第19話:監査(じんもん)の開始と『鍵のかかった引き出し』
徹夜で仕上げた「尋問シナリオ」と「想定問答集」。 準備は万端です。
何も知らずに出勤してきた家令ゲルマン。 彼の清潔なデスクには、すでに埃まみれの“監査役”が鎮座していました。
夜が明けようとしていた。
だが、離れの物置部屋の灯りは、一晩中消えることはなかった。
元・社畜、佐藤葵は、重要な『プレゼンテーション(=不正の追及)』の前夜に、睡眠などという非効率なリソース消費を行う生物ではなかった。
ランプの頼りない光の下、私の目は(前世のデスマーチ中と同様に)爛々(らんらん)と血走り、異様な熱気を放っている。
目の前の新しい紙には、あの地獄の『開かずの間』から夜通しで抜き出したデータに基づき、これから行われる『尋問シナリオ』と、ゲルマンが提示するであろう『想定問答集』、そしてそれに対する『反証』が、恐ろしい速度で書き殴られていた。
簡易寝台の上で、マリエルは一睡もできていなかった。
ロザリーの穏やかな寝息の横で、彼女は、自分の復讐相手が、狂ったように紙の束に向かい続ける姿を、恐怖と(理解不能なものへの)好奇心が入り混じった目で見つめ続けていた。
*
朝一番。
私は、あの埃まみれのドレスのまま(着替えるという時間の浪費すら惜しい)、母屋のブライトン氏の書斎へと向かった。マリエルが、青白い顔で後を追う。
書斎の主も、昨夜の衝撃的な報告により、一睡もできず、その顔はやつれ果てていた。
「……ロザリア様。本当に、ゲルマンが……長年、仕えてくれた彼が……」
まだ、部下を信じたい。その弱気な経営者の言葉を、私は冷徹に遮った。
「ブライトン様。これより『監査』を開始します」
血走った目で、彼をまっすぐに見据える。
「……一つだけ、お約束ください」
「な、なんだね……」
「私が許可するまで、あなたは一切、口を開かないでください。特に、彼を庇うような発言は、この監査(交渉)を致命的に不利にします」
ブライトン氏は、娘の前で、勘当されたはずの元・公爵令嬢(しかも埃まみれ)に指図され、屈辱に顔を歪ませた。
だが、私の(「これは『仕事』だ」という)有無を言わさぬ迫力に押され、「……わ、わかった」と、か細く頷いた。
舞台は、家令「ゲルマン」の執務室に移った。
あの「開かずの間」とは対照的に、整然と片付けられ、磨かれた机の上には、今日の業務であろう羊皮紙が整然と置かれている。部屋の隅には、古いが頑丈そうな金庫が鎮座していた。
やがて、ノックと共に、ゲルマンが現れた。五十代後半。温和そうな顔だが、目の奥が笑っていない。長年、この家を実質的に切り盛りしてきたという、隠しようのない自信と傲慢さが滲んでいた。
彼は、やつれた主人(ブライトン氏)と、その隣に立つ、異様な女(私)を見て、一瞬、怪訝な顔をした。
「おはようございます、旦那様。……おや?」
ゲルマンの視線が、私で止まる。彼は、私の埃まみれのドレスと、インクで汚れた手を値踏みするように眺めた。
「そちらは、ロザリア様ではありませんか。そのような、埃まみれの(・・・・・)お姿で……一体どうなさいました? 『離れ』の掃除でもなさっていたのですか?」
明確な嘲笑が込められていた。
彼は、私が「開かずの間」に入ったことを知っている。その上で、私を「掃除係に落ちぶれた元・貴族」として、完全に見下していた。
ブライトン氏が、私との約束を思い出し、何か言おうと口ごもる。
「あ、ゲルマン、その、彼女は……」
私は、その主人を片手で制し、一歩前に出た。
そして、ゲルマンの清潔な執務机に、懐から取り出した『尋問シナリオ(紙の束)』を、バンッ! と叩きつけた。
「なっ……!?」
ゲルマンが、その音と私の行動に、ビクッと肩を震わせる。
「おはようございます、家令のゲルマンさん」
私は、血走った目で、彼に(前世の営業スマイルで)微笑みかけた。
「私は、昨日付でブライトン家の『監査役』に着任いたしました、ロザリア・ヴェルデです」
「……かんさやく?」
「はい。そしてこれは、あなたが管理なさっている『税収元帳』と『家計支出入帳』の、過去五年分における『差異』リストです」
ゲルマンは、そのリスト(私が昨夜、あのゴミ山から抜き出して作成した、数字の不一致がびっしりと羅列された紙)を見て、初めて、その温和な表情を凍りつかせた。
(まさか、あのゴミ山から、これを、一晩で!?)
彼の内心の動揺が、手に取るように分かった。
「……な、何かの、間違いでは?」
ゲルマンは、必死で平静を装う。
「ロザリア様。あの台帳は、ご覧になった通り、古く、管理も杜撰でした。単なる転記ミスもございましょう」
彼は、あくまで「管理ミス」で押し通そうとする。
(――想定問答集、パターンA。『ミス』による否認)
私は、彼の(あまりに幼稚な)言い訳を聞き、ニヤリと笑った。
「『ミス』、ですか。では、お伺いしますが」
私は、リストの紙をトン、と指で叩く。
「なぜ、その『ミス』が、毎年必ず『繰越金』が『元帳』より少なくなる(・・・)という、一方通行の『ミス』である理由を、合理的にご説明いただけますか?」
「なっ……」
「増える(・・)『ミス』が、ただの一度も無かったのは、なぜです?」
ゲルマンの額に、脂汗が浮かんだ。
「そ、それは……たまたま、その……」
言葉に詰まる。
(――チェックメイト)
私は、その動揺を見逃さない。
「説明できないなら、こちらで確認させていただきます」
私は、ゲルマンの目の前にある、彼の執務机。
その、ひときわ頑丈そうで、大きな『鍵のかかった引き出し(・・・・・・・)』を、インクで汚れた指で、トン、と指差した。
(前世の経験上、不正の証拠は、必ず『現場』の『鍵付き(隠蔽)フォルダ』に残ってる……!)
「あなたの、その『現在の台帳』と、その『鍵のかかった引き出し(ブラックボックス)』の中身を、今すぐ、この場で『監査』させていただきます」
その瞬間。
ゲルマンが、私の指差しに対し、庇うように、サッと引き出しの上に手を動かした。
私は、その(あまりに分かりやすい)防御反応を見て、勝利を確信する笑みを浮かべた。
「マリエル。ブライトン様」
私は、後ろで息を呑んでいる二人の『証人』に、確認する。
「……見ましたね?」
私は、顔面蒼白になっている犯人に、最後通告を突きつけた。
「ゲルマンさん。ご自分で『開けて』いただけますか?」
「それとも、ブライト”ン様に、この場で『鍵を壊して(・・・)』いただきましょうか?」
お読みいただきありがとうございます。
「増えるミスが一度もないのはなぜですか?」 これぞ監査のキラーフレーズです。 ランダムなミスならプラスマイナス両方に振れるはず。マイナス(着服)しか発生しないのは、それが「作為」だからです。 この理詰め、ゲルマンには地獄だったことでしょう。
そしてトドメの「ブラックボックス」。 不正の証拠は、いつだって現場の「鍵付きの場所」にあるものです。
「ご自分で開けますか? 壊しましょうか?」 完全に警察のガサ入れです。
次回、『ブラックボックスの解放と、第二の敵』。 引き出しの中身、そしてゲルマンの口から語られる「さらに上の黒幕」とは。
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