第24話:前世(しゃちく)のスキル、思わぬところで役に立つ
論理も交渉も通じない。 育児(メイン業務)で完敗した主人公は、マリエル(専門家)への「業務委託(丸投げ)」を決意します。
その代わり、自分は得意の「環境整備(5S)」と「雑務」に専念することにしました。 これが、思わぬ“化学反応”を生みます。
スープのシミがこびりついた服のまま、一夜が明けた。
離れの物置部屋の隅、私は膝を抱えていた。床の石の冷たさが、じわりと絶望の輪郭を縁取っていく。
(……無理だ)
(『論理』も『取引』も『偽装』も、あの3歳児には通用しなかった)
(挙句の果てに、マリエル(教育係)は『心理戦』とかいう高度なネゴシエーションスキルを発動するし……)
(……育児(メイン業務)は、完全に、私の管轄外だ)
もはや、私にできることはない。
私が、前世の鬱モードよろしく、壁のシミをぼんやりと数え始めていると。
私の足元で、ロザリーが(今日も元気に)お気に入りの木の積み木で遊んでいた。
彼女は、床で小さくなっている私を、チラリ、と一瞥した。
その視線には、もう昨日の怯えはない。
そこにあるのは、(あ、あの人、また変な格好で固まってる)……とでも言いたげな、純粋な「観察」の目。それは、同情や侮蔑よりも、もっと無垢で生温かい視線だった。
(……もういい)
私は、ロザリーのその視線から逃げるように、決意した。
(育児(メイン業務)は、一時、マリエル(専門家)にアウトソーシング(外部委託)だ!)
(だが、私はこの『契約』から降りるわけにはいかない。私には、私にしかできない『雑務』がある!)
私は、ガバッ、と音がしそうなほどの勢いで立ち上がった。
その唐突な動きに、ロザリーが(積み木を落として)ビクッと肩を震わせる。
私の目には、もう育児への怯えはない。
その代わりに、前世で培った「環境整備」への、異常なまでの情熱が、まるで狂気の炎のように燃え上がっていた。
(そうだ! まず、この離れ(ワークスペース)が劣悪すぎるのが問題なんだ!)
(生産性の低いオフィス(物置)からは、良い成果物は生まれない! 5Sだ! 5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を徹底する!)
私は、マリエルとロザリーが(呆れ顔で)見ている前で、突如として離れの「大掃除(5S活動)」を開始した。
「そこにあるガラクタ(不要資産)は廃棄!」
「床が汚れている!」
私は、前世のデスマーチで鍛えた、床に吸い付くような高速雑巾がけを敢行する。
「ロザリア様、あの、そこは……」
マリエルの制止も聞かず、私は部屋のレイアウト変更を断行する。
「(監査資料を積み上げて物理的な『壁』を作り)ここは、私(監査役)の『作業ゾーン』! 『代官』案件の書類はここに集積! 関係者以外、立ち入り禁止!」
「(寝床と玩具を部屋の陽が当たる場所へまとめ)そして、ここが、ロザリー様の『安全ゾーン』! 業務に集中できるよう、動線を確保!」
私は、床に這いつくばり、前世の知識(?)で、床に転がっていた錆びた釘や、木のササクレをすべてチェックし、危険物を排除していく。
ロザリーは、自分の領域が、目に見えて綺麗で安全になっていくのを、不思議そうに眺めている。
何より、あの怖い人(私)が、自分に一切近づかず、何かに取り憑かれたように掃除をしている。
ロザリーの私に対する警戒レベルが、「危険」から「無害(?)」へと、わずかに引き下げられたのを、私は(まだ)知らなかった。
◇
昼食の時間。
マリエルが、いつも通り「石のように硬い黒パン」と「具のないスープ」を運んできた。
私が、環境整備(5S)を終えて、ハァハァと息を切らしていると、ロザリーが、また(野菜は入っていないのに)黒パンを拒否して、そっぽを向いていた。
(……また、インシデントか)
私は、その黒パンを見た。カチカチで、3歳児の顎では到底受け付けない、『不良在庫』だ。
私の、前世の貧乏OL時代の血が騒いだ。
「マリエル! 待った! その『リソース(食材)』、非効率すぎます!」
「……は?」
私は、黒パン(不良在庫)を奪い取ると、ナイフで(5Sでピカピカにした)調理台の上で、細かく、細かくした。
「『リソース(黒パン)』を『再構成』します!」
私は、ブライトン家から(監査役の権限(?)で)確保していた、貴重な「ミルク」と「卵(1個)」を要求した。
マリエルは(また始まった)とでも言いたげな顔だったが、黙ってそれを差し出す。
私は、それらを(前世の「ズボラ飯」の要領で)手早く混ぜ合わせ、貴重な薪で火力を調整し、フライパン(これも磨き上げた)の上でじっくりと焼いた。
じゅわ〜……。
カビ臭さや埃っぽさで満たされていた物置部屋の空気が、一瞬にして、暴力的なまでに甘く、香ば(こうば)しい匂いに塗り替えられていく。
ロザリーが、積み木の手を止め、その「甘い匂い」の発生源を、鼻をクンクンとさせて探している。
(……いつもと違う、いい匂い!)
私は、その「パン粥風フレンチトースト(仮)」を皿に盛り、ロザリーの前に(昨日の野菜のトラウマで、ビクビクしながら)差し出した。
「あ、あの……『最適化された黒パン(試作品)』です。……どうぞ?」
ロザリーは、恐る恐る、スプーンでそれを一口、食べた。
(……!)
ロザリーの小さな目が、驚きに見開かれた。
いつも口に押し込まれる、あの石じゃない。甘くて、フワフワしていて、温かい何かが、口の中に広がる。
「(小さな声で)……おいしい」
「(え!?)」
私は、衝撃を受けた。
(『論理』も『取引』も『偽装』も、すべて失敗したのに)
(前世の『節約術(ズボラ飯)』が、クライアント(3歳児)に、あっさり、通じた……!?)
マリエルも、その「試作品」を、無表情のまま一口、口に運んだ。
私は、ドキドキしながら尋ねる。
「ど、どう? マリエル」
マリエルは、無言で、もう一口、食べた。
そして、私の顔を見ずに、呟いた。
「……『食糧』の『熱効率』としては、及第点です」
「(素直に美味しいって言えーーー!!)」
◇
昼食後。
『おいしい(試作品)』を食べて機嫌が良くなったロザリーが、「安全ゾーン」で、お気に入りの古い「クマのぬいぐるみ(資産)」で遊んでいた。
その、瞬間。
ブチッ、と。
遊びすぎで消耗していた、ぬいぐるみの腕が、取れてしまった。
「(あ……!)」
ロザリーの顔が、絶望に曇り、今にも泣き出しそうになる。
マリエルが、それを見て、ため息をついた。
「……またですか。仕方がありませんね。今、縫いますから」
マリエルが、針と糸を取り出す。
だが、私は、マリエルの(貴族的な、丁寧だが遅い)針仕事を見ていられなかった。
「遅い! マリエル、貸して!」
私は、ぬいぐるみと針を奪い取った。
「この『インシデント(破損)』は、『迅速な復旧』が最優先です!」
私は、前世で培った「(スーツの)ボタン付け(雑務)」スキルで、恐ろしい速度でぬいぐるみの腕を縫い付け始めた。
「(目を丸くして)……早い。ですが、ロザリア様、縫い目が、野蛮すぎます……!」
マリエルの指摘通り、私の縫い目はガタガタで、貴族令嬢の繊細な技術とは程遠い。ただ「頑丈」なだけの縫い目だ。
私は、縫い終わり、糸を(前世のクセで)歯(!)で噛み切りながら、反論した。
「『見た目(UI)』より『耐久性』です!」
私は、ガタガタの縫い目のぬいぐるみを、ロザリーに返した。
「はい、復旧完了」
ロザリーは、縫い目の醜さなど一切気にせず、腕が(すぐに)くっついたことに、パァッと顔を輝かせた。
ロザリーは、その「(醜いが)治った」ぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめた。
そして。
初めて、自らの足で、私の領域へ、トコトコと歩み寄ってきた。
彼女が踏み入れたのは、私が監査資料を積み上げて作った『作業ゾーン』。そのすぐ脇、私が(鬼の形相で)『監査』の書類を睨みつけている、そのすぐそばの「安全ゾーン」に、彼女は、ちょこんと座り込んだ。
私に話しかけはしない。
ただ、大人しく、そのぬいぐるみで遊び始めた。
(……『母親業(メイン業務)』は、大失敗続きなのに)
私は、ロザリーの(警戒心の解けた)小さな背中を、横目で見た。
(『雑務(料理と裁縫)』で……クライアント(ロザリー)が、監査室に、入ってきた……?)
(……警戒レベル、さらに、低下……?)
私は、この(育児における)予期せぬ進捗に、戸惑いを隠せないでいた。
お読みいただきありがとうございます。
「フレンチトースト(風)」と「高速裁縫」。 前世の貧乏生活と、デスマーチ中に取れたボタンを瞬時に直すスキルが、ここで活きました。 「見た目(UI)より耐久性!」 元・公爵令嬢のセリフではありませんが、ロザリーちゃん(クライアント)の満足度(CS)は爆上がりです。
そしてラスト。 ついにロザリーちゃんが、自ら主人公の「作業領域」に入ってきました。 警戒心が解けた証拠です。よかった……!
次回、『『監査ゾーン』と『安全ゾーン』』。 距離が縮まったのは嬉しいことですが、それは新たな「インシデント(事故)」の始まりでもありました。
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