後手
最初の通報は、午前四時十二分に入った。
境界区外縁で操業していた回収業者の作業班が、戦闘区側へ三百メートルほど踏み込んだところで消息を絶った。
生き残った一人が、錯乱した声で繰り返したのは一言だけだった。
『地面から、赤い光が上がった』
四時二十分、本社から出動命令。 四時二十五分、店の裏口から四機が出る。
「今月、三件目ですね」
車輌の後部座席で、アイシアが端末の地図を拡大した。
表示されているのは、本社が報告書を積み上げて作ったメビウス版の戦闘区地図だ。業者が消えた地点は、白く塗り残されている。
「未踏査区画です。事前情報はありません」
「いつものことだ」ルヴィリアが言った。
「いつものことが問題なのです、指揮官」
チルダは窓の外を見ながら欠伸を噛み殺した。
「地図があればねえ。ここに何が埋まってるか、知ってる人は絶対どこかにいるんだけど」
「どこに」クローザーが訊いた。
「さあ。企業連の役員室か、墓の下か」
チルダは軽く言って、それ以上は続けなかった。ルヴィリアは前を向いたまま、何も言わなかった。
*
夜明け前の戦闘区外縁は、砂と錆の匂いがした。
業者の作業車は、崩れた高架の下で横倒しになっていた。車体の片側だけが、溶けたように歪んでいる。焼けたのではない。高温で、一瞬だけ撫でられた跡だった。
「熱線痕」チルダがしゃがみ込み、歪んだ装甲に指を触れた。
「でも弾じゃない。放射。辰砂の出力を直接吐き出したみたいな」
「生存者の証言と一致します。赤い光」
アイシアの声が、わずかに硬くなる。部隊の同期リンクに、小さなノイズが混じり始めていた。
「周辺に稼働反応。……二つ、いえ三つ。固定型です」
クローザーはすでに高架の残骸に登り、周囲を見渡していた。
「信号灯の並び。四基、等間隔で北東に向かってる。誘導灯の配置」
「誘導灯?」
「何かを通すための道。その先に、目的地がある」
ルヴィリアが、その並びを見た。
少し長く、見ていた。
「……撤退路だ」
三機の視線が集まる。
「大戦末期の、撤退戦用の配置に似ている。誘導灯で退路を示し、最後尾に殿を置く。殿が退路ごと焼き払えるように」
「つまり、この先にあるのは」
「殿の装備だ。撤退の最後に使うもの」
チルダが小さく口笛を吹いた。軽い音だったが、目は笑っていなかった。
「辰砂過負荷型、かな。撃ったら母機ごと吹っ飛ぶやつ」
「母機ごと、ですか」アイシアが訊き返す。
「うん。殿だから、帰ってくる前提じゃないの」
誘導灯の先、半ば埋もれた車輌格納庫の中に、それはいた。
六脚の装軌式母機。装甲は継ぎ接ぎで、元の型式が読めない。
その背に、周囲の鉄屑とは明らかに質の違う、円筒形の装置が据えられている。表面に刻まれた放熱溝が、脈打つように赤く光っていた。
「充填中です」アイシアが告げた。「出力、上昇を続けています。現在四割」
「業者を撃ったときの残量か」
「おそらく。今度は全量で撃つつもりでしょう」
格納庫の奥、錆びた指令卓の上で、古いランプが点滅している。
人の姿はない。命令だけが、また生きていた。
「全量で撃てば、半径どれくらい」ルヴィリアが訊いた。
チルダは装置の放熱溝を数秒眺めてから答えた。
「境界区の端っこまで、届くかもね」
誰も、それ以上は訊かなかった。
「本社から通信です」アイシアが言った。「読み上げます。『対象を回収せよ。破損は最小限に』」
「いつもの文面」クローザーが呟く。
「いつもの文面だな」ルヴィリアが答えた。
「アイシア、同期を最優先で維持。固定型三基の妨害波を全部引き受けろ」
「了解」
「クローザー、母機の脚を止めろ。装置には当てるな。振動で充填が乱れれば、その場で暴発しかねない」
「了解、ボス。脚だけ。六本」
「チルダ」
「はいはい」
「給電を切れ。装置側ではなく、母機側からだ」
チルダが、ほんの一瞬だけルヴィリアを見た。それから、いつもの顔に戻る。
「了解。母機側ね」
クローザーの射撃は静かだった。一本目の脚の関節を、二本目を、三本目を。母機が体勢を崩すたびに、装置の赤い光がわずかに揺れる。そのたびに、彼女は次の射撃を半拍遅らせた。
「揺れの周期、読めた。次の二本は揺れの谷で撃つ」
「充填、六割」
アイシアの額に、目に見えない負荷が溜まっていく。
固定型三基の妨害波は、部隊のリンクに爪を立てるように割り込んできた。
彼女はそれを一つずつ受け止め、押し返し、また受け止める。
「……持ちます。まだ持ちます」
チルダは母機の腹の下に滑り込んでいた。継ぎ接ぎの装甲板を一枚剥がし、中を覗き込む。
「うわ、ひどい。給電ライン、三系統から寄せ集めてる。どれが本線か分からないように、わざと絡ませてあるね」
「分かるか」
「分かるよ。こういうの組む人には、大抵癖がある」
彼女の指が、迷いなく一本のケーブルを選んだ。
「七割」
「クローザー、最後の脚」
「今」
六本目の脚が折れ、母機が腹を地面に着けた。その振動が収まる、ほんの一瞬の凪。
チルダが、ケーブルを切った。
赤い光が、ゆっくりと暗くなっていった。脈打つ間隔が長くなり、やがて止まる。格納庫の奥の指令卓で、ランプが一度だけ強く瞬き、消えた。
「充填、停止を確認」
アイシアの声から、力が抜けた。
「……固定型三基も沈黙。同期、正常値に戻りました」
誰もすぐには動かなかった。
*
回収部隊が到着したのは、昼過ぎだった。
装置は母機から慎重に切り離され、本社の輸送車に積まれていった。破損は最小限。本社の文面どおりの結果だった。
「業者の班、四人のうち三人は見つかりませんでした」
帰りの車内で、アイシアが報告書を書きながら言った。
「最初の一撃の範囲内です。私たちが着いた時点で、もう」
「分かっている」
「分かっていても、書くのは重いです」
アイシアの指が止まり、また動く。本社向けの報告書に書かれるのは、回収した装置の型式と状態だ。見つからなかった三人の名前は、欄がない。
彼女はいつものように、別の画面を開いて、そちらに何かを書き足した。
クローザーが、窓の外を見たまま言った。
「誘導灯の並び。あれ、北東でもう一度曲がってた」
「……それで」
「撤退路なら、一本じゃない。殿も一つとは限らない」
車内が、少し静かになった。
チルダが、ルヴィリアを見た。
「ボス、あの辺の撤退戦。覚えてる?」
ルヴィリアは少しだけ考えて、首を横に振った。
「私の部隊ではない」
嘘ではなかった。彼女が知っているのは、「彼」の部隊が置いてきたものだけだ。あの撤退路を敷いた誰かの記憶は、どこか別の場所にある。企業連の役員室か、墓の下か。
「じゃあ、また誰かが踏むまで分からないね」
「そうだな」
そのとき、アイシアの端末が短く鳴った。
「……本社から、次の案件です。第十四区画、信号灯の明滅パターンに変化あり。調査は三日後」
「三日後なら、今夜は寝られるね」チルダが伸びをした。
「三日後に何が出てくるかは、分かりませんが」
「分かったら、後手じゃなくなる」ルヴィリアが言った。
誰も、それに答えなかった。
車は境界区の検問を抜け、中央へ向かう。窓の外で、戦闘区の地平線が少しずつ遠くなっていった。




