手番と手札/duel in dolls
「ここから出たら、駄目?」
クローザーが、ビーコンから放たれている青い境界を指した。
「移動は自由だ」
開始前のルヴィリアが答える。
「ただし、敵をここへ入れるな」
「追いかけても?」
「守り切れるなら、な」
クローザーは、青い線から視線を上げた。
解放区・西地区の郊外に残る、旧い巨大な商業施設。
近隣の人間は、そこを「塔」と呼んでいる。
戦時中は、あらゆる軍事組織の兵站になっていた場所だった。
中央の吹き抜けを取り囲むように、何層もの売場が重なっている。渡り廊下、停止したエスカレーター、暗い店舗の入口。その奥には、図面だけでは見通せない空間が続いていた。
防衛対象は、中層の仮設搬出区画。
見上げても、見下ろしても、敵が来られる場所がある。
クローザーが、ダイダラを持ち直す。
「分かった」
*
観測室には、四つの画面が並んでいた。
塔の全体図。敵性部隊の編成と、投入の順番。クローザーの視界。
それから、照準、機体負荷、ダイダラの砲身温度、ナノエーテルの液量と循環圧、メレナとの思考補助対話。
ただし、四機からクローザーへ返せるものは、何もない。
「使えるのは、メレナだけです」アイシアが言った。
「メレナも、こちらの敵の情報は参照できません。参照できるのは、クローザーが現地で取得した情報と、塔の古い図面だけです」
「古い図面って、何年前の」チルダが訊いた。
「大戦の終わりのものです。改修の記録は、ありません」
「じゃあ、半分は嘘だね」
コラプスは、塔の全体図の、一番下を見ていた。吹き抜けの底。地下の搬入口。
「ここ、辰砂が残ってる」
「デパートとは名ばかりの兵站だったからねえ。あそこは敵だろうが味方だろうが、みんな使ってた」チルダが言った。
「戦時中、生の辰砂粉末の封缶をここに積んでたんだと思う。経年劣化でドバっとこぼれたのが、床に溜まってる」
「濃くはない。だが……舞ったら曇る」
ルヴィリアが、コラプスの指した数字を見た。それから、クローザーの視界に目を戻した。
「……あいつは、まだ知らないな」
*
開始直後、塔の底から音が上がってきた。
多数の脚が床を叩く音。
駆動系の唸り。
それらに混じって、上階の手すりを何かが掴む音がした。
クローザーが振り向いた。
四脚の戦闘機械が、手すりを越えてくる。
最初の射撃で、一体が崩れた。
その横を、別の一体が跳ぶ。
クローザーは銃口を追わせながら、半歩下がった。着地した機体が停止するより早く、正面の店舗から射撃が始まる。
床に、着弾が並んだ。
クローザーが走る。
青い境界の外側を横切り、足を止め、撃つ。
店舗の暗がりで光っていたセンサーが消えた。
『上層に追加の動体』
メレナの報告。
「うん」
返事の間にも、視線は動いていた。
「メレナ。手番、ちょうだい」
『手番、とは』
「来る順番。青いところに、どれが一番先に着くか。二番目、三番目も」
『現在の動体の位置と速度から、到達順を推定します』
クローザーの視界の端に、小さな数字が並んだ。動体の一体ずつに、一、二、三、と。
「それでいい」
観測室の画面に、敵機の表示が増えていく。
下層を進む重い機体。
渡り廊下を走る小型機。
壁面を使って、階層を移る機体。
同じ速度でも、同じ道でも来ない。
チルダが、吹き抜け全体の映像を見た。
「正面ってものがないね」
ルヴィリアは、クローザーの視界を見ていた。
「本人にはある」
その時、クローザーは上階を狙っていた。
もっと近い敵が、下にいる。
だが、その機体は、まだ遠回りしなければ届かない。視界の端の数字は、三。
上階の敵は、次の跳躍で青い区画へ入れる。数字は、一。
発砲。
跳ぼうとした機体が、手すりへ衝突した。
クローザーが、そこで初めて下を向く。
アイシアが、敵機の移動予測を重ねた。
照準の動きと、防衛区画への到達順が、ほとんど一致していた。
「近い順に撃っていないんですね」アイシアが言った。
「着く順に撃っています」
「盤と同じだ」ルヴィリアが言った。
「次に打たれたら負ける石から取る」
敵が増える。
倒れた機体の横から、次が出てくる。
一つの店舗を静かにしても、別の店舗で光が点く。
クローザーが、下層へ向けて射撃した。
何体かが止まる。
残りが、その間を越えてくる。
「まだ出る」
『襲撃は継続中です』
「知ってる」
クローザーの声には、まだ余裕があった。
ダイダラの出力表示が変わる。
足を止めた。
照準が、敵の密集した一角へ収まる。下層の、吹き抜けの底に近い売場。
次の瞬間、吹き抜けの空気が震えた。
重なっていた機体が崩れる。
広告板が裂け、その向こうの店舗まで見えるようになった。
停止判定が、一度に並ぶ。
クローザーは、その数を見なかった。
射撃を終えると同時に身体を回し、背後へ迫った機体を止める。
チルダが、小さく笑った。
「大きく撃った後に、ちゃんと忙しい」
コラプスが、画面に顔を寄せた。
「……舞ってる」
吹き抜けの底から、赤い粉が、薄い霧になって昇ってきていた。
ダイダラの一発が床ごと叩いて、溜まっていた辰砂を巻き上げたのだった。
『下層の磁気が上昇しています』メレナが報告した。
『光学照準に、ずれが出る可能性があります』
クローザーは、照準を覗いたまま、下層を狙った。
照準の中の敵の位置が、わずかに揺れていた。
実際の位置から、右に半目盛り。それから、下に、もう少し。
「……下、撃つと、曇る」
『叩かれた辰砂の粉塵です。吸気の濃度も上がっています』
クローザーは、照準から目を離した。
吹き抜けの底の、赤い霧を見下ろした。
それから、霧の中で動いている下層の敵機を見た。三体が、霧の中で止まっていた。止まって、首を振るように、センサーを左右に振っていた。
「……それは、向こうも同じ」
『敵機のセンサーにも、磁気の影響が出ていると推定されます』
観測室で、コラプスが、ルヴィリアの方を振り返った。
「あの子、気づいた」
「気づいたな」
画面の中で、クローザーは、もう下層を撃たなかった。照準を、上層と渡り廊下に戻した。
『下層の敵は、まだ活動しています』
「霧が晴れるまで、寝てる」クローザーは言った。
「寝てるあいだに、上を取る」
『霧が晴れるまでの時間を、推定しますか』
「して。それが、下の手番」
視界の端の数字が、並び替わった。下層の三体の番号が、後ろへ回った。
だが、塔も変わっていた。
壁がなくなる。
経年劣化でボロボロになった手すりが、落ちる。
それまで別々だった空間が、繋がる。
クローザーが前方へ射撃していた時、その新しい開口部から一体が現れた。
近い。
青い境界まで、ほとんど距離がない。
視界の端の数字は、表示されていなかった。メレナの古い図面に、その通り道はなかったからだ。
クローザーが銃口を向けかけ、止めた。
射撃の向こうに、防衛対象がある。
踏み込む。
敵機と衝突した。
金属の擦れる音が響き、二体分の重量が境界の外へずれる。
クローザーが押し切った。
停止判定。
敵機を蹴り飛ばし、自分が壊した壁の方を見る。
「ここ、近道になった」
『地形情報を更新します』
「あたしが開けたんだけど?」
一瞬だけ、不満そうな声だった。
ルヴィリアが鼻を鳴らす。
アイシアは、その場面を記録する。
以後、クローザーは大きく撃つたびに、周囲を見直した。
敵が何体減ったか。
その射撃で、どこが通れるようになったか。
確認する物が、一つ増えていた。
中盤から、クローザーの動きは小さくなった。
追えば倒せる敵を残す。
遠くの射撃へ、いちいち撃ち返さない。
青い区画へ届く敵を止め、次を見る。
『ダイダラの砲身温度が上昇しています。機体の冷却も、限界に近づいています』
メレナが告げる。
クローザーは、表示を見た。自分の体の中を回るナノエーテルの温度。高負荷向けの専用配合でも、上がり続けている。
「残り時間」
『表示します』
一度だけ、確かめる。
ダイダラの出力を、一段落とす。
『現在の交戦数は、引き続き増加しています』
「全部は追わない。手間」
それから、クローザーは、撃たずに照準を動かし始めた。
敵ではなく、塔を見ていた。
上層から中層へ降りる、停止したエスカレーター。東側の渡り廊下。下層から吹き抜けを回り込む、斜めの通路。
『何を参照していますか』
「道」
『道、ですか』
「さっき、壁を壊したら、道が一本増えた」クローザーは言った。
「なら、壊したら、一本減る道もある」
観測室で、チルダが、肘をついていた腕を下ろした。
「……盤面を、作る気だ」
クローザーは、東側の渡り廊下の、根元の支柱を撃った。
一発。
渡り廊下が、傾いた。
二発目で、落ちた。
『東側の渡り廊下が崩落しました。上層東から中層への経路が、一つ消えました』
「メレナ、手番、出し直して」
『到達順を再推定します』
視界の端の数字が、また並び替わった。東から来るはずだった小型機の群れの番号が、ずっと後ろへ下がった。遠回りをしなければ、もう青い区画へは届かない。
「次」
クローザーは、上層から降りる停止したエスカレーターの、上の端を撃った。手すりの金具がはじけ、段の板が何枚か、吹き抜けの底へ落ちていった。エスカレーターは、残った。だが、四脚の機体が駆け下りるには、足場が足りなくなった。
「上から来るのは、跳ぶしかない」
『上層からの到達は、すべて跳躍経路になります』
「跳ぶのは、空中で曲がれない」
クローザーは、照準を、跳躍の着地点に置いた。上層から跳べば、必ずそこへ降りる。
観測室で、アイシアが、敵の到達予測の図を重ねた。
上層、中層、下層。ばらばらだった敵の通り道が、少しずつ、細い流れに絞られていった。そのいくつかが、同じ一点へ向かっていた。青い区画の手前の、クローザーの照準の前へ。
「……敵の数は、減っていません」アイシアが言った。
「でも、来る道が減っています」
「正面がなかった塔に、正面を作ってる」ルヴィリアが言った。
コラプスが、ルヴィリアの横顔を見た。
「ルヴィリアも、さっき、そう言った。『本人にはある』って」
「あいつは最初から、自分の正面を作るつもりでいた」
クローザーは、青い線の上に落ちた破片を、足で押し出した。
自分が通る場所だった。
その直後、絞った道の一本から、敵機が来た。
彼女は、空けた場所へ踏み込んだ。
射撃。
停止。
終盤、上層で、大きな影が動いた。
本調子のダイダラでようやく撃ち抜けるほどの外装の厚い大型機。
その周囲を、小型機が走っている。
下層では、赤い霧が薄れ始めていた。眠っていた三体が、センサーを振るのをやめて、また動き出した。
クローザーの視界に、接近表示が重なる。
大型機へ、銃口が向いた。
止まる。
先に、足元へ迫った敵を撃った。
もう一体。
横へ動く。
大型機が、吹き抜けへ身を乗り出す。
クローザーが、上を見た。
『大型機の重量では、中層の床に着地すると、防衛区画の手前の床が抜ける可能性があります』
「知ってる」
クローザーは、大型機ではなく、その下を見ていた。
大型機の真下。吹き抜けの底。霧の晴れかけた下層から、三体が這い上がってくるための、斜めの通路の入口。
「メレナ。あれ、どっちに落ちる」
『大型機の重心と、脚部の位置から推定します。……右前脚を撃てば、右へ傾き、吹き抜けの底の東寄りに落ちます』
「東寄りって、あの斜めの通路の入口?」
『そうです』
クローザーは、一段落としていたダイダラの出力を、元へ戻した。
加圧ガスとバッテリーが、唸りを上げる。
冷却していた砲身が、再び作動する。
『砲身温度が限界に近づいています。この一発のあと、しばらく高出力では撃てません』
「一発でいい」
射撃音が、幾層もの売場を叩いた。
大型機の右前脚が、根元から弾けた。
巨体が、右へ傾いた。
吹き抜けへ、落ちていく。
クローザーは、落下方向を見ていた。
防衛区画には来ない。
巨体は、吹き抜けの底の東寄りに、轟音を立てて沈んだ。斜めの通路の入口の真上に。
下層から這い上がろうとしていた三体が、その巨体に踏み潰された。
それを確かめると、クローザーはもう目を離した。
巨体が沈んだ轟音の中で、彼女は別の敵を撃っていた。
観測室で、チルダが、声を立てずに笑った。
「……倒した敵で、道に蓋した」
「石を取って、そこに自分の石を置いたな」ルヴィリアが言った。
終了間際には、敵が来るたびに距離が詰まっていた。
防護になる物は、減っている。
クローザーの機体にも、損傷表示が灯っていた。
脚部。
肩。
『肩部被弾。ナノエーテル、微量の漏出。予備流路へ切り替えます』
視界の端に、一時的な乱れが入る。
彼女が、顔を動かす。
見えなくなった側を、自分で確かめる。
視界の端の数字も、半分が消えていた。メレナの推定に、もう塔の形が追いついていなかった。
「メレナ、手番、もういい」
『推定を停止しますか』
「あとは、こっちで数える」
一体が、青い線へ迫った。
クローザーが、その前へ入った。
撃つ。
止まる。
別の一体。
向き直る。
大きな動作は、もうほとんどなかった。
境界の外側を短く往復して、その都度、敵を止めている。
床には、彼女がそこまで運ばせた敵機の残骸が重なっていた。
《規定時間経過》
終了音。
《防衛成功》
クローザーは、まだダイダラを構えていた。
残った敵機の駆動音が消える。
動体表示が止まる。
それを確認してから、ようやく銃口を下ろした。
「……多かった」
*
試験の後、最初に確認したのは、撃破数ではなかった。
クローザーは、防衛区画の判定を開いた。
敵機侵入、ゼロ。
指で、表示を押す。
「ここ、合ってる?」
「合っています」
アイシアが答えた。
「途中、近かった」
「境界は越えていません」
クローザーが頷く。
コラプスが、クローザーの肩の、漏出のあった場所を見ていた。
それから、吹き抜けの底の映像を指した。
「クローザー。下の赤いの、最初から、あった」
「知らなかった」
「教えたかった」
「教えてたら、不成立」クローザーは言った。
「それに、撃ってみたら、分かった。曇るって」
コラプスは、少しだけ口元を緩めた。
「辰砂、使うの、上手」
「コラプスほどじゃない」
「これからあそこ、いい加減取り壊すからって、試験場に使わせてもらった訳だけど……ここまで派手に行くもんとはね」
チルダは、塔全体の映像を眺めていた。
開始時にあった店舗の仕切りが、いくつも消えている。
東側の渡り廊下が、ない。
上層からのエスカレーターの段が、何枚も抜けている。
吹き抜けの底には、大型機が、斜めの通路の入口を塞ぐように沈んでいる。
その中層に、青い区画が残っていた。
「……来た時と、塔の形が違う」チルダが言った。
「クローザーが、作り直した」
ルヴィリアが、最後の交戦映像を出す。
「残り時間を見てから、動き方を変えたな」
「熱くなってた」
「ああ」
「遠いの追うと、戻る分も要る」
クローザーは、自分の機体負荷を見た。ナノエーテルの温度の記録が、終盤で一度だけ跳ね上がって、また下がっている。大型機を落とした一発のところだった。
「ここに来る分と、あの一発の分、残した」
ルヴィリアは、頷いた。
それから、大きな射撃の後に壁面を見直している場面へ戻した。新しい開口部から、一体が現れた場面。
「次はこれを、撃つ前にも考えろ」
「途中から、考えた」クローザーは言った。「渡り廊下、落とした」
「ああ。見ていた」
ルヴィリアは、渡り廊下が落ちる場面を止めた。
「壊して道を増やすのは、事故だ。壊して道を減らすのは、手だ。お前は途中で、事故を手に変えた」
クローザーは、しばらく画面を見ていた。
「……灯籠と打つ時と、同じ」
「どこがだ?」
「灯籠、こっちの読みの外から打ってくる。だから、読みで勝てない時は、盤の方を狭くする。打てる場所を、減らす」
ルヴィリアは、少しだけ口の端を緩めた。
「それで、六勝六敗か」
「七勝目は、これで取る」
クローザーが、開口部へ印をつける。それから、落とした渡り廊下と、段の抜けたエスカレーターと、大型機の沈んだ通路の入口にも。
「倒したら、道が増えた」
「増えるな」
「壊したら、道が減った」
「減らせるな」
「敵が増えるより、面倒だった。でも、途中から、面白かった」
チルダが笑った。
アイシアが、メレナの記録の末尾を開いた。
「メレナが、一行だけ書き加えています。『到達順の推定は、対象の地形改変に追いつかなかった。後半の到達順は、対象自身が地形によって決めていた』」
「メレナ、負けた?」コラプスが訊いた。
「負けてない」クローザーは言った。「メレナが手番出して、あたしが盤を作った。二人で打った」
*
画面では、戦闘終了後の塔が映っている。
敵機の停止位置を重ねると、青い区画の周囲に、濃い帯ができた。
遠くで倒せなかった敵も、途中で見失った敵も、最後にはそこまで来た。
彼女が作った、細い道を通って。
そして、そこで止まっていた。




