第26話:『統合』の兆候と、変な生き物(かんさつたいしょう)
ロザリーちゃんの中で、私のポジションが「怖い人」から「変な生き物」に確定しました。 作業エリアに入り浸り、私の真似をして「お絵描き(業務)」に励むクライアント。
将来有望な「ジュニア・アソシエイト」の誕生です。 平和な日常に見えましたが……。
あの日、私の指先がインク瓶とロザリーの小さな体を同時に宙で掴むという、我ながら曲芸じみた荒業を披露してしまってから、数日が過ぎた。
あの瞬間、ロザリーが私の頬を「ぷにっ」と突き、悪戯っぽく「くすっ」と漏らした笑い声。それが、この埃っぽい離れの物置部屋の空気を、決定的に塗り替えてしまった。
部屋の北側(壁際)。
そこは、私が書類を積み上げて物理的な砦とした『作業ゾーン』。
インクと古い羊皮紙の匂い。積み上がる『監査資料』の山は変わらない。私はペンディング中の『対代官案件』の資料を睨みつけ、唇の端で無意識に(前世の呪文)を刻んでいる。
部屋の南側(日当たり)。
そこは、私が(5S活動で)徹底的に整備した『安全ゾーン』。
(5S活動の)成果で磨き上げた床板の上、彼女は機嫌よく積み木を重ねている。
そして、その中間。
マリエルが、今日も表情ひとつ変えず、ただ黙々と、冷たい床から幼い足を遠ざけるための靴下を編んでいる。
一見、昨日までの繰り返し。だが、何かが違う。
ロザリーが、私を怯えなくなった。
いや、正確には「懐いた」のとは違う。あの『インシデント(事故)』を境に、彼女の中で私という存在の『分類』が、「知らない怖い女」から、「変な生き物」へと明確にダウングレード、いや、変更されたのだ。
私が『監査』に集中し、鬼の形相で独り言を呟き始めると、ロザリーは積み木の手を止め、じーっと私を観察する。
私が(前世のクセで)貧乏ゆすりを始めると、「(あ、またあの変な動きしてる)」とでも言いたげな、純粋な好奇の目で私を見る。
……正直、めちゃくちゃ居心地が悪い。
「(……だが、警戒が解けたなら、今度こそ!)」
私は、育児(メイン業務)へのリベンジに燃えていた。
『論理』も『取引』も『偽装』も、すべて失敗した。
だが、私は学んだ。
「よし、ロザリー様。『パターン分析』によれば、あなたは午前10時台に『お絵描き(タスクC)』を要求する確率が最も高い(75%)。さあ、炭と紙です!」
完璧な『統計』に基づき、私はお絵描きセットを差し出した。
ロザリーは、私と炭を交互に見た。
そして、
「(プイッ)……イヤ! ツミキ(タスクG)がいい!」
と、炭を放り投げ、昨日まで見向きもしなかった積み木で遊び始めた。
「(絶叫)なっ……!? 『統計』が、まったく機能しない! 『ランダムな仕様変更』が多すぎる! このクライアント(3歳児)、制御不能だ!」
育児(メイン業務)は、相変わらず大失敗続きだった。
◇
だが、である。
「(……お昼か)」
私が、育児(メイン業務)の敗北に打ちひしがれていると、マリエルが昼食を運んできた。
メニューは、いつも通り「石のように硬い黒パン」と「具のないスープ」。
その黒パンを見たロザリーが、顔をしかめて「(またこれか)」とそっぽを向く。
(……来たな)
私は、マリエルから黒パン(不良在庫)を奪い取った。
「ロザリア様。まさか、また……」
マリエルの(呆れたような)視線を無視し、私は手慣れた作業に入った。
黒パンを粉砕。ミルクと卵(監査役の権限で確保済み)とミックス。フライパンで『リビルド(再構成)』。
じゅわ~……。
あの甘く香ばしい匂いが、離れに充満する。
ロザリーが、積み木(タスクG)を放り出し、期待に満ちた目で、私の足元に駆け寄ってきた。
「(ニパッ)……パン!(フレンチトースト風のこと)」
「はいはい。『最適化された黒パン(試作品Ver.2)』ですよ」
私が差し出すと、ロザリーは(もはや警戒ゼロで)美味しそうにそれを頬張った。
それを見ていたマリエルが、自分の分の黒パン(石)を無言で見つめた後、私を冷ややかに睨んだ。
「……ロザリア様。そればかり(高カロリー)では、栄養が偏ります」
「(ムッ)『食』は『モチベーション(やる気)』の源泉です! 『QOL(生活の質)』の向上が、生産性の向上に繋がるんです!」
「(ため息)……あなたの『監査』は、いつ終わるのですか」
マリエルの(的確な)ツッコミも、もはや日常の一部だった。
育児(メイン業務)は壊滅的。
だが、前世の「雑務」(5S活動、リメイク料理、高速裁縫)スキルだけが、ロザリーの生活環境とQOL(生活の質)を、地味に、しかし確実に向上させていた。
その結果。
ロザリーは、いつの間にか、マリエルの膝の上と同じくらいの頻度で、私の『作業ゾーン』に入り浸るようになっていた。
目的は、私が(監査資料の山で)作った「砦」が、彼女にとって格好の遊び場(秘密基地)になったからだ。
「ロザリー様、そこは『立ち入り禁止』です! 貴重な資料が!」
「(無視!)」
ロザリーは、私の制止を(クライアント(3歳児)の特権で)完全に無視し、私の足元で、資料の山に(私が補修した)クマのぬいぐるみ押し付けて遊んでいる。
「(……もう、いいか)」
(クライアント(3歳児)がご機嫌なら、作業環境としては『良し』としよう……)
◇
私が、諦めの境地で『監査』に戻った、その日の夜。
ロザリーは、マリエルの寝台ではなく、私の『作業ゾーン』の隅で、私の監査資料を(勝手に)布団代わりにして、遊び疲れて寝てしまっていた。
「……おい。クライアントが『現場』で寝てるぞ」
「(マリエル、肩をすくめる)……あなたが『砦』などと、余計なものを作るからです。風邪を引きます。ご自分のベッドへ」
「……仕方ないな」
私は、ロザリーを起こさないよう、そっと抱き上げようとした。
(……あ、軽い)
『インシデント(事故)』の時とは違い、意識して抱き上げる、その小さな温もりと重み。
私が(ロザリアとして)産んだ、実の娘。
私は、その小さな寝顔と、自分(葵)にはない、あの母と同じ、燃えるような「赤毛」に、そっと指で触れた。
その、瞬間。
((―――ざああっ))
脳の内側で、ノイズが走った。
((知らない天井。豪華な、レースのついた揺りかご))
((ギィ、と扉が開く音))
((冷たい、男の声。――父だ))
『……赤毛か。ミランダ(母親)と同じ、忌々しい色だ』
『いいか、ロザリア。お前の価値は、その美貌と、王家との繋がりのみ。それ以外は、何も期待していない』
「―――っ!」
ズキン、と。
まるで、頭蓋骨の内側を、冷たい針で突き刺されたような、激しい頭痛が走った。
「(……今の、なに?)」
私は、ロザリーを抱いたまま、額を押さえて、その場にうずくまった。
今の、記憶は?
私(葵)のじゃない。
父の声。
『ロザリア(元)』の、幼い頃の記憶……?
「(混乱)……いや、ない。そんなはずは」
「どうかなさいましたか? ロザリア様」
マリエルが、私の異変に気づき、怪訝そうに問いかけてくる。
「……いや。何でもない」
私は、激しく脈打つこめかみを押さえ、頭痛を無理やり振り払った。
「……疲労だ。徹夜続きで、脳に『バグ』が出ただけだ」
私は、ロザリーを(いつもより、少しだけ乱暴に)ベッドに寝かせると、その小さな顔から逃げるように、自分の『作業ゾーン』に戻った。
「……仕事に戻る」
私は、何かに取り憑かれたように、ペン(羽ペン)を握り直した。
あの、冷たい「記憶」を忘れるために。
私は、ただ、目の前の『監査』という名の「仕事」に、逃げ込むしかなかった。
お読みいただきありがとうございます。
「並んで仕事(お絵描き)」をする二人。 これぞ理想的なOJTです。 警戒心が完全に解け、寝顔を見せてくれるまでになりました。
しかし、その温もりに触れた瞬間。 「ノイズ」が走りました。 私(葵)の記憶ではない、冷酷な父親の声。 「お前の価値は美貌と王家との繋がりのみ」
典型的な「条件付きの愛」。これでは歪むのも無理はありません。 そして一番の恐怖は、この記憶が「私(葵)」を侵食し始めていること。
次回、『平穏と侵食』。 ただの頭痛ではありません。感情までもが、乗っ取られ始めます。
「ロザリー可愛い!」「乗っ取り怖い……」とハラハラした方は、 ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!




