第6話:発覚、そして逃亡の支度
前話のラストで衝撃の事実(隠し子)を突きつけられた主人公。 あまりのショックに、物理的に心臓が止まりかけました。 まずは再起動(セルフCPR)からスタートです。
「……お嬢様が15の時に、ご出産なさった」
マリエルの無慈悲な宣告は、乾いた咳払い一つ許さないような、安宿の重く澱んだ空気へと溶けていった。
私は、今しがた鼓膜を通過したその単語群を、頭の中で反芻する。……いや、理解を試みる、というより、まず音節として認識するのに、正確に十秒を要した。
じゅうご、さい。
しゅっさん。
か・く・し・ご。
脳の奥深く、前世(佐藤葵)の倫理観が叩き込まれた区画で、けたたましく警報が鳴り響く。
いや、待て。落ち着け、私。
この中世ヨーロッパ風異世界スタンダードなら、あるいは……?
いや、ない。絶対にない。
公爵令嬢が十五で未婚の母。それは「スキャンダル」などという生易しいゴシップ記事の見出しではない。問答無用の「破滅」、一族郎党まとめて社会から抹殺されるレベルの致命的なバッドステータスだ。
ヒュ、と喉が引き攣り、まるで壊れた笛のような音を立てた。
薄い酸素が肺に届かない。
私はゆっくりと、まるで他人のもののように重い右手を持ち上げ、左胸――そこに在るはずの、生命維持装置(心臓)を、服の上から鷲掴みにした。
(……あ、れ?)
感覚がない。
いや、そんな馬鹿な。ここで私が死んだら物語が三行で終わってしまう。だが、感覚として、完全に、沈黙している。
(……ダメだ、止まった。心停止。再起動、再起動しないと……!)
```
S_A_T_O_U_A_O_I_は_過_度_の_衝_撃_で_死_に_ま_し_た_。
R_E_S_T_A_R_T_し_ま_す_か?_
>Y_E_S_
>N_O_
```
チカチカと点滅する脳内のエラーメッセージに、私は(前世の知識に基づく)応急措置を敢行した。
蘇生だ。セルフ心肺蘇生だ。
自分の胸を、無言で、強く、ドン、ドン、と圧迫し始めた。
「……お嬢様? どうかなさいましたか?」
私のあまりに真剣な奇行に、さすがの鉄仮面メイド・マリエルも、わずかに眉をひそめて問いかけてくる。
「心臓が、止まったから……再起動、させないと……AED、AEDはどこ……」
「左様でございますか。……ですが、止まっているようにはお見受けできませんが」
淡々と、私の胸骨圧迫を観察しながらマリエルが言う。
(止まったんだよ、精神的に!)
もう、無理だ。
穏やかなスローライフ? 朴訥な青年とのささやかな恋?
何が「前世では叶わなかった、まともな生活」だ。
この私というハード、スタート地点がマイナス百億からの借金返済(しかも取り立ては悪徳金融)みたいな状態じゃないか。
(そりゃあ……『野垂れ死ね』とか言われるよ……!)
父親の、虫ケラでも見るかのような冷血な目。母親の、汚物に触れたかのような心底からの侮蔑。
あの断罪劇の理不尽さが、今、すとんと、恐ろしいほどの納得をもって腑に落ちた。
「男女問わずの淫乱」だけが理由じゃなかった。もっと根深く、どうしようもなく致命的な「爆弾」を、この元・私は抱え込んでいたのだ。
心臓(物理)は無事に再起動したようだが、精神は瀕死のまま、私は胸を押さえるのをやめ、ベッドの縁にへなへなと崩れ落ちた。
そして、最後の、藁にも満たない望みを託すように、目の前の無表情な少女に震える声で尋ねた。
「……ねえ、マリエルさん」
「はい」
「それ、本当に……私の、子、なの? 何かの間違いとか、人違いとか、実はマリエルさんの子だった、とかじゃなくて……」
「はい。間違いなく、お嬢様がお腹を痛めてお産みになったお子です」
即答だった。コンマ一秒の逡巡もなかった。
「当時、私が公爵邸を抜け出し、秘密裏に私の実家(ブライトン家)に連れ帰り、そこでご出産なさいましたので」
「そ、そう……」
(準備が良すぎるよマリエルさん! その手際の良さ、もっと別のところ……例えば私の素行不良の矯正とかに使えなかったの!?)
私は、もう一つの、最も聞きたくない、しかし聞かねばならない質問を、絞り出すように口にした。
「……あのさ。……お父さん、は?」
父親は、誰だ。
私が愛人にしたという、このマリエルか? いや、それは生物学的に無理だ。
では、断罪の引き金になった、あのクソ王子か?
それならまだ、話が……いや、王家の血筋とか、余計にこじれて詰むのでは?
私の必死の思考を、マリエルは一言のもとに斬り捨てた。
「父親は、不明でございます」
「……ふめい」
「はい。お嬢様が夜な夜な、見境なく寝室にお連れになっていた殿方のうちの、どなたかかと」
マリエルは、ごく自然に、あり得ない単語を口にした。
「あるいは、ご令嬢かもしれませんので、その場合は『父親』という呼称は正しくありませんね」
「(………………)」
ドン引き、という言葉では足りない。
(元・私、重すぎる……! 色々と重すぎる……!)
(というか、十五でそんな大変な出産してるのに、その後も懲りずに、しかもバリエーション豊かに遊びまくってたの!? 学ばないにも程があるだろ! 反省という概念は前世に置いてきたのか!?)
あまりの事実に、私は今度こそベッドに突っ伏した。
硬く、湿っぽい匂いのするマットレスに顔を押し付け、この悪夢から一刻も早くログアウトしようと必死に現実逃避する。
だが、マリエルは、そんな私に一切の猶予を与えてくれなかった。
「お嬢様。お気持ちは分かりますが、感傷に浸っている暇はございません」
ガサリ、と布の擦れる音。
顔を上げると、マリエルがどこから取り出したのか、地味な麻のワンピースと、泥水で染めたような色のくすんだ頭巾を私に差し出していた。
それは、私たちが換金した金で、宿に来る途中に手早く買い揃えたものだった。
「これは?」
「明日の、お嬢様のお召し物です」
マリエルは、チリチリと音を立てるランプの灯りを背に、私をまっすぐに見下ろした。
その透き通る青い瞳は、相変わらず何の感情も映していない。
「お覚悟を。明朝、始発の乗合馬車で王都を発ちます」
「え……あ、うん。それは、いいんだけど」
「公爵家からの追手が来る前に、この王都を離れねばなりません」
「……え? おって?」
思わぬ単語に、私は顔を上げた。
追手?
だって、私は「勘当」されたのだ。もう関係ない、と切り捨てられたはずじゃ?
私の疑問を見透かしたように、マリエルは、夜の冷気のように静かな声で告げた。
「お嬢様。公爵家は、あなたを『勘当』しました。ですが、それは『家の恥が、これ以上王都で好き勝手するのを許さない』という意味です」
「……どういう、こと?」
「『隠し子』という、公爵家の血を引く最大の醜聞を知るあなたが、無一文で王都の裏社会に放り出された。……公爵家が、その危険性を放置するとお思いですか?」
ぞわり、と背筋に冷たい汗が走った。
それは、コミカルな現実逃避を許さない、絶対的な死の予感だった。
「家の恥を、秘密裏に『処理』しに来ないとも、限りませんから」
それは、父や母の冷酷な瞳を思い出させるのに、十分すぎる警告だった。
お読みいただきありがとうございます。
設定が重い! 「15歳で出産」「父親不明」「その後も遊び放題」。 元・ロザリアの業が深すぎて、社畜メンタルでも処理しきれません。
そして後半。ただの「勘当」ではなく「物理的な抹殺(処理)」の可能性が浮上しました。 ブラック企業も真っ青の、実家からの殺意です。
次回、いよいよ王都脱出。 マリエルさんの手際が良すぎて、逆に怖くなってきます。
「元ロザリア、マジかよ……」「逃げ切れるのか?」とハラハラした方は、 ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!




