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どれほどのときが経っただろうか。ただキヌアの為すが様に任せているだけのワスランから身体を離したキヌアは、少し苛立って言った。
「どうして? 私の想いを受け止めてくれないの? 貴方は私のことを女とは見ていないのね。あるいはいつまで経っても幼い少女でしかないのね」
ワスランは少し身を屈めると、大きな掌でキヌアの頬を包んでその瞳を覗きこんだ。
「いいえ。姫は私にとって誰よりも愛しい存在です。はじめはカリ王への忠誠心と、妻への罪悪感から貴女の成長を見守っていました。しかし、いつのまにかそれはおこがましいことだと思い始めた。何故なら姫は私などが手ほどきをするまでもなく、豊かなその才能を発揮し一流の戦士となられた。それはお父上から受け継いだ血によるものです。
姫に従って戦いに臨むたび、私は姫のことを尊敬に値する戦士として憧れました。そして同時に強さと美しさを兼ね備えた理想の女性として見ていました」
「だったら、想いは同じだったのだわ。それなのに貴方と寄り添って生きていくことは叶わない。だからせめて一度だけでも……」
ワスランはそっとキヌアの身体を離して立ち上がった。そして部屋の隅に置かれた甕から白い液体をふたつのカップに注いで持ってきた。
「気付けです。少し落ち着かれたほうがいい」
キヌアにそのひとつを渡して、ワスランは残ったカップの中身を呷った。
キヌアは遠慮がちにカップの中身に口を付けた。甘い刺激が口の中に広がる。高揚していた気持ちが少し落ち着くのを感じた。キヌアがカップの中身をだいたい飲み終えたことを見届けて、ワスランは口を開いた。
「私は心から貴女を大切に想っている。それは女性として憧れている部分もあれば、わが子のように守ってやりたいと思う部分もあるのです。
一方で姫は私に憧れていると言ったが、それは幼い頃から私の生き方や戦い方の影響を強く受けてきたからなのでしょう。貴女の持って生まれた才能があるにもかかわらず、私は余計な手ほどきをすることで大きな影響を貴女に与えてしまった。姫はいつのまにかそれを理想とするようになってしまったのです。
姫、貴女は本当の恋を知らないのです。私への想いは幼子が庇護者を求めているようなもの。誤解してはいけません。
私には分かる。姫はそのうち本当の恋を知るようになる。そのとき、私への想いは幼い憧れだったと気づくでしょう」
「無理よ! 私は異国の王の後宮に入るのよ! どうしてそんな恋が出来るというの?」
キヌアの剣幕にワスランは静かに首を振った。
「それでも、貴女の人生が終わるわけではない。
雲は……。決して風の流れに逆らうことはありません。風に流され千切れて消えて、しかしいつかはふたたび大きな塊となり、白く耀くことができる」
「そんな。そんなこと、信じられないわ」
「私には分かる。誰よりも愛しい貴女のことですから」
ワスランはキヌアの顔を引き寄せ深く口付けた。そしてキヌアの身体を両腕でしっかりと包み込んだ。
キヌアにはワスランが言おうとすることの意味が分からない。彼は自分のことを心から愛していると言いながら何故、キヌアが彼を想う気持ちは幼い憧れに過ぎないと言い切ってしまうのだろうか。
キヌアはワスランを逃がすまいとするように、背中に回した手に力を込めた。ワスランの温かい腕の中で、やがてキヌアの意識は遠のいていった。
朝の光が差し込んでキヌアの顔を照らした。その光でキヌアは目を覚ました。
気づくと女王の館の自分の部屋にいた。昨夜の祭典で着ていた服のままだ。ワスランが眠ってしまったキヌアをここまで運んできたのだ。
途端に屈辱で心が煮えくり返りそうになった。ワスランはキヌアの気持ちをうまくはぐらかして、酒に薬湯を混ぜて眠らせたのだ。
外は騒がしい。いよいよ出陣のときが迫り、戦士たちが待機しているのだ。この戦いで部落に残るものは僅かだ。キリスカチェの大半のものがそこに集結しているといってもいい。女王の館もキヌアと僅かな侍女だけになる。
「姫、お目覚めになりましたか」
入り口の掛け布の向こうから響いてきた声にキヌアの心が大きく動揺する。それはワスランの声だった。昨夜は自分の一大決心をはぐらかしておきながら、よくも平然と声を掛けられるものだと思うと怒りでいっぱいになり、返事を返す気になれなかった。
キヌアの返事が聞こえなくても、ワスランは構わずに続ける。
「いよいよ、出陣のときが参りました。姫の後任を預かり、立派に作戦を成功させてまいります。そしてフリカとコヤにキリスカチェの実力を見せ付けてやります。どうかわれわれの武運を祈っていてくださいませ」
キヌアはその声を聴きながら、服の裾を握り締めた。
「……ってこい……」
ほとんど聞き取れないような声でキヌアは何かを呟いた。ワスランはキヌアの小さな声に聞き耳を立てた。
「……潔く、敵に首を捕らせてこい、ワスラン」
その声は微かだが、激しい怒りが籠められていることが分かる。ワスランがキヌアの想いを受け止めなかったことを彼女は責めているのだ。
つぎの瞬間、キヌアは入り口の掛け布を勢いよく開けて、ワスランの前に立った。そして叫んだ。
「無事に戻ってきて、おめおめとその姿を私の前に晒したときには、私がその首を斬りおとしてくれる!」
ワスランはキヌアの怒りを最初から承知していたというように、平然とキヌアに答えた。
「それは何と光栄なことだ。姫にこの首を捧げられるとは! それではぜひとも戻ってこなくてはなりますまい」
ワスランは高らかに笑った。キヌアは言葉にならない叫び声を上げるとワスランの懐に飛び込み、その胸を拳で何度も叩いた。これではまるで駄々っ子だ。ワスランの言うことが正しかったのだと思わざるを得ない。悔しさからか、涙があとからあとから溢れてきた。
胸の中で泣きじゃくるキヌアを、ワスランは強く抱き締め、耳もとで囁いた。
「私はいつでも、どこにいようと姫の幸せを願っています。私がこの世で愛するたったひとりの人なのですから」




