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 女王の館までキヌアを送り届け、ワスランは帰っていった。ワスランに抱きかかえられて戻ってくる間に、キヌアの中に様々な想いが去来していた。少女のときに抱いていた憧れとは違うものが、彼女の中で大きく膨らんでいることには気付いていた。しかしそれがあまりにも狂おしい想いになっていたことは自覚していなかったのだ。

 ともに戦いに臨むことができたときには、その情熱を戦いに向けることができた。しかし、それが無くなった今、ワスランへの想いが行き場を失って溢れ、さらにその腕に抱きとめられたとき、それは張り裂けそうな痛みとなってキヌアを襲ってきた。

 カシュカの……いや、満月の宴でこれまで誰の求愛も受け入れられなかった原因は、それだったのだ。


 のろのろと着替えをしていると、ティッカがやってきた。


「まあ、キヌアさま、ひどい(なり)ですよ。いくら気晴らしをしたいからといって、夜中に出ていくなんて、危険です。どこかで躓いて転んだのですか?」


 もうすっかり身体は乾いていたので、河で泳いでいたことは、ティッカには分からないようだ。夜中に散歩をしていて、どこかで転んだのをワスランが助けて送ってきたのだと思っているらしい。勿論、カシュカが忍び込んできたことも知らないようだ。

 ティッカは、キヌアの着替えを手伝いながら言った。


「女王さまから、お着替えになったらすぐに女王の間に来るようにと言付かってきました」


「分かったわ」


「さすがに、今回は随分お叱りを受けるかもしれませんね。覚悟なさっておいたほうがいいですよ!」


 誤解したまま、意地悪く微笑むティッカに、キヌアは少し救われた気がして、「そうね」と笑った。



 女王の間には、ごく少数の側近と、女王の前に跪いて項垂れているカシュカがいた。キヌアは心の中で大きな溜め息を吐く。もう触れてもほしくない出来事に向き合わなくてはならないとは。憂鬱な顔で玉座の脇に立った。女王は片ひじを玉座の背もたれに乗せてこめかみを押さえていた。


「キヌア、すまなかった。まさか、このようなことになろうとは。そなたと婚約するはずだったこの男ならば、そなたを思いやってくれると思っていた。それなのに、無理やり迫った上にそなたを罵倒するとは……」


「お母さまも十分ご承知だと……」


 キヌアは皮肉を籠めて言った。


「私はそなたが向こうの後宮で失態をおかしてほしくなかったのだ。そなたがこれまで求婚者に取ってきたような態度をすれば、即刻捕えられて首を刎ねられようぞ」


「そんなこと、いくら私にだって、分かります!」


 叫びながら、心の中では、カシュカに言われるまでまったく自覚していなかったことを後ろめたく思った。


「キヌア、この男の処置については、そなたの判断に任せる。そなたを侮辱したことがどうしても赦せないのなら、この場で首を刎ねてもよいぞ」


 カシュカはますます小さくなって項垂れた。しばらく縮こまるカシュカに目を落としていたキヌアだが、やがて大きな溜め息を吐き出して言った。


「貴重な戦士を、このようなことで失ってはいけません。ましてやこの男は天の女王軍の中でも重要な立場を担うもの。この男が私にした仕打ちは到底赦すことはできませんが、その償いは、戦場での功績という形でしてもらいましょう」


 カシュカはキヌアの言葉にさっと顔を上げたが、キヌアはその視線を受け流して顔を背けると、さっさと女王の間を後にした。


 部屋に戻ると昨夜からの疲れが一気に襲ってきた。(とこ)に身体を投げ出して、天井を見つめながらぼんやりと思いを巡らせる。

 キヌアに対してカシュカが犯した大きな罪とは、無理にキヌアに迫ったことでも愚弄したことでもない。無意識のうちにキヌアが封印していた想いを蘇らせてしまったことだ。そうでなければ、多少の痛みを我慢してケチュアに行くことができた。そしてやがて忘れることができただろう。しかしその想いを自覚してしまった今、もうそれを押さえ込むことはできそうにない。

 ワスランに借りた掛け布は、着替えたときのままそこに投げ出されていた。キヌアはそれを搔き抱くと、誰にも知られないように声を殺して泣いた。




 いよいよ、湖畔の動きが慌ただしくなってきたと、監視から報せがあったのはそれからすぐのことだった。前回の襲撃からだいぶ時間が経ったのはおそらく、毒矢の効果は予想よりも芳しいものだったので、コヤではこの兵器を大量に用意していた為だろう。キリスカチェも指を咥えて待っていたわけではない。毒矢に対する準備は十分に整っていた。さらにキリスカチェの戦士たちの強化も十分に為されていたのだ。

 

 その夜、出陣の心構えをするためにキリスカチェで壮行の祭典が行われた。

 祭典の最後には、大きな焚き火を挟んで、戦地に赴く者たちと留守を守る者たちに分かれて、長い歌謡がやり取りされる。高く低く繰り返すメロディの掛け合いが夜半まで延々と続く。不思議な、ともすれば不気味な響きに、高原(プナ)の夜行動物たちもどこかに潜んで耳を澄ましているのだろう。ときどき謡が途切れると辺りは異常なほどの静寂に包まれた。


 最近は奇襲を仕掛けられることが多く、この祭典は省かざるを得ないことが多かった。しかし本来キリスカチェはこうして士気を高めてから戦いに臨む部族である。戦いに赴けば、あるいは訪れるかもしれない自らの死、または仲間の死を覚悟するのだ。そして死後も生者との繋がりを持ち続けられるようにと願うのだ。


 戦士として戦場に立つようになってから、キヌアは留守を守る側に並んだことはなかった。戦士を送り出す側になったのはほぼ初めてのことである。キヌアは自分の側の謡を謡い終え、焚き火の向こうのワスランを見た。ひとときの静寂を経て、ワスランの側にいる戦士たちが謡い始める。その声を聴いているうちに、キヌアは次第に不安を抱いていった。


―― ワスランに、もしものことがあったら…… ――


 極限まで気持ちを高揚させ、真っ先に戦地に向かう立場であったキヌアには、これまでまったく想像できなかった気持ちだ。残される側がどれほどの不安と無力さを感じるかなど。そうとは知らず、キヌアはそれが悪いことの予感だと思い込んだ。



 長い長い厳かな宴は、夜半過ぎに終わった。この宴を終えればあとは出陣を待つばかりだ。戦士たちはこのあと僅かな睡眠を取り、日が昇れば出陣する。

 この戦いでフリカとコヤにキリスカチェの存在が不動であることを知らしめ、さらにケチュアの後ろ盾を得たことを公表すれば、この高原(プナ)の平和が保てるのだ。

 負けられない重要な戦いに臨む戦士たちは、緊張から深く眠ることなどできないだろうと、そのまま焚き火の傍で仮眠を取るものもいた。


 ワスランは宴を終えるとまっすぐに自分の家に戻っていった。キヌアはすぐさまその後を追った。宴を終えたあとは朝までみな思い思いに過ごすので、キヌアが女王の館に戻らないことを不審に思うものはいない。その夜が最後のチャンスだ。


 ワスランが自宅としている簡素な小屋に戻って囲炉裏に火を入れたとき、キヌアが彼を追って小屋に入ってきた。驚いて顔を上げたワスランの首にキヌアはしがみつく。


「姫! どうされたのですか」


 ワスランはキヌアの身体を引き離そうとしたが、キヌアはますます力を込めてしがみついた。


「どうか。このまま夜明けまで一緒に。そうでないと、貴方とは二度と会えないような気がする」


「貴女らしくもない。初めて留守を預かる側になって、勝手が違ってしまったのですね。それでも縋る相手を間違えているのではないですか」


 ワスランはキヌアを無理に離そうとするのを諦め、そう冗談めかして笑った。


「間違えてなどいないわ。私は貴方と一緒に過ごしたいの。今になって思ったことじゃない。ずっと貴方とこうして夜を過ごしたかった。貴方にとって私はいつまでも小さな姫でしょうけど、私はもう大人なのよ。貴方を愛するひとりの女なの」


 そう言うと、キヌアはワスランの頬を掴んで口付けた。ワスランはキヌアを引き離そうとも抱き寄せようともしなかった。キヌアの為すがまま、その口付けを受けていた。しばらく経って唇を離したキヌアは、間近に彼の目を覗き込んで言った。


「貴方が亡くなった妻を忘れられないことは分かっている。妻の願いだからこそ、私の傍にいてくれたのだということも。

 幼い頃は、貴方が父の代わりだと思っていたわ。そしていつでも貴方が私を護ってくれるのだと信じていたわ。けれど、自分の身を自分で護れるようになったとき、そして貴方とともに戦地に立って戦うようになったとき、貴方のことを最も偉大な戦士として憧れるようになっていた。それはいつのまにか恋心に変わっていたの。

 これまでは、そんなことを認めなくても、貴方はいつだって傍にいた。だから幸せだった。当たり前過ぎて、それが幸せだということに気づきもしなかった。でも、もうすぐ私はキリスカチェを出て行く身。もう二度と会えないと思ったら、この気持ちを受け止めてもらわなくては済まなくなったの」


 熱に浮かされたような目をして、キヌアは一気に語った。その間ワスランは一言も発することなく、表情も変えずにキヌアを見ていた。キヌアはふたたび彼の唇に自分のそれを重ねる。

 ワスランは今度はキヌアの背中をそっと支えた。

 囲炉裏の赤い炎が、闇の中からふたりの姿を炙り出していた。

 



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