第17話 「社畜、作業環境(ワークスペース)を構築する」
「開かずの間」の攻略開始です。 まずは環境整備(5S)から。 埃まみれのドレスでゴミ山を往復する元・公爵令嬢の姿に、マリエルさんも言葉を失います。
私の「監査の準備を」という宣言は、カビ臭い廊下に異様な響きで染み渡った。
ブライトン氏は、埃まみれで(元)公爵令嬢らしからぬ歪んだ笑みを浮かべる私に、完全に気圧され、「あ、ああ……」と意味のない音を漏らすのが精一杯だった。
マリエルだけが、その無表情の奥で、自分の元主人が(復讐した相手が)未知の、理解不能な「何か」に変貌した瞬間を、刃物のように鋭く観察していた。
私は、即座に「交渉モード」のまま、一切の遠慮も(貴族令嬢らしい)逡巡もなく、指示を飛ばし始めた。
「ブライトン様。私は『離れ』で作業します。まず、あの『開かずの間』から、水損していない台帳を全て運び出します。人手を」
「(我に返り)人手? いや、使用人はもう、ほとんど……」
「結構です。マリエル、手伝って」
私は、自分の高価だった(今は埃まみれの)ドレスの裾を無造作にまくり上げると、自ら「開かずの間」の、腐敗した紙の山に突入した。
(ブライトン氏とマリエルの衝撃)
元・公爵令嬢が、一切の躊躇なく、何十年分の埃とネズミの糞が積もった台帳を、自ら運び始めた(・・・・・)。その事実に、二人は言葉を失った。
マリエルは一瞬ためらったが、私の(「仕事をしろ」という無言の)視線を受け、仕方なく(しかし完璧な手際で)台帳の運び出しを手伝い始めた。
私は、前世の「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」の鬼と化していた。
「これは水損で固着。データ(紙)として死亡。廃棄!」
「これは辛うじて読める。離れに運んで。年代別に積んで!」
離れの物置部屋を、マリエルを(無言で)こき使い、徹底的に掃除させ、運び込んだ机を、インクの染みがついた雑巾で磨き上げる。
数時間が経過した。
離れの部屋は、運び込まれた「台帳の山」で埋め尽くされ、あの「開かずの間」が二つできたようだった。
ブライトン氏が「本当にやるのか……」と、恐る恐る離れを覗きに来る。
彼は、私が台帳を 読んでいない ことに気づいた。
「ロザリア様……それは、読んでいるのか?」
私は、ブライトン氏が用意した(大量の)新しい羊皮紙とインクを使い、恐るべき速度で何かを書き出している。
「(顔も上げず)読んでません。『分類』と『索引』を作っています」
台帳の山を、年代別、項目別(税収、支出、資産etc.)に仕分けし、新しい紙に「どの山に、何年の、何の台帳があるか」という目録を作成していた。
(いきなり読み始めたら溺死する。まずは全体像の把握だ。どのテーブル(台帳)が存在するかをマッピングしないと、突合もできない)
マリエルは、私がやっていることの「意味」は分からない。だが、その作業に一切の無駄がなく、恐ろしいほどの「論理性」が貫かれていることだけは理解し、静かに戦慄していた。
夜になる。作業は中断しない。
マリエルが、夕食(硬いパンと薄いスープ)を離れに運んできた。(ロザリーは私を怖がるため、母屋で祖父母と食事させている)
ランプの光の下、私は、埃まみれの顔のまま、インクで指を真っ黒にして、索引作りに没頭していた。
「……お食事です」
「(視線は台帳に固定したまま)そこに置いてください」
マリエルが呆れて見ていると、私は、書き物を続ける右手とは別に、左手だけでパンを掴み、口に運び、無心で咀嚼し始めた。
(マリエルの衝撃)
食事中ですら、一切作業を止めない。目は台帳の数字を追い、右手はペンを走らせ、左手と口だけが「燃料補給(食事)」という別のタスクを実行している。
「あなたは……食事を、しながら、仕事を?」
「(口をもぐもぐさせながら)時間が惜しいんです。これは『マルチタスク』。納期(=資金が尽きる日)は待ってくれないので」
マリエルは、目の前の「元・公爵令嬢」が、貴族どころか、人間の常識からも逸脱した「何か」であることを、改めて認識した。
マリエルが、その気味悪さに食器を下げようと立ち上がった、その時。
ピタリ、と私の右手が止まった。
「……マリエル。待って」
「何でしょう」
私の目が、獲物を見つけた監査役の、鋭い光を宿す。
私は、自分が作成した「索引」の紙(新しい紙)を元に、ゴミの山から二冊の古い台帳を(一瞬で)引き抜き、机に並べた。
「おかしい。……すごく、おかしい」
インクで汚れた指が、二冊の台帳の数字を交互に指差す。
「この台帳。『(仮)ブライトン領・税収元帳・××年版』。ここの"西地区・小麦税収"は『金貨500枚』と記載」
「そして、こちら。『(仮)ブライトン家・家計支出入帳・××年版』(※1年ズレている)。ここの"前年からの繰越金"の元となったはずの"税収(収入)"の欄が、『金貨300枚』になっている」
マリエルが、眉をひそめる。「……数字が、合っていませんね」
「『合っていない』?」
私は、ランプの光に照らされた顔で、ニヤリ、と(マリエルが恐怖するほど楽しそうに)笑った。
「いいえ、マリエル。これは『合っていない(ミス)』んじゃない」
「――『消えている(・・・・・)』んです。毎年、毎年。必ず、一定の金額が」
「これは『管理不行き届き(ゴミ屋敷)』じゃなかった。……『横領』の現場ですよ」
お読みいただきありがとうございます。
「左手でパンを食べ、右手でペンを走らせる」 悲しき社畜の習性です。行儀が悪い? いえ、これは「マルチタスク」という高度なスキルです(※真似しないでください)。 マリエルさんにドン引きされていますが、本人は至って真剣です。
そして、ついに見つけました。 「500」が「300」になる魔法。 ただの管理ミスではなく、意図的に「消えている」数字。 ゴミ山だと思われていた台帳が、雄弁に「犯行」を語り始めました。
次回、『疑惑の家令』。 この動かぬ証拠を持って、深夜の緊急報告に向かいます。 経営陣(ブライトン氏)はどう動くのか。
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