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終わった大戦の、終わらせ方 〜TSおじさんは機械の身体で戦後の世界を謳歌する〜  作者: 兼沢ほろろ


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17/23

継ぎ目

「やってるか、お前ら」

 蘇芳が、ジャンク屋の扉を自分で開けて入ってきたのは、初めてのことだった。


 カウンターの内側で、コラプスが釣り銭を数える手を止めた。

 奥の長椅子で、クローザーが端末から顔を上げた。作業台の向こうで、ルヴィリアがディヤウスの銃身を拭く布を置いた。


「……統括」


「座ったままでいい」


 蘇芳は、店の中を一度だけ見回した。棚に積まれた部品。非売品の棚。天井から下がった、ナノエーテル灯の白い光。機械の右腕で、上着の内ポケットから封筒を一通取り出した。


「来週、企業連合の試験場で、各社の新型戦闘車輌の発表がある。レセプションを兼ねた、内覧と試走だ」


 封筒の表に、企業連合の印が押されていた。


「メビウスも、一台出す。名前は、ウルカヌス」


 作業台の端で、工具を広げていたチルダの手が止まった。


「……新型の、戦闘車輌」


「そうだ」蘇芳は、チルダの方を見た。

「発表の場での試走に、運転手が一人要る。Dollsから出せと、支部長から言われている」


 戦闘区までの運転は、だいたいルヴィリアかチルダの仕事だった。

 アイシアは車輌の電子系に潜ってデータを調整し、クローザーは搭載砲かダイダラで狙い、コラプスは辰砂の濃さを読む。

 ハンドルを握れる手が空いているのは、その二人しかいない。


 ルヴィリアは、布を畳んだ。それから、蘇芳を見た。


「支部長は、もうお乗りに」


「三日前に」蘇芳は言った。「試験場を、二十周した。主砲も、六十発撃った」


 ルヴィリアは、少しだけ間を置いた。


「なら、いい」


 それだけ言って、ルヴィリアは、チルダの方へ顔を向けた。


「チルダが行け」


「……いいの?」


「新しい車輌の中を一番見たがっているのは、お前だろう」


 チルダは、目を瞬いた。それから、ゆっくりと、笑った。


「見たい。すっごく見たい」


 *


 蘇芳が帰ったあと、店の中は少し騒がしくなった。


「砲手の席、あるのかな」クローザーが、長椅子から身を乗り出した。

「戦闘車輌でしょ。砲、積んでるよね」


「積んでるでしょ。支部長が六十発撃ったって言ってたし」


「六十発」クローザーは、指を折って数える真似をした。「……あの人、また撃ったんだ」


 コラプスが、カウンターから顔を出した。


「また?」


「支部長は、メビウス仙京支部(ここ)で作った兵器、全部自分で撃つの」チルダが言った。

「あたしたちに回ってくる前に。試験場で、上着脱いで、袖まくって」


「なんで?」


「人(・)形(・)だけに試運転を任せておいては、必ず綻びが出ます」


 チルダは、少しだけ西の訛りを真似て言った。


「……って、口癖なの」


 コラプスは、首を傾げた。


「綻び」


「アンドロイドの腕なら平気な反動でも、人間の肩は外れるとか。そういうの」チルダは、工具を袋に戻しながら言った。

「支部長は、自分が撃って、人間が使うときの『遊び』を足させるの。人間が使えないと、民間(ヨソ)に売れないから」


「本社の人は、ただぶっ放したいだけって言ってる」クローザーが言った。


「それも、たぶん本当」


 アイシアが、店の扉から入ってきた。手に、端末を持っていた。


「統括から、事前資料が届きました。ウルカヌスの電子系の仕様書と、支部長の試運転の記録です。試走の前に、運転手の操作の癖に合わせて、制御の設定を調整してほしいとのことです」


「アイシアがやるの?」


「はい。チルダの運転の記録は、待機室に全部あります。足回りの応答と、旋回の癖と、加速の踏み込み方。それに合わせて、事前に組んでおきます」


 チルダは、少しだけ顔をしかめた。


「あたしの運転の癖、全部、記録にあるの」


「あります」アイシアは、当然のように言った。

「チルダは、曲がる直前に、一度だけ軽くブレーキを踏みます。必要がないときでも」


「……それ、昔の癖」


「知っています」


 チルダは、無意識に、左の肩口を指先でなぞった。


 ルヴィリアは、それを見ていた。何も言わなかった。



 その夜、店を閉めたあとで、チルダは作業台の向こうのルヴィリアに訊いた。


「ねえ、ボス。さっきの、『なら、いい』って」


「何だ」


「ボス、支部長のこと、あんまり好きじゃないでしょ」


「事業家としてはな。兵器屋としては、その限りではない」


「でも、支部長が先に乗ったって聞いたら、それでいいって」


 ルヴィリアは、ディヤウスの銃身に布を当てたまま、しばらく黙っていた。


「大戦のころ、前線には、書類からそのまま出てきたような兵器が送られてきた」


 チルダは、手を止めた。


「誰も撃ったことのない銃。誰も走らせたことのない車輌。前線で初めて引き金を引いて、初めて弾が詰まることを知る。その一回で、部下が死んだ」


 ルヴィリアは、布を置いた。


「あの男は、人を数字で見る。新たな大戦の火種を埋め、収穫を待つ」ルヴィリアは言った。

「だが、自分の売り物は、自分の手で撃つ。武器商人としては、まともだ」


 チルダは、しばらく、ルヴィリアの顔を見ていた。


「……それ、褒めてる?」


「半分だ」


 *


 企業連合の試験場は、新都の北の境界区にあった。


 第一区画「正門」に接する、広い荒れ地だった。

 戦後、旧軍の演習場の跡を企業連合が買い取り、各社の新しい機材を試すための場所にした。

 荒れ地の北の端には、白い杭が並んでいた。その向こうが、第一区画。鬼火はほぼ掃討済みで、戦闘区の中では最も穏やかな区画だった。


 荒れ地の手前に、白い天幕がいくつも並んでいた。

 各社の天幕。その前に、それぞれの車輌が、覆いをかけられて停まっていた。


 チルダは、蘇芳の半歩後ろを歩いていた。

 いつもの作業着ではなく、蘇芳に言われて着てきた、Dollsの制服の上着だった。肩には、いつもの工具袋。


「……それは、置いてこいと言ったはずだが」


「置いてきたら、落ち着かないの」チルダは、工具袋を背負い直した。

「局長の腕と同じ。外したら、落ち着かないでしょ」


 蘇芳は、自分の機械の右腕を、ちらりと見下ろした。


「……外したことはない」


「でしょ」



 レセプションの開始は午後からだった。午前中の試験場には、まだ各社の技術員しかいなかった。


 荒れ地の奥の周回路から、低い唸りが聞こえてきた。


 白い車輌が一台、土煙を上げて走っていた。覆いのない、継ぎ目のない白い車体。側面に、シアンの発光線が一本。


「……あれ」


「ウルカヌスだ」蘇芳が言った。「支部長が、最後の試運転をしている」


 ウルカヌスは、周回路の曲がり角に差しかかった。

 曲がる手前で、車体がわずかに揺れた。ハンドルを切るのが、半拍だけ遅い。曲がりきったあとで、車体の尻が、少しだけ外へ流れた。


 チルダは、それを見ていた。


「……下手」


「人間だからな」


「でも、ちゃんと曲がってる」


 ウルカヌスは、尻を流したまま、それでも周回路から外れずに、次の直線へ出た。


 もう一周して、ウルカヌスは天幕の前に戻ってきた。


 運転席の乗降口が開いた。降りてきたのは、背の高い男だった。灰色のシャツの袖を、肘までまくり上げていた。上着は着ていなかった。色の薄い髪が、少しだけ額に落ちていた。


 アゴルディだった。


 技術員が、すぐに駆け寄った。アゴルディは、手にした端末に何かを打ち込みながら、早口で指示を出した。


「旋回の応答、まだ速すぎます。人形の反応速度に合わせすぎている。人間の手は、半拍遅れる。その半拍のあいだに、車体がこちらの意図より先に曲がってしまう」


「ですが、支部長、Dollsの運用記録では」


「人形だけに試運転を任せておいては、必ず綻びが出ます」アゴルディは、端末から顔を上げなかった。「この車輌は、Dollsの一号車のあと、企業連合の各社に売ります。運転するのは、人間です。ハンドルに、指一本分の遊びを残してください。人間が切り遅れても、車体が待ってくれる分の遊びを」


 技術員は、うなずいて、走っていった。


 アゴルディは、そこで初めて顔を上げた。


 蘇芳と、その半歩後ろのチルダを見た。


「スオウ局長。それと」アゴルディは、ほんの少しだけ目を細めた。「チルダ。Type-LI、製造番号TILDA-04」


「……はい」


「今日の運転手ですね。結構です」アゴルディは、まくり上げた袖を、ゆっくりと下ろした。

「あなたの運転の記録は、この車輌の設計に、たくさん使わせていただきました。その上に、私の下手な運転の記録を、少しだけ混ぜてあります」

 にべもなく、アゴルディはそう言った。

 チルダは、何と答えていいか分からなかった。


 アゴルディは、シャツの胸ポケットから白いカフスを取り出して、袖口に留め直した。


「午後の試走の前に、一度乗っておきなさい。私の混ぜた遊びが、あなたの邪魔になっていないかどうか、知りたい」


 アゴルディが天幕の奥へ消えたあとで、チルダは小声で言った。


「……支部長、さっき、自分で『下手』って言った」


「言ったな」


「自分で分かってるんだ」


「分かっているから、乗るんだろう」蘇芳は言った。

「自分が下手に運転して、それでも曲がれる車でなければ、売れないと」


 チルダは、周回路の、ウルカヌスが尻を流した曲がり角を見ていた。


「……ちょっと楽しそうだった」


「本社の噂は、半分は本当だ」



 一番手前の天幕は、黒曜警備保障のものだった。


 覆いの外された車輌は、黒く、低く、滑らかだった。都市の治安用に作られた、鎮圧車。表面には艶のある黒い装甲が貼られ、継ぎ目は細い線になって、ほとんど見えなかった。


「夜叉、と言います」天幕の前の案内係が、にこやかに言った。「新都の夜間警備用です。静音で、市街地の狭い路地にも入れます」


 チルダは、夜叉の装甲の縁を、指の腹でなぞった。


「……これ、どこから開けるの」


「整備は、弊社の工場で行います」


「ふうん」


 チルダは、それ以上は何も言わずに、次の天幕へ歩いた。


 二番目の天幕の前で、チルダの足が止まった。


 角張った車輌だった。箱を積み重ねたような車体。四隅に太い支柱。分厚い装甲板が、一枚ずつ、大きなねじで車体に留められていた。ねじの頭が、装甲の縁に沿って、規則正しく並んでいた。


 天幕の中から、見覚えのある顔が出てきた。


「……人形の、運転手か」


 尾形だった。古い防弾服の上に、カナエ鉱業の腕章。灰街道の、狭間で会ったときと同じ格好だった。


「尾形さん!」


「なんで、お前がここにいる」


「メビウスの車の、試走係」チルダは、尾形の後ろの車輌を見上げた。「これ、カナエの?」


「轍だ」尾形は、車輌の装甲を、拳で軽く叩いた。「灰街道を走るための車だ。陸の車列の、護衛用」


 チルダは、装甲板のねじを、一本ずつ数えていった。


「八本。……装甲一枚、ねじ八本で外れる」


「外れる。壊れたら、その場で外して、替える」尾形は言った。

「灰街道で壊れたら、工場には戻れない。狭間で止まったら、その場で直すしかない。だから、全部、ねじで留めた。設計の連中は、見た目が悪いと文句を言ったがな」


 チルダは、轍の装甲を、両手で撫でた。


「……いい子」


 尾形が、眉を上げた。


「何だって?」


「いい子だね、って言ったの。この車」


 尾形は、しばらくチルダを見ていた。それから、短く笑った。


「変わった人形だ」



 天幕の並びの中ほどで、杖をついた老人が、二人を待っていた。


 葛城だった。企業連合の理事。細い体を、仕立ての良い上着に包んでいた。


「蘇芳くん。それと、Dollsの……」


「チルダです」


「チルダくん」葛城は、杖を持ち替えて、上着のポケットから、小さな缶を一つ取り出した。銀色の、甘缶だった。「これを、ルヴィリアに渡しておいてくれ。今日は来ないと聞いたのでな」


 チルダは、甘缶を受け取った。


「渡しておきます」


「あれは、甘いものを食べると、少しだけ顔が変わる」葛城は、薄く笑った。「見てやってくれ」


 それから、葛城は、天幕の奥の白い車体の方へ、杖の先を向けた。


「アゴルディくんは、今朝も乗っていたかね」


「乗っていました」蘇芳が言った。


「そうか」葛城は、杖を突き直した。

「西から来た連中の中で、あやつは信用できる。自分の店の品を、自分で食ってみる男だ」


 ルヴィリアと似たような事を言いながら、葛城は次の天幕の方へ歩いていった。


 *


 メビウスの天幕は、一番奥にあった。


 他社の天幕の倍ほどの大きさだった。白い天幕の中央に、白い覆いをかけ直されたウルカヌスが、巨大な影になってうずくまっていた。


 午後になると、天幕の前に人だかりができた。企業連合の各社の人間。理事たち。記録係。

 その中心に、アゴルディが立っていた。灰色の上着を着直し、袖口から白いカフスが覗いていた。午前中に袖をまくり上げていた男とは、別人のようだった。


「皆さま」


 アゴルディの声は、よく通った。こちらの言葉を、こちらの人間より正確に話す。母音の終わりに、わずかに西の訛りが残っていた。


「メビウス・テクノロジーズ仙京支部は、本日、新型戦闘車輌を発表いたします。その名は、ウルカヌス」


 技術員たちが、覆いを引いた。


 白い覆いが、ゆっくりと滑り落ちた。


 午前中に見たはずなのに、チルダは、また息を呑んだ。


 白かった。


 ナノテックスーツと同じ、継ぎ目のない白。車体の表面が、一枚の殻のように、前から後ろまで途切れずにつながっていた。装甲の境目も、ねじの頭も、どこにもなかった。車体の側面に、細いシアンの発光線が一本、前から後ろへ走っているだけだった。


 車体の上に、長い砲身が一本、静かに横たわっていた。


「ウルカヌスは、西の古い神話の、鍛冶の神の名です」アゴルディが言った。「炎と鉄を司る神。我々は、仙京の戦場で鍛えられたこの車輌に、その名を与えました」


 アゴルディは、ウルカヌスの白い車体に、手のひらを当てた。


「本車輌は、企業連合の特記戦力、メビウス所属・Dollsの運用記録をもとに設計されています」


 人だかりの中から、低いざわめきが起きた。


「そして」アゴルディは、少しだけ声を落とした。「この車輌は、私が二十周走らせ、主砲を六十発撃ちました。人形にしか扱えない車輌を、皆さまにお売りするつもりはありません」


 ざわめきが、笑い声に変わった。誰かが、「支部長、また撃ったのか」と言った。

 アゴルディは、薄く微笑んだだけだった。



 チルダは、ウルカヌスの側面に並ぶ、五つの乗降口を見ていた。


 運転席。その後ろに、砲手席。砲手席の照準器は、ダイダラの照準器と同じ形をしていた。電子戦席。端末の配置が、アイシアがいつも膝の上に置いている端末と、同じ角度だった。


 それから、四つ目の席。車体の外に向かって、小さな吸気口が一つ、開いていた。


「……コラプスの、席だ」


 チルダの呟きは、誰にも聞こえなかった。


 最後に、指揮席。運転席のすぐ斜め後ろ。壁から、三歩の位置。


 チルダは、自分の左の肩口に、指先を当てていた。


 発表が終わると、各社の人間が、ウルカヌスの周りに集まった。



 チルダは、人の輪から少し離れて、ウルカヌスの車体の後ろへ回った。


 車体の後部。整備の点検口があるはずの場所。指の腹で、白い表面をなぞっていく。継ぎ目を探して。ねじ穴を探して。


 なかった。


 どこにも、なかった。


「……あの」


 チルダは、近くにいたメビウスの技術員に声をかけた。


「これ、どこから開けるの」


 技術員は、にこやかに答えた。


「開ける必要は、ありません。整備は、すべて本社の工場で行います。炉心の交換も、装甲の修復も」

「戦闘区で、壊れたら?」

「回収車で、工場まで運びます」


「灰街道の、狭間で壊れたら?」


 技術員は、少しだけ笑顔を固くした。


「……メビウスの車輌は、空路で運びますので」


 チルダは、何も言わなかった。

 白い車体から、指を離した。

 それから、自分の左の肩口を、もう一度、指先でなぞった。


「チルダ」

 背後から、蘇芳の声がした。


 蘇芳は、ウルカヌスの白い車体を見上げていた。機械の右腕を、体の脇に下ろしたまま。


「どうだ」


「……きれい」チルダは言った。「すごく、きれい。継ぎ目が、一個もない」


「それは、褒めているのか」


 チルダは、少しだけ考えた。


「半分」


 蘇芳は、何も言わなかった。


 チルダは、蘇芳の右腕を見た。機械の腕。肩のところで、肉と金属がつながっている。

 上着の袖の縁から、接合部の金属の輪が、わずかに覗いていた。


「局長。その腕の継ぎ目、雨の日、痛む?」


 蘇芳は、チルダを見下ろした。


「……痛む」


「知ってる」


 チルダは、自分の左肩に、手のひらを置いた。


「あたしも昔、痛かった。両腕と、左の脚と、首の後ろ。雨の日は、全部」


 蘇芳は、長いあいだ、黙っていた。


「今は」


「今は、痛くない」チルダは言った。

「継ぎ目が、なくなったから」


 チルダは、肩から手を離した。


「でも、指が、まだ探しちゃうの。ないのに」


 蘇芳は、自分の右腕の、肩の接合部を、左手で一度だけ押さえた。


「……そうか」


 それきり、二人は何も言わずに、白い車体を見上げていた。


 *


 午後の試走が始まった。


 試験場の荒れ地に、白い杭で囲まれた周回路が組まれていた。荒れ地を一周し、北の杭を越えて、第一区画「正門」の縁を少しだけかすめて、また荒れ地に戻ってくる。戦闘区の、ほんの入口。


 最初に、黒曜の夜叉が走った。静かで、速かった。音もなく荒れ地を滑り、正門の縁の廃墟の間を、黒い影のように抜けていった。


 次に、メビウスのウルカヌスだった。


 チルダは、運転席に座った。


 座席が、体に吸いつくように合った。ペダルの位置。計器の配置。全部が、最初から、自分のために作られていた。


 ハンドルだけが、少し違った。


 握って、軽く左右に揺すってみる。指一本分だけ、ハンドルが、何も伝えずに動いた。その先で、ようやく、車輪に力が伝わった。


「……遊び、ね」


『チルダ、聞こえますか』


 耳元の通信に、アイシアの声が入った。待機室からの、遠隔の接続だった。


「聞こえる」


『足回りと制御の設定、チルダ用に組んであります。旋回の前の、軽いブレーキの癖も、入れてあります。ただ、ハンドルの遊びだけは、触れませんでした。支部長の指示で、固定されています』


「うん。今、触った」


『外しますか? 統括の許可があれば、今からでも』


 チルダは、ハンドルを握ったまま、少しだけ考えた。


「……いい。このままで」


 指揮席に、蘇芳が乗り込んできた。機械の脚を折り畳むようにして、狭い席に体を収めた。


「局長も乗るの?」


「観察役だ」蘇芳は、指揮席の計器を見回した。「……この席は、ルヴィのための席だな」


「分かる?」


「壁から、三歩だ」


 チルダは、前を向いた。

 アクセルを、踏んだ。



 ウルカヌスは、重いのに、軽かった。


 踏み込めば、踏み込んだぶんだけ、車体が前へ出た。

 旋回の前に、一度だけ、軽くブレーキを踏む。ウルカヌスは、それを待っていたかのように、向きを変える準備をした。


 ハンドルを切る。


 指一本分、何も起きなかった。


 その一瞬、チルダの指が、ハンドルを握り直した。ほんのわずかに、遅れた。人間の手が、半拍遅れるのと同じように。


 それでも、ウルカヌスは、曲がった。チルダの意図より先に曲がるのではなく、チルダの手が追いつくのを待ってから、滑らかに向きを変えた。


「……あたしの、運転だ」


 チルダは、ハンドルを握ったまま呟いた。


「でも、全部じゃない」


「何がだ」蘇芳が訊いた。


「この車、あたしの癖を全部知ってる。でも、ハンドルのところだけ、あたしじゃない人の手が入ってる」チルダは、前を見たまま言った。「今朝の、下手な運転の人の手」


 蘇芳は、指揮席で、小さく息を吐いた。笑ったのかもしれなかった。


 周回路の北の杭を越えて、正門の縁に入った。荒れ地の土の色が、少しだけ赤みを帯びた。崩れた鉄骨。錆びた旧軍の陣地の跡。その間を、ウルカヌスは白い影になって抜けていった。


 車体の外の吸気口から、空気が流れ込んでくる計器の数字が、少しずつ変わっていった。辰砂の濃さ。磁気の強さ。コラプスがいれば、鼻で読む数字だった。


 一周して、荒れ地に戻った。


 天幕の前で、人だかりが拍手をしていた。その中で、アゴルディが、拍手もせずに、手元の端末に何かを書き込んでいた。それから、顔を上げて、運転席のチルダを見た。


 チルダは、ウルカヌスを停めた。


 ハンドルから、手を離した。


 指が、少しだけ、震えていた。



 三番目に、カナエの轍が走った。


 運転席に、カナエの若い試験員。その隣の席に、尾形が乗っていた。


 轍は、遅かった。夜叉のように静かでも、ウルカヌスのように滑らかでもなかった。

 角張った車体を揺らしながら、荒れ地をまっすぐに、力ずくで進んでいった。


 それでも、止まらなかった。


 北の杭を越えて、正門の縁に入った。


 チルダは、ウルカヌスの運転席から降りて、天幕の前で轍を見送っていた。蘇芳が、その隣に立っていた。少し離れたところに、アゴルディがいた。


 轍が、正門の縁の、崩れた旧軍の陣地の横を通りかかったときだった。


 陣地の奥で、何かが光った。


 赤い光が、一つ、跳ねた。


 一拍遅れて、腹の底に響く音が、荒れ地を渡ってきた。


 轍の右の前輪の横で、地面が弾けた。


 天幕の前の人だかりが、静まり返った。


「……鬼火」チルダが言った。


「正門の鬼火は、掃討済みのはずだ」蘇芳の声は、低かった。


「ほぼ、でしょ」チルダは言った。「ほぼ、なの。全部じゃない」


 陣地の奥の赤い光が、また跳ねた。


 今度は、轍の車体の後ろに当たった。後部の装甲板が、一枚、弾け飛んだ。轍は、大きく傾いて、陣地の横の窪みに、右の車輪を落とした。


 止まった。


 鬼火の、射線の真ん中で。


『尾形さん! 尾形さん、応答してください!』


 カナエの天幕の通信係が、叫んでいた。


 雑音のあとで、尾形の声が入った。


『……生きてる。二人とも無事だ。だが、駆動が切れた。右の車軸の、継ぎ手が折れてる。動けん』


『脱出は!』


『外に出たら、撃たれる。中にいれば、装甲がもつ。……だが、何発もつかは、分からん』


 陣地の奥で、赤い光が三度目に跳ねた。轍の側面の装甲板に、砲弾がめり込んだ。装甲板が、ねじごと歪んだ。


 チルダは、もう走っていた。


 ウルカヌスの運転席に、飛び込んだ。


「チルダ!」


 蘇芳が、指揮席の乗降口に手をかけていた。


「降りて、局長!」


「降りん」


 蘇芳は、機械の脚を折り畳んで、狭い席に体をねじ込んだ。


「お前一人で、行かせる理由がない」


 砲手席の乗降口が、開いた。


 乗り込んできたのは、アゴルディだった。


 灰色の上着を、もう脱いでいた。脱いだ上着を、天幕の前の地面に投げ捨ててきたらしかった。

 白いカフスを外して、シャツの胸ポケットに押し込みながら、背の高い体を、狭い砲手席に折り畳んだ。


「支部長」蘇芳が言った。


「この砲を一番撃っているのは、私です」アゴルディは、照準器に目を当てた。

「六十発。スオウ局長よりも、クローザーという人形よりも、多い」


 チルダは、一瞬だけ、後ろを振り返った。


 アゴルディは、もう袖をまくり上げていた。


 チルダは、前を向いて、アクセルを踏んだ。



『チルダ、何をしているんですか』


 耳元で、アイシアの声がした。


「轍の前に、ウルカヌスを入れる。盾にする」


『……了解しました。鬼火の拍を、拾います』


 アイシアの声の後ろで、別の声が割り込んできた。


『拍、もう取った』クローザーだった。待機室の、アイシアの隣にいるのだった。

『長いのが二つ。短いのが一つ。長いのは三十八秒、短いのは十一秒。今、長いのの二つ目が終わったところ』


「次は、短いの?」


『そう。十一秒が来るよ』


 ウルカヌスは、荒れ地を突っ切った。北の杭を越えて、正門の縁へ。崩れた鉄骨の間を、白い車体が抜けていく。


『チルダ』今度は、コラプスの声だった。『外の吸気口、ちゃんと開いてる。……辰砂の匂い、陣地の奥が、濃い。鬼火の中で、辰砂が溜まってる。だから、目が覚めたんだと思う。今日、ナノエーテルの車が、たくさん走ったから』


「……あたしたちが、起こしたってこと」


『たぶん』


 砲手席で、アゴルディが、小さく言った。


「記録しておきます」


 鬼火が、撃った。


 短い方だった。十一秒。砲弾は、ウルカヌスの左の装甲に当たった。


 車体が、大きく揺れた。


 だが、白い殻は、割れなかった。シアンの発光線が、一瞬だけ強く光って、また元の明るさに戻った。


「……硬いな」


 チルダは、ハンドルを切った。指一本分の遊びのあとで、ウルカヌスが向きを変えた。


 轍と、陣地の奥の鬼火の間に、白い車体を滑り込ませた。


 停めた。


 鬼火の射線は、もう、ウルカヌスの白い殻にしか届かなかった。



「二人とも、車輛の中にいて」


 チルダは、運転席の乗降口を開けた。


「どこへ行く」蘇芳が言った。


「轍を、直す」


「外へ出れば、撃たれる」


「ウルカヌスの陰にいれば、撃たれない」チルダは、工具袋を肩に掛けた。「それに、轍は、ねじで直る子だから」


 砲手席から、アゴルディの声がした。


「何分、必要ですか」


 チルダは、振り返った。


「……三分。ねじ八本外して、継ぎ手替えて、また八本締める」


「では、三分、鬼火にはこちらを見ていてもらいましょう」アゴルディは、照準器から目を離さなかった。

「黙らせる必要はありません。轍から目を逸らさせればいい」


『支部長』クローザーの声が、通信に入った。

『照準、右に半目盛り、ずれて見えるはず。それ、あたしの癖。右に半目盛り、引いて撃って』


「知っています」アゴルディは言った。「あなたの癖に合わせる前の照準で、私は四十発撃ちました。合わせたあとで、二十発。半目盛りは、私の目では、右ではなく、少し下に見えます」


 通信の向こうで、クローザーが黙った。


「下に半目盛り、引きます」



 チルダは、ウルカヌスの陰から、轍の方へ走った。


 轍の車体の下に、潜り込んだ。


 右の車軸。駆動の継ぎ手が、根元から折れていた。


 チルダは、工具袋を開けた。


 継ぎ手を覆う装甲板を、外す。ねじ八本。一本ずつ、緩めていく。轍は、全部、ねじで留めてあった。設計の連中が見た目が悪いと文句を言った、ねじの頭が並んでいた。


 一本。二本。三本。


 頭の上で、ウルカヌスの砲が鳴った。


 鬼火の陣地の手前で、地面が弾けた。アゴルディの一発目だった。


 鬼火が、撃ち返した。砲弾は、ウルカヌスの白い殻に当たった。轍には、届かなかった。


『こっちを向いた』アゴルディの声が、通信に入った。わずかに、息が弾んでいた。


 四本。五本。六本。


『長いの、一つ目。あと二十秒』クローザーの声がした。


 七本。八本。


 装甲板が、外れた。


 折れた継ぎ手が、むき出しになった。チルダは、工具袋の底を探った。

 いつも入れている、規格の古い継ぎ手の予備。ジャンク屋の在庫。旧軍の規格の、大戦前の部品。

 旧区画の渡りから仕入れた、辰砂に食われていない古い金属。


 轍の駆動は、旧軍の規格だった。


「……合う」


 チルダは、折れた継ぎ手を外して、予備をはめ込んだ。


 頭の上で、ウルカヌスの砲が、二度目に鳴った。


 陣地の奥で、赤い光が、一度だけ大きく膨らんだ。


 それから、消えた。


『……当たりました』アゴルディの声がした。


『二発目』クローザーが言った。『あたしなら、一発』


『知っています』アゴルディは言った。『ですから、人間が二発目で当てられるように、作らせました』


 通信の向こうで、クローザーが、もう一度黙った。


 それから、小さく言った。


『……それ、ずるい』

『それが物を売るという事です』


 チルダは、轍の下で、継ぎ手の締め具を工具で回しながら、少しだけ笑った。


 締まった。


 装甲板を、戻した。ねじを、一本ずつ、締めていく。


 八本目を締め終えた。



 チルダは、轍の車体の下から這い出した。

 轍の運転席の扉を、拳で叩いた。


「尾形さん! 継ぎ手、替えた! 動くよ!」


 扉が、内側から開いた。尾形が、顔を出した。

 額から、一筋、血が流れていた。


「……何をした」


「継ぎ手、替えたの。旧軍の規格の、古い予備」チルダは、工具袋を叩いた。「轍、ねじ八本で開いたから。ねじで留めてくれた設計の人に、ありがとうって言っといて」


 尾形は、しばらくチルダを見ていた。


 それから、運転席の若い試験員の肩を叩いた。


「出せ」


 轍が、唸った。


 窪みに落ちた右の車輪が、ゆっくりと回り始めた。土を噛んで、車体を押し上げる。角張った車体が、揺れながら、窪みから這い出した。


 轍は、走った。遅く、力ずくで、まっすぐに。北の杭を越えて、荒れ地へ戻っていった。


 チルダは、その後ろ姿を、しばらく見送っていた。


 それから、ウルカヌスの白い車体に、手のひらを当てた。


 左の側面。鬼火の砲弾を、三発受けた場所。白い殻には、傷一つ、残っていなかった。


「……あんたも、いい子だよ」


 チルダは、小さく言った。


「開けられないけど」


 *


 天幕の前に戻ると、人だかりが、ウルカヌスを取り囲んだ。


 拍手が起きていた。歓声も。各社の人間が、白い車体の、鬼火の砲弾を受けた場所を覗き込んでいた。傷一つない白い殻を、口々に褒めていた。


 アゴルディは、砲手席から降りてきた。シャツの袖をまくったまま。額に、汗が一筋、光っていた。地面に投げ捨てた上着を、技術員が慌てて拾って差し出した。


 アゴルディは、それを受け取って、腕に掛けた。着なかった。


「最高の実演でした」アゴルディは、蘇芳に言った。

「台本にない、本物の戦闘区での実演です。鬼火の砲撃を三発受けて、無傷。主砲は、人間の手で、二発目で当たった。これ以上の宣伝は、どれだけ金をかけても作れません」


「轍が撃たれた」蘇芳は言った。


「ええ」アゴルディは、端末を見た。

「注文の問い合わせが、もう三社から来ています。カナエからも、一件」


 蘇芳は、眉を上げた。


「カナエが、ウルカヌスを」


「いいえ」アゴルディは、端末から顔を上げた。「カナエは、ウルカヌスの装甲板を、轍に貼れないかと訊いてきました。ねじで」


 アゴルディは、人の輪を抜けて、チルダの前まで歩いてきた。


 チルダは、ウルカヌスの車体の後ろで、白い殻に手を当てていた。


「チルダ」


「……はい」


「轍は、何分で直りましたか」


「三分。ちょっと超えたかも」


「ウルカヌスなら、三分では直りません」アゴルディは言った。

「回収車を呼び、工場まで運び、本社の技術員が開ける。三日かかります」


 チルダは、何も言わなかった。


「あなたは、ウルカヌスの後ろで、何を探していたのですか。発表のあとで、技術員に訊いていましたね」


「……開け口」チルダは言った。

「点検口。継ぎ目。どこにもなかったから」


 アゴルディは、ウルカヌスの白い車体を見下ろした。


 前から後ろまで途切れない、一枚の殻。


「人形だけに試運転を任せておいては、必ず綻びが出ます」アゴルディは言った。

「ですが、今日、私は人形に教わりました。兵器には、人間が運用する場合の遊びが必要です。そして、人間が直す場合の継ぎ目も」


 チルダは、目を瞬いた。


「次の型には、点検口を一つ、付けさせましょう。現場の工具で開けられるものを」アゴルディは、端末に何かを打ち込んだ。

「灰街道を陸で走る企業にも、売れるようになる」


「……それ、商売の話?」


「全部、商売の話です」


 アゴルディは、端末をしまった。それから、ほんの少しだけ、口の端を動かした。


「それに、自分で開けて、中を見てみたい」


 アゴルディは、腕に掛けた上着を持ち直して、天幕の方へ歩いていった。

 その背中は、来たときより、少しだけ機嫌が良さそうに見えた。


 チルダは、しばらく、その背中を見ていた。


「……ほんとに、ぶっ放したいだけかも」



 カナエの天幕の前で、尾形が、額の傷に包帯を巻かれていた。

 チルダが近づくと、尾形は顔を上げた。


「……人形」


「チルダ」


「チルダ」尾形は、言い直した。

「借りが、二つになった。狭間と、今日と」


「狭間のは、あたしじゃないよ。ボスと、コラプスと、榊さん」


「今日のは、お前だ」


 尾形は、包帯を巻き終えた額に、手を当てた。


「メビウスの支部長が、砲手席に乗ったのを見た」尾形は言った。

「売る側の人間が、自分の売り物に乗って撃つのは、初めて見た」


「支部長は、いつもそうなの」


「そうか」尾形は、轍の、歪んだ側面の装甲板を見た。ねじごと歪んだ、一枚の板。「……カナエの設計の連中にも、見せてやりたかったな」


 チルダは、轍の装甲板を、指の腹でなぞった。継ぎ目。ねじの頭。歪んだ縁。


「替える前に、その歪んだ板、うちの店に回して」


「何に使う」


「ジャンク。直して、売る」チルダは、にっと笑った。「鬼火の砲弾を受けた、轍の装甲。いい値段つくよ」


 尾形は、声を出して笑った。それから、額の傷を押さえて、顔をしかめた。


 *


 帰りの車の中で、蘇芳は、窓の外を見ていた。


 新都の白い光が、近づいてきた。


 チルダは、助手席で、手帳を開いていた。元ネタの手帳だった。今日の頁に、何行か、書き込んでいく。


 《夜叉:継ぎ目、細い線だけ。開け口なし。工場送り》 《轍:ねじ八本。装甲一枚ずつ外れる。現場で直せる。いい子》 《ウルカヌス:継ぎ目なし。ねじ穴なし。開けられない。鬼火三発、傷なし。盾になる。ハンドルに指一本の遊び。いい子。でも、今はまだ開けられない》


 チルダは、ペンを止めた。


 最後の行の、「今はまだ」の四文字を、しばらく見ていた。


「……局長」


「なんだ」


「支部長、ほんとに点検口、付けると思う?」


「付けるだろう」蘇芳は、窓の外を見たまま言った。

「あの男は、自分で言ったことは、自分の手で確かめる。それだけは、確かだ」


「ボスも、同じこと言ってた。武器商人としては、まともだって」


「ルヴィらしい言い方だ」


 チルダは、手帳を閉じた。


「一号車は、あたしが運転するんだよね」


「お前か、ルヴィだ」


「あたしが、運転する」チルダは言った。「あの子、あたしの癖を全部知ってるし。ハンドルのところに、支部長の手が入ってるのも、悪くない」


 蘇芳は、窓から目を離して、チルダを見た。


 チルダは、自分の左の肩口を、指先でなぞっていた。


「……継ぎ目がない体って、楽なんだよ。痛くないし、手入れもいらない」チルダは言った。

「でも、自分で開けられない。壊れたら、誰かに任せるしかない」


「ああ」


「あたし、それ、知ってるから。あの子のこと、ちゃんと見てあげられると思う。点検口が付くまでは」


 蘇芳は、長いあいだ、何も言わなかった。


 それから、機械の右腕を、自分の膝の上に置いた。肩の接合部の、金属の輪が、袖の縁から覗いていた。


「……雨の日は」蘇芳は言った。「この継ぎ目が痛むたびに、まだ自分で開けられる体なのだと思うことにしている」


 チルダは、目を瞬いた。


 それから、少しだけ笑った。


「それ、いいね」



 店に戻ったのは、夜だった。


 作業台の向こうで、ルヴィリアがディヤウスの手入れをしていた。

 カウンターの内側で、コラプスが釣り銭の箱を閉めていた。

 奥の長椅子では、別働のクローザーとアイシアが、待機室から持ち帰った試走の記録を、端末で見返していた。


「支部長、二発目で当てた」クローザーが、不満そうに言った。

「あたしの癖、右じゃなくて下に見えるって。自分の目で、引く方向、直してた」


「すごいじゃん」チルダが言った。


「すごくない。ずるい」クローザーは、端末を睨んだ。

「人間が二発目で当たるように作ったって。それじゃ、あたしが一発で当てても、あんまり偉くない」


「偉いと思います」アイシアが言った。

「一発目で当てる人がいるから、二発目で当てられるように作れるんです」


 クローザーは、黙った。それから、少しだけ機嫌を直したような顔をした。


 チルダは、作業台の上に、葛城の甘缶を置いた。


「ボス。葛城閣下から。今日来ないって聞いたから、渡してくれって」


 ルヴィリアは、甘缶を見下ろした。


「……そうか」


「あと、甘いもの食べると、ボスの顔が少し変わるから、見てやってくれって」


 ルヴィリアは、手を止めた。


 チルダは、作業台に頬杖をついて、じっとルヴィリアの顔を見ていた。


 ルヴィリアは、甘缶を手に取って、作業台の引き出しにしまった。


「今は食べない」


「えー」


「お前が見ているからだ」


 チルダは、声を立てて笑った。それから、少しだけ真面目な顔になった。


「ねえ、ボス。支部長、今日、砲手席に乗ったよ。上着、地面に投げて」


「記録で見た」


「次の型に、点検口付けるって」


 ルヴィリアは、ディヤウスの銃身に、布を当て直した。


「なら、いい」



 その夜、チルダは、作業台の隅で、元ネタの手帳を清書した。


 最後の行まで書き写して、ペンを置いた。「今はまだ開けられない」。その四文字だけ、少しだけ丁寧に書いた。


 それから、左の肩口に、指先を当てた。


 継ぎ目のない、なめらかな表面。そこには、何もない。昔は、あった。


 指は、そこを、ゆっくりとなぞった。

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