第12話:初めての接触(ファーストコンタクト)
感動の親子対面……のはずでした。 しかし、佐藤葵(28・独身)の引き出しには「子供をあやすスキル」など入っていません。
あるのは「取引先への営業スマイル」のみ。 結果はお察しの通りです。
「――あなたのお母様ですよ」
夕暮れの冷気が肌を刺す中、マリエルの静かな声は、張り詰めた糸を断ち切る鋭利な刃物のように響いた。
すべてが、止まる。
屋敷の前に立ち尽くす全員の呼気が、薄青い靄となって凍りついた。
え。なに。今?
言葉にならない絶叫が、私の内側でこだました。心の準備どころか、笑顔の練習、母親としての演技指導、そのどれもが未着手のまま、あまりにも無慈悲な幕が上がる。
マリエルの両親――ブライトン夫妻が、「何を言うんだ、マリエル」と、娘の突飛な行動に絶望を刻み込んだ顔で硬直している。
そして、当のロザリーは。
私と、あの母と同じ、燃えるような赤毛。その小さな少女が、怯えを映した大きな瞳で、私を見上げていた。
「お母様」という響きと、目の前の「知らない女」。二つの存在が、彼女の小さな世界で激しく衝突し、うまく像を結ばないでいる。
どうすれば。
パニックが冷たい蛇のように背骨を駆け上がり、思考を麻痺させる。前世は年齢イコール彼氏なし、社畜研修のカリキュラムに三歳児のあやし方など含まれていない。
だが、沈黙は許されない。
私は必死で、前世の「新規取引先への初回訪問」で叩き込まれた業務用の笑みを、ぎこちなく顔面に貼り付ける。
震えが止まらない。その震えが伝わらぬよう、恐る恐る、手をロザリーへと差し伸べた。
「あ……あの……」
声が、乾いた喉に張り付いて掠れる。
「わ、私が……お母、さん……です?」
最悪だ。語尾が情けなく跳ね上がり、疑問形になった。
その瞬間。
私の差し伸べた手と、自信のかけらもない声。それが、ロザリーの脆い均衡を崩す、決定的な引き金となった。
くしゃり、と。少女の顔が恐怖に歪む。
声にならない悲鳴がその小さな喉から迸り、彼女はくるりと背を向けた。
先ほどまで隠れていた祖母(ブライトン夫人)のスカートの裾。そこが唯一の避難所であるかのように、今度は両手で強く、強く掴み、その影に顔を埋めてしまう。
「……あ」
差し伸べた私の手は、夕暮れの冷気の中で行き場を失ったまま、凍りついた。
明確な、拒絶。
心臓が、氷を詰められたように鈍く痛む。
ブライトン夫人が、困惑しながらも、庇護するように孫の背を撫でている。その無意識の仕草が、私という存在を「敵」だと規定しているようで、さらに胸が軋んだ。
耐え難い沈黙が、墓地のように場を支配する。
この地獄を演出したマリエルだけが、これが現実です、とでも言いたげな無表情で、凍りついた私たちを見つめていた。
静寂を破ったのは、父親(ブライトン氏)だった。
深く、疲れたため息が漏れる。彼はごしごしと眉間を揉み、重い口を開いた。
「……立ち話もなんだ」
その視線が、まず娘を呆れたように一瞥し、次いで私へと移る。
目には、元・公爵令嬢という過去の身分への無意味な遠慮と、どうしようもない「厄介事」を前にした険しさが、隠しようもなく滲んでいた。
「マリエル。そして……ロザリア様」
彼は、私を「様」付けで呼んだ。
それは敬意ではない。これ以上、内側には踏み入らせないという、冷たい境界線。
「奥へ。まずは中に入っていただこう」
古びた屋敷の扉へと顎がしゃくられる。
「今後について、当事者全員で、現実的な(・・・・)お話をさせていただく」
現実的な、お話。
その単語が耳に入った瞬間、前世の記憶が蘇り、私の胃がキリキリと痙攣した。知っている。そのフレーズを私は知っている。上司が「(予算削減の)現実的なお話をしよう」と切り出す、あの忌まわしい会議の招集通知だ。
始まった。育児の前に、まずは予算会議(査定)からか。
私を「知らない怖い女」と拒絶する娘。
私を「ロザリア様」と呼び、現実を突き付ける保護者。
そして、この全てを仕組んだ、無表情の元メイド。
逃げ場のない、四面楚歌。
私は、行き場を失っていた手を無言で引っ込め、冷たい石畳を見つめた。
これから始まる「査定」を覚悟し、古びた屋敷の、薄暗い玄関口へと、重い一歩を踏み出した。
お読みいただきありがとうございます。
「私が……お母、さん……です?(疑問形)」 自信の無さと、貼り付けたような営業スマイル。 3歳児にとってはホラー映像だったようです。全力で拒絶されました。
祖父母(ブライトン夫妻)からも「厄介者」扱いされ、四面楚歌の状態。 メンタルが削られていきますが、落ち込んでいる暇はありません。
次回、場所を応接室に移して「現実的なお話(査定)」が始まります。 育児はLv.1でも、修羅場の会議ならLv.99です。 社畜の本領発揮にご期待ください。
「営業スマイルで泣かれるの辛いw」「次回の反撃(?)楽しみ!」と思われた方は、 ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!




