第37話:変装(リスクヘッジ)と王都への潜入
いざ王都へ。 しかし、玄関先で最強の門番(3歳児)が立ちはだかります。 「行かないで」と泣き叫ぶクライアントに対し、提示すべき条件とは。
キックオフミーティングから数日後。
例の『裏社会』の仲介人から、便箋とも呼べない汚れた紙片に、ただ「場所確保」とだけ記された連絡が届いた。
決行日は、本日。場所は、王都郊外の寂れた(しかし、かつては高級だったらしい)宿屋だという。
「……では、行ってまいります」
マリエルのお父上とお母上に、私たちは深々と頭を下げた。
表向きの理由は「王都での、ブライトン家の新しい“販路(取引先)”の開拓交渉」。
半分は嘘だが、半分は(結果として)真実になる予定だ。
私たちの足元には、最後の、そして最大の難関が立ちはだかっていた。
「いやぁ……! あーちゃん(葵)も、マーマ(マリエル)も、いっちゃ……!」
私たちが旅支度をしているのを敏感に察知し、3歳児の機嫌は急降下。
床に転がり、足をばたつかせ、顔を真っ赤にして泣き叫んでいる。
(うっ……! クライアント(最重要)が泣いている!)
私の背筋に、前世(クレーム対応)で刻まれた氷が走る。
どうする? この子の涙は、プロジェクトの根幹を揺るがす最優先事項だ。今、この場で「仕様変更(行かない)」を選択すべきか?
いや、しかし、この「交渉」が頓挫すれば、この子の「未来(養育費)」そのものが危うくなる。
私が「ロジック(思考)」と「感情(罪悪感)」の狭間でフリーズしていると、マリエルさんが冷静にロザリーの前にしゃがみ込んだ。その声は、泣き叫ぶ幼子に向けるにはあまりに平坦で、事務的だった。
「ロザリー。いい子にしていないと、お土産(次期発注)はありませんよ」
「……おみやげ?」
ピタリ、と泣き声が止まる。
「ええ。甘くて、美味しいお菓子です。だから、お祖父様たちの言うことをよく聞いて、待っていられますね?」
「……うん。まってる」
こくり、と頷くロザリー。
(すごい……完璧な『心理戦』だ。わずか数秒でクライアントの要求(駄々)を鎮圧し、愛情すらインセンティブとして使いこなし、新たな『契約(約束)』を締結した……)
私は、改めてパートナー(マリエル)の有能さに戦慄した。
◇
後ろ髪を引かれる思い(と、拭いがたい罪悪感)を胸に、私たちはブライトン家を後にした。
乗合馬車に揺られ、王都へ向かう。
私たちは、目立たないように変装していた。
「落ちぶれた貴族の未亡人姉妹」――というのが、今回の“設定”だ。
最大のリスク要因は、言うまでもなく、私のこの燃えるような赤髪だ。
いくら落ちぶれたとはいえ、元公爵令嬢の顔は知られている。
私は地味な麻のフードを深く被り、顔と髪を完全に隠していた。ごわごわした布地が肌を擦り、視界を奪う。
(……前世(OL)では、地味すぎて「存在感がない(セキュリティレベル高)」と言われていたのに)
この絶世の美貌が、今や最大の「セキュリティ・リスク」でしかないとは。リソース管理は、本当に難しい。
やがて、見慣れた(と、ロザリアの記憶が告げている)王都の城壁が見えてきた。
活気のある街並み。
だが、埃と、人々の生気と、そして微かな腐臭の混じった王都の空気を吸い込んだ瞬間、隣のマリエルの体が硬直したのが分かった。
追放された日の屈辱。
耳に残る罵声。投げつけられた石の、鈍い痛み。
彼女にとっては、私以上に、ここは「悪夢の場所」のはずだ。
「……マリエル。大丈夫ですか? 必要なら、一度“休憩”を取りますが」
社畜として、パートナーのコンディション管理は最重要タスクだ。
だが、マリエルは首を横に振った。
「不要です」
彼女は、フードの奥から、憎悪とも呼ぶべき冷たさで王都の雑踏を睨みつけていた。
「早く“業務”を、終わらせましょう」
(“業務”……)
その二重の意味を持つ言葉の重みに、私は何も返せなかった。
◇
目的地の宿屋は、王都の喧騒から少し離れた場所にあった。
かつては貴族の密会にも使われたというだけあり、古びてはいるが、黴と零れた酒の甘酸っぱい残り香が漂う、人目を忍ぶには最適な「会議室」だろう。
薄暗いロビーで待っていたのは、痩せた、というより、影だけが人型になったような仲介人の男だった。
彼は私たちを一瞥すると、無言で顎をしゃくり、二階の一室を指し示した。
「……お代は前金で」
男は、マリエルから重い革袋(報酬)を受け取ると、歯をこするような声で忌々しそうに呟いた。
「“お客様”は、既にお待ちだ」
お読みいただきありがとうございます。
「お土産(次期発注)」と「甘いお菓子」。 マリエルさんの交渉術、鮮やかでした。 情に流されず、相手のメリットを提示して契約(待機)を取り付ける。これぞプロの仕事です。
そして王都潜入。 「絶世の美貌」が「セキュリティ・リスク」になるという贅沢な悩み。 麻のフードを目深に被り、落ちぶれた未亡人になりきります。
ラスト、怪しげな宿屋へ。 「お客様はお待ちだ」 仲介人の言葉が、開戦の合図です。
次回、『接触と冷笑』。 ついにターゲット、ユーリスと対面します。 元カノ(と思っている相手)に対する、彼の第一声とは。
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