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第30話:プロジェクト『婚活支援』と“DV(コンプラ違反)”の記憶

「お見合い」という具体的アクションが決まり、プロジェクトは第2フェーズへ。 意気込む主人公ですが、ふとした瞬間に脳内をノイズが走ります。


再生されたのは、元・ロザリアによる最悪の「不祥事記録インシデント・ログ」でした。

「――先日、父に『お見合い』を依頼しましたので」


静かな昼下がり、マリエルの唇からこぼれたそのひと言は、私の消耗しきった精神にとって、砂漠で見つけたオアシスの報せにも似た響きを持っていた。


(お見合い……!)


乾いた脳細胞の隅々にまで、その単語がじわりと染み渡る。カフェインよりも強力な覚醒作用だ。私は目を閉じ、脳内でその甘美な響きを全力で反芻した。


「お見合い」。


それは「結婚」という名の最終納品ゴールに向け、クライアント(マリエル)側から提示された、具体的な実行計画アクションプランに他ならない。


そして、マリエルの「幸福な結婚」こそが、私が独断で策定した『マリエル・ブライトン 人生補償プロジェクト』における、絶対厳守の「完了条件ゴール」なのだ。


(……来た!)


疲労も忘却の彼方、私は意識の奥底で、力の限りガッツポーズを決めた。


『監査報告』という名の狂気の求婚が、「差し戻し(リジェクト)」の判を押されたのは記憶に新しい。だが、プロジェクトマネージャーたるもの、些細な失敗リテイクで立ち止まる時間はない。

むしろ、クライアント自身が「本来のゴール」を見据え、主体的に動き出したのだ。これ以上の進捗せいかがあろうか。


「素晴らしい! なんと素晴らしいことでしょう!」


私は、衝動的に彼女の手を握りしめていた。

熱のこもった私の声に、マリエルは「……はぁ」と、温度の低い息を吐く。その瞳には、純粋な呆れが七割、残りの三割で得体の知れないものを見るような警戒が浮かんでいた。


「何が、そんなに素晴らしいのですか……」

「決まっています! これでプロジェクトは、ついに第二フェーズ……『婚活(転職)支援』のキックオフです! 全力でサポートさせていただきます!」

「またプロジェクト、ですか。それと、転職ではございません」


マリエルは、私の手からそっと自分の手を引き抜き、諦観の混じったため息をひとつ落とした。「私はロザリーの着替えを」と踵を返す。


そうだ。もう昼寝が終わる時間か。


「私もお手伝いします!」


婚活支援の第一歩は、クライアントの「現状タスク」を精査し、コア業務(婚活)にリソースを集中投下できるよう、周辺雑務(育児)を徹底的に最適化アウトソースすることから始まる。


……というのは建前で、単純に私もロザリーの顔が見たかった。



居間を訪れると、ロザリーはちょうどベビーベッドで身じろぎしたところだった。まだ夢の淵を漂っているのか、ふにゃ、と不満げな声を漏らしている。


「ロザリー、起きましたか。お着替えしましょうね」


マリエルがその小さな体を抱き上げると、声のトーンが、私(という元・加害者)に向けるそれとは似ても似つかぬほど、柔らかく、慈愛に満ちたものに変わる。


ロザリーも、その声に応えるようにマリエルの胸に顔をうずめ、とろけるような笑顔を見せた。


窓から差し込む午後の光が、二人の姿を優しく縁取る。

それは、あまりにも穏やかな光景だった。


私がこの辺境の地で、かつて培った社畜スキルを半ばヤケクソに投入し続けた結果、ようやく守ることが叶いつつある、「日常」という名の脆弱な平和だ。


マリエルが、ロザリーの柔らかな赤毛を指で梳きながら、本当に幸福そうに目を細める。


「ふふ……本当に、いい子ですね」


その、完璧なまでに満ち足りた微笑みを見た、瞬間だった。


――ガツンッ!


頭蓋の内側で、無理やり分厚い扉をこじ開けるような、強烈なノイズが迸った。


(……あ)


それは、忘却の彼方に押しやっていたはずの、ロザリア(元)の記憶。

汚泥の中から引きずり出された、鮮明すぎるフラッシュバック。


『――私以外に、そんな顔を見せるな!』


ヒステリックな金切り声が、鼓膜を突き破る。


怯えに強張るマリエルの顔。

(今の私よりも、いくぶんか幼いマリエル)


彼女の手には、おそらく別の男からのものであろう、「お見合い」の誘いが記された手紙。


そして――振り上げられる、ロザリア(元)の、白い手。


――パァンッ!!


肉を打つ、乾ききった音が、記憶の中で反響する。

床に崩れ落ち、喉を引き裂くように泣き叫ぶロザリア。


(うわっ、出た……)


私は、目の前に広がる「穏やかな日常」から一瞬で精神を引き剥がされ、脳内に強制再生されたその「インシデント(不祥事)記録」に、背筋が凍るような嫌悪感を覚えていた。


(これが……元ロザリアの“DV(コンプライアンス違反)”記録。最悪だ)


いや、知ってはいた。これがマリエルの復讐心の「根本原因」であり、私が「補償」すべき「負債」の源泉であることは。

だが、こうも鮮明に「追体験」させられると、その非合理性に眩暈めまいがする。


(なぜ殴る? 物理的損害。非効率の極み)

(承認欲求の暴走? 評価(承認)とはクライアント(相手)から自然に得られるべきものであって、強要して得るものではない)

(何より、唯一の理解者マリエルを殴ってどうする。リスク管理能力ゼロか!)


社畜わたし論理ロジックからすれば、万死に値する愚行だ。


マリエルは、ロザリア(元)にとって唯一無二の「優良取引先」であり、精神を支える「重要インフラ」だったはずだ。

そのインフラを、自らの手で物理的に破壊するバカがどこにいる。


ロザリア(元)は、自分ロザリアの価値を認めてくれるマリエルが、他者(お見合い相手)にもその価値(笑顔)を提供しようとしたことが、許せなかったのだろう。

だが、それは「取引先の裏切り(契約違反)」などではなく、単なる「取引先の業務拡大(婚活)」に過ぎない。


(……ダメだ。思考回路が破綻しすぎている)


私は、目の前でロザリーに優しく語りかける現在のマリエルの姿に、記憶の中で「泣き叫ぶ過去のマリエル」を重ね、深く、深く息を吸い込んだ。


(この“負の遺産(DV記録)”も、徹底的に『監査』対象だ)


忘れるのではない。

蓋をして見なかったことになど、決してしない。


これは「過去のインシデント(不祥事)レポート」だ。

原因を究明し、リスクを再分析し、そして何より、私(葵)自身が二度と同じ過ち(コンプラ違反)を繰り返さないよう、「再発防止策」を骨の髄まで叩き込む。


『マリエル・ブライトン 人生補償プロジェクト』は、まだその緒に就いたばかりなのだから。

お読みいただきありがとうございます。


「DV(コンプライアンス違反)」 過去の凄惨な記憶も、社畜にかかれば「リスク管理のケーススタディ」です。 「重要インフラ(マリエル)を物理的に破壊するバカがどこにいる」 主人公のこのツッコミが全てですね。非合理的すぎます。


しかし、この記憶を「見なかったこと」にはしません。 しっかりと「再発防止策」を立てるためのデータとして活用します。


次回、『監査報告『ブラック企業(実家)と丸投げ(両親)』』。 なぜ元・ロザリアはモンスター社員(令嬢)になったのか。 その原因である「育成環境(実家)」にメスを入れます。


「コンプラ違反w」「分析が冷静すぎる」と安心した方は、 ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!

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