第20話:ブラックボックスの解放と、第二の敵
ついに開かれた「引き出し」。 そこにあったのは、言い逃れできない「裏帳簿」でした。
追い詰められた犯人が見せるのは、反省か、それとも――。
ゲルマンの顔面は、蒼白を通り越して、土気色に染まっていた。
彼は、鍵のかかった引き出しの上に置かれた己の手を、まるでそれが自分のものではないかのように、震える目で見つめている。
私の「鍵を壊していただきましょうか?」という冷徹な最後通告が、磨かれた執務室の空気に、氷の棘のように突き刺さっていた。
ゲルマンは、助けを求めるように、最後の主人であるブライトン氏に視線を向けた。
「旦那様……私は、三十年……」
「……ゲルマン」
ブライトン氏は、私との約束(「庇うな」)と、長年信じてきた部下への裏切り(かもしれない)衝撃の間で、苦悶に顔を歪ませていた。だが、彼は、震える声で、決定的な命令を下した。
「開けなさい」
万事休す。
その言葉が、ゲルマンの全身から力を奪った。
彼は、観念したように、震える手で懐から鍵束を取り出した。カチリ、と。乾いた金属音が、その「ブラックボックス」の開錠を告げた。
引き出しの中身は、一見、普通の家計簿。
だが、私がそれを(埃まみれの手で)乱暴に掴み出し、「開かずの間」から持参していた『税収元帳』の汚れた束と、彼の清潔な机の上に並べた瞬間、その違いは明白となった。
私は、ゲルマンが今開けた台帳――『裏帳簿』のページを、インクで汚れた指でめくる。
あった。
そこには「真の税収(例:西地区 500)」と「主人(旦那様)への報告額(例:300)」、そして、赤インクで「差引(例:200)」という項目が、ゲルマンのあの几帳面な筆跡で、明確に、何年分も記録されていた。
「ゲルマン……お前……本当に……!」
ブライトン氏が、その決定的な証拠を目の当たりにし、よろめいた。マリエルが、咄嗟に父親の背中を支える。
証拠を突きつけられ、ゲルマンの顔から血の気が引いた。
……だが、次の瞬間。
ふっ、と糸が切れたように、乾いた笑いが漏れ始めた。
「……ああ、そうです。そうですとも。私がやりました」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
その目は、もはや主人に向けるものではない。無能な人間を、心の底から軽蔑する目だった。
「旦那様(ブライトン氏)。あなたは『領主』の器ではなかった!」
「なっ……何を……!」
「政治にも経済にも疎く、ご自分の領地の帳簿すら見ようとせず、ただ先代からの財産を食いつぶすだけ!」
ゲルマンは、完全に居直った。
「私がやらねば、このブライトン家は、あなたの代でとっくに破産しておりましたわ!」
「……!」
「あの金は、この家のためではない! この領地と、私の家族のために使わせていただいた! あなたが見捨てた、水路の補修費用(の一部)や、私の娘の嫁入り資金にな!」
彼は「家」のためではなく「領地(=自分の保身と利益)」のために盗んでいたのだと、大声で開き直った。
ゲルマンの醜い開き直りに、ブライトン氏は(裏切りと侮辱に)怒りで震え、マリエルは(父親を馬鹿にされ)殺意のこもった目でゲルマンを睨みつけている。
私は、その(前世の修羅場で何度も見た)醜い責任転嫁の場面を、ただ冷ややかに観察していた。
(……はい、感傷タイム、無駄)
「ブライトン様」
私は、ゲルマンの演説を、冷たく遮った。
「時間の無駄です。これ以上の問答は、拘束してからで結構」
私は、ブライトン氏に(上司が部下に命じるように)アゴで指示を出した。
「ブライトン様。この男を、これ以上喋らせないでください。地下室でも物置でも結構です。拘束を。逃げられては困ります」
「え……」
ブライトン氏は、私の(元・公爵令嬢にあるまじき)冷徹で迅速な指示に一瞬戸惑った。だが、すぐに(これが今、最も合理的だと判断し)無言で、ゲルマンの腕を掴んだ。
ブライトン氏に腕を掴まれ、ゲルマンが部屋から連行されようとする、その瞬間。
彼は、最後の力を振り絞り、私に向かって、嘲笑うように吐き捨てた。
「監査役様! お見事です! ……ですが、本当に、私が『一人』でやったとお思いですか?」
私とマリエル、ブライトン氏の動きが、ピタリと止まった。
「……どういう意味です?」
私が、低い声で問い返す。
ゲルマンは、不気味に、楽しそうに笑った。
「私が抜き取った金の一部が、どこ(・・)に流れていたか! その『裏帳簿』を、よーくご覧になることですな!」
「……!」
「旦那様(ブライトン氏)が『税金』として、毎年、律儀に上納なさっている、この地の『領主代官』様にも、ご挨拶しておいた方がよろしいのでは?」
「ま、待て、ゲルマン! どういうことだ!」
ゲルマンの捨て台詞も虚しく、ゲルマンはブライトン氏に突き飛ばされるようにして、部屋から連行されていった。
書斎に、重い沈黙が残された。
私は、ゲルマンの最後の言葉を受け、急いで彼の『裏帳・・・』のページを(支出の項目を)めくり直した。
(……あった)
そこには、ブライトン家が正規の帳簿で把握していない「用途不明の支出」として、定期的に「代官事務所」宛に、多額の金が流れている記録が、確かに残されていた。
(……クソ)
(これは単なる『横領(内部犯行)』じゃない)
(ブライトン家(この会社)は、家令と、この地の領主代官(=本社の上級監査役?)に、二重に『搾取』され続けていたんだ!)
(相手は、ただの家令(いち社員)じゃない。公的な『権力』だ……!)
(私の『監査』、クライアント(ブライトン家)が潰される前に、間に合うの……!?)
お読みいただきありがとうございます。
「あなたが無能だから盗んだ」 見事な逆ギレでした。典型的な「自己正当化」です。 ブライトン氏もショックでしょうが、同情はできません。経営者が数字を見ないことが、部下を怪物にするのです(社畜の教訓)。
そして、最後に投下された特大の爆弾。 「領主代官」との癒着。 ただの「家人の横領」だと思っていたら、「公権力との組織犯罪」でした。 難易度が「ハード」から「ルナティック(狂気)」に跳ね上がりました。
次回、『監査役、燃え尽きる(そしてペンディング)』。 あまりの事態に、ついに主人公のブレーカーが落ちます。
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