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終わった大戦の、終わらせ方 〜TSおじさんは機械の身体で戦後の世界を謳歌する〜  作者: 兼沢ほろろ


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15/23

境界区・狭間

 第二十八区画「奥坑」の測量護衛は、予定より一日早く終わった。


 採掘業者が無許可で掘り進めた坑道群を、事後に認定した区画。

 その奥の、地図にない三本の坑道の入口に、企業連合の測量班が杭を打ち終えたのが、昼過ぎだった。


「帰りの便、取れてません」


 仮設の拠点で、アイシアが端末から顔を上げた。


「欠航です。メビウスの社用機、三便とも」


 ルヴィリアは、ディヤウスの銃身を布で拭く手を止めた。


「理由は?」

 聞かなくても、ルヴィリアは次にアイシアが放つであろう言葉を予測していた。

「辰砂予報です。今夜から明朝にかけて、高空の磁気上昇。それと」アイシアは、画面を切り替えた。「鬼火帳の更新です。第十九区画と第二十二区画で、旧軍の高射砲の残骸が三基、新しく撃ち始めました。三基とも、高度八千まで届く型です」


 チルダが、仮設の机の上で工具を片付けながら、ため息をついた。


「空の鬼火が目を覚ましたら、社用機は飛ばないもんね。一機落ちたら、保険がひどいことになる」


「次の便は」


「三日後です。予報が外れれば、ですが」


 ルヴィリアは、布を置いた。


「陸で帰る」


 アイシアが、すぐに別の画面を開いた。

 地図だった。戦闘区の赤い区画の真ん中を、一本の細い線が、新都まで貫いていた。


「灰街道ですね」


「そうだ」


 *


 灰街道は、戦闘区を貫く、境界区の回廊だった。


 もとは、旧陸軍の補給路だった。戦後、企業連合が、その道の両側の辰砂を掻き出し、鬼火を潰し、幅数百メートルの解放区として認定した。

 どの企業の土地でもない。どの企業も通っていい。その代わり、どの企業も、自分の荷は自分で守る。


 両側は、戦闘区のままだった。


「企業連の大手は、ほとんど空を使います。メビウスも」アイシアが言った。

「ですが、空は鬼火に狩られます。高射の残骸が一基目を覚ませば、その空域は数日間使えません。だから、中堅以下の企業は、多くが陸を使います。採掘の機材、食料、医薬品、回収した廃材。新都と、戦闘区の奥の拠点を結ぶ荷の、半分以上が、この道を通っています」


「半分以上」クローザーが、ダイダラを抱えたまま言った。


「空は、高いですから」


「陸は、安いの?」


「安い代わりに、狙われます」

 アイシアは、地図の上の、いくつかの赤い印を指した。


 赤い印は、灰街道の上に、点々と並んでいた。この半年の、襲撃の記録(スピットファイア)であった。


「鬼火もありますが、基本的には残党です」アイシアが言った。

「戦闘区の、侵食率の低い場所に住み着いた、大戦の残党の一部が、陸の車列を叩いています。空の荷には、手が届きませんから」


 コラプスが、地図を覗き込んだ。


「空は、鬼火が狩って。陸は、人が狩るんだね」


 ルヴィリアは、地図の上の赤い印を、しばらく見ていた。


「次の宿場で、車列に混ぜてもらう」


 *


 灰街道の九番宿は、夕暮れに着いた。


 宿場といっても、建物は少なかった。古い旧軍の兵舎を改装した宿泊所が一棟。

 給油所。修理場。それから、広い駐車場。そこに、いくつもの企業の車両が、所属ごとに固まって停まっていた。


 採掘機材を積んだ大型の運搬車が六台。荷台に黒い防水布をかけた、食品会社の冷蔵車が四台。

 白い車体に青い鳥の印を描いた、医薬品の輸送車が二台。

 それから、錆びたトレーラーに、廃材を山のように積み上げた回収業者の車両が三台。


「……あ」


 チルダが、錆びたトレーラーの方を見て、声を上げた。


 トレーラーの荷台の上で、首の太い大男が、荷を縛る縄を引いていた。その下で、まだ若い作業着の男が、縄の端を押さえていた。


「ゴウダさん!」


 大男が、荷台の上から振り返った。


「……チルダか? なんでこんなところに」


「帰りの便が欠航したの。陸で帰る」


 ゴウダは、荷台から飛び降りた。地面が少し揺れた。


「Dollsが陸か。そりゃあ、珍しい。……おい、ケンタ、挨拶しろ。ジャンク屋の、チルダちゃんだ」


「知ってますよ。いつも行ってるじゃないですか」若い男が、縄を押さえたまま頭を下げた。


 ゴウダは、チルダの後ろのルヴィリアを見て、少しだけ背筋を伸ばした。


「……店の、留守番の子から聞いたぞ。三割で手を打たされた。あの子、あんたの店の子か」


「コラプスだよ」チルダが、後ろを振り返った。「この子」


 コラプスが、チルダの後ろから顔を出した。


「三割」


 ゴウダは、しばらくコラプスを見ていた。それから、腹を抱えて笑った。


「本人か! いやあ、参った。あの子、四割と言ったら、ボスに言いつけるって言うんだ。ボスってのは、あんたか」


「そうだ」ルヴィリアが言った。


「なら、言いつけられなくてよかった」


 *


 車列の取りまとめは、採掘機材の運搬車を率いる、カナエ鉱業の護衛隊長だった。


 尾形という、四十代の男だった。古い防弾服の上に、企業の腕章を巻いていた。歩き方と、目の配り方が、元兵士のものだった。


「メビウスの人形が、陸の車列に混ざると」


 尾形は、ルヴィリアの耐磁ジャケットと、肩のディヤウスを、一度ずつ見た。


「歓迎はしますが、灰街道には灰街道の決まりがある。それを守ってもらいたい」


「聞こう」


 尾形は、指を三本立てた。


「一つ。どの企業も、自分の荷は自分で守る。よその荷を守るのは、頼まれたときだけだ」


「二つ。撃っていいのは、回廊の中だけだ。回廊の外は戦闘区だ。外へ逃げた相手を、追って撃つな。追えば、鬼火と磁気で、こちらが死ぬ」


「三つ」尾形は、少しだけ声を落とした。「回廊の外に落ちた荷は、拾わない。どの企業も、そういう契約で保険をかけている。落ちた荷は、戦闘区のものだ」


 ルヴィリアは、尾形を見た。


「残党は、それを知っているな」


 尾形の目が、わずかに動いた。


「……知っています。故に厄介なのです」


「勝たなくていい」ルヴィリアは言った。

「荷を、回廊の外へ落とせばいい。それで、荷は自分たちのものになる」


 尾形は、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりとうなずいた。


 *


 その夜、宿泊所の食堂は、いくつもの企業の人間で混み合っていた。


 カナエ鉱業の護衛たち。食品会社の運転手たち。医薬品の輸送車の、白い制服の女が二人。回収業者のゴウダとケンタ。それぞれの企業の人間が、それぞれの卓に固まって座っていた。


 Dollsは、食堂の隅の卓に座った。


「ここ、企業ごとに、ちゃんと分かれて座るんだね」チルダが言った。


「自分の荷は、自分で守る。食堂でも、そういうことだろう」


 アイシアが、医薬品の輸送車の二人を見ていた。


「白鷺製薬です。戦闘区の奥の、採掘拠点の診療所に、薬を届けた帰りです。帰りの荷は、新都の病院向けの、精製前の薬の原料」


「詳しいな」


「積荷の申告書は、宿場の端末に全部載っています」アイシアは言った。

「半年分の襲撃記録と、照らし合わせました」


「何か出たか」


 アイシアは、端末をルヴィリアの方へ向けた。


「襲われた車列の荷は、採掘機材、食料、廃材、いろいろです。ですが、回廊の外へ落とされた荷だけを数えると」


 画面に、数字が並んだ。


「七割が、医薬品です」


 ルヴィリアは、画面を見つめた。


 それから、食堂の向こうの、白い制服の二人を見た。


「……車列の荷の中で、白鷺の車が一番、狙われるということだな」


「はい」


 クローザーが、ダイダラの照準から目を上げた。


「残党、病気の人がいるの?」


「分からない」

 ルヴィリアは言った。「だが、薬を欲しがる理由は、だいたい一つだ」


 *


 車列は、明け方に九番宿を出た。


 先頭に、カナエ鉱業の装甲車。その後ろに、採掘機材の運搬車が六台。食品会社の冷蔵車が四台。白鷺製薬の輸送車が二台。最後尾に、ゴウダの錆びたトレーラーが三台。


 Dollsの物々しい戦闘車輛は、白鷺の二台のすぐ後ろについた。


 尾形は、出発前に、それを見て眉を寄せた。


「頼まれていないぞ」


「頼まれていない」ルヴィリアは言った。

「ここが、一番撃ちやすい位置だというだけだ」


 尾形は、何か言いかけて、やめた。



 灰街道は、九番宿を過ぎると、少しずつ細くなっていった。


 道の両側に、戦闘区の赤が迫ってきた。錆びた鉄骨。赤く染まった廃墟。崩れかけた旧軍の陣地。回廊の幅は、数百メートルから、二百、百五十と、だんだん狭まっていく。


 回廊の端には、企業連合が立てた、白い杭が並んでいた。杭の内側が回廊で、外側が戦闘区。

 杭と杭の間に、線は引かれていない。だが、杭の外側の地面は、打ち捨てられた辰砂粉末に染まっていた。


「……侵食率、外は中くらい」チルダが、輸送車の窓から外を見ていた。

「杭の一本外側から、色が変わってる」


「境界区は、掻き出した場所だからな。掻き出していない場所との差が、そのまま色に出る」


 昼前、車列は「狭間」に差しかかった。


 灰街道で、一番回廊の幅が狭い場所だった。旧軍の補給路が、二つの丘の間の切り通しを抜けていく。回廊の幅は、そこだけ八十メートルしかない。両側の丘の斜面は、どちらも戦闘区だった。


「鬼火帳です」アイシアが言った。「左の丘に一基、右の丘に一基。どちらも旧軍の機関砲の残骸。左は回廊の方を向いていません。右は」


「向いている」


「はい。ただ、射程の端です。車列の上を、斜めに撃ち越す角度になります」


 コラプスが、輸送車の窓を少しだけ開けて、鼻先を出した。


 吸気孔から、深く息を吸う。


 一度。二度。


「……ガンオイル」


 ルヴィリアは、ディヤウスを膝の上に引き寄せた。


「何人だ」


「十、より多い。十五、くらい。両方の丘に、分かれてる」コラプスは、目を細めた。

「手入れしてる銃の匂い。毎日、ちゃんと。……団地の子たちとは、違う。怖がってない」


「芯ばかり、ということか」


「うん。たぶん、みんな、慣れてる人」


 ルヴィリアは、通信を開いた。


「尾形。狭間に、待ち伏せがいる。両側の丘に、十五」


 一拍、間があった。


『……どうして分かる』


「匂いだ」


 また、一拍。


『止まれば、狭間の真ん中で囲まれる。抜ける』


「それでいい。突き進め」



 最初の一発は、右の丘からだった。


 先頭の装甲車の前輪の前で、地面が弾けた。威嚇だった。装甲車は止まらなかった。そのまま、狭間の切り通しへ突っ込んでいく。


 二発目と三発目が、ほとんど同時に来た。


 右の丘の機関砲の鬼火が、低い唸りを上げて撃った。

 誰の命令でもない砲弾が、車列の上を斜めに撃ち越して、左の丘の斜面に落ちた。その砲声に重ねて、右の丘から、正確な二発。


 採掘機材の運搬車の三台目の、右の前輪が撃ち抜かれた。


 運搬車が、大きく右へ傾いた。回廊の右端の、白い杭の方へ。


『三号車、タイヤをやられた!』


『止まるな! 引きずってでも走れ!』


 尾形の怒鳴り声が、通信に響いた。


「……鬼火の砲声に、合わせて撃ってる」クローザーが言った。


「十四番の狙撃手と、同じ手だ」


「同じ人?」


「違う。だが、同じ教本だ」


 ルヴィリアは、輸送車の天井の扉を開けて、上半身を出した。


 右の丘の斜面。赤く染まった岩の陰。そこから、こちらを狙っている銃口が、少なくとも三つ。


「クローザー。右の丘の、鬼火の拍を取れ」


「もう、取ってる」


 クローザーは、輸送車の後部の銃座に、ダイダラを据えていた。


「長いのが二つ、短いのが一つ。……でも、あの人たち、十四番の人より、雑。拍の、ちょっと後ろで撃ってる」


「当てられるか」


「当てられる。でも」


 クローザーは、照準を覗いたまま、少しだけ言葉を切った。


「あの人たち、回廊の外にいる」


 ルヴィリアは、右の丘の、白い杭の列を見た。


 狙撃手たちは、杭の、さらに外側にいた。戦闘区の中に。


 二つ目の決まり。撃っていいのは、回廊の中だけだ。


「……向こうも、決まりを知っている」


「どうする、指揮官」


 ルヴィリアは、一瞬だけ考えた。


「回廊の中に向けて撃ってくる銃口は、撃っていい。撃つのは、銃だけだ。人は撃つな。外へ逃げたら、追うな」


「了解」


 ダイダラが、短い拍に合わせて、一度吼えた。


 右の丘の岩の陰で、小さな金属の音がした。銃口が一つ、消えた。


 狭間の真ん中で、車列が詰まった。


 右の前輪を撃ち抜かれた三号車が、回廊の右端の杭の手前で傾いたまま、のろのろと進んでいた。その後ろの運搬車と冷蔵車が、三号車を避けきれずに、速度を落としていた。


 白鷺の二台は、その真後ろだった。


 左の丘から、撃ってきた。


 今度は、狙いが違った。

 白鷺の一号車の、荷台の留め具。二発、三発。荷台の後ろの扉の蝶番が、弾けた。


 扉が、半分開いた。


 荷台の中の木箱が、揺れた。


「……荷を、落としに来てる」チルダが言った。


 白鷺の一号車は、回廊の左端を走っていた。左の杭まで、十メートルもない。荷台から木箱が転がり落ちれば、そのまま斜面を転がって、杭の外へ出る。


 杭の外に落ちた荷は、拾わない。


「アイシア」


「はい」


「向こうの無線を、拾えるか」


「もう、拾っています」アイシアは、端末を膝の上で開いていた。「ただ、通常の言葉ではありません。数字と、短い符丁の組み合わせです。旧陸軍の、前線用の符丁だと思います」


「流せ」


 輸送車の中に、雑音混じりの声が流れた。


『……二の三、鷺の一、扉、半。四の一、続けて留め。五の二、鉄の三、押せ。杭まで五』


 ルヴィリアは、その声を、黙って聞いていた。


 符丁の意味は、全部分かった。


 二番隊の三番目の射手が、白鷺の一号車の扉を半分開けた。四番隊の一番目が、続けて荷の留め具を撃て。五番隊の二番目が、採掘機材の三号車を、杭まで押し出せ。杭まで、あと五メートル。


 少佐の記憶の中にある、前線の言葉だった。


「……指揮官?」


「左の丘に、射手が四。右に、三。残りは、斜面の下の陣地で、杭の外へ荷を引き込む役だ」ルヴィリアは言った。

「三号車を杭の外へ押し出して、それで回廊を塞ぐ。後続を止めて、白鷺の荷を落とす。そういう段取りだ」


 チルダが、目を見開いた。


「……今の、全部分かったの」


「昔、使っていた言葉だ」


 *


 ルヴィリアは、通信を開いた。


「尾形。三号車を、杭から離せ。左へ寄せろ。右の杭の外へ押し出されれば、後ろが全部止まる」


『……左に寄せたら、白鷺の車とぶつかる』


「ぶつけていい。白鷺の車を、左の杭から引き離せる」


 通信の向こうで、尾形が、一瞬だけ黙った。


『……三号車、左へ切れ! 白鷺の一号に、寄せろ! 押し合え!』


 三号車が、傾いたまま、左へ切った。白鷺の一号車の右側に、運搬車の巨体が寄っていく。金属がこすれる音。白鷺の一号車が、押されるようにして、左の杭から離れた。


 二台が、並んで、もつれるように走り始めた。


 その瞬間、白鷺の一号車の、半分開いた荷台の扉から、木箱が一つ、こぼれ落ちた。


 木箱は、地面に叩きつけられて、跳ねた。二度。三度。左の斜面の方へ転がっていく。


 杭まで、八メートル。


 コラプスが、輸送車の扉を開けていた。


「コラプス」


「行く」


 コラプスは、地面に飛び降りた。吸気孔が、全開になった。瞳が、シアンからマゼンタへ移った。


 左の丘から、コラプスを狙って撃ってきた。足元の地面が、三度、弾けた。コラプスは、跳ばなかった。真っ直ぐに、木箱へ走った。


 木箱が、杭の手前で、斜面の段差に引っかかって止まった。


 杭まで、一メートル。


 コラプスの手が、木箱の縁をつかんだ。


 その向こうで、杭の外の斜面から、男が一人、身を起こした。


 男は、五十を過ぎていた。灰色の野戦服。片方の脚が、膝から下、古い義足だった。手に、拳銃を持っていた。銃口は、コラプスではなく、木箱に向いていた。


 杭を挟んで、二人は向き合った。


 コラプスは、木箱の縁をつかんだまま、動かなかった。


 男も、動かなかった。


 杭の内側と、外側。一メートルの距離。


「……その箱を、離せ」男が言った。


「離したら、落ちる」


「落ちれば、俺たちのものだ」


 コラプスは、鼻を動かした。男の匂いを、吸い込んだ。


「……薬の匂いがする。あなたから。古い、包帯の匂い」コラプスは言った。「誰か、怪我してるの」


 男の顔が、わずかに歪んだ。


「人形には、関係ない」


 背後から、ルヴィリアの声がした。


「コラプス、今は箱を離すな!」


 ルヴィリアが、杭の内側に立っていた。ディヤウスは、肩に掛けたままだった。銃口は、下を向いていた。


 男は、ルヴィリアを見た。耐磁ジャケット。シアンの瞳。


「……さっきの、回廊の動かし方。お前か」


「そうだ」


「三号車を、鷺の一に寄せた。あれは、こっちの符丁を聞いていなければ、できん動きだ」男は、ルヴィリアを睨んだ。

「人形が、前線の符丁を読むのか」


「読める」


「どこで覚えた」


 ルヴィリアは、答えなかった。


 男は、しばらく、ルヴィリアを見ていた。それから、ほんの少しだけ、口の端を歪めた。


「……答えないか。まあいい」



 狭間の両側で、銃声が止んでいた。


 クローザーが、右の丘の射手の銃を、三つとも撃ち落としていた。

 左の丘の射手は、二人がまだ残っていたが、撃つのをやめていた。杭の内側と外側で向き合っている男を、見ているのだった。


 車列は、狭間を抜けかけていた。先頭の装甲車は、もう切り通しの向こうに出ていた。三号車と白鷺の一号車も、もつれ合ったまま、杭から離れていた。


 残っているのは、杭の手前の、木箱一つだけだった。


「宇津木だ」男が言った。

「この辺りの、街道衆のまとめ役をやっている」


「街道衆」


「灰街道の両側に住んでる連中のことを、企業の連中がそう呼ぶ。俺たちが名乗ったわけじゃない」


 宇津木は、拳銃を下ろした。だが、手からは離さなかった。


「その箱の中身は、熱冷ましと、化膿止めだ。白鷺の、精製前の原料。俺たちの集落には、それを薬にできる、元の衛生兵がいる」


「病人がいるのか」


「冬の前だ。毎年、熱が出る。子供から、先に倒れる」


 コラプスが、木箱の縁をつかんだまま、ルヴィリアを見上げた。


 ルヴィリアは、宇津木を見ていた。


「白鷺に、買いに行けばいい」


「売ってくれると思うか。台帳に載っていない集落に。企業の診療所は、企業の社員しか診ない」宇津木は、乾いた声で言った。「だから、落とす。落ちた荷は、戦闘区のものだ。企業の決まりだ。俺たちは、企業の決まりの中でしか、生きられない」


 ルヴィリアは、しばらく、何も言わなかった。


 背後で、足音がした。尾形だった。装甲車から降りて、走ってきたのだった。その後ろに、白鷺の白い制服の女が一人、ついてきていた。


 尾形は、杭の内側の木箱と、杭の外側の宇津木を見て、立ち止まった。


「……人形。その箱は、回廊の中だ。白鷺の荷だ」


「分かっている」


「なら、回収しろ。それで、終わりだ」


 ルヴィリアは、尾形を振り返らなかった。


 杭の手前の、木箱を見ていた。杭まで、一メートル。


 杭の内側にあれば、白鷺の荷だ。杭の外側にあれば、戦闘区のものだ。


 そのたった一メートルが、灰街道の決まりのすべてだった。



 白鷺の制服の女が、尾形の後ろから、一歩出た。


 まだ若かった。二十代の半ば。胸の名札に、青い鳥の印と、「榊」という名前があった。


「……その箱の中身、熱冷ましと化膿止めの原料です。この人の言うとおり」


 尾形が、振り返った。


「榊さん」


「新都の病院向けの、追加の分です」榊は、木箱を見つめていた。「一箱足りなくても、新都の病院は、誰も困りません。在庫があります」


「それは、白鷺が決めることだ」


「私が、白鷺です。この車列の、白鷺の責任者は私です」


 榊は、杭の手前まで歩いてきた。コラプスの隣に、しゃがんだ。木箱の縁に、手を置いた。


 それから、宇津木を見上げた。


「……落ちた荷は、拾えないんです。私たちの契約では」


 宇津木は、黙って、榊を見ていた。


「でも、まだ落ちていない荷を、落とすかどうかを決めるのは」榊は、少しだけ声を震わせた。

「私の、仕事だと思います」


 榊は、コラプスの手を、そっと木箱から外した。


 それから、木箱を、両手で、杭の外へ押した。


 木箱は、斜面の段差を越えて、杭の一メートル外側の、赤い地面の上で止まった。


 戦闘区の、ものになった。


 *

 誰も、何も言わなかった。


 尾形は、長いあいだ、榊の背中を見ていた。それから、深く息を吐いて、帽子を脱いで、頭を掻いた。


「……報告書には、荷崩れで一箱落ちた、と書く」


「ありがとうございます」


「礼を言うな。俺は、見ていなかった」


 宇津木は、赤い地面の上の木箱を見下ろしていた。それから、拳銃を腰に戻して、木箱を、義足でない方の足で、自分の方へ引き寄せた。


「……一箱で、冬は越せん」


「分かっています」榊が言った。


「だが、一箱あれば、子供の分は足りる」


 宇津木は、木箱を肩に担いだ。義足が、赤い地面に、深く沈んだ。


 それから、ルヴィリアを見た。


「人形。お前の符丁の読み方は、旧陸軍の、第七の連中の癖だった」


 ルヴィリアは、何も答えなかった。


「第七は、帰った連中が多かったと聞いている」宇津木は言った。「俺の隊は、ほとんど帰らなかった。帰っても、俺たちの灯りは、どこにもなかったからな」


「……知っている」


 宇津木は、眉を寄せた。


 それから、何も訊かずに、背を向けた。木箱を担いで、赤い斜面を、ゆっくりと登っていった。


 左の丘の射手たちが、それに続いた。右の丘の、銃を撃ち落とされた射手たちも、斜面の向こうへ消えていった。


 クローザーが、輸送車の銃座から、照準を覗いたまま言った。


「指揮官。宇津木って人の背中、撃てるけど」


「撃つなっ」


「……知ってた」クローザーは、照準から目を離した。

「一応、訊いただけ」


「あれは、もう戦闘区のものだ」


 *


 車列は、日が傾く前に、灰街道の終点に着いた。


 新都の北の外れの、企業連合の検問所。そこで、各企業の車両が、所属ごとに散っていく。カナエ鉱業の運搬車は北の倉庫へ。食品会社の冷蔵車は中央区の市場へ。白鷺製薬の二台は、新都の病院へ。


 ゴウダのトレーラーは、検問所の脇で、荷の縄を締め直していた。


「いやあ、今日は肝が冷えた」ゴウダが、荷台の上から言った。

「狭間で止まったら、うちの廃材なんか、真っ先に杭の外へ押し出されてるところだった」


「廃材なんか狙われないよ」チルダが言った。「落としても、向こうも要らないから」


「そりゃあ、そうか」ゴウダは、また腹を抱えて笑った。「要らないものは、安全か。ジャンク屋と、同じだな」


「ジャンク屋は、要らないものを要るものにする商売だよ」


「言うねえ」


 ケンタが、トレーラーの運転席から顔を出した。


「チルダさん、また店、行きます。親方が、今度は二割で手を打つって言ってました」


「言ってない!」ゴウダが怒鳴った。


 尾形は、検問所の詰所の前で、報告書を書いていた。


 ルヴィリアが近づくと、顔を上げた。


「……人形。一つ、訊いていいか」


「何だ」


「あんたは、最初から、あの箱を落とさせるつもりだったのか」


 ルヴィリアは、少しだけ、間を置いた。


「いや」


「じゃあ、なぜ、杭の手前で、何もしなかった」


「決めるのは、私ではなかった」


 尾形は、ペンを止めた。


「白鷺の荷だ。白鷺が決めることだ」ルヴィリアは言った。「あなたが、そう言った」


 尾形は、しばらく、ルヴィリアを見ていた。それから、短く笑った。


「……自分の荷は、自分で守る、か」


「灰街道の決まりだ」


 尾形は、報告書に目を戻した。


 《狭間にて、街道衆の襲撃。死傷者なし。三号車、右前輪損傷。白鷺製薬一号車、荷崩れにより一箱、回廊外へ落下。規定により、回収せず》


「次も、陸で帰るのか」尾形が訊いた。


「空が飛べなければな」


「そのときは、また白鷺の後ろにつけ。頼まれなくても」


「頼まれなくても、そこに立つ」


 尾形は、ペンを走らせながら、小さくうなずいた。


 その夜、ジャンク屋の作業台の上で、アイシアが報告書の下書きを打っていた。


「指揮官。灰街道の襲撃記録、半年分。回廊の外へ落とされた荷の七割が、医薬品です。この数字、統括への報告に、入れますか」


「入れろ」


「……街道衆の集落に、病人がいることも、ですか」


 ルヴィリアは、ディヤウスの銃身を拭く手を止めた。


「数字だけ入れろ。理由は、統括が読み取る」


「分かりました」


 カウンターの内側で、コラプスが、自分の手を見下ろしていた。木箱の縁を、つかんでいた手だった。


「ねえ、ルヴィリア」


「なんだ」


「あの箱、わたし、離さなかった」


「離さなかったな」


「でも、榊さんが、押した」コラプスは、手のひらを握ったり開いたりしていた。「わたし、離さなくて、よかったのかな」


 ルヴィリアは、少しだけ考えた。


「お前が離さなかったから、榊は、自分で押すことができた」


 コラプスは、目を瞬いた。


「お前が離していたら、箱は落ちていた。誰も決めないまま、決まりのとおりに、戦闘区のものになっていた」ルヴィリアは言った。

「お前が杭の手前で持っていたから、白鷺の人間が、自分の荷を、自分で決められた」


 コラプスは、しばらく、自分の手のひらを見ていた。


 それから、その手を、カウンターの上に、そっと置いた。


「……そっか」


 奥の長椅子で、クローザーが端末の盤面を開いていた。


「指揮官。宇津木って人、狙撃手は、十四番のニレさんより、下手だった」


「そうか」


「でも、符丁は、上手だった。あれ、全部分かったの、すごい」


「昔の言葉だ」


「あたしにも、教えて。灯籠と打つとき、符丁で話したら、勝てるかも」


 チルダが、作業台の向こうで、吹き出した。


「盤で符丁使っても、灯籠ちゃんには通じないでしょ」


「通じないから、勝てる」


「それ、ずるいって言うんだよ」


 ルヴィリアは、ディヤウスを作業台に置いた。


 窓の外は、白い光の街だった。

 その北の外れから、灰街道が、戦闘区の赤い闇の中へ、一本の細い線になって伸びている。両側に、白い杭。

 杭の外に、街道衆の集落。台帳に載っていない、自分たちで点けた灯り。


 その灯りの一つに、今夜、一箱分の薬が届いている。

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