No.1-6 薬草探し
本当に、この広い森の中から、たった一種類の薬草を見つけ出すつもりなんだろうか。
「──大人しく家で待っといてもええのに」
名医が、どこか不満げにそう告げる。
ここへ来るまでに、もう何度も繰り返された言葉だった。
「いえ、手伝わせてください」
そう言うと、名医の視線が、包帯を巻いた左足へちらりと向く。
無茶をするな、と言いたいんだろう。
陽は、もう少しずつ傾きはじめていた。
妹を、長く一人にはできない。それに──この人は、眠れば、今日のことを全部忘れてしまう。
明るいうちに。せめて薬草だけでも、見つけ出さないと。
「はぁ……あんま無理したら、あかんよ」
「はい、気をつけます」
頑として首を縦に振らない僕に、とうとう観念したらしい。
小さくそう言い残すと、彼は足元の草へ手を伸ばした。
「お、ミズヨモギちゃん」
雑草にしか見えないそれを、一つ、また一つと摘んでは、手にした籠へ入れていく。
あれが全部、薬になるんだろうか。
「なんだか、不思議です」
「んぇ?」
「こういう草が、薬になるんですよね」
薬草を探すのは、初めてだった。
妹のことを思えば呑気にしている場合じゃない。
それでも、つい指が伸びる。この草が薬になる理屈を、ひとつでも覚えて帰れたら──妹に、何かしてやれる気がした。
「せやで。怪我を治してくれたり、熱を下げてくれるんよ」
「そっかぁ……薬草って、すごいなぁ」
独り言のつもりだった。
会話の中でこぼれた、ただの感想のはずだったのに。
その一言で、名医の目の色が、変わった。
「せやろぉ?」
ぐい、と瞳を爛々と輝かせて、彼が一歩、こちらへ詰め寄ってくる。
……あ。嫌な予感。
「薬草ってな、見た目は地味でも、ほんまにすごいんやで! でかくなったら人間でも丸呑みできるようなやつ、触れるだけで死ぬような危険な植物もあってな」
止まらない。
「まぁ、そのへんはちゃんと危険植物に指定されとるから、普通に生きとったら、まず出くわさんけどな。あと」
全ッ然、止まらない。
「こっから面白いところなんやけどな、その」
名医の話は、どんどん広がっていく。
……まずい。
彼の語る知識は確かに興味深いけれど、こちらとしては、妹の薬が最優先なのだ。
「あ、あの、それで、ヒカゲシズクは、どこに?」
たまらず、話の腰を折る。
「ふふん、ヒカゲシズクちゃんはな、湿気が好きで日向を嫌う特徴があってな、俺の見立てが正しけりゃ、この先にあるで」
「ワァ、さすが名医さん」
「せやろぉ?」
「ヨォシ、頑張ってみつけましょうね」
「おん! 任せとき!」
……あ、うん。ちょろい人だ。
話を遮ったのに嫌な顔ひとつせず、むしろ嬉しそうに、また説明を始める。
この人、本当に薬草が好きなんだな。
「お、ほら、この辺りの環境が最適やな」
案内されるまま足を進めると、日差しの届かない岩陰に出た。
彼はしゃがみ込んで、周囲の地面へ、すっと視線を走らせた。
「あ!! ヒカゲシズクちゃん、ない!!」
「えぇ!?」
突然、弾かれたような声が響く。
「人に採られとる」
彼の視線を追うと、そこには途中で折れた茎や、えぐり取られたような土の跡があった。
踏み荒らされた跡は真新しく、周囲の苔も、剥がれ落ちている。
「そう言えば……この森で、怪しい男の注意書きが、村に出てたような……」
思い当たる節があって、曖昧な記憶を手繰り寄せる。
「あー…もう。貴重な薬草、根こそぎ回収したんやな」
彼は荒らされた地面へ手を伸ばした。
指先でそっと撫でると、土に紛れた葉を一枚拾い上げて、丁寧に汚れを払った。
「……かわいそうに」
消え入りそうな声だった。
潰れた葉を掌に乗せたまま、彼の肩が、力なく落ちる。
いつもおどけているはずの目元が、今は、静かに伏せられていて。
何か、言わなきゃ。
そう思うのに、喉の奥で言葉がつかえて、出てこない。
結局、僕は、彼の隣で立ち尽くすことしか出来なかった。
*.
あれからしばらく歩き回ったけれど、お目当ての薬草は、影も形もない。
森に入った時の高揚感は、もうすっかり消え失せて、代わりに不安が背中に張りついてくる。
「……」
本当に、見つかるんだろうか。
ひょっとして全部採り尽くされていて、この森にはもう、咲いていないんじゃないか。
もし、そうなったら──。
「お、アケビちゃん」
「ふべ!?」
次の瞬間、前を歩いていた名医が突然立ち止まって、僕は顔から、その背中にぶつかった。
鼻の奥に、じんと痛みが走る。
「あ、すまんすまん。でも、ほら上見てみ」
促されて見上げると、高い枝に、熟れたアケビがいくつもぶら下がっていた。
紫の皮が裂けて、白い果肉を覗かせている。
「よく、見つけましたね」
「ふふん、俺の目は特別えぇからね!」
得意げに笑うと、名医は足元の石をひとつ拾い上げた。
手の中で軽く重さを確かめ、狙いを定めて、ぐっと振りかぶる。
放たれた石は枝先に当たって、鈍い音を立てた。
「よしゃ! 命中!」
揺れた拍子に、熟れたアケビがひとつ、ぽとりと落ちてくる。
名医はそれを両手で受け止めると、手の中でくるりと回した。
「ほら、休憩しよか」
「……えと」
「焦るんも分かるけど、一息つこ。きっと見つかるから」
図星だった。
本当は、立ち止まっている時間すら惜しい。
でも、それも含めて見透かされている気がして、強くは言い返せなかった。
近くの倒木に二人で腰を下ろすと、名医は持っていたナイフを、アケビの裂け目へ差し入れた。
「ほら、皮は食べんようにな」
「いただきます」
「はい、いただきます」
差し出されたアケビを受け取る。
果汁で服を汚さないよう気をつけながら、そのまま口へ運んだ。
「うわぁ」
「う、ぅぅん」
その途端、舌に広がったのは、予想していたやわらかな甘さではなく。
きゅっと締めつけるような酸味だった。
「「すっぱぁ……」」
すぼめた口に酸っぱさが居座ったまま、ふと、視線が合う。
二人して、まったく同じ顔をしていた。
ほんの一拍、間があって、どちらからともなく、笑いがこぼれる。
「ふふふ、当たりやったけど、外れやったねぇ」
「でも、そのおかげで、目が冴えました」
そんな他愛もない時間の中で、ふと、思う。
そういえば僕は、この人のことを「名医さん」としか呼んでいない。名前すら、聞いていなかった。
「あの、そう言えば、お名前は?」
ここまで一緒に歩いて、こうして同じものを食べているのに、僕は彼のことを、何ひとつ知らない。
出会い方が出会い方だったせいか、名乗る機会を逃したまま、ここまで来てしまっていた。
「ん? んんんー……」
すると名医は、額に手を当てて、探るように目を細めた。
しばらく黙り込んだあと、小さく息をつくと、肩をすくめて、困ったようにくしゃりと笑う。
「分からん」
あ。
しまった、と思った時にはもう遅い。
この人は、眠ったら全部忘れる人だ。
一番抉っちゃいけないところを、自分から抉ってしまった。
血の気が引いて、心臓が嫌な音を立てる。
取り消したい。今の質問、なかったことにしたい。
でも、口から出た言葉は、もう戻らなくて。
「そんな顔すんなや」
不意に隣から手が伸びてきて、頭にやわらかい重みがのる。そのまま、髪を撫でられた。
……そんなに、ひどい顔をしていただろうか。
「ま、毎日記録は付けとるから、さすがに名前ぐらいは、どっかに書いとるはずや」
頭に触れていた手が離れると、名医はこちらを覗き込んだ。
「自分の名前は?」
「……僕は、ノアっていいます」
「ノア! えぇ名前やね!」
自分の名を口にした途端、名医の表情がぱっと明るくなる。
何度か頷きながら、地面に下ろした足を、子どもみたいにぱたぱた揺らした。
「妹さんは?」
「ハル、って言います…自分には、もったいないくらい優しい妹なんですよ」
「ふふ、妹さんの傍に、優しいお兄ちゃんがおるからやね」
少しのためらいもなく、彼はまっすぐに、その言葉を向けてくる。
「──僕は、そんな立派な人間じゃ、ないです」
あふれた。
否定の言葉が、迷いなく口から。
幼い頃に両親を事故で亡くしてから、ずっと、妹と二人で生きてきた。
働いて、働いて。がむしゃらに、必死に生きてきた。
出来ることは、やってきたつもりだった。
つもりでしか、なかった。
その結果が、これだ。
「…きっと妹の病も、ダメな自分の所為なんです」
僕がもっとしっかりしていたら良かった。
すぐに病を見抜いて、薬を作れる人間だったら良かったのに──。
「あんなぁ。病は、誰かの所為でなるもんと、ちゃうで」
迷いのない、やわらかい声だった。
「気づくのが早かろうが遅かろうが、なる時はなる。お前のせいでも、ハルちゃんのせいでもない」
「……ぁ」
「大切な妹の為に、こんな森まで来て、必死に探しとる。それを、ダメなやつとは言わへんよ」
ああ。もう。
「充分、立派なお兄ちゃんやないか」
困った。困るんだ。
こんな風に、心の柔らかいところを、当たり前みたいに大切にされるなんて。
大丈夫ですから。
そんなに、飴はいらないですって。
もう。本当に。困りますから──。
*.
「落ち着いたみたいやね」
「ずみま、せん」
ぐずぐずだった呼吸が、ようやく整ってきた。
きっと今の僕は、泣いたことを取り繕えないほど、目が真っ赤になっているはずだ。
「ふふ、じゃあ、散策を再開しよか」
「はい゛」
まだ鼻にかかった声で返事をして、袖で目元を拭う。
泣いてばかりじゃ、駄目だ。せめて、自分の手で何か。
それから、どれくらい歩いただろう。
草の根、岩の隙間、湿った土。何か手がかりはないか、と這うように視線を落として──
「……あ」
岩の根元の、陽の届かない窪み。
土に半分埋もれるようにして、見覚えのある葉が、ひっそりと身を寄せていた。
名医さんに教えてもらった、あの医学書の絵と、同じだ。
「名医さん……! これ……!」
じわじわと、胸の奥から喜びがせり上がってくる。
逸る手を抑えて、壊さないように、そっと葉のそばへ屈み込んだ。
「あ、ヒカゲシズクちゃん!」
名医がぱっと顔を輝かせて、駆け寄ってくる。
窪みの前に膝をつき、葉を覗き込んだ瞬間、その表情が、ふっとやわらかくほどけた。
「これで、薬作れるな」
その一言で、せっかく拭ったばかりの目が、また熱を持つ。
よかった。
本当に、よかった──。
*.
薬草を握りしめて、僕たちは家路についた。
無事に薬が作れる。妹が、助かる。
その安心に、足取りは軽かった。
だから──気づけなかった。
少し離れた木陰から、僕たちを舐めるように見下ろしていた影に。
この日の夜が、忘れられない夜になることを。
僕たちは、まだ知らない。




