仙京ぶらり旅:クローザー編 「対戦台」
ゲーセンは秋葉原のレジャランみたいなイメージでお願いします
クローザーの非番は、だいたい同じ形をしている。
午前は、本社地下のトレーニングルーム。
訓練シミュレータで、仮想の戦闘区を三周。戦術AIとの模擬戦を、十二戦。
午後は、チルダの店の二階。
自分の区画のチェアに座り込み、端末で対戦型の演算ゲームを回す。
合間に、チルダが修理のついでに直してくれた古い携帯ゲーム機で、二十年前の電子大戦時代のレトロなゲームのやり込み。
夜も、だいたい同じ。
外には、出ない。
出る理由がない。
本社のトレーニングルームとこの店の二階の間を、地下鉄で往復するだけだ。
「あんた、たまには外の空気吸いなよ?」
チルダに言われるたびに、クローザーは同じ答えを返す。
「本社には行ってる」
「そういう意味じゃない」
「知ってる」
*
ネットワークの向こうでは、話が違った。
新都の対戦サーバには、昔から一つの噂がある。
ランキングの上位に、いつの間にか居座っている、正体不明の強豪。名前は、数字が二つだけ。
《09》
戦術系の対戦ゲームなら、ほぼ負けない。どんな奇襲も、数手先で潰される。
どんな定石も、読まれている。チャットには一言も書き込まない。対戦が終わると、少ないアイサツを残して消える。
誰も、その正体を知らない。
「強豪っていうか、もう幽霊扱いだよね、あれ」
店のカウンターで、チルダが自分の端末を見ながら笑った。
「サーバの掲示板、また《09》の話で埋まってる。『人間じゃない説』『企業の試験AI説』『実は複数人で回してる説』」
二階の階段から、クローザーの声だけが降ってきた。
「一人。人間じゃない。企業の試験機ではない」
「一個は当たってるね」
「反応速度は、人間の上限に合わせて制限してる。だから、ずるくはない」
「知ってるよ。前に聞いた」チルダは、掲示板をめくった。
「……あ、でも、これ見て」
チルダが二階まで端末を持って上がってきた。
画面に、掲示板の一つの書き込みが映っていた。
《《09》へ。中央区の〈ルミナ〉の三階、奥の対戦台。『錆鉄の盤』の旧筐体。あれだけは、ネットに繋がってない。そこで勝負しろ。逃げるなよ。──灯籠》
クローザーは、画面を見下ろした。
「灯籠」
「知ってる人? それとも機械?」
「ランキング、十一位。戦術系で、あたしに勝ったことがある唯一の名前」
チルダが、目を丸くした。
「勝ったことあるの、あんたに」
「一回だけ。『錆鉄の盤』のネット版で。……読めない手を打ってきた」
クローザーの声が、ほんの少しだけ低くなった。
「三手先で潰せる局面で、最適じゃない手を打った。潰す手が、全部、空振った」
「非合理?」
「非合理」
チルダは、にやりと笑った。
「行けば?」
「外に、出ることになる」
「出なよ。ちょうどいいや」
チルダは、カウンターの下から、布に包んだ四角い基板を一枚取り出した。
「〈ルミナ〉の店長から、古い筐体の基板の修理、頼まれてたの。今日届ける約束。あんた、ついでに持ってって」
「ついで」
「ついで」
クローザーは、基板の包みと、端末の書き込みを、交互に見た。
それから、長い間を置いて、言った。
「……ついでなら」
*
中央区の大通りは、相変わらず明るかった。
そして、撃ってはいけない者と物で溢れていた。
クローザーは、基板の包みを抱えて、人の流れの中を歩いた。
歩きながら、いつもの癖で、周囲を演算する。信号の周期。人の流れの密度。射線の通る角度。遮蔽物になる柱。
配属の日に、初めてこの道を歩いたときと、同じことをしていた。
違うのは、肩にダイダラがないことだった。非番だから、置いてきた。代わりに抱えているのは、ゲームセンターの基板、腰に吊るしたクローザーの出力なら数発で焦げるような護身用の小銃だった。
〈ルミナ〉は、駅で降りた大通りから一本入った角の、五階建ての古いビルだった。
辰砂の電飾で縁取られた看板。入口の自動扉が開くと、電子音と、ボタンを叩く音と、人の声が、一度に押し寄せてきた。
クローザーは、入口で止まった。
「……音が、多い」
一階には、景品の取れる機械がずらりと並んでいた。
二階には、音楽に合わせて踊る機械。若い客たちが、汗をかきながら、笑いながら、画面に向かっている。
演算が、少しだけ追いつかなかった。
人が、全員、最適じゃない動きをしていた。
基板は、三階の奥の事務所で、太った中年の店長に手渡した。
「おお、チルダさんとこの。助かった助かった」店長は、包みを開いて、基板をしげしげと眺めた。
「これで、『錆鉄の盤』の二号機も復活だ。……あんた、店員さん?」
「違う。配達と野暮用」
「従業員さんか」店長は笑った。
「ゆっくり遊んでってくれ。奥の対戦台、今日はなんか、妙な客が朝から居座っててな」
クローザーは、事務所を出て、三階の奥へ歩いた。
古い筐体が、壁際に二台、向かい合わせに置かれていた。分厚いブラウン管の画面。木目調の外装。擦り減ったレバーとボタン。画面の上に、『錆鉄の盤』の色褪せたロゴ。
片方の筐体の前に、小柄な影が座っていた。
子供だった。十二、三歳くらいの少女。大きすぎる作業着の上着を羽織り、足が床に届かずに、椅子の脚をぶらぶらさせている。画面には、一人用の対戦が流れていた。
「……灯籠?」
クローザーが近づくと、少女は画面から目を離さずに言った。
「……遅い。朝から待ってたんだけど」
「《09》だと、分かるの」
「分かるよ。足音、一定すぎ」
少女は、ようやく振り向いた。くりっとした目が、クローザーを上から下まで見た。それから、目を丸くした。
「……え。アンドロイドじゃん」
「そう」
「《09》って、アンドロイドだったの」
「そう」
「ずるくね?」
「反応速度は、人間の上限に合わせて制限してる。ずるくない」
少女は、しばらくクローザーの顔を見ていた。それから、にっと笑った。
「まいいや。座れよ」
*
『錆鉄の盤』は、二十年以上前の戦術ゲーム。
盤面に、錆びた鉄の駒を並べる。駒を動かして陣地を取り合う。戦前に作られたゲームで、戦後、ほとんどの筐体は散逸の憂き目に会った。
ネット版は、愛好家が再現したもの。
だが、元の筐体には、ネット版にない癖がある、と言われていた。
一戦目。
クローザーは、ネット版と同じように打った。
三手先を読み、最適の手を選ぶ。
灯籠は、ネット版のときと同じように、読めない手を打った。
最適ではない手。損をする手。三手先では、明らかに不利になる手。
クローザーの演算が、それを潰しにかかった。
潰せなかった。
古い筐体のレバーは、ネット版の入力とは、感触が違った。ほんの少しだけ、遅れる。ほんの少しだけ、重い。その「ほんの少し」の間に、灯籠の駒が、一手先へ逃げていた。
一戦目は、灯籠が勝った。
「……レバーが、重い」
「でしょ」灯籠は、得意げに言った。
「この筐体、相当使い込まれてるから。レバーの戻りが、ちょっと遅いの。ネット版の感覚で打つと、一手ずれる」
「知ってた?」
「あたしは、ここで覚えたもん。ネット版より先に」
クローザーは、レバーを握り直した。
戻りが、遅い。重い。
人間の手が、二十年かけて、擦り減らした重さだった。
二戦目、三戦目。
クローザーは、レバーの重さを演算に組み込んだ。戻りの遅れ、入力の間。それを補正して、手を打つ。
二戦目は、クローザーが取った。
三戦目は、また灯籠が取った。
「……なぜ」
「なんでって?」
「その手。三手先で、不利になる。なのに、打った」
灯籠は、レバーから手を離して、伸びをした。
「不利になるけど、五手先で、取り返せるかもしれないじゃん」
「確率は、低い」
「低いけど、ゼロじゃないし」灯籠は、画面の盤面を指差した。
「それに、あんた、絶対に三手先で潰しに来るでしょ。だから、三手先に罠置いとけば、引っかかる」
クローザーは、黙った。
自分が最適を選ぶことを、相手が読んでいた。
最適を選ぶから、読まれる。
「……ボスと、同じことを言う」
「ボス?」
「あたしの、指揮官。対戦訓練で、同じことをされた。最初の十分なら勝てた。でも、十分では終わらせてもらえなかった」
灯籠は、首を傾げた。
「よく分かんないけど、そのボス、強いの?」
「スペックは、あたしより低い」
「でも、強いんだ」
「強い」
灯籠は、にっと笑った。
「じゃあ、あたしも、そのボスと同じくらい強いってことだね」
クローザーは、少しだけ考えた。
「……それは、まだ、判定できない」
「えー」
四戦目の途中で、周りに人が集まり始めた。
「おい、あれ、灯籠じゃね」
「向かいの、誰」
「《09》だって。ネットの」
「マジで? 幽霊、実在したの?」
「アンドロイドじゃん」
ざわめきが、少しずつ大きくなった。クローザーは、画面から目を離さなかった。演算の片隅で、周りの人数を数える。七人。十人。十五人。
撃ってはいけないものに囲まれている、と思った。
配属の日に、初めて大通りを歩いたときと、同じ感覚だった。
だが、あの日とは違って、周りの人間たちは、誰も怖がっていなかった。
誰も、遮蔽物を探していなかった。
ただ、画面を覗き込み、駒の動きに声を上げ、灯籠の手に歓声を、クローザーの手にため息を、交互に上げていた。
四戦目は、クローザーが取った。
周りから、拍手が起きた。
クローザーは、その音の意味を、一瞬、演算しかけた。
それから、やめた。
意味は、分かっていた。
日が暮れる頃、十二戦目が終わった。
戦績は、六勝六敗。
灯籠は、椅子の上で大の字に伸びていた。
「……つかれた。あんた、疲れないの」
「疲れない。冷却は、必要」
「ずるくね?」
「ずるくない。灯籠は、レバーの重さを知ってた」
「それは、そう」灯籠は、身を起こした。それから、少しだけ真面目な顔になった。「ねえ、《09》」
「なに」
「また来る?」
クローザーは、少しだけ黙った。
外には、出ない。出る理由がない。
「……来る理由が、ない」
「あるじゃん」灯籠は、筐体の画面を叩いた。「六勝六敗。決着、ついてない」
クローザーは、画面を見た。
六勝六敗。
最適を選べば、読まれる。読まれれば、負ける。勝つには、最適じゃない手を、どこかで選ばなければならない。それを、どこで選ぶか。演算では、まだ導けなかった。
「……決着が、ついてない」
「でしょ」
「なら、来る」
灯籠は、にっと笑った。
「来週の、同じ曜日。あたし、学校終わったら、ここにいるから」
「学校」
「学校。あんた、行ったことないでしょ」
「ない。私は製造された時から会社員」
「……マジで? 企業連とかの?」
「マジ」
*
店に戻ったのは、夜だった。
扉を開けると、チルダがカウンターから顔を上げた。
「おかえり。基板、渡した?」
「渡した。二号機、直った」
「よし。……で、灯籠は?」
クローザーは、少しだけ間を置いた。
「十二歳くらい。学校に行ってる。作業着の上着が、大きすぎる」
チルダが、目を丸くした。
「子供だったの?」
「子供。強い。六勝六敗」
「あんたと、六勝六敗?」
「そう。決着、ついてない。来週、また行く」
チルダは、しばらくクローザーの顔を見ていた。
それから、カウンターに頬杖をついて、にやにやと笑った。
「外、出るんだ」
「決着がついてないから」
「それ、理由になるんだ」
「なる」
作業台の向こうで、ルヴィリアがディヤウスの手入れをしていた。手を止めずに、ぽつりと言った。
「勝つには、どうする」
クローザーは、少し考えた。
「最適じゃない手を、どこかで選ぶ。……どこで選ぶか、まだ分からない」
「そうか」
「ボスは、分かる?」
ルヴィリアは、手を止めた。
「分かるまで、通う事だ」
クローザーは、目を瞬いた。
それから、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「……了解、ボス」
その夜、クローザーは、二階の自分の区画で、端末を開いた。
対戦サーバのランキング画面。《09》の名前の下に、灯籠の名前がある。十一位。
その横に、掲示板の新しい書き込みが一つ、増えていた。
《《09》、実在した。アンドロイドだった。めっちゃ強かった。でも六勝六敗。来週、決着つける。──灯籠》
その下に、山のような返信が付いていた。
クローザーは、少しだけ考えて、初めて、掲示板に書き込んだ。
《来週。同じ曜日。三階の奥。──09》
それから、記録の頁を開いて、一行打ち込んだ。
《外に出た日。理由:決着がついていない。》
少し考えて、もう一行。
《人間は、最適じゃない手を、楽しそうに打つ。》
さらに、もう一行。
《拍手の意味は、演算しなくても、分かった。》




