棚卸し
ルヴィリアが本社の整備に出るのは、いつも全員の整備が終わったあとだった。
今月は、アイシアとクローザーが先週の日帰りを済ませ、チルダが三日前に二日がかりの整備から戻ってきていた。
コラプスのメンテナンスは、次の嵐が明けるまで来ない。
コラプスは特殊な個体であるため、メンテナンスの期間も大幅にズレるのであった。
それを確かめてから、ルヴィリアは店の扉の前で、上着の襟を直した。
「夕方には戻る」
ルヴィリアは、それ以上は言わなかった。作業台の上を一度見渡して、それから、店の中の四機を一機ずつ見た。
奥の長椅子の前の床には、紐で縛った箱が四つ積まれていた。ルヴィリアが集めている、銃のカタログだった。メビウスの新製品の冊子、他社の型録、旧陸軍の兵器目録、闇市で出回った手書きの写し。整理を頼まれたクローザーが、箱の前で腕を組んでいる。
作業台の端では、アイシアが小さな仕切り箱を開けていた。中には、指先ほどの大きさのデータチップが、百枚近く並んでいた。チルダが仕入れたジャンク、そして戦闘区の廃棄機材から抜いておいたものだった。家電、通信機、旧軍の機材、どこの何かも分からない基板。
「全部、今日中に読めるか」
「読むだけなら。中身の値付けは、チルダと相談します」
「頼む」
「脚、ちゃんと診てもらってね」チルダが、作業台の向こうから言った。
「試験のとき、撃たれたとこ」
「予備流路に切り替えたままだ。今日、継ぎ直してもらう」
「歩くとき、ちょっとだけ右に寄ってる」
ルヴィリアは、自分の右脚を見下ろした。それから、何も言わずに、扉を開けた。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」カウンターの内側から、コラプスが言った。
「お気をつけて、指揮官」アイシアが言った。
奥の長椅子で、クローザーが箱から顔を上げた。
ルヴィリアは、店の扉を開けた。
それから、振り返らずに言った。
「クローザー。欲しい銃があったら、書いておけ」
クローザーが、顔を上げた。
「……全部?」
「全部書いていい。全部は買わん」
扉が閉まった。
チルダは、店のシャッターの横に、札を一枚かけた。
《本日、棚卸しのため休業》
字は、いつもより少し丁寧に書いた。
向かいの乾物屋で、老人がちょうど店の前を掃いていた。箒を止めて、札を眺めた。
「棚卸しかい」
「うん。今日は一日、中で数えもの」
「そうかい、そうかい」老人は、箒の柄に顎を乗せた。
「棚卸しなら、戦闘区は静かなんだねえ」
「なんで分かるの」
「閉店の札は、字が走っとる。棚卸しの札は、字が落ち着いとる。チルダちゃんの字は、正直だよ」
チルダは、自分の書いた札を見た。
それから、少しだけ笑った。
「……今度から、閉店の時も丁寧に書こうかな」
「やめとくれ。読めなくなる」
*
棚卸しは、店の一番奥の棚から始めた。
「コラプスは、数えて。あたしは、帳簿と照らす」
「数えるの、得意」
「知ってる。速すぎて、あたしが追いつかないくらい」
コラプスは、棚の一段目の前に立った。
端子の箱。変換コネクタの束。冷却板。ねじの瓶。
指で数えるのではなかった。一度、棚全体を見渡して、それから吸気孔で、浅く、短く、息を吸った。
「端子、四十二。そのうち、六つは錆びてる。錆の匂い」
「錆びてるのも、数に入れて」
「入れた。四十二」
チルダは、帳簿の数字と照らした。四十二。合っていた。
「……錆びてるのまで、匂いで分かるの」
「辰砂の錆と、ふつうの錆は、匂いが違う。この六つは、辰砂じゃなくてふつうの錆。雨の日に、外に置いてあった」
チルダは、帳簿の余白に《端子 六 錆 雨》と書き足した。
「それ、去年の夏に、ゴウダさんが持ってきたやつだ。荷台に一晩、出しっぱなしだったって言ってた」
「ゴウダさんの匂いも、ちょっとする」
「するんだ」
「油と、汗と、大きい声の匂い」
「声に匂いはないでしょ」
「あるよ。大きい人の汗は、大きい声の匂いがする」
チルダは、反論しかけて、やめた。
二段目、三段目、四段目。
コラプスは、一つずつ、匂いで仕分けていった。
旧軍の機材から外した部品は、古い機械油の匂い。家電のジャンクは、焦げた樹脂の匂い。回収業者が戦闘区の縁で拾ってきたものは、薄く辰砂の匂いがした。
五段目の端に、小さな箱が並んでいた。値札には、チルダの字で、ただ「古い」とだけ書いてある。
コラプスは、その箱の前で、少し長く息を吸った。
「……石の匂い」
「それは、渡りから仕入れたやつ」
「渡り」
「キゼシラの人たち。壁の外に、荷を運んでくる人たち」チルダは、帳簿をめくった。
「大戦の前の部品。辰砂に食われてないの。だから、高い」
戦闘区第十六区画――その中に、石壁に覆われた「キゼシラ」という集落が存在する。
石壁により辰砂の影響を受けないが、辰砂混じりの砂嵐が吹き荒れる大地に存在している。
戦前の技術を未だに残している場所だが、砂嵐により企業連合も迂闊に近づく事はできず、なおかつ金にもならないため、「渡り」以外で取引を行える者はほぼいない未開拓地であった。
「石の匂いと、水の匂いと」コラプスは、箱を一つ持ち上げて、鼻を近づけた。
「それから、黄色い匂い」
「黄色に、匂いはないって、ボスに言われたでしょ」
「言われた。でも、する。西の本社から貰ってきた電球と、同じ匂い」
チルダは、手を止めた。
キゼシラの壁の内側の灯りは、ナノエーテル灯ではない。
古い発電機で点けた、黄色い光。
「……そっか。あっちも、普通の光なんだもんね」
コラプスは、箱を棚に戻した。
「数、合ってる?」
「合ってる。七つ」
一番奥の、非売品の棚に来た。
コラプスは、そこで初めて、数えるのをやめてチルダを見た。
「ここも、数える?」
「数える。売らないけど、在庫は在庫だから」
一段目の真ん中に、硝子の電球が置いてあった。西大陸の本社への出張の折にもらったもの。
透明な球の中に、細い線が一本、渦を巻いている。
「電球、一」
「一」
その隣に、歪んだ装甲板が一枚、立てかけてあった。大きなねじ穴が、縁に沿って八つ並んでいる。板の真ん中が、拳の形にへこんでいた。
「これ、新しい」
「先週、届いたの。カナエの尾形さんから」チルダは、板の縁を指でなぞった。
「轍の装甲。正門の鬼火の砲弾を受けたやつ」
板の裏に、紙が一枚、紐で結んであった。尾形の、角張った字だった。
《約束の板だ。いい値段がついたら、半分よこせ。冗談だ。 尾形》
コラプスは、紙を読んで、首を傾げた。
「売らないの? いい値段つくって、言ってた」
「言った。でも、届いたら、売りたくなくなった」チルダは、板のへこみを、手のひらで撫でた。
「直して売るつもりだったのに。このへこみ、直したら、なくなっちゃうから」
「へこみ、要るの」
「要る。これがあるから、尾形さんが生きて帰ってきた板だって分かる」
コラプスは、しばらく板を見ていた。
「……装甲板、一」
「一」
二段目には、古い木箱が一つ置いてあった。蓋に、封の紐が二重に巻かれている。
コラプスが、その前に立った。
息を吸う。
「……ルヴィリアの匂いと、チルダの匂い。両方」
チルダは、帳簿から顔を上げなかった。
「それは、数えなくていい」
コラプスは、チルダを見た。
「数えないの?」
「数えないものも、あるの」
チルダの声は、いつもと同じだった。軽くて、平らで、何も隠していないような声だった。
それでも、コラプスは、その声の中に、何かがきちんと閉じられている匂いを嗅いだ。封の紐と同じ匂いだった。
コラプスは、木箱から目を離した。
「……分かった。数えない」
「ありがと」
「帳簿にも、書かない?」
「書かない。最初から、書いてない」
コラプスは、うなずいた。それから、三段目に移った。
*
店の奥の長椅子の前で、クローザーは四つめの箱の紐を解いていた。
床に、カタログが山になっていた。
メビウスの冊子は、どれも白い表紙に、題名だけが細い字で刷ってあった。
黒曜警備保障の型録は、黒い表紙に銀の箔押し。
カナエ鉱業のは、厚紙を金具で綴じた、作業員向けの実用一点張りの冊子だった。
それから、旧陸軍の兵器目録。
紙は黄ばんで、角が丸くなっていた。表紙に、大歴の年号が刷ってある。二十年以上前の年号だった。
クローザーは、山を三つに分けた。
メビウス。
他社。
旧軍。
それから、それぞれの山を、年号の順に並べ直した。
「……指揮官、同じの、三冊持ってる」
メビウスの山の中に、トールの発表のときの冊子が三冊あった。
表紙も中身も、まったく同じだった。
チルダが、棚の方から声をかけた。
「ボスはね、同じの見つけると、また買っちゃうの。前のを持ってるの忘れてるんじゃなくて、見つけたら、手元に置いておきたくなるんだって」
「なんで」
「さあ。銃のこととなると、ボス、ちょっと変だから」
クローザーは、三冊を重ねて、山の端に置いた。
メモ用紙を一枚、膝の上に置いた。
《欲しい銃》
一行目に、黒曜の型録に載っていた、短銃身の静音小銃の型番を書いた。市街地の、狭い路地用。
二行目に、カナエの型録の、ねじで分解できる重機関銃。
三行目に、メビウスの冊子の、試作品の欄の、照準器だけ。
四行目、五行目、六行目。
メモ用紙が、すぐに埋まった。二枚目を取った。
「……クローザー。それ、全部ボスに頼むの」
チルダが、棚の陰から覗き込んでいた。
「全部書いていいって、言った」
「全部は買わないとも、言ってたよ」
「だから、全部書く」クローザーは、ペンを止めなかった。
「全部書いたら、指揮官が選ぶ。選んだのが、指揮官の答え」
チルダは、しばらくクローザーの横顔を見ていた。
「……それ、盤と同じ考え方?」
「同じ。打てる場所を全部並べたら、相手がどこに打つかで、相手のことが分かる」
「ボスを読むために、欲しい銃を書いてるの?」
「半分は、欲しいから」
旧軍の目録をめくっていたとき、クローザーの手が止まった。
余白に、字が書いてあった。
鉛筆ではなかった。古いインクの字だった。滲んで、薄くなっている。
《三発目で詰まる。前線へ送るな》
クローザーは、その頁の銃を見た。
旧陸軍の、制式の小銃の改良型。三八式改。十四番の倉庫で、団地の若者たちが担いでいた銃と、同じ系統だった。
次の頁にも、字があった。
《反動、人の肩では保たん。十数発で肩が割れる》
その次の頁。
《照準、磁気で右へ流れる。狭い所では使うな》
クローザーは、目録を閉じた。表紙の年号を、もう一度見た。
二十年以上前の年号。
それから、メビウスの山の、一番新しい冊子を開いた。ディヤウスの発表のときの冊子だった。
そこにも、字が書いてあった。今度は、鉛筆の、新しい字だった。
《EMP、味方の装甲も焼く。距離を取れ》
クローザーは、二冊を並べて、床に置いた。
古いインクの字と、新しい鉛筆の字。
字の傾きが、同じだった。「る」の書き終わりを、少しだけ跳ね上げる癖も、同じだった。
クローザーは、長いあいだ、二冊を見ていた。
それから、二冊をそっと閉じて、それぞれの山に戻した。
メビウスの山の、真ん中あたりに、ダイダラの発表のときの冊子があった。
クローザーは、それを開いた。
ダイダラの頁は、何度も開かれた跡があった。紙が、そこだけ柔らかくなっていた。
頁の余白に、鉛筆の字があった。
《このような重圧迸る銃は、人間でもアンドロイドでも扱えん。戦車搭載用か?》
その下に、もう一行。少しだけ、新しい字だった。
《CLOSER-09 向き。あいつは、重い方が当てる》
クローザーは、その一行を、何度か読んだ。
それから、自分のメモ用紙を見た。二枚目の、半分まで埋まった欲しい銃の一覧。
ペンを取って、一覧の一番下に、一行足した。
《ダイダラの、予備の銃身》
少し考えて、その横に、小さく書き足した。
《指揮官が選んだやつ》
*
アイシアは、作業台の端で、百枚近いデータチップを、一枚ずつ読み取り器に差していた。
読み取った中身は、端末の画面に一覧になって並んでいく。
《家庭用調理器 取扱説明(大戦前)》 《旧軍 第二補給廠 献立表(週次)》 《通信機 設定記録 破損》 《不明 読み取り不能》 《家庭用端末 留守録 音声 三件》 《不明 読み取り不能》
「チルダ。献立表が出ました」
「献立表?」棚の方から、チルダの声がした。「旧軍の?」
「はい。第二補給廠の、週ごとの献立です。月曜は麦飯と根菜の煮物。火曜は乾パンと缶詰の肉。水曜は」
「それ、売れる?」
「乾物屋さんが、欲しがるかもしれません。昔の献立を、懐かしがる方がいらっしゃいますので」
「じゃあ、値札付けて。安めに」
アイシアは、チップを《売・安》の仕切りに移した。
《家庭用端末 留守録 音声 三件》のチップを、アイシアは、少しだけ迷ってから再生した。
小さな雑音のあとで、女の声がした。
『……もしもし。お母さんです。今日は遅くなるから、冷蔵庫のもの、温めて食べてね。それから、雨が降りそうだから、窓、閉めておいて』
二件目。
『お母さんです。さっきの、言い忘れた。猫にも、ごはんあげてね』
三件目は、雑音だけだった。誰かが受話器を取って、何も言わずに置いた音。
アイシアは、再生を止めた。
チルダが、棚の陰から顔を出していた。
「……それ、どうする」
「売り物には、しないでおきます」アイシアは言った。「記録として、受け取りました。誰の家のものかは、分かりません」
「分からないなら、どうしようもないね」
「はい」アイシアは、チップを、どの仕切りにも入れずに、作業台の端に一枚だけ置いた。「でも、捨てる理由もありません」
チルダは、少しだけ黙ってから、うなずいた。
「じゃあ、それは、非売品の棚。電球の隣」
昼前、アイシアは、ある一枚で手を止めた。
《不明 読み取り不能》の山の中から、一枚だけ、別の形式で読めるものが出てきた。企業の規格でも、旧軍の規格でもない。手で組んだ、古い形式の記録だった。
画面に、数字の列が並んだ。
時刻。風向。粉塵の濃度。磁気の値。毎日、同じ時刻に、同じ順番で。何年分も。
数字の列の、ところどころに、短い言葉が書き込まれていた。
《凪 四刻半》《凪なし》《凪 二刻 門開》
アイシアは、しばらく画面を見ていた。
「チルダ。このチップは、どこから仕入れましたか」
チルダが、帳簿を抱えたまま、作業台の方へ来た。画面を覗き込んだ。
「……それ、渡りから仕入れた部品の箱に、紛れてたやつだ」
「キゼシラの、凪の記録です」アイシアは言った。
「壁の外の嵐が、いつ、どれだけ弱まるか。何年分も、毎日。おそらく、キゼシラの門番をしている人が、つけていたものです」
チルダは、画面の《門開》の文字を、指でなぞった。
「……これがあれば、凪を読めない人でも、壁まで行けちゃうね」
「はい」
アイシアは、チップを読み取り器から抜いた。
「値札は、付けないでください」
「それは、売り物じゃないね」
「今夜、私がスリープに入れば、この記録はメレナに上がります。本社にも届きます」
「うん」
「本社は、たぶん、興味を持たないでしょう。キゼシラは、お金になりませんので」
「たぶんね」
「それでも」アイシアは、チップを、手のひらに乗せた。「私が持っておく理由は、ありません」
チルダは、アイシアの手のひらから、チップを受け取った。
それから、小さな布袋に入れて、口を縛った。袋の表に、ペンで書いた。
《返す。渡りの人に。次に来たとき》
「次に来たときに、返す。部品の箱に紛れてたって、ちゃんと言って」
「はい」
*
昼過ぎ、四機は作業台を囲んで、少しだけ手を休めた。
チルダが、店の茶菓子の缶を開けた。干した果物と、下町の焼き菓子。コラプスの前には、紙の小袋が一つ。今日の分の辰砂粉末だった。
「一包だけね」
「知ってる」コラプスは、小袋を開けて、少しだけ口に含んだ。瞳の奥で、シアンが一瞬だけ明るくなった。
クローザーは、焼き菓子を一つ取って、成分を確かめるように端を齧った。
「……油、先週より多い」
「同じ店のだよ」
「先週のと、作った人が違う」
チルダは、缶の中を覗いた。それから、肩をすくめた。
「たぶん、息子さんが焼いたんだ。あそこ、最近、代替わりしたから」
アイシアは、何も食べずに、三機の顔を順番に見ていた。誰が何を食べたかを、覚えていくように。
*
午後の棚卸しが終わったのは、三時を回った頃だった。
チルダが、帳簿の最後の頁で、数字を足した。
それから、眉を寄せた。
「……一つ多い」
「多い?」アイシアが訊いた。
「帳簿より、棚の方が、一つ多いの。減ってるなら、売ったのを書き忘れたか、誰かが持ってったかだけど。多いのは、変」
コラプスが、カウンターの内側から出てきた。
「どの棚?」
「五段目。渡りから仕入れた、古いやつの段」
コラプスは、五段目の前に立った。午前中に数えたとき、七つと言った段だった。
息を吸う。
一度。二度。
「……七つ。でも、一つだけ、匂いが違う」
コラプスは、箱の列の、一番奥に手を伸ばした。部品の箱ではなかった。掌に乗るほどの、小さな石だった。
灰色の、滑らかな石。その表面に、細い線が彫ってあった。波の形。何本も重なって、扇のように広がる、古い文様。
「……石細工」
チルダが、それを受け取った。手のひらの上で、光にかざした。
「これ、渡りの人が、最後に来たときに置いてったやつだ。おまけだって。帳簿に書くの、忘れてた」
「おまけ」
「壁の民の人が、彫ったんだって。キゼシラの中で」
アイシアが、作業台の端の、布袋を見た。凪の記録のチップを入れた袋。
「同じ人たちのもの、ですね」
「うん」チルダは、石を、布袋の隣に置いた。「チップは返して、石はもらっとく」
「帳簿には」
「書く」チルダは、帳簿の最後の行に、ペンで書き足した。
《石細工 一 渡りより 非売品》
それから、棚の数と、帳簿の数を、もう一度足した。
合った。
「ルヴィリア」コラプスは言った。「店にあるもの、全部数えた。一つ、足りない」
チルダは、しばらく、何も言わなかった。
それから、帳簿を閉じた。
「ボスは、在庫じゃないよ」
「知ってる。でも、数えちゃった」
チルダは、少しだけ笑った。それから、作業台の、空いた椅子を見た。
「……帰ってくるまで、帳簿は閉めないでおこっか」
「合ってるのに?」
「合ってるけど。一つ、まだ戻ってないから」
ルヴィリアが戻ってきたのは、日が傾き始めた頃だった。
店の扉を開けると、棚がきれいに揃っていた。
床に山になっていたカタログは、四つの箱に詰め直されて、箱の横に、クローザーの字で《メビウス》《他社》《旧軍》《同じのが三冊》と札が貼ってあった。
作業台の端に、アイシアの報告書が一枚。
《データチップ九十八枚。売・安 十二。売・並 六。廃棄 七十八。非売 二》
その横に、チルダの帳簿。最後の行に、《石細工 一 渡りより 非売品》。
そして、作業台の真ん中に、メモ用紙が二枚、重ねて置いてあった。
《欲しい銃》
ルヴィリアは、上着を脱がずに、作業台の前に立った。
「おかえり、ボス」チルダが、カウンターの奥から言った。「整備、どうだった」
「問題ない」
「技術部の人、なんて」
「いつもどおりだ、と」
「そればっかり」
ルヴィリアは、メモ用紙を手に取った。
一枚目。黒曜の静音小銃。カナエのねじで分解できる重機関銃。メビウスの試作品の照準器。
二枚目。さらに十いくつか。
それから、一番下の一行。
《ダイダラの、予備の銃身。指揮官が選んだやつ》
ルヴィリアは、その一行のところで、目を止めた。
その下に、さらに小さな字で、一行あった。紙の端の、ほとんど余白のないところに。
《ダイダラの頁の字、指揮官の字? 昔の目録の字も?》
ルヴィリアは、長椅子の方を見た。
クローザーは、長椅子に座って、端末の盤面を開いていた。顔は、画面を向いていた。指は、動いていなかった。
ルヴィリアは、メモ用紙を作業台に置いた。
「クローザー」
「うん」
「ダイダラの頁の字は、私の字だ」
「うん」
ルヴィリアは、少しだけ、間を置いた。
「昔の目録の字も、そうだ」
クローザーは、画面から顔を上げなかった。
「……うん」
それだけだった。クローザーは、それ以上は訊かなかった。盤面の上で、指が一つ、駒を動かした。
ルヴィリアも、それ以上は言わなかった。
チルダが、作業台の向こうに来て、頬杖をついた。
「で、ボス。欲しい銃、どれ買うの」
ルヴィリアは、メモ用紙を、もう一度手に取った。
二枚分の一覧を、上から下まで、黙って読んでいった。
それから、ペンを取って、一つだけ、丸をつけた。
一番下の行だった。
「……それだけ?」
「全部は買わんと言った」
長椅子の上で、クローザーの指が、また止まった。
それから、画面の盤面の駒を、一つ、ゆっくりと置いた。
チルダは、ルヴィリアの手元のメモを覗き込んで、それから長椅子のクローザーを見て、何も言わずに笑った。
アイシアが、店のシャッターの横の札を外して、裏返した。
《明日より、営業》
字は、チルダの字ではなかった。アイシアの、きちんと揃った字だった。
向かいの乾物屋の老人が、店じまいの手を止めて、札を眺めた。
「おや、今度は、副官さんの字だ」
「はい」
「これはまた、ずいぶん落ち着いた字だねえ」老人は、目を細めた。「明日も、静かなんだね」
「そのはずです」
アイシアは、小さく頭を下げて、店の中へ戻った。
*
その夜、四機が眠ったあとで、ルヴィリアは作業台の前に座っていた。
クローザーのメモ用紙が、作業台の上に置いてあった。丸のついた一番下の行。その下の、小さな字の問い。
ルヴィリアは、それを畳んで、カタログの箱の、《メビウス》の箱の一番上に挟んだ。ダイダラの冊子の、すぐ上に。
それから、非売品の棚を見た。
数えないものの入った箱。数えたものの並ぶ棚。返すもの。もらったもの。
全部が、そこにあった。




