社員証
メビウス・テック本社、地下第二層。
社員購買部。
昼休みを過ぎた窓口は空いていた。
担当のミナセは、入社三年目の事務職だ。受付票の整理をしながら、次の客を待っていた。
自動扉が開き、客が一人、窓口の前に立った。
ポニーテールに結ったライトグリーンの長髪。
黒い外套。その下の白い戦闘服。
メビウスの社員なら、一度は広報資料で見たことのある姿だった。
「予約していたものを受け取りに来た」
「あ、はい。ご予約の……」
ミナセは端末を叩いた。予約票が一件、表示される。
《品名:ディヤウス アサルトライフル 新製品・発売初日分》
「ディヤウス、ですね。ご用意できております。では、社員証のご提示をお願いします」
「ああ」
客は、左手の手袋を外した。手首の内側を、窓口の読み取り機の方へ向ける。
ミナセは、その手首を見つめた。
「……あの、社員証を」
「これだ」
「これ、とは」
「体内に認証キーが入っている。手首の、その下だ」
ミナセは、読み取り機と、差し出された手首を、交互に見た。自律アンドロイドが物を買いに来るのは、想定していなかった。
読み取り機は、社員証のカードをかざすための平たい台だ。手首をかざすことは、想定されていない。少なくとも、ミナセが研修で習った範囲では。
「……かざして、いいんですか。その、直接」
「他にかざす方法を知らない」
ミナセは、おそるおそる読み取り機を持ち上げ、手首に近づけた。
電子音が鳴った。
*
画面に、社員情報が表示された。
《社員番号:D-001》
《氏名:ルヴィリア》
《所属:戦術対策部門 特命部隊「Dolls」》
《区分:基礎人格保有機体(法務上社員)》
ミナセは、四行目を二度読んだ。
「……ほうむじょう、しゃいん」
「そうだ」
「あの、失礼ですが、社員の方……ですよね」
「法務上はな」
「法務上は」
「報酬も出ている。非番もある。年末調整の書類も出している。副官が」
ミナセは、ゆっくりと頷いた。
頷く以外に、何をすればいいのか分からなかった。
「では、購入手続きに入ります。こちらの書類にご記入を」
差し出した用紙を、客は受け取り、ペンを取った。
*
《銃器購入申請書(社員向け)》
一行目、氏名。客は迷わず書いた。 二行目、社員番号。これも迷わない。 三行目、購入目的。
□ 身辺防御 □ 業務使用(部門長の承認が必要) □ その他( )
客は、「身辺防御」に丸をつけた。
ミナセは、つい口に出した。
「身辺防御……ですか。ご自身の」
「そうだ」
「その……必要、なんですか。失礼ですけど、お強いですよね」
「業務用の装備は、業務外では持ち出せない。非番の日は丸腰になる」
「はあ」
「丸腰で旧仙京の裏路地を歩けと言うのか?」
「い、いえ、そういうわけでは」
客は次の行に進み、そこでペンを止めた。
四行目、生年月日。
ミナセは、客の手が止まったまま動かないことに気づいた。数秒。十秒。それ以上。
「……あの、生年月日を」
「どちらを書けばいい」
「どちら、とは」
客は答えなかった。ペン先が、紙の上でわずかに揺れていた。
やがて、客は一つの日付を書いた。二年前の日付だった。
《稼働開始日》と、その横に小さく書き添えて。
*
ミナセが書類を端末に入力すると、画面が赤く点滅した。
《警告:購入者年齢 二歳》 《銃器購入の年齢制限に該当します。手続きを続行できません》
「……えっ」
ミナセは画面を二度見した。それから、客を見た。客は、表情一つ変えずに立っていた。
「二歳……」
「稼働開始から二年だ」
「そ、そうですよね、そういう意味ですよね。ちょっと、お待ちください」
ミナセは内線を取った。上司に繋ぎ、上司は法務部に繋ぎ、法務部はしばらく保留音を流した。
窓口の前で、客は黙って待っていた。
五分後、内線が戻ってきた。
ミナセは受話器を耳に当てたまま、何度も頷き、それから手元の規定集をめくった。
「……あの、確認が取れました。基礎人格保有機体は、法務上、稼働年数にかかわらず『成人相当』として扱う、という規定があるそうです」
「そうか」
「数年前に追加された規定だそうで。……たぶん、同じことが前にもあったんですね」
「そうだろうな」
ミナセは端末に特例の区分を入力した。画面の赤い点滅が消え、手続きが進んだ。
*
「最後に、お支払いです。社員割引が適用されますが、ご利用に」
「使う」
即答だった。
ミナセは、思わず顔を上げた。客の目は、まっすぐに彼女を見ていた。これまでの手続きの中で、一番迷いのない返事だった。
「……社割、使われます」
「使う」
「はい」
支払いは、都市通貨で一括だった。
奥の保管庫から、係員が細長いケースを運んできた。窓口の台の上で、ミナセがケースを開ける。
新品のディヤウスが、緩衝材の中に収まっていた。
客は、しばらくそれを見下ろしていた。手を伸ばす前に、ほんの少しだけ間があった。
それから、銃を取り上げた。
重さを確かめるように、一度だけ構える。
銃口は天井の方へ、窓口の誰にも向かないように。慣れた動作だった。慣れすぎている、とミナセは思った。
「……いい銃だ」
独り言のようだった。
「バアル・ゼブルの系譜ですよね、それ」
ミナセは言ってから、自分でも驚いた。広報資料に一行だけ書いてあった言葉が、なぜか口から出ていた。
客は、初めてミナセの顔をまともに見た。
「知っているのか」
「あ、いえ、資料に書いてあったのを読んだだけで。雷神の名前がつく系統、って」
「そうか」
客は銃をケースに戻し、蓋を閉じた。
「バアル・ゼブル、トール、そしてこれだ。次の名前は、まだ決まっていないらしいな」
「次、ですか」
「次が出たら、また来る」
ミナセは、少し迷ってから、カウンターの下の棚に手を伸ばした。取り出したのは、薄い冊子。
「あの、これ。来期の新製品の発売予定表です。社外向けの広報資料ですけど、よかったら」
客は冊子を受け取り、表紙を見た。それから、ケースと一緒に小脇に抱えた。
「助かる」
「いえ」
「毎期、出るのか。これは」
「はい。四半期ごとに」
「そうか」
客は一礼して、窓口を離れた。自動扉が開き、閉まった。
*
休憩室で、ミナセは同僚に話した。
「今日、アンドロイドの人が、社割で銃買っていった」
「アンドロイドの人?」
「法務上、社員なんだって。手首かざして。二歳だって」
「……二歳?」
「成人相当なんだって」
同僚は、紅茶のカップを持ったまま、しばらく黙っていた。
「なにそれ」
「分かんない。でも」
ミナセは、窓口で見た最後の一瞬を思い出していた。新品の銃を見下ろしていた、あの少しの間。
「すごく、嬉しそうだった」
「表情、変わってたの?」
「変わってない。変わってないんだけど」
ミナセは、自分の言葉を探した。
「生年月日のところで、ペン止めてたときと、社割って言ったときで、全然違う顔してた。……同じ顔なのに」
同僚は首を傾げた。ミナセも、それ以上は説明できなかった。
その四半期の終わり、経理部門に一枚の報酬申請書が届いた。項目は四行。その四行目を見て、経理の担当者は内線を取ることになるのだが、それはまた別の話だった。
月例の報告が終わったのは、午後九時を少し回った頃だった。
第三十二層の応接室。遮光を半分下ろした窓から、辰砂の光が細く差し込んでいる。
蘇芳は報告書を閉じ、錠剤を一粒飲み込み、壁の時計を一度だけ見た。
いつもなら、ここで会合は終わる。
「統括」
「なんだ」
「本日の昼、購買部に寄りました」
蘇芳の手が止まった。
「購買部」
「予約していたものを受け取りに」
「……何をだ」
「ディヤウスです。発売初日分」
蘇芳は、しばらくルヴィリアの顔を見ていた。
それから、椅子の背にゆっくりと体を預けた。
機械の膝が、少し遅れて角度を合わせる。
「続けろ」
ルヴィリアは、窓口でのことを順に報告した。
報告書の読み上げと、同じ口調だった。
社員証の代わりに手首を差し出したこと。
担当者が読み取り機を持ち上げたまま固まったこと。購入目的の欄。生年月日の欄。年齢制限の警告。法務部への内線と、五分間の保留音。
「年齢は、二歳と表示されました」
蘇芳の肩が、小さく揺れた。
「稼働開始日を書いたので」
肩の揺れが、大きくなった。
「その後、法務部の確認で成人相当と認められ、手続きが進みました。支払いは社割を」
そこまで言ったところで、蘇芳が吹き出した。
最初は、堪えようとしていた。生身の方の手で口元を押さえ、顔を背けた。だが、堪えきれなかった。短く乾いた笑いが、やがて途切れなくなり、応接室の中に響いた。
ルヴィリアは、黙って待っていた。
蘇芳は、しばらく笑い続けた。
途中で一度咳き込み、胸を押さえ、それでもまた笑った。生身の肺には、少し負担だったらしい。
「……二歳」
「稼働年数です」
「分かっている。分かっているが」
蘇芳は目元を拭った。
「二歳の少佐が、社割で、アサルトライフルを」
「少佐ではありません」
「ああ――そうだったな」
そう言いながら、蘇芳はまた笑った。
ようやく笑いが収まると、蘇芳は深く息をついた。
「いつ以来だろうな、こんなに笑ったのは」
「お体に障ります」
「障るな。障るが、いい」
蘇芳は机の引き出しを開け、中から一枚の封筒を取り出した。
上質な紙に、企業連合の紋章が箔押しされている。
「そんなに銃が好きなら、これに行ってこい」
ルヴィリアは封筒を受け取り、中を見た。
《企業連合主催 銃火器技術レセプション》 《招待状》
「毎年、各社の新型と試作品が並ぶ。技術者と、軍の調達担当と、物好きな重役が集まる。私のところに毎年一枚来るが、私はもう行かん。立ちっぱなしが腰と膝に来る」
「……統括の招待状ですか」
「代理で行けぃ。名目は、我が社の戦術部門からの視察だ」
ルヴィリアは、招待状をしばらく見下ろしていた。
「私は――こういったレセプションパーティーには本社から出禁を」
「接待はな」蘇芳は言った。
「これは接待ではない。客として行くんだ。誰にも酒なんぞ注がなくていい。ただ、銃を見てこい」
「大戦を知る者も、来るのでは」
「来るだろうな」
「また、戦友会になります」
「銃の話だけしてこい。大戦の話はするな」
ルヴィリアは、少しだけ考えた。
「銃の話をすれば、大戦の話になります」
蘇芳は、また小さく笑った。
「……それはそうだ。まあ、うまくやれ」
*
ルヴィリアが招待状を懐にしまい、立ち上がる。
扉の前で、蘇芳が言った。
「その窓口の子は、何と言った」
「ミナセという事務職です。入社三年目」
「泣いてなかったか」
「泣いてはいませんでした。予定表をくれました」
「予定表」
「来期の、新製品の発売予定表です。四半期ごとに出るそうです」
蘇芳は、額に生身の方の手を当てた。
「……それで、報酬の申請書に四行目が増えるわけか」
「ご存じでしたか」
「経理から、私のところに回ってきた。『これは報酬の項目ではない』とな。判を押したのは私だ」
「感謝しています」
「するな。経理の若いのが、三日悩んだ」
蘇芳は、機械の方の指で卓上を軽く二回叩いた。
「私もな、人のことは言えんのだ。体を弄ったばかりの頃、この腕で購買部に行った。支払いの読み取り機に手をかざしたら、義肢の制御チップの方が反応して、社員証の情報と二重に読まれた。窓口の子が真っ青になってな」
「その方は」
「今は、購買部の主任をやっている。ミナセとやらの上司だろう」
ルヴィリアは、少しだけ目を伏せた。
「では、二代にわたって」
「そういうことだ」
蘇芳は立ち上がった。今度は、いつもより少しだけ、動作が軽く見えた。
扉の前まで来て、ルヴィリアの肩に、生身の方の手を置いた。
「お互い、あまり若い者を困らせてやるなよ。ルヴィ」
ルヴィリアは、動かなかった。
その呼び方を、この身体になってから聞くのは、そう何回もある事ではなかった。
*
大戦の頃、その名で彼女――あるいは、彼を呼ぶ人間は、何人かいた。
同じ士官学校を出た同期。前線で背中を預けた部下。
補給線の向こうで、無線越しに冗談を飛ばしてきた、若い輸送隊の中尉。
「以前、統括は、無線で私の名前を聞いたと仰いました」
「言ったな」
「控えめな言い方でした」
蘇芳は、肩から手を離した。
「……無線の向こうで、補給が遅いとよく怒鳴られた。こっちは弾薬を積んで、砲撃の下を走っていたというのに」
「覚えています」
「覚えているのか」
ルヴィリアは、少し間を置いた。
「記憶の齟齬かもしれませんが」
「齟齬で結構」
蘇芳は扉を開けた。廊下の灯りが、応接室に差し込んだ。
「レセプションは来月だ。銃を見て、帰ってこい。それから、感想を聞かせろ」
「報告書で、よろしいですか」
「口頭でいい。お前の報告書は、アイシアとやらが清書するから、面白くない」
ルヴィリアは、一礼した。
「承知しました、統括」
扉が閉まった。
廊下を歩きながら、ルヴィリアは懐の招待状に、そっと指を触れた。
ルヴィ、と呼ばれたのは、二十年ぶりだった。
内部の時刻を確認する。午後九時四十八分。あの男にとって、今日はもう少しで終わる。
今夜は少しだけ、長く笑った分だけ、良い一日だったのかもしれない。




