ガンガレージ
メビウス・テック本社、地下第四層。
Dolls待機室。
名目上は、五機が本社で待機するための部屋だ。実際にここで待機したことは、この数年で数えるほどしかない。
待機はたいてい、チルダの店で済んでしまう。
だから、この部屋は別の用途に使われている。
非番の午後、ルヴィリアは待機室の扉の認証に手をかざした。扉が開くと、空調の低い音と、ガンオイルの匂いが迎えた。
照明が、奥へ向かって順に灯っていく。
壁一面の銃架。床から天井まで、三列に分かれて並ぶ銃。拳銃、小銃、狙撃銃、散弾銃。辰砂動力の最新式の電磁小銃の隣に、真鍮の薬莢を使う古い回転式拳銃が並び、その隣には、木製の銃床が飴色に艶めく骨董品の単発銃が掛かっている。
待機室の備品は、奥の隅に追いやられた簡易ベッドが四つだけだった。
五機目のコラプスがDollsに来たときには、最早本社の待機室はルヴィリアのガンガレージと化していた。
ここにいる間だけは、Dolls部隊の指揮官でも、Type-Lでもなかった。
*
ルヴィリアの報酬申請書は、毎期、同じ四行で済む。
《本社アンドロイド用メンテナンスポッドの使用キー》 《冷却剤、規定量》 《都市通貨、規定額》 《メビウス仙京支部製銃器 新商品発売予定表》
経理部門の担当者は、最初の年、四行目を見て内線をかけてきた。
『……これは、報酬の項目ではないのですが』
「では何の項目だ」
『広報資料です。社外向けに配布しているものです』
「社外の人間が貰えるものを、社内の私は貰えないのか?」
『……いえ、お送りします』
以来、発売予定表は毎期、報酬と一緒に届く。担当者はもう何も言わない。
ルヴィリアは、他に何も求めなかった。昇給も、階級も、個室も。
求めたのは、この部屋の使用許可だけだ。蘇芳に一度だけ頼み、蘇芳は一度だけ訊いた。
「何に使う」
「銃を置きます」
「……何丁だ」
「数えたことはありません」
蘇芳は長いこと黙り、それから判を押した。
*
コレクションは、ルヴィリアになってから始めたものではない。
ルヴィンだった頃から、集めていた。軍の支給品ではなく、自分の給金で買った銃。戦地で拾った、どこの軍のものとも知れない銃。退役する上官から譲られた銃。
一番奥の保管箱には、電子大戦より前の品が眠っている。辰砂がまだ見つかっていなかった時代の、火薬と鋼だけでできた銃。照準器も制御系もなく、撃つ者の腕だけが頼りだった頃のものだ。
骨董品だ、とチルダは言う。
ルヴィリアは、道具だと思っている。まだ撃てる以上は。
記憶の齟齬、と呼ぶべきなのだろう。
だが、この銃の手触りだけは、何度確かめても齟齬が出ない。
銃床の右側、親指が当たる場所に小さな傷がある。
最初に手入れをしたとき、工具を滑らせてつけた傷だ。
その感触を、この身体の指は知っている。一度も、この身体で触ったことがないはずなのに。
生前の品物が、この部屋に揃っているのには理由がある。
ルヴィンのコレクションは、戦後、持ち主不在のまま旧軍の保管倉庫に眠っていた。
遺品として引き取る家族はいなかった。
それを、ある日、一台の輸送車がチルダの店の前に横付けした。差出人の欄には名前がなく、添えられていたのは一枚の紙だけだった。
《少佐殿の私物を返却する。非公式に。》
あの接待の夜に私信を寄越した、老軍人の字だった。
ルヴィリアは返信しなかった。削除もしなかった。
代わりに、全部の銃に、自分の手で手入れをした。三日かかった。
店の一階が木箱で埋まり、チルダに「ウチは武器屋じゃないんだよ」と言われたのは、その日の夕刻のことだ。
布にオイルを含ませ、機関部を拭いていく。
分解。清掃。点検。組み立て。何百回と繰り返した手順だ。
手順はそのうちクローザーが覚え、メレナにも記録されていた。
この身体になってから、手順の一つひとつに、わずかな違和感があった。指の長さが違う。握力の配分が違う。最初の一年は、ネジを締めすぎて二本折った。
今は、折らない。
手入れをしている間、ルヴィリアは何も考えない。考えなくても、手が動く。戦場でもなく、指揮でもなく、秘密でもなく。ただ、鉄と木とオイルと、それを正しい順番で組み上げることだけがある。
チルダは、この時間を「ボスの瞑想」と呼んでいる。
*
扉の外で、控えめなノックの音がした。
「……失礼します。武装開発部の、ミナセです」
「ご無沙汰しております、隊長。エノキです」
若い声だった。ルヴィリアは分解の手を止めずに答えた。
「開いている」
扉が開き、白衣の上に部署章をつけた若い技術者が顔を出した。
その後ろに、もう二人。三人とも、入口で足を止めて、息を呑んだ。
「……うわ」
ミナセが、それだけ言った。
「先輩から聞いてはいたんですけど。本当に、こんな」
「見学なら構わん。素手では触るな」
ルヴィリアはそう言って、ナノテックスーツに包まれている自分は使わないはずの作業用軍手を三人に差し出した。
メビウスの技術開発部にとって、大戦時代が今も生きているルヴィリアのガンガレージは、博物館という概念を超え、もはや礼拝堂と化していた。
ルヴィリアも、それを理解していた。
「触りません。絶対に触りません」
軍手を着用した三人は壁際に沿って、陳列棚の前をゆっくりと歩き始めた。一挺ごとに足を止め、顔を近づけ、小声で何か言い合っている。
「……これは、統合陸軍の第二世代制式小銃ですよね。資料写真でしか見たことない。本物、残ってたんだ」
「残っていたのではない。残した」
「こっちは……え、これ、辰砂以前の? 電磁加速の試作機? うちの部署の歴史資料に、図面の一部しか残ってないやつですよ」
「図面の一部しか残っていないのは、残りを描いた人間が死んだからだ」
ミナセが振り返った。
「ルヴィリア隊長、この部屋にある銃、社内の武装開発部に資料として一つもないものばかりです。僕ら、大戦後の入社なので。大戦時代の実物って、ほとんど見たことがなくて」
「だろうな」
「設計資料は残ってても、実物がないと分からないことが多いんです。重さとか、重心とか、手に持ったときの感じとか」
「分からないだろうな。図面では」
ルヴィリアは、組み直したばかりの一挺を作業台に置いた。
「持ってみるか」
三人が、同時に固まった。
「……いいんですか。触るなって」
「素手では、だ。軍手越しなら構わない」
ミナセは両手で恐る恐るその銃を受け取った。
構えて、しばらく動かなかった。
「……重い。でも、重いのに、構えたら軽い」
「重心が手元に寄せてある。長く構えても腕が落ちないように。前線で一日中構えていた兵のための設計だ」
「現行品は、全体の重量を削る方向でしか設計してないです。重心の位置で持たせる発想、なかった」
ミナセの後ろで、もう一人の技術者が端末に何かを猛烈に打ち込んでいた。
*
三人の見学は、予定を大きく過ぎて一時間半に及んだ。
その間、ルヴィリアはずっと話していた。
どの銃がどこで使われ、どんな欠点があり、兵たちがそれをどう工夫して補ったか。
どの型の照準器が雨に弱く、どの弾倉が冬に凍りやすかったか。
撃った者にしか分からない話を、途切れることなく。
ミナセたちは、途中で一度も口を挟まなかった。挟む隙がなかった。
普段のルヴィリアを知る者が見れば、目を疑っただろう。
報告は三行、会話は最小限、それ以上は語らない指揮官機が、銃の話になると止まらない。
「……あの」
ようやく話が途切れたところで、ミナセが遠慮がちに手を挙げた。
「一つ、お願いがあるんですが」
「なんだ」
「来期の新型の試作、見てもらえませんか。正式な評価じゃなくて、個人的に。……今の話を聞いたら、たぶん僕らの試作、いろいろ足りてないので」
ルヴィリアは、作業台の端に置いていた書類を手に取った。報酬として毎期受け取っている、新商品の予定表だ。
「来期の新型というのは、これの三番目か」
「……え、それ、もう届いてるんですか。社内でもまだ、部長級にしか」
「報酬だ」
「報酬……」
ルヴィリアは予定表の三番目の項目を指で叩いた。
「グリップの角度が甘い。この角度だと、長時間の射撃で手首が先に疲れる。それと、弾倉の着脱位置。前線では手袋をしている。この位置では指がかからん」
ミナセの後ろの技術者が、端末を取り落としかけた。
「……それ、試作の評価会議で、まだ誰も指摘してない点です」
「では、指摘する者が一人増えたな」
*
一人に戻った部屋で、ルヴィリアは手入れを再開した。
古い小銃の最後の部品を組み、遊底を引く。
金属の擦れる音が、正しい位置で止まる。親指が、銃床の右側の小さな傷に触れた。
この部屋には、あれは置いていない。
ここには、残してよいものだけを置いている。語ってよい銃、見せてよい銃、若い技術者に拝ませてよい銃。この部屋の銃は、どれも、誰かに撃たれ、誰かを守り、役目を終えて、ここで眠っている。
あれは、まだ役目を終えていない。だから、ここには置けない。
ルヴィリアは小銃を保管庫に戻し、ガラス戸を閉めた。
同期リンクに、短い通知が入った。
『ボス、今日ガレージでしょ。帰りに冷却剤、本社の購買で貰ってきて』
チルダだった。
「報酬の範囲外だ」
『じゃあ予定表と交換で』
「断る」
『ケチ』
ルヴィリアは通知を閉じ、部屋の灯りを落とした。
ガラス戸の向こうで、三十年分の鉄が、静かに並んでいた。
帰り道、経理部門に寄って、冷却剤の追加申請を一枚出した。
理由の欄には、「店番の分」とだけ書いた。




