店番
チルダが本社の定期メンテナンスに呼ばれた日、店のシャッターは、いつもの時間に上がった。
ルヴィリアが二階から降りてくると、カウンターの内側に、白銀の髪が見えた。
「……コラプス」
「おはよぉ、ルヴィリア」
コラプスは、カウンターに帳簿を広げていた。瞳はシアン。今朝は、一包も「差し」ていない。
「何をしている」
「店番」
「チルダに頼まれたのか」
「頼まれてないよ。チルダがいない日は、わたしがやってるの」
ルヴィリアは、しばらくその場に立っていた。
知らなかった。チルダがメンテナンスで不在の日、自分は店を閉めて街を歩いていた。
その間、この店が開いていたかどうかを、確かめたことはなかった。
「……いつからだ」
「んー、ちょっと前くらい?」コラプスは、帳簿をめくった。
「閉めてるとさ、常連さん困るでしょ。ラジオの爺ちゃんとか」
*
最初の客は、開店から十分後に来た。
乾物屋の老人だった。いつものように、壊れたラジオを抱えている。
「おや、今日はコラプスちゃんかい」
「おはよぉ。また壊れたの」
「音が出なくてねえ」
コラプスはラジオを受け取り、裏蓋を開けて、中を一瞥した。
「スピーカーの線、外れてるだけ。チルダが戻ったら、すぐ直るよ。明日の昼には渡せる」
「助かるよ」
「修理代、いつもの額でいい? 部品交換ないから、工賃だけ」
「ああ、それで」
コラプスは受付票に、老人の名前と、症状と、受け取り予定日を書き込んだ。迷いのない字だった。
老人が帰ったあと、ルヴィリアは言った。
「……修理は、できないんだったな」
「わたし、ハードは無理だもん。チルダに回すだけ。でも、何が壊れてるかくらいは分かるよ。見積もり出さないと、お客さん不安でしょ」
昼前に来たのは、見慣れない男だった。
作業着は砂と錆で汚れ、背中に大きな袋を担いでいる。
回収業者だ。戦闘区の外縁で拾ったジャンクを、こうした店に持ち込んで売る。
「買い取り、やってるかい」
「やってるよぉ。見せて」
男は袋を開け、カウンターの上に中身を広げた。
旧式の端子、制御基板の切れ端、錆びた放熱板、モーターの残骸。
コラプスは、それらを一つずつ手に取った。
そして、一つずつ、鼻先に近づけた。
男が、怪訝な顔をした。
「……何してるんだい」
「匂い、嗅いでる」
「匂い?」
コラプスは答えず、部品を三つの山に分けていった。迷いがなかった。
「これと、これと、これ。東の外縁で拾ったでしょ。磁場、ほとんど浴びてない。いい状態。相場通りで買う」
「……ああ」
「これは、西の方。多分……第二十二区画の縁あたり。磁化してる。脱磁しないと売り物にならないから、その手間ぶん、三割引き」
男が、目を見開いた。
「なんで、場所が分かる」
「匂いが違うもん」コラプスは、最後の山を指した。「で、これは買わない」
「なんでだ」
「生の辰砂が、まだ中に残ってる。このまま置いとくと、隣の部品まで磁化しちゃう。店の在庫、全部だめになる」
男は、しばらく黙っていた。
「……あんた、本当にジャンク屋か」
「店番」
「店番が、そこまで分かるのか」
「分かるよぉ」コラプスは、シアンの瞳で笑った。
「あと、今週は東の外縁の端子、値が下がってるから。先週の相場で言われても困るからね」
「……なんで、相場の動きまで知ってる」
「調べてるもん」
男が帰ったあと、ルヴィリアは興味深そうにカウンターの横の椅子に腰を下ろした。
「相場を、調べているのか」
「うん」コラプスは、買い取った部品を棚に並べながら答えた。
「旧仙京のジャンク市場、週に二回、値が動くの。月曜と木曜。回収業者が戦闘区から戻ってくる日」
「なぜ、そこまで」
コラプスは、手を止めた。
「……辰砂の値段と、連動してるから」
「辰砂の」
「生の辰砂の相場が上がると、戦闘区に入る回収業者が増えるの。業者が増えると、ジャンクがいっぱい持ち込まれて、ジャンクの値が下がる。逆に、辰砂が下がると、業者が減って、ジャンクが上がる」
コラプスは、帳簿の後ろの方を開いた。そこには、日付と、数字が、びっしりと並んでいた。生の辰砂の取引価格。ジャンクの品目ごとの買い取り額。回収業者の出入りの回数。
「わたし、一包いくらか、知ってるから」
ルヴィリアは、その帳簿を見た。
「チルダが仕入れてる生の辰砂、わたしが毎回「差し」てる分。あれ、タダじゃないでしょ。チルダ、何も言わないけど」
「……」
「だから、せめて、店の分は損させたくないの。わたしの一包のぶん、店で取り返してる。……つもり」
コラプスは、帳簿を閉じた。
「シラフのときしか、できないけどね。差してると、数字、見えなくなるから」
午後には、さらに三人の客が来た。
旧式の電源を探しに来た学生。部品を一つだけ買いに来た近所の修理工。そして、店の前で立ち止まり、奥の棚を指差した若い男。
「あの棚の部品、いくら?」
男が指したのは、店の奥の壁際。「非売品」の札が下がった、古い棚だった。
端末で本社とやり取りをしていたルヴィリアの手が、膝の上で、わずかに止まった。
コラプスは、そちらを見もしなかった。
「あれは、非売品」
「いくら出しても?」
「いくら出しても。チルダの決まり」
「店番の判断で、ちょっとくらい」
「店番は、決まりを変えないの」コラプスは、にこりと笑った。
「代わりに、似たような年式の部品なら、こっちの棚にあるよ。半額以下で」
男は少し迷ってから、手前の棚の部品を一つ買って帰っていった。
扉が閉まったあと、ルヴィリアは、しばらくコラプスを見ていた。
「……あの棚には、触らないのだな」
「触らないよ」
「匂いは」
コラプスは、帳簿に売上を書き込みながら、少しだけ間を置いた。
「チルダの決まりだから、嗅がないことにしてるの」
それ以上、コラプスは何も言わなかった。
ルヴィリアも、何も訊かなかった。
チルダが戻ってきたのは、夕方だった。
「ただいまー。……あれ、開いてる」
カウンターの内側で、コラプスが帳簿を差し出した。
「おかえり、チルダ。今日の売上と、買い取り。ラジオのおじいちゃんの修理、明日の昼渡し。スピーカーの線」
チルダは帳簿を受け取り、ページをめくった。めくるうちに、眉が少しずつ上がっていった。
「……これ、あたしがいる日より売上いいんだけど」
「買い取りで、磁化したやつ三割引いたから」
「三割?」
「西の第二十二区画のやつだった。脱磁の手間ぶん」
「よく分かったね」
「匂いで」
チルダは、帳簿を閉じて、コラプスを見た。
「あんたさ、あたしより商売うまくない?」
「相場、見てるもん」
「あたしは見てない」
「知ってる。だから、わたしが見てるの」
チルダは、しばらく黙っていた。それから、カウンターの下の引き出しを開けて、薄紙の小包を一つ取り出した。
「……はい。今日の分」
コラプスの瞳が、ぱっと明るくなった。
「やった」
「店番のぶんね。任務じゃないから、ギリギリまで攻めていいよ。明日の朝までに戻ってくれば」
「戻るよぉ。明日もラジオ渡さなきゃだし」
コラプスは小包を受け取り、嬉しそうに二階へ上がっていった。
店に、チルダとルヴィリアだけが残った。
チルダは帳簿をもう一度開き、後ろのページの、びっしり並んだ数字を眺めた。
「ボス、知ってた? あの子が店番してたの」
「今日、知った」
「あたしも、最初は知らなかったんだよね。帰ってきたら帳簿が付いてて、売上が増えてて」
チルダは、ページを指でなぞった。辰砂の相場。ジャンクの値。日付。
「……あたしが仕入れてる一包の値段、全部書いてある」
「知っている、と言っていた。一包いくらか」
「何も言ってないのにね」
チルダは、帳簿を閉じた。
「あの子、差してるときは、あんなだけどさ。シラフのときは、ちゃんと見てるんだよ。数字も、店も、あたしたちのことも」
「……非売品の棚のことも、見ていた」
チルダの手が、帳簿の上で止まった。
「嗅いだ?」
「嗅がないことにしている、と言っていた。お前の決まりだから、と」
チルダは、長く息を吐いた。それから、少しだけ笑った。
「……あの子らしいね」
二階から、コラプスの鼻歌が聞こえてきた。調子外れで、どこか楽しそうな歌だった。
ルヴィリアは、店の奥の棚を見た。旧式の部品が、今日もいつもと同じ顔で並んでいる。
この店には、決まりを守る者が、また一機、増えていた。




