先物
店の作業台の上に、見慣れない書類が一枚置かれていた。
『Dolls 部隊運営費 月次収支報告』
作成者の欄には、二つの名前が並んでいた。クローザー。コラプス。
「……なんだ、これは」
ルヴィリアは、書類を手に取った。
収入の欄に、数字が並んでいる。報酬でも、店の売上でもない項目。
《辰砂先物 運用益》
その数字は、店の今月の売上より、少しだけ大きかった。
*
月末の夜、店の作業台の端に、二機が並んで座っていた。
クローザーとコラプス。
クローザーの端末には、戦闘区の地図。
コラプスの端末には、辰砂の相場表。
二つの画面を、二機は交互に見比べながら、小声で何かを話し合っていた。
コラプスの瞳は、シアンだった。
「北東、第十六区画。来週から、匂い、強くなる」
「根拠は?」
「先週の持ち込み。第十六の外れで拾ったって部品、三つとも磁化が新しかった。侵食が、まだ浅いのに、磁性が強い。近くで、鉱脈が地表に出始めてる」
コラプスは、店の在庫から引っこ抜いた部品をクローザーに見せた。チルダは既に自分の部屋で熟睡を超えた爆睡となっており、気づくはずもなかった。
クローザーは、地図の第十六区画に印をつけた。
「業者は、まだ気づいてない」
「気づいてない。気づくのは……たぶん二週間後」
「二週間後、業者が第十六に殺到する。生粉の拾得量が増える。相場、下がる」
「下がる」
「なら、今のうちに、三週間後渡しで、売っておく」
「うん」
コラプスが、端末の上で数字を入力した。
*
年度末。アイシアは、五機分の年末調整の書類と格闘していた。
法務上、Dollsは社員である。社員である以上、所得の申告がある。ルヴィリアの報酬、チルダの報酬と店の副業収入、クローザーの報酬、コラプスの報酬。それぞれの書類を、アイシアが毎年、一枚ずつ仕上げている。
例年なら、二時間で終わる作業だった。
今年は、二機分の書類で、手が止まった。
「……クローザー。コラプス」
作業台の端で、二機が並んで端末を覗き込んでいた。
クローザーは無表情で、コラプスはシアンの瞳で。二機の端末には、同じ折れ線の表が映っている。
「なに」
「なぁに」
アイシアは、書類の一行を指差した。
「お二人の所得欄に、『雑所得』という項目があります。金額が、その……報酬より、多いのですが」
二機は、顔を見合わせた。
「先物」クローザーが言った。
「辰砂の」コラプスが言った。
アイシアの手から、ペンが落ちた。
「先物取引、ですか」
閉店後の作業台に、五機が集まっていた。議題は一つ。クローザーとコラプスの雑所得。
「辰砂の相場は、上がったり下がったりする」クローザーが、端末を作業台の中央に置いた。
「上がる前に買う約束をして、上がったら売る。下がる前に売る約束をして、下がったら買い戻す。差額が、利益」
「仕組みは存じています」アイシアが言った。「問題は、なぜお二人が、それほど当てられるのか、です」
コラプスが、端末の表の一点を指差した。
「辰砂が、どこで、どれくらい出てくるか。先に分かるから」
「先に?」
「戦闘区で、辰砂が出てくる場所、だいたい決まってるの」コラプスは言った。
「放棄された鉄が多いところ。二十年、錆びてるところ。磁場が強いところ。そういうところは、そのうち鉱脈が地表に出てくる。業者が見つける。辰砂が市場に増える。値が下がる」
「その、鉱脈が出てくる場所を」
「わたしが、匂いで分かる。まだ地面の下にあるうちから」
クローザーが、続けた。
「コラプスの匂いだけだと、点。どこが匂うか、しか分からない。あたしの地図と重ねると、線になる。磁場の広がり方、放棄車輌の密度、業者の回収経路。それを合わせると、次に、どこで、いつ頃、鉱脈が露出するか、推定できる」
「露出の予定が分かれば」コラプスが言った。
「市場に辰砂が増える時期が、分かる」クローザーが言った。
「だから、値が下がる前に、売っておける」
二機の声が、きれいに交互に重なった。
ルヴィリアは、腕を組んだまま、黙って聞いていた。
チルダは、カウンターに肘をついて、半ば感心したように二機を見ていた。
「……あんたたち、いつからそんなことしてたの」
「半年前から」クローザーが言った。
「チルダの、売上表も使ってる」コラプスが言った。
「あたしの!?」
「ジャンクの持ち込みが増えると、辰砂の値が上がった証拠。持ち込みの記録が、一番早い相場の兆候。チルダの帳簿、正確だから」
チルダは、口を開けたまま固まった。
アイシアが、姿勢を正した。
「一つ、確認させてください。……とても大切なことです」
「なに」
「その予測に、メビウスの情報は、一切使っていませんか」
作業台の空気が、わずかに張り詰めた。
「本社の回収計画。資源部門の採掘予定。メレナの観測記録。本社が持っている戦闘区の地図。……それらのどれか一つでも使っていれば、それは内部情報を使った取引、つまりインサイダー取引になります。私たちは、法務上、メビウスの社員ですので、社員が社内の情報を使って辰砂の相場を張れば、それは」
「分かってる。だから、メビウスの情報は、一個も使ってない」
クローザーが言った。
「本当ですか」
「使ってない。使ったら、インサイダー。だから、使わないように作った」
クローザーは、端末を操作して、地図を表示した。
戦闘区の、立体投影。かつて店の作業台に浮かべた、あの地図に似ていた。
だが、どこか違った。
「……線が、少ないですね」アイシアが言った。
「本社のレイヤー、全部、剥がした」クローザーは言った。
「前に作った地図は、本社の地図と、アイシアの記録を重ねてた。あれは、任務用。あれを取引に使ったら、アウト。だから、取引用の地図は、別に、一から作り直した」
「一から」
「あたしが私的に歩いた経路。コラプスの匂いの記録。業者が公開してる回収報告。それだけ」
「アイシアの記録も、外した」コラプスが付け加えた。「アイシアの記録、任務中に取ったものだから。メビウスの業務記録になっちゃう」
アイシアは、地図を見つめた。本社のデータを一切含まない、線の少ない地図。
それでも、辰砂の露出予測の点が、正確に打たれている。
「チルダの売上表は」アイシアが訊いた。
「チルダの店は、チルダの副業。メビウスの事業じゃない」クローザーが言った。「売上表は、チルダ個人の帳簿。メビウスの情報じゃない」
「……コラプスの嗅覚は」
「わたしの鼻は、わたしの鼻」コラプスが言った。「メビウスの機能じゃない。……試験機だから、メビウスに作られたけど。でも、匂いを嗅ぐのは、わたし」
アイシアは、しばらく黙って考えていた。
「……法務部に、念のため照会します。ですが」
アイシアは、小さく息を吐いた。
「話を伺う限り、問題ないと思います。むしろ、ここまで丁寧に線を引いているとは、思いませんでした」
「で」チルダが、身を乗り出した。「いくら儲けたの」
クローザーが、端末の数字を見せた。
チルダは、それを見て、黙った。
アイシアも、それを見て、黙った。
ルヴィリアは、しばらくそれを見てから、ゆっくりと言った。
「……私の年間報酬より、多いな」
「ボスの報酬、四行しかないから」クローザーが言った。
「四行目は、発売予定表だ。金額ではない」
「だから、比較しやすい」
コラプスが、小さく手を挙げた。
「儲けたお金、部隊のために使ってるよ」
「部隊のために?」アイシアが訊いた。
「店の修繕費。冷却剤の追加分。チルダが『予算ないー』って言ってた、作業台の工具」
コラプスは、指を折って数えた。「あと、わたしの生粉」
「最後のは、部隊のためでは」
「わたしの鼻が利かないと、取引できないから。部隊の収入源のため」
アイシアは、何か言いかけて、やめた。理屈は、一応、通っていた。
チルダが、作業台の奥の、真新しい工具箱を振り返った。先月、どこからともなく届いた、上等な精密工具一式。
「……あれ、あんたたちだったの」
「うん」
「匿名で届いたから、局長だと思ってお礼言っちゃったじゃん」
「蘇芳は、なんて言ってた」
「『知らん』って」
「正しい」
*
最初に言い出したのは、コラプスだった。店番で毎日相場を見ているうちに、気づいたのだ。自分の鼻で嗅ぎ取る「辰砂の出始めた場所」と、数週間後の相場の動きが、ほぼ連動していることに。
だが、コラプスの鼻は、目の前の部品の匂いしか分からない。それが戦闘区のどこから来たのか、その周りに何があるのかまでは、嗅ぎ取れない。
そこで、クローザーを誘った。
「ねぇ、クローザー。戦闘区の地図、作れるでしょ」
「作れる」
「わたしの鼻と、合わせられる?」
クローザーは、少し考えて、答えた。
「……いいね」
*
その夜、奥の作業室から、アイシアが出てきた。手には、分厚い書類の束。
「クローザー、コラプス。今月分の確認をさせてください」
「はぁい」
「はい」
アイシアは二機の前に座り、書類をめくった。表題は《Dolls 私的取引 適法性確認書》。
「念のため、毎月確認しています」アイシアは、ルヴィリアの方を見て説明した。
「法務上、私たちはメビウスの社員です。社員が、会社の業務で得た情報を使って個人的に取引をすれば、それは問題になります」
「内部の情報で儲ける、というやつか」
「はい。ですので、使っているデータの出どころを、毎月洗い出しています」
アイシアは、確認書の項目を一つずつ読み上げた。
「一、チルダの店の買取台帳。業者が持ち込んだ部品の、拾得場所と品目。これは店の記録です。メビウスの業務とは無関係」
「無関係」クローザーが復唱した。
「二、コラプスの嗅覚による、部品の磁化の新しさの判定。これはコラプス個人の感覚です。メビウスの計器は、使っていない」
「使ってない」コラプスが言った。「鼻だけ」
「三、クローザーの私的な戦闘区地図」
アイシアは、そこで手を止めた。
「……クローザー。以前の地図は、本社の地図と、私の内部記録を重ねて作ったものでしたね」
「そう」
「それは、使っていませんね」
「使ってない」クローザーは端末を開いた。
「取引用の地図は、別に作った。最初から、作り直した」
画面に、もう一枚の地図が表示された。本社に提出している戦闘区の地図より、ずっと粗い。
空白も多い。だが、ところどころに、細かな点がびっしりと打たれていた。
「この点、全部、チルダの台帳から拾った。業者が言った拾得場所。それに、コラプスが嗅いだ磁化の新しさを、色で載せてある。赤いほど、新しい」
「本社の地図は」
「一行も、入れてない。アイシアの記録も、入れてない。アイシアの記録は、任務中に取ったものだから。……任務中のものは、全部、抜いた」
アイシアは、地図をしばらく見ていた。
「……念が入っていますね」
「念を入れないと、アイシアが毎月この書類を書く量が増える」
「それは、助かります」
アイシアは、確認書の三番目の欄に、小さく印をつけた。
「以上、今月も、メビウスの技術、情報、設備の使用なし。確認しました」
*
コラプスは、作業台の端で、端末の相場表を眺めていた。
来週、崩れそうな区画が一つある。北東の、ぐるぐるが強くなってきた谷。
「クローザー」
「なに」
「来週、北東の谷、崩れるよ」
「地図でも、そう出てる」クローザーは端末を閉じた。「売り、入れておく」
「うん」
二機は、それきり黙った。
戦闘区の地平線で、信号灯が明滅している。その向こうで、二十年かけて磁化した鉄の山が、また一つ、崩れようとしていた。
誰も知らないはずのその音を、Dollsの二機だけが、少しだけ先に聞いていた。
ルヴィリアは、作業台の反対側で、銃の手入れを再開した。手を動かしながら、二機の小声を、なんとなく聞いていた。




