表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/49

第15話:「私」にできること(生活能力の棚卸し)

育児は失敗。農作業も無理。魔法も使えない。 「ロザリア」の市場価値はゼロなのか?


絶望する主人公に、マリエルが提示した「ある仕事」。 それは普通の人なら嫌がる「汚くて退屈な作業」でしたが……。

 夜が明けた。

 だが、その光は離れの部屋の冷気を温めるには至らず、夜通し吹き込み続けた隙間風以上に、室内の空気は冷え切っていた。


 私は、粗末なベッドの上で毛布にくるまったまま、一睡もできていなかった。


 昨夜のマリエルから突きつけられた「無能です」という冷徹な宣告。そして「契約・・・です」という、業務命令の冷たさ。それらが鉛のように重く、私をベッドに縫い付けていた。


(……最悪の目覚めだ)


 前世のデスマーチ中、アラームより早く叩き起こされた、あの硬い仮眠室のベッドの感覚に酷似している。


 簡易寝台の方で、カサリ、と小さな衣擦れの音がした。

 ロザリーが目を覚ましたのだ。


 私が、ベッドから身を起こし、彼女の方へ視線を向ける。


 その瞬間。

 目が合ったロザリーは、ビクッ、と撃たれる寸前の小動物のように体を震わせた。


 そして、私が「おはよう」の一言を紡ぐ前に、泣き出すのをこらえるように慌てて寝返りを打ち、隣で静かに寝息を立てている(ように見える)マリエルの影に、その小さな顔を隠してしまった。


 ……また、拒絶された。


 胸の奥が、チクリと冷たい針で刺される。


 やがて、マリエルが(本当に寝ていたのか疑わしいほど)静かに身を起こすと、その光景を当然のこととして受け入れ、機械的な手つきでロザリーの着替えを手伝い始めた。

 ロザリーは、私から完全に目を逸らしたまま、マリエルの手をぎゅっと握っている。


 マリエルは、私に一言も告げず、ロザリーの手を引いて朝食(おそらく母屋で食べるのだろう)のために、冷たい部屋から出て行ってしまった。


 バタン、と無情に閉まる扉の音。


 一人残された部屋で、私は隅に無造作に置かれた「資金」の革袋を、胃がねじれるような思いで見つめた。


(育児(母親業)は、信頼関係の構築からだ。時間がかかる。昨日の失敗(夜泣き対応)を考えれば、焦りは禁物だ)

(でも、こっち(カネ)は違う!)

(この革袋は、時間が経てば確実に、無くなる。待ったなしだ)


 二つの重く、巨大な課題。


 私は、頭を強く振ると、思考を強制的に切り替えた。

 まず、目に見えて減っていく「カネ」の問題。短期的な問題を解決しなければ、長期的な「育児」の課題に取り組む権利すら失う。


 ベッドの上で胡坐あぐらをかき、前世の企画会議よろしく頭を抱え、「私」にできることの棚卸しを始めた。


「まず、このハードウェア……『ロザリア・ヴェルデ』。彼女に出来たことは?」


 うっすらともやがかかったように残る「元・ロザリア」の感覚を探る。


(……貴族の作法? 優雅なダンス? 刺繍? 扇子を使った華麗な罵倒の仕方? ダメだ、全部、この村では一文にもならない!)


 いや、異世界転生といえば、魔法だ。


「(出ろ!)ファイア!」


 中二病のように、乾いた手のひらを壁に向かって突き出す。


 ……シン。


 隙間風の音が、私の無謀な試みを嘲笑うかのように、虚しく響くだけ。


(ダメだ。マニュアルもチュートリアルもない。仮に魔力(MP)があっても、使いスキルが分からない。使えない。役立たず!)


 なら、ソフトウェアはどうだ。


「『佐藤葵(28)』のスキルは?」


 前世の履歴書を、脳内で展開する。


(PCスキル。Excel。関数、VLOOKUP、ピボットテーブル。PowerPoint。人を眠らせる美しすぎる資料作成。秒間10タッチの高速タイピング……)


 私は、電気も通っていない、粗末な木目の壁を睨みつけた。


(全部、PCインフラが無いと意味がない! クソ! 役立たず!)


 他に! 他に私は何をしてきた!

 地獄のようなデスマーチの日々を思い出す。


(……無茶なスケジュール管理。1円単位の経費精算。膨大な在庫データの照合。営業からの理不尽なクレーム対応。完璧なビジネス土下座。何百ページもの契約書の、睡眠不足の目で行う校正(誤字脱字チェック)……)


(……全部、『事務(雑用)』だ)


 地味で、退屈で、誰でもできる、裏方の仕事。

 こんなものが、この石と土の世界で、カネになるわけが……。


 ロザリアのスキルも、佐藤葵のスキルも、この村では等しく「無価値」なのではないか。

 その絶望に、膝から崩れ落ちそうになった、その時。


 ガチャリ、と扉が開き、マリエルが一人で戻ってきた。


 私は、この家で唯一の(恐ろしく冷たいが)情報源である彼女に、最後の望みを託すことにした。


「マリエルさん」


 立ち止まり、無表情に私を見る彼女に向かって、私は、ベッドから降り、その場で深々と頭を下げた。

 前世で、どうしようもない無茶を上司に頼み込む時の、完璧な角度で。


「私に、仕事をください。いえ、探すのを手伝ってください」

「……」

「体力仕事(農作業など)は、このロザリアがおそらく役に立ちません。ですが、それ以外で、私にもできる仕事は、この村(領地)にありませんか? どんな雑用でも構いません」


 マリエルは、貴族令嬢のプライドが欠片もない、私の必死の懇願を、冷ややかに見下ろしていた。

(こいつに何ができる)と、即座に切り捨てられるかと思った。


 だが、違った。

 彼女は、わずかに小首を傾げ、本当に「思考」しているようだった。

 私を「元主人」ではなく、「使えない労働力(仮)」として、その価値を査定している目だった。


「……あなたに、できる仕事」


 やがて、マリエルは母屋の方を見やり、事実を淡々と述べ始めた。


「お父様(ブライトン氏)が、領地の『税収管理』にずっと頭を悩ませていました」


「税収、管理?」


 私の耳が、その単語にピクリと反応した。


「はい。そして『台帳』です。この領地は古いだけで、税の記録も何十年も、古い帳簿にただ継ぎ足しているだけだと」

「……」

「母屋には、開かずの間があります。そこは、カビ臭い、古い帳簿の山で埋まっています。誰も手を付けられません」


「お父様は『もはや領地の正確な税収(収入)すら把握できない』と嘆いていましたが、それを整理する時間も、技術も、人手もありません」


 マリエルは、そこで言葉を切ると、私を見た。


「(元)貴族令嬢あなたには、縁のない、汚くて退屈な作業ですが……」


 マリエルの言葉は、そこで途切れた。

 先ほどまで絶望に打ちひしがれていた私が、ゆっくりと顔を上げていたからだ。


(古い帳簿。継ぎ足し。カビ臭い。誰も手を付けられない。膨大なデータの山。正確な数字(収入)が把握できない……)


 その単語の羅列は、絶望ではなかった。

 それは、地獄の底で見つけた、一本の蜘蛛の糸だった。


(それって……)


(それって、前世で私が何度もやらされた、システム移行前の『旧データ突合とつごう&クレンジング作業』そのものじゃない!)


 私の瞳に、マリエルが初めて見る、鋭く、飢えたような、強烈な「光」が宿っていた。


(『私の専門分野デスマーチ』だ……!!)

お読みいただきありがとうございます。


「『私の専門分野デスマーチ』だ……!!」 マリエルさんは「汚い雑用」として紹介しましたが、元社畜にとっては「未処理データの山(=宝の山)」に見えてしまいました。 目が死んでいた主人公に、狂気の光が宿った瞬間です。


ExcelもPCもない世界ですが、やることは前世の「システム移行前のデータ突合」と同じ。 ついに、佐藤葵のスキルが火を噴く時が来ました。


次回、『開かずの間と絶望的な台帳データの山』。 マリエルも引くほどの熱量で、主人公がゴミ山へダイブします。


「その仕事にワクワクするのは社畜だけw」「覚醒きた!」と思われた方は、 ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ