反応が読めない。恐らくは様子見と反発その両方。出来ればある程度社内外を納得させた上で受け入れたいが、俺には難しいな……)

 最後まで諦めたくはない。だが、結局悩んでいても痛みを受け入れるしかない。

 色々な考えが脳裏をよぎっては消えてゆく。

 目の前の社長室には、窓側から夕日の朱色が広がっている。

 だが時と共に徐々に暗闇の気配が強くなる。

 一方は明るく夕日に照らされ、もう一方は既に暗くなっている。

 そして自分の座っている場所は、丁度今その中間にあると気づいたとき、


「……逢魔が時」


 そんな言葉が口をついて出た。

「逢魔が時」

 もう一度繰り返してみる。

 黄昏時、という方が一般的なのかもしれない。

 だが今の名越にとってこの時間は、「逢魔が時」であった。

 考えるほどに少しずつ、魔が差したとでも言うべき考えが心を染めて行く。

 そしていよいよ、自分の座っている場所からも夕日は遠くなる。


 夕日は、一つだけ言葉を残していった。


 昔どこかで聞き覚えのある言葉。

 インターネット、テレビ、新聞、はたしてどこで聞いた言葉だったか。

 意味合いからして、決して褒められた行動ではない。

(何でこんなことばかり覚えてるんだか……)

 下らないと思っているのに、思考がどんどんその言葉に寄って行く。

 吸い寄せられるその言葉から逃げるためか、無意識に、

「黄昏時」

 と口に出していた。

 しかしそのどこか優美な語感に対して違和感が拭えなかった。

(時間がない……。一定の理解は得られない。どう転んでも痛みからは逃げられない。どうせ痛いのなら……)

 夕日が暗闇への置き土産に残していった言葉。

 その実現性を考える。

 実権は、幸か不幸か現状では自分が握っている、と言っても過言ではない。

 今ならば、およそ考えつく会社運営に必要な道具すべてにアクセスできてしまい、大抵のことを自分が差配できてしまう。

 やろうと思えば出来る。

 だが、最終手段だ。

 考えれば考えるほど、更にその言葉に引き寄せられていった。

(これから引き入れる人間は、この会社としては切り札とも言える。なら迎え入れる者としては、混沌としているなりに整理しておく必要がある)

 夕日は遠く沈み行こうとしている。

 一人残された社長室はいつの間にか暗くなっていた。

(整理。いまの体制には鏡花さんを当てはめられない。最低でも役職者、出来れば一部門任せられると実行力も伴う。経理は、カネが回らない。営業は、規模が大きすぎる。運輸は、論外。総務は……。総務は……?)

 暗い中で考えついた私案は、不思議と綺麗にはまっているように思えた。

(総務部長を任せたとして、部署の規模も大きすぎず、理由を付けて内外にも口出ししやすい。なら俺の行き場は?)

 これは、行けるのではないか。

 完全に暗くなった頃、考えが具体化する。

(無役の取締役でも良いが、実務を考えると弱い。新たに役職を作るか?例えば事業統括本部長とか……)

 最終手段は、いつの間にか最適解に思えていた。

(期限は六月末。逆に言えば六月末まで保つ、非常体制。その後の体制は六月末までに形になれば良い。外部向けには復興三カ年計画発動とか言っておけば……)

 しばらく逡巡していたが、もはやその考えしか頭になかった。

 聞き慣れないからこそ残った言葉。


「自己クーデター、ねぇ……」


 本当に答えはそれだけだったのか、もはや分からない。

 言葉は尽くそう。言い訳がましくそう思う。

 だが、やろう。そう決めた。


 準備は、深く、静かに進んでいた。社内でも、社外でも。



 夕方、早めにベイローレルへの移籍準備を切り上げて、一足先に駅近くの喫茶店「さくら」の窓際の席で鏡花は待っていた。

「お待たせ。忙しいところごめん」

「いえ、わたくしはタバサさんの臨時アシスタントですから。先生がお呼びなら万難を排して地の果てでも行きますわ」

「鏡花さんは本当に地の果てまで来そうで怖いね」

「あら、名越さんには負けますわ。きっとあの方ならタバサさんの一大事とあれば地球上であればどこへでも行かれますわ」

「……大人の怒り、教えてあげようか?」

「ただのお友達ではないのでして?」

「ただの友人です」

「……と、まぁ突然の呼び出しへの意趣返しはこの辺りにして。タバサさんのことですから、ただの取材ってことではなさそうですわね」

「相変わらずいい性格してるね……。まぁ取材ではあるんだけどね、なんていうのかな、この間の件のあと、少しだけ名越さんと話すことがあったから、なにを吹き込んだんだろうと思って」

「あら、名越さんは早速約束を守ろうとしていらっしゃるのですわね」

(なんとか名越さんは見限られずに済みそうですわね。タバサさんの我慢強さに感謝されるべきですわ)

 内心一息つく鏡花に対して、タバサは「やっぱり、コイツか……」という表情に、一つまみの怒りを加えて、

「そんな余計なことをするために乗り込んだわけ?」

「あくまで目的の一つですわ。名越さんに取り付けた『お約束』といった所ですわ」

 この点に関しては、深入りしても逆効果と悟った。

「この間、鏡花さんからリークのあった名越さんとの面談の後、何人かに、あの人は誰だって聞かれたよ。知らないって言ったけど。みんな一々来客なんて気にしていられないから気づいてない、ってだけかもしれない。けど、」

 多分ちゃんとした答えは返ってこないだろうが、聞かずにはいられなかった。

「一体なにをする気?」

「随分直球ですわね。わたくしが悪事を働こうとしているように見えまして?」

(個人的には既に一つ悪事をなされてるんだけど……)

 そう思いつつ、考える。

「そうだね……。悪事を働こうとしているようには見えないけど、ベイローレルに行くってことは、今いる所は辞めるわけでしょ?」

「ええ。年度末に急に言い出したので大顰蹙を買っていますわ。それに引き継ぎが忙しくて大変ですの。おかげで少しの間二足のわらじになりそうですわ」

「ご実家の方は?そっちでも仕事があるんじゃないの?」

「そちらは元々両親たちがメインで、私は名前だけですの。ですから元々居場所ではありませんわ」

 タバサの予想通りの答えだった。

(退路は断った、か。しかも突然の退職だから失敗しても戻る場所は、ない。だからといって実家に戻ったとしてもすぐ仕事にはならなそう)


「そこまでして、何がしたいの」


 質問に笑顔で答える。

「何がしたいより、何ができるかが大事ですわ」

 あくまで鏡花はタバサの質問に真正面から答える気はないようだった。

「……あえて私に情報を流したってことは、私を使って情報を広めたいか、観察させたいか。名越さんに会う前にスパイごっこまでして情報を取りに行ったということは、恐らく後者と思っているんだけど」とタバサも食い下がる。

「そうですわね……。その見立ては間違ってはいませんわ。そう思って頂けていると思ったからこそ、あまりスクープされたくないお話しをしたわけですもの」

「信用するに値するか試したってこと?」

「身も蓋もない言い方をすると、そうですわ。でも最初からタバサさんなら下手に口外しないと思っていましたの」

 それだけではないですわ、と言うと、

「タバサさんは半分狙って、半分成り行きでこの場面を見ていらっしゃると思いますわ。でも本当の狙いが気になった、というのもありますわ」

 タバサが、それは、と言いかけて、鏡花に先手を打たれる。

「それはどういうことか?なぜこの街に来て拠点を構えたのがベイローレルなのか。来て早々にひと悶着あってもなお居続けるのはなぜか。あくまでタバサさんなりのお考えでしょうから、わたくしには推察するしかできませんけれど、少なくとも個人間のなにかでは語れないものがベイローレルにはある。そう考えていますわ」

「……取材者の視点として、インフラの復旧はどん底から街が生き返る過程が分かりやすい。そしてベイローレルは事業分野が広いから多角的にアプローチできる。被写体となるものも多い。カメラマンとしても記者としても、こんな良い位置は手放せないでしょ?」

 タバサも鏡花の質問に真正面から答える気はないようだった。


「………………」

 お互いの間にしばし沈黙が流れた。

「お仕事、順調そうでなによりですわ」

「決して楽ではないけどね。でも誰が何を抱えているかが見えるから戦場よりマシ、だね」

 言葉は二人を照らす夕日ほどには穏やかなものではなかった。

 ただなにか、得るものはあった。

 こうしてまた一日、さくらが咲く四月一日が近づいて行く。



 三月三十一日。

 年度末のこの日、明日から始まる新年度へのラストスパートさなか、三階大部屋の総務部所属の社員へ総務部長よりメールが飛んでいた。よくある一斉連絡の類いなので、その文面や内容になにか特別性を見いだした社員はいなかった。


『総務部各位。業務ご苦労様です。先日回覧したとおり、入社式等新年度行事は今般の時勢を鑑み中止となります。但し新入社員の人事労務の手続きや昇任者及び人事異動者の手続きや物品等の移動への協力要請があると思われますので、ご協力をお願いします。』


 だれも文面の中に、裏の意図が隠されているとは夢にも思わなかった。

 社内でこのことを知っているのは、名越のみ……。


 ……ではなかった。もうひとり、しかも名越と同じ三階大部屋にいた。

 そのことを知る由もなく、未だ気まずいその人物に名越は、先日来の決まりの悪さもあって、かなりぎこちなく声を掛けた。

「……どうも」

 その人物であるタバサはあくまで静観していた。名越はどうもギリギリまで、もしかしたらその瞬間まで『新入社員』のことを隠しておくつもりらしい、そう気づいたのはこの一日、二日だ。

「あー、なんだ、今お時間よろしいかね」

「まぁ、別に」

 言うが早いか、名越はタバサの机の横にある丸いゴミ箱に腰を掛ける。

「……あのさ、そこ座るところじゃないんだけど」

「……ケツの据わりが良いんだ」

(そういうことじゃないんだけどな……)

 タバサが席に座り、名越がゴミ箱に座ると、必然的に机の影に名越が隠れて、タバサを見上げる姿勢になる。

 先日の出来事以来の言葉を交わしていない上に、何かしらの決着もついていないせいで空気は重かった。

 しばらくお互いに目を合わさずに沈黙していたが、タバサは諦めて話を促す。

「まぁ、なんだ。明日から少し机の配置が変わるんで、そのお知らせに」

 話の中身からして『あの件』だろう。タバサは確信していた。

「あ、そう」

「新人さんが入る都合でな。今はバタついているから夜のうちに私がやるんで、よろしく」

「ふぅん」

 努めて興味がない風に装ったが、その人物を知っているタバサは気が気ではなかった。

(夜のうちって……。しかも自分一人で準備して、やっぱり当日に明かす気?何考えてるの、この人)

「……まぁ、それだけです。多少この机の周りも荷物とか増えるかもしれんが、勘弁してください」

「はぁ、どっこいしょ」とゴミ箱から重い腰を上げると、じゃよろしく、とだけ言って名越はそそくさと大部屋から出て行ってしまった。

(明日は荒れるんだろうなぁ……)

 他人事のはずなのに、当事者二人を知るタバサにとっては他人事とは思えなかった。



 二十一時過ぎ、大部屋にいる人間は殆どいなかった。

 残業をしていた社員は名越が「明日から頑張れ」と無理矢理帰らせた。

 残っているのは名越と星野、それに部外者のタバサだけだった。

 タバサはベイローレルの指揮命令系統の外なので強く言えなかったのもあるが、

「これから何があっても、私は何も見ていない。本当にダメならその時声を掛けて」と言われてしまい、仕方なく放置していた。

 だが星野はあえて残らせていた。

 以前若手社員の経験として、各部署の若手社員を代わる代わる長屋と行動させて社長秘書的なことをさせたことがあった。その時星野は名越の推薦で長屋に付いていた。

 だから事実上の代替わりの一部を見届けさせたかったのかも知れない。

 周りは帰しているのになぜ自分は、と星野には不審がられたが、「今後の為に良い経験になるから」と言って残らせた。

(我ながら流石に意味不明だったから、タバサが居座ってくれて結果的に助かったな)

「星野さん、遅くまで残って貰って申し訳ない」

「いえ、ですが模様替えなら人手が多い方が良かったのでは?」

「まぁ、なんだ。理由は明日には分かるよ」

 そうして名越の席を横にずらし、名越とタバサの間に上の階から持ってきた役職者用の席を用意した。

 最初こそ星野は意味が分からなかった。名越とタバサの間に新たな『役職』が物理的に生まれた光景を見ても、やはり理解に苦しんだ。

 名越に意図を問うても、「まぁ、こういうもんだから」と返事は答えになっていなかった。

 唯一理解できたのは、明日何かが大きく変わるということだけだった。



 二十三時過ぎ。

 星野を遅くまで手伝って貰ったからとタクシーで帰し、いよいよ三階大部屋にはお互い離れたところに座る名越とタバサだけになった。

 そして名越は一つの書類を作成して見直していた。

 書類の通し番を管理する台帳には自分で記入し、年度最後の書類であるはずの番号から一つ足した番号を採番した。

『本社人事通達、株式会社ベイローレル、取締役総務部長、名越一馬。下記人事を四月一日付で発令する。総務部長名越一馬、現職を免じ、新たに事業統括本部長を任ずる。水本鏡花、新たに総務部長を任ずる。以上』

 何度も何度も書類を確認する。

 本当にこれで良かったのか。何度も自問自答したが、最後にはこれしかないとねじ伏せた。

 そして、会社印を押した。

(もう後には退けない。反省しても後悔はしない、ただそれだけのこと)

 名越の机には鏡花を迎えるための書類や名札が並んでいた。

 通達文、雇用契約書などの書類、そして『総務部長 水本』と書かれた名札。

 それらをぼーっと見つめながら、無意識だったのだろう、声を掛けた。

「おーい、タバサ。起きてるか?」

「……なに?」

 話しかけた方も、話しかけられた方も、その夜に限っては先日来の気まずさがどこかへ退いていた。

「本当にこれで良かったんかねぇ……」

 名越は頭の後ろで手を組んでいた。

「……分からない」

 パソコンの画面から目を離さず答える。

「だよなぁ……」

 会話はそれだけだった。

 お互いに何のことを指しているかは言わなかった。

 それで何かが元に戻ったわけではない。

 だが、なんとなく通じた気がした。

 なんとなく明日への不安を誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

 誰かに分かってもらいたかったのかも知れない。

 そうして夜は更けて行く。

 時計は四月一日午前零時過ぎ。

 すべてが効力を発した。

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