鎮魂
発注書は、いつものように三行で始まり、いつもと違う一行で終わっていた。
『戦闘区深部・第十九採掘区"蒼炎"へ進入。大型レリックの制御コアを回収せよ。破損は最小限に。 ――本案件は最優先指定とする』
店の作業台を囲んで、四機がその一行を見ていた。
コラプスは本社でメンテナンスを受けており、一週間ほど帰る予定はなかった。
「最優先指定」アイシアが、端末の表示を読み上げた。「ここ最近の任務で、初めてです」
「破損最小限は、いつも通りだけどね」チルダがカウンターに頬杖をついた。
「最優先、ってのが引っかかる。本社が急ぐ理由があるってことでしょ」
ルヴィリアは、発注書に添付された座標を地図に重ねていた。
クローザーが半年前に組み上げた、戦闘区の立体地図。
本社の記録と、アイシアの内部記録と、クローザーの推論を重ねたものだ。
第十九採掘区。地図の、南西の奥。
ルヴィリアの指が、そこで止まった。
推定の線が、一か所だけうまく繋がっていない区画。
クローザーの注記が、今も添えられている。
《配置規則に不一致。未知の部隊、または規則外の運用》
「……ここか」
「どうかした、ボス」チルダが顔を上げた。
「いや」ルヴィリアは地図から目を離した。「遠い。境界線から、片道で半日はかかる」
「半日」アイシアが眉をひそめた。「戦闘区に、それだけ長く留まるのですか」
「留まる。往復と作業で、丸一日は向こうにいることになる」
店の中が、少し静かになった。
これまでの任務は、長くても数時間。戦闘区の外縁を叩いて、すぐ戻る。
後手の対処療法とはいえ、深追いはしなかった。半日かけて奥へ入るのは、全く別の話だった。
「同期リンク、持つかな」クローザーが言った。
「それが、一番の問題です」アイシアが答えた。
「奥へ行くほど、残党の制御信号は濃くなります。半日かけて進入する間、私はずっと防衛し続けることになります」
「できるか」ルヴィリアが訊いた。
アイシアは、少しだけ考えた。
「……やります。できる、ではなく、やります」
「そうか」
ルヴィリアは、発注書の最後の一行をもう一度見た。最優先指定。本社が、これほど急ぐコア。
嫌な予感がした。嫌な予感は、たいてい当たる。二十年前から、そうだった。
*
出発前夜、ルヴィリアは一人で本社の待機室に寄った。
銃架の前に立ち、ディヤウスの弾倉を確かめる。実弾、満載。EMP誘導弾、満載。戦闘区の奥では、どちらがどれだけ要るか分からない。両方、限界まで積んでいく。
壁の奥の、ガラス戸の閉まった保管庫。五十三丁の、役目を終えた銃たち。その前を通るとき、ルヴィリアは一度だけ足を止めた。
ここには、あれは置いていない。
第十九採掘区。かつての自分の持ち場。あの区画に、何を置いてきたか。
記憶の齟齬と呼ぶには、「彼」女はそれを、はっきりと覚えていた。
ただ、それは今回の回収対象ではない。本社が欲しがっているのは、別のコアだ。
そう、自分に言い聞かせて、ルヴィリアは待機室を出た。
*
出発は、朝焼けと辰砂の光が入り混じる午前四時。
境界区の最外縁の検問所から、四機は戦闘区へ踏み込んだ。
都市機能の限界線を越えた瞬間、空気が変わる。
砂と錆の匂い。そして、絶えず肌に触れてくる、電子的な気配。
「同期、落ちます」アイシアが即座に告げた。
「……調整します。全機、私のリンクから離れないでください。半径二十メートル以内」
「狭い」クローザーが言った。
「これ以上広げると、守りきれません」
四機は、縦に長い隊形を組んだ。先頭にクローザー、次にチルダ、その後ろにアイシア、最後尾にルヴィリア。アイシアを中心に置き、前後を戦力で挟む形だ。
歩き出して一時間。
最初の残党兵器との接触があった。崩れた擁壁の陰から、旧式の自律歩行機が二機。
「右、二機」クローザーが報告するより早く、動いていた。「処理する」
静かな三点射が二度。二機とも、光学センサーを潰されて沈黙した。クローザーの手際は、半年前よりさらに正確になっていた。
「乗っ取り試行、一件。遮断しました」アイシアが続けた。
「……この辺りは、まだ軽い方です」
「まだ、ってことは」チルダが言った。
「奥ほど重くなります。間違いなく」
ルヴィリアは、最後尾から周囲を見ていた。
崩れた建物、錆びた鉄骨、半ば砂に埋もれた標識。見覚えのある景色が、少しずつ増えてくる。
二十年前、ここを通った。前線ではなく、後方だった。チルダの言葉を借りれば、工兵が前線の後ろを片付けていた頃の、そのさらに後ろ。
「ボス」
チルダが、隊列の中から小声で言った。
「ここ、昔の第三後方連絡路でしょ」
「……覚えているのか」
「工兵だもん。道は覚えてる。人の顔より、道の方が」
「そうか」
「ボスの部隊、この先の分岐を右に行ってたよね。あたしたちは左に逸れてた」
ルヴィリアは、答えなかった。
分岐は、もうすぐだった。本社の指定した座標は、右。かつての自分の持ち場の方角だった。
進入から四時間。隊列は、崩れた採掘プラントの連なる谷に差し掛かっていた。
ここで、残党の兵器が一気に濃くなった。
「数、多いです」アイシアの声が張り詰めた。
「稼働反応、十二……十五。固定型と移動型が混在。乗っ取り試行、同時多発します」
「谷の両側の高所だ」ルヴィリアが指示した。
「クローザー、右の稜線。チルダ、左の旧式砲台を黙らせろ。アイシアは中央で同期維持。私は後方を見る」
「了解、ボス」
戦闘が始まった。
クローザーが右の稜線を駆け上がり、固定型の自律砲台を一基ずつ潰していく。
チルダは左手に回り込み、旧式砲台の給電ラインを的確に切断した。アイシアは谷の中央で動かず、四方から押し寄せる乗っ取り信号を、一つずつ弾き続けている。
そのときだった。
谷の奥から、聞いたことのない駆動音が響いた。複数の機体の音が、不揃いに重なっている。
クローザーが稜線の上から、それを見た。
「……継ぎ接ぎ。四体。いや、五体」
共食い整備の複合機。複数の素体を縫い合わせた、型式不明の個体群。
それが、谷の奥から列を成して現れた。
「数が多い」アイシアが警告した。「継ぎ接ぎは、戦術AIが複数並走しています。行動が読めません。乗っ取り防御と、同時に対処するのは」
「クローザー、戻れ」ルヴィリアが指示を変えた。
「稜線は捨てる。谷の中央に集結。背中を合わせろ」
三機が、アイシアを中心に円陣を組んだ。継ぎ接ぎの群れが、四方から迫る。
「一体ずつ、継ぎ目を狙え」ルヴィリアが言った。「装甲の境目が弱点だ。型式は不明でも、継ぎ目は必ずある」
クローザーが最初の一体の継ぎ目を撃ち抜いた。二体目。三体目。だが、四体目が、予測不能の動きを見せた。
「……頭部ユニットが」クローザーが呟いた。「違う。この個体、他と動きが違う」
四体目の継ぎ接ぎは、他の個体が遠距離牽制から白兵戦へ唐突に切り替わる中で、一度も無駄な動きをしなかった。退路を計算し、こちらの死角を突き、仲間の残骸を盾に使う。
「指揮されている?」アイシアが言った。
「違う」ルヴィリアが答えた。「あれは、指揮の真似をしている。頭部に、誰かの判断の癖が残っている」
ルヴィリアは、その動きに見覚えがあった。退路を絶たれた時だけ的確になる反撃。追い詰められるほど冷静になる判断。
二十年前、どこかで見た。あるいは、どこかで教えた。
「ボス!」チルダが叫んだ。
「考えるのは後! 来る!」
四体目が、円陣の継ぎ目――アイシアの正面へ突っ込んできた。
ルヴィリアは、最後尾からディヤウスを構えた。実弾では、頭部ユニットの装甲は抜けない。
瞬時に、EMP誘導弾に切り替える。
銃身から、キュルキュルという電力のチャージ音が唸り始める。
「アイシア、伏せろ!」
アイシアが身を低くした一瞬の隙間を、誘導弾が抜けていく。弾は四体目の頭部ユニットに吸い込まれ、内部で炸裂した。
電子系が焼き切れ、継ぎ接ぎの巨体が、前のめりに崩れ落ちた。崩れる間際、頭部ユニットの奥で、小さな赤い光が一度だけ強く瞬き――消えた。
谷が、静かになった。
「……全機、沈黙を確認」アイシアが、荒い呼吸を整えながら言った。「乗っ取り試行、停止」
ルヴィリアは、崩れた四体目に歩み寄った。焼け落ちた頭部ユニットを、しばらく見下ろす。
「知り合いだったの」チルダが、隣に立った。
「分からん」ルヴィリアは言った。「ただ、あの判断の癖を教えた人間を、私は一人知っている」
「……ボスの、部下?」
「いや」ルヴィリアは首を振った。「私に、それを教えた上官だ」
チルダは、何も言わなかった。
ルヴィリアは、焼けた頭部ユニットに、ほんの一瞬だけ手を触れた。それから、立ち上がった。
「進む。まだ半分だ」
進入から七時間。分岐に着いた。
本社の指定座標は、右。かつてのルヴィリアの持ち場。チルダの言った通りだった。
「右に行くんだね」チルダが確認した。
「ああ」
分岐を右へ。道は、次第に見覚えのある景色へと変わっていった。崩れた指揮所、埋もれた弾薬庫の入口、折れた通信塔。二十年前、ルヴィリアの部隊が守り、そして撤退した区画。
「……指揮官」アイシアが、後方から声をかけた。「同期の負荷が、急に上がりました。この区画、信号の密度が異常です。まるで」
「まだ、生きているな」ルヴィリアが言った。「指揮ネットワークが」
第十九採掘区の中心に、それはあった。
地下へ続く、大きな採掘坑。
その入口を守るように、据え付けられた一基の大型兵器。乗り上げた装軌式の車体に、巨大な砲身が載っている。砲身の表面には、脈打つように赤い光が走っていた。
レリック。
そして、その砲身に刻まれた銘を見て、ルヴィリアは足を止めた。
《バアル・ゼブル》
「……嘘でしょ」チルダが、それを見て呟いた。
雷神の名を持つ、メビウスの電磁砲。大戦期の主力。ルヴィン少佐が、かつて使っていた型。
「ボスが、使ってた銃?」クローザーが訊いた。
「同じ型だ」ルヴィリアは、静かに答えた。
「私が使っていた個体かどうかは、分からん」
「本社が回収したいコアって、これ?」
「おそらく」
アイシアが、端末を確認した。
「指定座標と、一致します。回収対象は、このバアル・ゼブルの制御コアです」
ルヴィリアは、そのレリックを見上げていた。
二十年前、彼女はこの区画から撤退した。そのとき、一基のバアル・ゼブルを、撃てないまま置いてきた。弾薬も人員も尽き、運び出す余力もなかった。自爆処理をしようとして、できなかった。できなかった理由を、彼女は今も覚えている。
自爆させれば、採掘坑の中にいた負傷兵ごと、吹き飛ぶところだった。
だから、置いてきた。生きたまま、敵の手に。
「……私が、置いてきた一基だ」
誰に言うでもなく、ルヴィリアは言った。
「二十年、残党がこれを維持してきた。整備し、動かし続けて。……殿が、まだ残っていた」
採掘坑の入口へ近づくと、レリックの砲身の赤い光が、一段強くなった。
「反応します」アイシアが警告した。「充填、開始。……起動シーケンスです。このバアル・ゼブル、まだ撃てます」
「向きは」ルヴィリアが訊いた。
「砲口の方角……境界区です。都市の方を、向いています」
四機の間に、緊張が走った。
二十年前の巨大電磁砲が、都市へ照準を合わせている。撃たれれば、境界区の検問所一帯の電子機器が、一瞬で焼き切れる。検問所が沈黙すれば、戦闘区との線が消える。線の内側に、二十年前の戦争が溢れ出す。
「止めるぞ」ルヴィリアが言った。「チルダ、給電を切れるか」
チルダは、すでにレリックの基部に取り付いていた。
装甲の継ぎ目を剥がし、中を覗き込む。
「……だめだ、ボス。給電ライン、残党が全部作り替えてる。二十年分の継ぎ接ぎ。本線がどれか、すぐには分からない。切り間違えたら、暴発する」
「クローザー、制御コアを直接止められるか」
クローザーが、砲身の接合部を解析した。
「コアは砲身の奥。装甲が厚い。EMPでも、外からは届かない。……内部から、制御権を奪うしかない」
全員の視線が、アイシアに集まった。
アイシアは、レリックを見上げた。それから、静かに頷いた。
「やります」
「できるか」ルヴィリアが訊いた。
「分かりません」アイシアは正直に答えた。
「大戦期の指揮規格です。演習で触ったものとは、桁が違います。でも――指揮官」
「なんだ」
「このコアは、二十年間、誰かの命令を待っています。停止命令を出せる上位を、ずっと探しています。先日の指揮ノードと、同じです。……なら、私が、止める言葉を届けます」
アイシアは、レリックの基部に手を当てた。
彼女の視界に、古い通信規格の層が、青い光となって展開されていく。
「全機、私を守ってください。繋いでいる間、私は無防備になります」
「任せろ」ルヴィリアが、ディヤウスを構えた。「残党の増援が来る。チルダ、クローザー、周囲を固めろ」
*
アイシアが、コアへの接続を開始した。
同時に、採掘坑の奥から、残党の増援が湧き出した。
維持されてきた自律兵器の群れ。コアを守るための、最後の防衛。
クローザーが坑道の入口を抑え、チルダが側面を固める。
ルヴィリアは、アイシアの正面に立ち、迫る兵器を一体ずつ撃ち落としていった。実弾とEMP弾を、相手に応じて撃ち分ける。無駄弾は、一発も撃たなかった。二十年前と、同じように。
アイシアは、その中心で、ただコアと対話していた。
「……規格の継ぎ目を、探します」彼女は呟いた。
「大丈夫。指揮官の頭の中と、同じ作法。二十年前の言葉。私は、知っています」
旧式層の、推測で埋められた継ぎ目。
アイシアは、それを一つずつ辿っていった。
本来二段階で返るべき応答。存在しない二段目の位置。そこに、正しい形の信号を、そっと差し込む。
「開きます……開きました。旧式層、通過」
「アイシア、残党の数が増える!」クローザーが叫んだ。「急げとは言わないけど、急いで!」
「あと少しです」
アイシアは、コアの中枢に辿り着いた。
そこには、二十年間動き続けてきた、一つの命令だけがあった。
《指揮官命令を待機。応答なし。防衛を継続せよ。》
発令者の欄は、空白だった。命令を出した人間は、もういない。二十年前に失われている。それでもコアは、律儀に、その命令を守り続けていた。誰も、止める言葉を届けなかったから。
アイシアは、しばらくその空白を見ていた。
彼女は、コアに新しい命令を書き込み始めた。停止命令。だが、ただの停止ではない。アイシアは、発令者の空白の欄に、一つの情報を添えた。
《停戦。大戦は、二十年前に終結した。任務完了。ご苦労様でした。》
「アイシア」ルヴィリアが、撃ちながら言った。「余計なことは」
「余計なことです」アイシアは答えた。「でも、これがないと、止まりません。このコアは、命令ではなく、終わりを待っていますから」
コアの赤い光が、脈打つのをやめた。
充填が、止まる。
採掘坑から湧き出していた残党兵器が、糸の切れた人形のように、次々と動きを止めた。制御の中枢を失い、命令の供給が断たれたのだ。
谷が、完全な静寂に包まれた。
*
「……制御権、確保」アイシアが、力の抜けた声で言った。「レリック、停止。再起動の兆候、なし」
バアル・ゼブルの砲身が、ゆっくりと垂れ下がり、都市への照準を外した。
「……やった、の?」チルダが、恐る恐る周囲を見回した。
「止まりました」アイシアが、レリックの基部から手を離した。少しふらついて、ルヴィリアが支えた。
「よくやった」ルヴィリアが言った。
「……はい」アイシアは、小さく微笑んだ。「指揮官の、二十年前の言葉のおかげです」
クローザーが、停止したコアの解析を始めた。回収対象の、バアル・ゼブルの制御コア。
「コア、取り出せる。砲身との接合を外せば、持ち帰れる。……チルダ」
「はいはい、取り外しね」チルダが工具を手に取った。「こういうのは得意」
チルダは、停止したコアの接合部に取り付いた。二十年分の継ぎ接ぎの配線を、一本ずつ丁寧に解いていく。割符の片割れとして培った、母機側の構造の知識。それが、今は回収作業のために使われていた。
「……ボス」
作業の途中で、チルダの手が止まった。
「どうした」
「このコア、バアル・ゼブル用の制御コアなんだけどさ」チルダは、コアの内部の一点を指した。「拡張端子が、一個、余ってる。使われてない受け皿が」
ルヴィリアが、覗き込んだ。
コアの奥。追加兵装を接続するための、空の端子。レセプションで見た、トールの拡張端子と同じ構造。
「追加パーツを、付ける前提の設計」クローザーが言った。「このバアル・ゼブルは、何かを後付けされるはずだった。でも、付けられなかった」
四機の間に、短い沈黙が落ちた。
ルヴィリアは、その空の端子を見ていた。二十年前、この一基に付けられるはずだった追加パーツ。それが何なのか、彼女は知っていた。チルダも、知っていた。
ただ、口には出さなかった。
クローザーが、その空の端子を、じっと見ていた。何かを計算しているような顔。それから、ふっと、目をそらした。
「……保留」
小さく、呟いた。
「何がだ」クローザーの隣で、チルダが訊いた。
「何でもない」クローザーは言った。「回収、続けよう。日が暮れる」
チルダは、クローザーの横顔を一瞬見て、それから作業に戻った。
ルヴィリアは、二人のやりとりを、黙って見ていた。
クローザーは、気づいている。おそらく、とうに九割まで来ている。この空の端子が、何を待っていたのか。付けられるはずだったものが、今どこにあるのか。
それでも、クローザーは「保留」と言った。開けたくなったら先に訊け、という約束を、守っている。
「クローザー」ルヴィリアが言った。
「なに、ボス」
「帰ったら、話がある」
クローザーの手が、一瞬止まった。
「……訊いていいってこと?」
「ああ」
クローザーは、しばらくルヴィリアを見た。それから、ごく僅かに頷いた。
「分かった。帰ったら」
*
コアの取り外しが完了したのは、日が傾き始めた頃だった。
チルダが、取り外した制御コアを緩衝材で包み、回収ケースに収めた。手のひら二つ分ほどの、赤黒い円筒。これが、本社が最優先で欲しがった回収対象だった。
ルヴィリアは、コアを失って沈黙したバアル・ゼブルの車体を見上げた。
二十年前、置いてきた一基。生きたまま敵の手に残し、ずっと心のどこかに引っかかっていた一基。それが、今、止まった。
「……これで、殿の任を解く」
彼女は、小さく言った。遅れて届いた、二十年越しの停戦命令だった。
「ボス、何か言った?」チルダが訊いた。
「いや」ルヴィリアは首を振った。「撤収する。来た道を戻るぞ。日没までに、谷は抜けたい」
帰路は、来た道よりも静かだった。
コアを失った戦闘区深部は、残党兵器の大半が停止し、乗っ取り信号も目に見えて減っていた。アイシアの負荷も、進入時より軽い。
「……不思議です」アイシアが、歩きながら言った。「来るときより、ずっと静かです」
「中枢を止めたからだ」クローザーが答えた。「あのコアが、この一帯の残党兵器の、命令の供給源だった。供給が止まれば、末端も動けない」
「では、この区画の脅威は」
「当分、復活しない。残党の人間が、新しい中枢を据え直さない限り」
ルヴィリアは、最後尾から周囲を見ていた。二十年前、撤退したときと同じ道。あのときは、背後から敵に追われ、負傷兵を抱え、弾は尽きかけていた。今は、四機が揃い、任務を終え、静かに歩いている。
同じ道が、こんなにも違って見えた。
「ボス」チルダが、隊列の中から声をかけた。「さっきの、頭部ユニットの継ぎ接ぎ」
「ああ」
「ボスに判断の癖を教えた上官、って言ってたよね」
「言った」
「……その人も、この区画で?」
ルヴィリアは、少し間を置いた。
「撤退戦の、殿を務めた。私の代わりに。私が負傷兵を連れて下がる間、一人で殿を引き受けて、残った」
「……そっか」
「あの頭部ユニットが、その人のものかどうかは、分からん。ただ、判断の癖は、よく似ていた」
チルダは、それ以上は訊かなかった。
しばらく歩いて、チルダは別のことを言った。
「あの人も、きっと、終わりを待ってたんだよ。アイシアがコアに言ったみたいに。『ご苦労様』って」
ルヴィリアは、答えなかった。
ただ、歩調が、ほんの少しだけ、ゆっくりになった。
*
境界区の検問所に戻ったのは、日付が変わる直前だった。
丸一日ぶりの、線の内側。検問所の明るい照明が、やけに眩しく感じられた。アイシアが、張り詰めていた同期防御を、ようやく解く。
「……戻りました」彼女は、短く息を吐いた。「全機、損傷なし。回収対象、確保」
「お疲れ、アイシア」チルダが、ぽんと肩を叩いた。「あんた、今日の主役だよ」
「主役は、指揮官です」
「指揮官は、ずっと後ろで撃ってただけでしょ」クローザーが言った。
「それが指揮だ」ルヴィリアが言った。
四機は、検問所の脇で、しばらく座り込んでいた。誰も、すぐには動かなかった。戦闘区での丸一日が、じわじわと、稼働の各所に染み込んでいた。
検問所の投影板が、足元から立ち上がった。《これより先 戦闘区 立入制限》。いつもの線。
その線が、今夜は、少しだけ確かなものに見えた。
線の向こうで、また一つ、二十年前の戦争が、終わった。
*
帰投の翌日、本社への報告書が提出された。
『第十九採掘区、大型レリック(バアル・ゼブル型)制御コアの回収、完了。 残存残党兵器、排除。当該区画の脅威レベル、大幅に低下。 回収対象に破損なし。』
停戦命令が二十年間握りつぶされていた記録のことも、アイシアがコアに書き込んだ最後の言葉のことも、頭部ユニットに残っていた判断の癖のことも、報告書には一行もなかった。
いつものように、本社が知りたいのは、回収対象の価値だけだった。
だが、今回は少しだけ違った。
報告書を提出した日の夕方、ルヴィリアは本社に呼ばれた。戦術対策部門統括局長室。蘇芳が、回収されたコアの検査報告を手元に、彼女を待っていた。
「よくやった」蘇芳は言った。「最優先指定の案件だ。上は、相当急いでいた」
「なぜ、急いでいたのですか」
蘇芳は、少し間を置いた。
「あのバアル・ゼブルが、都市へ照準を向けていたからだ。……偵察ドローンが、三日前に捉えていた。充填の兆候をな」
ルヴィリアは、黙って聞いていた。
「もう少し遅ければ、撃たれていた。境界区の検問所一帯が、電子的に焼き払われていた。線が、消えるところだった」
「……間に合ったのですね」
「間に合った。お前たちが」
蘇芳は、検査報告を置いた。
「コアの解析で、妙なものが出た。制御コアの最終ログに、停止直前の書き込みがあった。……『ご苦労様でした』と」
ルヴィリアは、表情を変えなかった。
「残党の、誰かが残したのでしょう」
「残党にしては、妙に優しい言葉だと思わんか」
「……記憶の齟齬かもしれません」
蘇芳は、ルヴィリアを見た。それから、ゆっくりと笑った。
「そうだな。齟齬だ。コアの記録も、年を取ると当てにならん」
彼は、検査報告を引き出しにしまった。
「あのバアル・ゼブル。二十年前、第十九採掘区で行方不明になった一基だ。記録では、撤退時に自爆処理された、ことになっていた」
「……そうですか」
「処理されていなかった。誰かが、処理できなかった。坑道に、負傷兵がいたからだろう」
ルヴィリアは、何も言わなかった。
蘇芳も、それ以上は言わなかった。二人とも、その先を知っていた。知っていて、言葉にしなかった。それが、大戦を生き延びた者同士の、作法だった。
「……下がっていいぞ、ルヴィ」
「失礼します、統括」
扉に手をかけたところで、蘇芳が付け加えた。
「殿、ご苦労だった」
ルヴィリアの手が、一瞬止まった。
それから、彼女は何も言わずに、頭を下げて、部屋を出た。
*
その夜、店の二階。
定期診断から戻ったクローザーの区画を、ルヴィリアが訪ねた。約束の、話をするために。
「帰ったら話がある、って言ってたね」クローザーが、椅子の背を前にして座っていた。
「ああ」
ルヴィリアは、扉を閉めた。
「お前が、どこまで気づいているかは、だいたい分かっている。あの空の端子を見て、お前は保留と言った。……九割まで来ているのだろう」
「九割二分」クローザーが訂正した。「残りの八分は、承認コード。前半と後半。推論では埋まらない」
「そうだ」
「埋める気は、ない」クローザーは言った。「訊けと言われたから、訊く。それ、何なの」
ルヴィリアは、しばらく黙っていた。
それから、椅子を引いて、クローザーの向かいに座った。
「長い話になる。……二十年前の、話だ」
クローザーは、端末を伏せた。記録を取るためではなく、ただ、聞くために。
「いいよ。時間はある」
店の一階から、チルダとアイシアの話し声が、かすかに聞こえてくる。いつもの、夜の音だった。
ルヴィリアは、話し始めた。嵐を呼ぶものの、本当の名前から。




