配属
クローザーがDollsに配備されたのは、一年半ほど前のことになる。ルヴィリアとチルダで始まった部隊に、アイシアが加わり、その次がクローザーだった。
単独戦術仕様のType-LI。出力、反応速度、演算能力、どれを取っても部隊の既存機を上回る新型だった。本社は、その性能に期待して彼女を投入した。
だが、配備から一月も経たないうちに、問題が起きた。
*
起動から、七十二時間。
クローザーは、本社地下第三層の起動調整室で、天井を見ていた。
性能試験は、すべて終わっていた。
出力、反応速度、演算能力、センサーの解像度。
どの数値も、既存のType-LIの基準値を大きく上回った。
試験官たちは、その数値を見て満足そうに頷き、書類に判を押し、部屋を出ていった。
それから、誰も来なかった。
『単独戦術仕様機。配属先、決定待ち』
端末の表示は、四十時間、それから変わらなかった。
「……暇」
クローザーは、天井の継ぎ目を数え始めた。四百十二本目で、扉が開いた。
*
入ってきたのは、機械の腕と脚を持つ男だった。
少しだけ遅れて床を踏みしめる歩き方。手に、薄い書類を一枚。
「待たせたな」
「四十時間」
「……数えていたのか?」
「天井の継ぎ目も、数えた。四百十二本」
男は、天井を見上げて、少しだけ口元を緩めた。
「戦術対策部門の蘇芳だ。お前の配属先を伝えに来た」
蘇芳は、書類をクローザーに渡した。
『配属先:戦術対策部門 特命部隊「Dolls」 所在地:新都西方、旧仙京との境。ジャンク屋の二階。 部隊構成:指揮官機一、支援機一、工兵機一。現状、本機を以て四機編成とする』
クローザーは、所在地の欄を二度読んだ。
「……ジャンク屋」
「ジャンク屋だ」
「部隊の拠点が、ジャンク屋の二階」
「公式には、拠点ではない。部隊の待機室は、この本社の地下第四層にある」
「じゃあ、なんでジャンク屋の住所が書いてある」
「部隊が、実際にはそこにいるからだ」
クローザーは、書類から顔を上げた。
「公式には存在しない拠点の住所が、公式の書類に書いてある」
「そうだ」
「非合理」
「知っている」蘇芳は、あっさり言った。
「本社は、あの店の場所を知っている。知っていて、黙っている。あの店からは、本社では拾えない話が流れてくるからな。お前も、そのうち分かる」
「分からないかもしれない」
「分からなくてもいい。行けば、そこが部隊だ」
*
本社の通用口を出たのは、昼過ぎだった。
支給品の小銃を一丁。
予備弾倉を四つ。
耐磁コーティングのジャケット。
それが、クローザーの持ち物のすべてだった。
送迎はなかった。「歩いて行け。道を覚えろ」と、蘇芳は言った。
新都の大通りは、明るかった。
辰砂の電飾が昼の光の中でも脈打ち、人が行き交い、屋台の湯気が立っている。
クローザーは、歩きながら街を演算した。
信号の周期。
人の流れの密度。
建物の高さ。
射線の通る角度。
遮蔽物になる柱の位置。
三ブロックごとに、最短経路を再計算した。
「……人が、多い」
戦闘区の想定データでしか訓練していなかった。
こんなに多くの、撃ってはいけないものに囲まれて歩くのは、初めてだった。
路地に入るたびに、街の匂いが変わった。
新都の大通りの、乾いた電飾の匂いから、少しずつ、油と錆と、煮物の匂いへ。
新都の西。
路地の向こうは、もう旧仙京の下町だった。もう少し超えれば、境界区――検問所が見えてくる。
低い家並み。軒の低い乾物屋。古い流行歌を流すラジオの音。
その境目に、看板の電飾が半分切れた店があった。
〈チル■・ジャ■ク 〉
最後の一文字が、欠けていた。
*
クローザーは、店の前で立ち止まった。
扉の向こうから、話し声がした。
「だから、その部品はそっちの棚じゃないって」
「先ほど、こちらでいいと仰いました」
「言ってない」
「仰いました。三十分前に」
「……言ったかも」
クローザーは、扉を開けた。
店の中は、狭かった。
壁一面の棚に、旧式の部品がぎっしりと並んでいる。
端子、基板、配線の束、錆の浮いた装甲片。奥に作業台。その手前のカウンター。
カウンターの内側に、作業着の女がいた。
黄色のツインテール。煤のついた頬。口元に、何か面白がっているような笑み。
その横で、部品の箱を抱えた機体が、困ったように立っていた。
マゼンタの長髪に、整った顔立ち。丁寧な姿勢。
二機が、同時にクローザーを見た。
「あ」作業着の女が言った。「新人?」
「配属の、クローザー」
「来た来た。本社から連絡あったよ。今日の午後に一機寄越すって」女は、カウンターから身を乗り出した。「あたし、チルダ。工兵。この店の店主」
「店主」
「そう。部隊の工兵で、店の店主。両方」
部品の箱を抱えた機体が、箱を作業台に置き、クローザーに向き直った。
「アイシアです。指揮官の支援機を務めています。四か月前に配属されました。……よろしくお願いします」
「四か月」
「はい」
「先輩」
アイシアは、少しだけ目を瞬いた。
「……そう、なりますね」
*
「指揮官は」クローザーが訊いた。
「奥」チルダが、作業台の向こうを顎で示した。
作業台の向こうに、もう一機いた。
ライトグリーンの長髪をポニーテールに結い、白い戦闘服の上に紺の外套を羽織っている。
作業台の上で、小銃を分解していた。クローザーが入ってきたことには気づいているはずなのに、顔を上げなかった。
クローザーは、その機体のスペックを照会した。
Type-L。統合戦術フレーム。指揮官級。
出力。自分より低い。
反応速度。自分より低い。
演算能力。自分より、かなり低い。
センサーの解像度。自分より低い。
どの数値も、自分の方が上だった。
「……指揮官」
「ああ」
声だけが返ってきた。
手は、銃の部品を拭き続けている。
「スペック、あたしより低い」
チルダが、カウンターの内側で、小さく吹き出した。
アイシアが、慌てたようにクローザーの方を見た。
作業台の向こうの機体は、ようやく手を止めた。
顔を上げる。シアンの瞳が、クローザーを見た。
「そうだ」
それだけだった。
「なのに、指揮官」
「そうだ」
「なぜ」
指揮官は、少しだけ間を置いた。
「そのうち分かる」
それから、また銃の部品に目を戻した。
クローザーは、しばらくその横顔を見ていた。
答えになっていない。演算で、何も導けない。
「……分からないかもしれない」
「分からなければ、分かるまでいろ」
*
チルダが、クローザーを二階に案内した。
狭い階段を上がると、短い廊下に扉が四つ並んでいた。一番奥の扉を、チルダが開ける。
「ここ、あんたの区画。狭いけど、我慢して」
中には、簡易の寝台と、小さな棚と、窓が一つ。
窓からは、旧仙京の低い屋根が見えた。
その向こう、ずっと遠くの地平線に、小さな光がいくつか明滅していた。
「あれは」
「戦闘区の信号灯」チルダが言った。
「二十年、消えてないの。あんたも、そのうち行くよ。あの向こう」
クローザーは、窓の外を見ていた。
「……ここ、分からないことが多い」
「でしょうね」
「公式じゃない拠点。スペックの低い指揮官。ジャンク屋の店主の工兵。四か月の先輩」
「あと、乾物屋のおじいちゃんがよく壊れたラジオ持ってくる」
「それも、分からない」
チルダは笑った。
「分からないなら、覚えとけば? 分かるようになるまで」
クローザーは、少し考えた。それから、端末を取り出した。
「記録する」
「記録?」
「分からないことを、全部。分かったら、消す」
「全部消えるまで、何年かかるかね」
「計算できない」
クローザーは、端末に最初の一行を打ち込んだ。
《指揮官は、スペックが低いのに、指揮官。理由、不明。》
チルダが、横からそれを覗き込んで、また笑った。
「それ、たぶん一番最後まで消えないよ」
*
夕方、四機は作業台を囲んで、簡単な顔合わせをした。
といっても、話していたのはほとんどチルダだった。
部隊の仕事、店の仕事、本社との距離、近所の人たち。
アイシアが時々補足し、指揮官は時々短く頷き、クローザーは全部を記録した。
「で、呼び方なんだけど」チルダが言った。「あたしは、指揮官のことボスって呼んでる」
「ボス」
「指揮官、って柄じゃないでしょ、この店で」
「ボスも、柄じゃない気がする」
「じゃあ、好きに呼んで」
クローザーは、作業台の向こうの指揮官を見た。
指揮官は、呼び方には興味がないようだった。
「……指揮官」クローザーは、試しに言ってみた。
「なんだ」
「ボス」
「なんだ」
返事は、同じだった。
クローザーは、少し考えた。
それから、端末に一行書き足した。
《指揮官は、どっちで呼んでも返事をする。》
「両方使う」クローザーは言った。
「いいんじゃない」チルダが言った。「あたしの真似?」
「チルダの真似」
「素直だね、あんた」
アイシアが、小さく微笑んだ。
「私は、指揮官、とお呼びしています。非番のときは、名前で」
「切り替えてる」
「はい」
「それも、記録する」
*
その夜、クローザーは二階の窓から、戦闘区の信号灯を見ていた。
下の階から、話し声が聞こえてくる。
チルダと、指揮官。何を話しているのかは聞き取れなかった。ときどき、チルダが笑う。指揮官は、ほとんど喋らない。
一度だけ、何かを二回、軽く叩く音がした。
とん、とん。
クローザーは、その音を記録しようとして、やめた。
何の音なのか、分からなかったからだ。分からないものの記録欄は、もういっぱいになり始めていた。
*
三日後。
最初の任務は、戦闘区の外縁の、小規模な残党兵器の掃討だった。
クローザーは、支給品の小銃を構えて、旧式の自律歩行機に向かった。
照準。射撃。照準。射撃。
標的は、一発では抜けなかった。二発、三発。連射する。機関部が、熱を持ち始める。
四機目を倒したところで、小銃が、手の中で嫌な音を立てた。
機関部の金属が、熱で歪んでいた。
帰投後、作業台の上に、ひしゃげた銃身が置かれた。
チルダが、それを手に取って、眉をひそめた。
「……一回目で、これかあ。支給品、もたないね」
「あたしのせいじゃない」クローザーは言った。「銃が、付いてこない」
アイシアが、心配そうに銃身を見た。
ルヴィリアは、作業台の向こうで、その銃身を、しばらく黙って見ていた。
何も言わなかった。
ただ、その目が、銃身の歪み方を、一本ずつ確かめるように動いていたのを、クローザーは見ていた。
なぜそんなに丁寧に見るのか、分からなかった。
クローザーは、端末に一行書き足した。
《指揮官は、壊れた銃を、じっと見る。理由、不明。》
それが、一丁目だった。
三丁目を壊した日、その理由が分かることになる。
*
その日、クローザーは三丁目の支給銃を壊して帰ってきた。
「また壊したのか」
当時まだクローザーが店の二階に慣れていなかった頃、本社の待機室で、ルヴィリアが言った。
クローザーは、ひしゃげた銃身を作業台に置いた。
「壊れた。あたしのせいじゃない」
「そうは言っても、三丁目だ」
「支給品が、あたしの出力に付いてこられない」クローザーは淡々と言った。
「連射すると、機関部が熱で歪む。装甲貫徹力も足りない。戦闘区の継ぎ接ぎ、一発で抜けない。何発も撃つから、余計に熱が溜まる。悪循環」
ルヴィリアは、ひしゃげた銃身を手に取った。
確かに、機関部の金属が、熱で変形していた。
クローザーの射撃速度に、素材が耐えていない。
「本社に、増強を申請したか」
「した。却下された。『規定の支給装備で運用せよ』って」
「……そうか」
クローザーは、新しい支給銃を受け取りに行こうとした。
ルヴィリアが、それを止めた。
「待て」
「なに」
「その撃ち方で、支給品を渡しても、また壊す。四丁目だ」
「じゃあ、どうしろって」
ルヴィリアは、少し考えた。
「銃を、変えろ」
ルヴィリアは、クローザーを本社の購買部へ連れて行った。
窓口の担当は、ミナセとは違う若い事務職だった。
ルヴィリアが手首をかざして認証を通し、クローザーの分も通す。
担当は、自律アンドロイドが二機並んでいるのを見て、少しだけ目を丸くしたが、何も言わなかった。
ルヴィリアは、カタログを一冊取り、あるページを開いて、クローザーに見せた。
「これだ」
《ダイダラ》
実弾銃。
メビウスの実弾兵器としては、最高峰のモデル。
徹甲弾・貫通弾を問わず扱える、装甲貫徹に特化した大砲を押し込めたアサルトライフル。
「高い」クローザーが、価格欄を見て言った。
「社割が効く」
「それでも高い」
「お前の壊した支給銃、三丁分の修理費を考えろ。四丁目、五丁目とさらに壊し続けるより、安い」
クローザーは、カタログのダイダラを見た。
それから、ルヴィリアを見た。
「なんで、ボスがこれを知ってる」
「銃のことなら、だいたい知っている」
「……カタログ、全部読んでるの」
「購買部に来るたびに、読んでいる」
クローザーは、少しの間、ルヴィリアの顔を見ていた。
この指揮官が、非番になると購買部の銃の棚の前から動かない変わり者だということは、配備直後から部隊内で聞いていた。
だが、それが今、自分の役に立っている。
「社割で買う」クローザーは言った。
「そうしろ」
*
ダイダラが手元に届いた日、クローザーは本社の射撃場で、初めてそれを撃った。
一発目。固定標的の装甲板を、徹甲弾が貫通した。
二発目。三発目。十発目。
連射しても、機関部は歪まなかった。
クローザーの出力に、素材が付いてくる。熱の溜まり方も、支給品とは桁が違った。
「……壊れない」
クローザーは、呟いた。
隣の射座で、ルヴィリアが自分のディヤウスを撃っていた。
クローザーは、しばらくその射撃を見ていた。ルヴィリアは、実弾とEMP弾を撃ち分けていた。標的に応じて、迷いなく。
「ボス」
「なんだ」
「その撃ち分け、どうやってる」
「標的を見て、決める」
「見て、決める」
「装甲の厚い相手には実弾。電子系の相手にはEMP。……お前のダイダラは、実弾専門だ。だが、撃ち分けの考え方は、同じだ。どこを撃つか、何で撃つか。先に決めてから、引き金を引く」
クローザーは、自分のダイダラを見下ろした。
「あたし、今まで、撃ってから考えてた」
「連射で壊したのも、それだ」ルヴィリアは言った。
「一発で抜けなかったから、何発も撃つ。一発で抜く場所を、先に決めていれば、連射は要らん」
クローザーは、新しい弾倉を装填した。
今度は、一発。固定標的の、装甲の継ぎ目を、正確に撃ち抜いた。
「……一発で、抜けた」
「そういうことだ」
それ以来、クローザーは、銃のことならルヴィリアに訊くようになった。
弾種の選び方。
射撃の間合い。
装甲の弱点の読み方。
メンテナンスの手順。
本社の射撃教範には載っていない、実戦の知識。ルヴィリアは、訊かれれば、いつでも答えた。
「ボス、戦闘区の継ぎ接ぎ。あれ、どこ撃てば一発?」
「継ぎ目だ。装甲の年式が違う部分。そこは溶接で繋いでいるから、本体より脆い」
「ボス、ダイダラの反動、もう少し抑えたい」
「銃床の当て方だ。肩ではなく、肩の少し内側に当てろ。反動が、逃げる」
「ボス、この新型の徹甲弾、予定表に載ってた?」
「来期だ。発売日は、私の非番に合わせてある」
クローザーは、淡々と訊き、ルヴィリアは、淡々と答えた。
二機の間に、師弟と呼ぶほどの湿っぽさはなかった。
ただ、知っている者が、知りたい者に教える。それだけの、乾いた関係だった。
だが、それは、クローザーが初めて、自分から誰かに「訊く」ようになった相手でもあった。
演算で何でも導ける彼女が、導けないもの――実戦の経験だけが知っている知識を、訊く相手。
二年近くが経った今も、それは変わらない。
対戦訓練でルヴィリアに負けたとき、クローザーは「これ、演算で埋まる?」と訊いた。
ルヴィリアは「二十年、戦えばな」と答えた。
適性試験でルヴィリアが古い図面を掘り出したとき、クローザーは「経験って、それのこと?」と訊いた。
銃のことも、戦いのことも、経験のことも。
クローザーは、ルヴィリアに訊く。
最初の一回が、三丁目の壊れた支給銃と、一冊のカタログだったことを、二機とも、口にはしない。
ただ、クローザーの記録領域の、古い日付のところに、一行だけ残っている。
《ボスに、初めて銃を訊いた日。ダイダラを買った。一発で抜けた》
その下に、後から書き足された一行。
《以来、銃のことは、ボスに訊く》
*
ある夜、店の作業台で、クローザーがダイダラの手入れをしていた。
隣で、ルヴィリアがディヤウスを手入れしている。
チルダが、通りがかりに二機を見て、言った。
「あんたたち、並んで銃磨いてると、親子みたいだね」
「違う」クローザーが即答した。
「違う」ルヴィリアも即答した。
「あたしの方が、稼働は後。でも、中身はボスが二十年以上、上」
「じゃあ、どっちが年上なの」
「……判定できない」
ルヴィリアが、手入れを続けながら、ぽつりと言った。
「銃のことは、私の方が先輩だ」
クローザーは、ダイダラのスライドを引いた。正しい位置で、金属の音が止まる。
「それは、認める」
二丁の銃が、作業台の上で、同じ灯りを映していた。
雷神の名の一丁と、巨人の名の一丁。撃ち方の違う、二つの銃。
手入れの手順だけは、よく似ていた。




