第7話:王都脱出と馬車という密室
命の危機を感じ、夜明けと共に王都を脱出します。 元・箱入り令嬢(中身社畜)には荷が重い逃亡劇ですが、相棒のマリエルさんが頼もしすぎました。
……頼もしいのですが、設定に少々難ありです。
マリエルが放った「処理」という言葉。
それは、私の耳の奥で、鉛玉のように重く、冷たく転がり続けていた。
(冗談や、比喩じゃない。これ、ガチなやつだ)
脳裏に蘇るのは、私を「不良債権」と断じた父の冷徹な会計士のような目。私に「野垂れ死ね」と吐き捨てた母の、床に落ちた食材を見るような侮蔑の眼差し。
あの二人なら、やる。
「家の恥」であり、今や「隠し子」という最大の弱みを握る(ことになってしまった)私を、この世から物理的に消すことなど、何のためらいもないだろう。
(過労死したと思ったら、次は暗殺死!? 冗談じゃない、死にたくない! 二度目の人生、スタートダッシュでデッドエンドとか笑えない!)
安宿の硬いベッドに横たわったまま、私は着の身着のままでガタガタと震えていた。
隣の簡易寝台(ベッドは私に譲られた。元主人への最後の情けか)からは、マリエルの静かで規則正しい寝息が聞こえてくる。
(……この子、肝が据わりすぎでは……? 自分の仕組んだ復L讐劇のせいで、自分の元主人が『処理』されそうになってるのに、スヤスヤ寝られるの!? メンタル鋼鉄か!)
恐怖のせいか、あるいは隣で寝息を立てる少女への畏怖のせいか、私は一睡もできないまま、窓の外が陰鬱に白み始めるのを待つしかなかった。
夜明け前。まだ鶏も鳴かない暗闇の中、マリエルはシリアルの袋を開けるより静かに起き上がると、私を叩き起こした。
「お嬢様、ご準備を」
寝ぼける間もない。昨日買った、地味な麻のワンピースを手渡される。
公爵令嬢(元)が着ていたシルクとは比べ物にならない、ゴワゴワとした粗末な生地。肌が擦れて痛い。確実にタグが肌に当たってるタイプの不快感だ。だが、そんな文句を言う余裕は、今の私にはなかった。
㠠最大の問題は、この燃えるような赤毛。王都でも悪目立ちしていたこの髪は、逃亡者にとって致命的すぎるシグナルだ。
マリエルは、私の長い髪を無言で、しかし恐るべき手早さで三つ編みにすると、頭の後ろで雑にまとめ上げさせた。
そして、くすんだ色の頭巾を、私の頭に深く、深く被せた。
「お嬢様」
ほとんど前が見えない視界の先で、マリエルが指示を出す。
「今日から、あなたは私の『病気の姉』です。決して顔を上げてはいけません。常に俯いて、時折、苦しそうに咳き込んでください」
(……指示が具体的すぎる! この子、絶対逃亡経験者だ!)
まだ薄暗い中、私たちは乗合馬車の乗り場へと急いだ。すでに王都を出る人々でごった返している。
マリエルは人混みをかき分け、まるで勝手知ったるオフィス街の売店のように手際よく「20日先の宿場町(彼女の実家の最寄りらしい)」までの切符(木札)を二人分購入し、私を馬車に押し込んだ。
馬車がゆっくりと動き出し、やがて、王都の巨大な門(検問所)に到着する。
(来た……! 人生二度目の、最大の関所!)
私の心臓が、社畜時代の「抜き打ち監査」や「社長巡回」以上に激しく高鳴る。(ここで捕まったら『処理』される! 社会的にじゃなく、物理的に!)
「止まれ! 荷台の全員、顔を上げろ。身分証の準備!」
鎧の擦れる音と共に、衛兵の野太い声が響く。
私は、恐怖とマリエルからの演技指導がごちゃ混ぜになり、本気で「ゲホッ、ゴホッ! ヴォエッ!」と激しく咳き込んだ。
「うるさいな!」
衛兵が馬車の幌を乱暴にめくり、私を睨みつけた、その瞬間。
「申し訳ありません、衛兵様!」
マリエルが私の前にすっと立ち、衛兵の手に、素早く銀貨を一枚握らせた。手際が良すぎる。
同時に、懐から(どう見ても昨日今日で作ったとは思えない、年季の入った偽の)身分証らしき羊皮紙をちらりと見せる。
「姉(私を指す)が流行病(うつる病気)で……。一刻も早く、田舎の療養所へ連れて行かなければならないのです」
「なっ……流行病!?」
衛兵は、手のひらの銀貨の重みと「流行病」という最悪の単語に、明らかに顔を歪めた。
「チッ! 面倒な……。さっさと行け! 行け! 二度と王都に戻ってくるな!」
彼は、まるで汚物を払うかのように、雑に手を振った。
無事、王都の分厚い城壁を通過し、馬車が街道を走り出す。
私はようやく、止めていた息を(演技の咳と共に)吐き出した。
(助かった……。ていうか、マリエルさん、手際が良すぎる! 賄賂に偽造IDに嘘八百! スキルセットが完全にスパイのそれ! ……あと、私の扱いが『流行病』って! もう少しマシな嘘はなかったの!?)
だが、安堵したのも束の間。
乗合馬車の中は、確かに「密室」だったが、二人きりの密室ではなかった。
他にも、商人風の男、赤子を抱いた母親、疲れた顔の行商人たちが、車内の気まずい空気に揺られている。
聞きたいことは、山ほどある。
(「追手って本気なの?」「隠し子の詳細は?」「ていうか、あなたの本当の目的は何!?」)
私が、マリエルに小声で話しかけようと身じろぎした、その時。
隣に座るマリエルの手が、私の膝に置かれた手を、**強く、**握り潰さんばかりの力で掴んだ。
ビクッ、と私の体(と心臓)が跳ねる。
(「――ここでは話すな」)
無言の、しかし絶対的な圧力が、彼女の冷たい指先から伝わってくる。その握力は、彼女の華奢な見た目からは想像もつかないほど強かった。
私は、自分がこの恐ろしく有能な元メイドに、完全に生殺与奪の権利を握られていることを、改めて痛感した。
日はとっぷりと暮れ、馬車は最初の宿場町に到着した。
マリエルが手配したのは、王都の宿よりもさらに簡素な、馬小屋の二階を無理やり改築したような安宿だった。
「追手を警戒し、宿を変えながら移動します」
小声でそう告げられ、私は「はい」と頷くしかない。
ランプ一つしかない、薄暗い部屋。
私が、長旅の疲れと緊張でガチガチになった体をベッドに腰掛けようとした、その時だった。
私の背後で、マリエルが部屋の扉に内側から鍵をかけた。
カチャリ。
王都の門を通過した時の安堵とは、比較にならない。
t冷たく、重い、拒絶するような金属音が、私の鼓膜を震わせた。
逃げ場は、ない。
マリエルが、ゆっくりと振り返る。
ランプの頼りない光に照らされた彼女の青い瞳は、人形のように、何の感情も映していなかった。
「さて、お嬢様。……いえ、ロザリアさま」
彼女は、静かに、しかしはっきりと、私の名を訂正した。
「王都も離れました。追手も(今のところ)ありません。少し、現実的なお話をいたしましょうか」
お読みいただきありがとうございます。
偽造ID、賄賂、演技指導。 マリエルさんのスキルセットが完全に「カタギ」じゃありません。 そして主人公の設定は「流行病の姉」。衛兵に汚物扱いされましたが、おかげで検問は突破できました。
しかし、一難去ってまた一難。 宿に入り、鍵をかけた瞬間のマリエルさんの変貌……。 逃亡者同士の協力関係かと思いきや、空気は一変します。
次回、『復讐者マリエルの告白』。 なぜ彼女はここまで用意周到なのか。その真意が語られます。
「マリエルさん怖カッコいい!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、 ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!




